みんなで
-star night-


 夏は暑い。

 暑いのは色々と面倒だから嫌いだ。何より汗、これが私にとってイヤでイヤで仕方ない。

 汗かきの私はちょっと動いただけでもシャツの背中に染みが浮く。日本は平和だ、中東とかみたいに銃弾が飛んでくることもないし、茂みから腹を空かせた虎が飛び出てくることもない。なのにいつも私の手はスリリングに湿ってしまう。

 額に浮いた汗を拭く。

 だけど今日の汗は少し気持ちがいい。

 カマドの角度を整えて、私は首に巻いたタオルでもう一度額を拭った。

 「完璧」

 熱中していて吸い込むのも忘れていたくわえ煙草から大きな灰が風にそよいで飛んでいった。

 あの日、懺悔の部屋から久し振りに家へ戻ると美汐は

 「お姉ちゃん、お帰りなさい」

 いつも通りに出迎えてくれた。

 皆斗との関係を自ら暴露した後、泣崩れた私にあろうことか美汐は、あんなに酷い言い方をしてしまったのに美汐は私を抱きしめようとしてきた。

 「やめて!」

 あんなにヒステリックな声が自分から出てきたとは驚きだった。金切り声を上げた私は美汐を突き飛ばして、どんなに強く押したか判らない、だけど確かに机にぶち当たったような音と悲鳴を背中に聞いたまま私はこの子を置いてきてしまったのに。

 美汐は泣きながら私にそう微笑んで「お帰りなさい」と言ってくれた。

 何日も寝てないような真っ赤な目で。

 いつものようにそう言ってくれた。

 ごめんね、とか私は言っていたのかもしれない。とりあえず私は懺悔の部屋に続いて二度目の大泣きをしてしまったわけだ。

 美汐の笑顔がこんなに心地よかったと感じたのは初めてで、子供が母親に甘えるみたいに抱きついて。

 私たちの真実を知ってしまった後、この子がどれだけ悩んだかは私は知らない。

 でも自分のことで年下の妹を苦しめてしまったことは事実だった。

 それで、その現実を見るのが辛くてあんなに家に入ることをためらっていたのに。

 その日は美汐と、病人だからベッドで寝ろって言ったのに皆斗と3人で居間に並んで寝た。

 美汐が真ん中、私が右で皆斗が左。

 同じ天井を3人で眺めて、3人で手繋いで寝転んで、何を話していたんだか。とりとめない話をして始終笑っていたような気がする。家族の話題、学校であったこと、昔行った場所のこと…3人で話す何もかもがどんなものよりも可笑しく思えて3人で大笑いをしていた。

 とりあえずあの日ほど泣いて、そしてあの日ほど笑ったことは無かったと思う。

 「3人でキャンプに行こう」

 皆斗が退院したある日。美汐は私からの「退院祝い」のピンク色をしたエプロンをして、ごちそうの準備をしながらそう言った。

 娑婆の空気は美味ぇとか言ってヤニを吹かしているキャンプ好きより、私の方が先にYESと答え…今日に至る。

 あの星空のキャンプ場。

 「特等席は3人分用意できてるだろ?」

 「当たり前じゃん」

 私たちの目配せに、美汐は不思議そうな顔をしていた。

 「ふぅ…」

 一仕事を終えた後のヤニは格別だ。




 涙は、あの日の3人分の笑い声が吹き飛ばしてくれた。

 お姉ちゃんも、お兄ちゃんもすっかり昔の二人に戻ってくれて、もう私は何に感謝したら良いか判らなくなっていた。

 美汐って呼んでくれるお姉ちゃんの声、私は大好き。

 前よりずっとずっと暖かくて、心の中から言ってくれているから。

 お兄ちゃんの笑顔は前よりももっと大好きになった。

 もっと、もっとこんな風に笑っていてほしい。あの時の作り笑顔はお兄ちゃんじゃないから。

 「待て、皆斗何を入れるつもりだ」

 「何って姉貴、これは文化焚付けってんだ知らないか?着火剤よ着火剤。」

 「馬鹿野郎、そんな石油の塊入れたら火が汚れるだろ、男なら手だ、手」

 「手ぇ?は?ちょっと待てよ炭を起こすんだぞ?団扇なんかで扇いでたら日が暮れちまうだろ?」

 「ダメダメダメ、肉がまずくなる。良いか?角度がな、角度をちゃんとすればなぁ…」

 カマドを前に、お姉ちゃんは団扇、お兄ちゃんは炊きつけをもって議論をしている。

 知らない人が見たら口論にも聞こえるかもしれないけど、二人はあれで楽しんでいる。

 もう…と野菜を刻みながら私はお兄ちゃんがするように肩をすくめてみせた。

 ジーザス。

 「二人とも、言い合ってばかりだと日が暮れちゃうよ」

 「だってよ!姉貴が」

 「わかった、皆斗」

 「お、もしかして炊きつけOK?」

 「いや、アレだ、アレ。炊きつけはまた今度。また今度いれような?」

 「俺はおもちゃ売り場のガキか!」

 口ではああいいながらもお兄ちゃんは、ちゃんとお姉ちゃんをたてている。炊きつけを袋に戻すとお姉ちゃんに習いながら団扇で炭を扇ぎ始めた。

 お姉ちゃんは…気付いているのかな、満足そうに笑ってるけど。

 二人の様子がおかしくて、私は危うくニンジンを細かく切りすぎてしまうところだった。

 こんな駆け引きがまた聞けるようになったのも、3人で寝たあの日以来だったっけ。

 お姉ちゃんはお兄ちゃんのことが大好き。

 しかもそれが、普通の好きじゃないって知った時、頭がごちゃごちゃになっていた。

 お姉ちゃんにぼろぼろにされたエプロンは実は今も大事にしまってある。

 今は充分楽しいけど、それであの時のことを忘れてはいけないって自分に刻み込むためだ。

 エプロンをぼろぼろにされた恨みだとか、そんなんじゃない。

 お姉ちゃんは何もかもを投げ打ってまでして、お兄ちゃんを愛そうとした。

 今ある生活、目の前のだけじゃなくて田舎のお父さんやお母さんとの暮らしと思い出、そして未来にあるまだ見えないものまで犠牲にするような…覚悟と決意で。

 そしてお兄ちゃんはそれを受け入れた。

 お姉ちゃんと同じくらい…もっとそれ以上の覚悟でぶつかっていったんだと思う。

 恋愛は二人の問題だけど、二人は姉弟だ。

 家族…肉親…私には想像がつかない障害がこれからいっぱいあるんだと思う。

 私もそれを手伝う、手伝いたい、二人の笑顔を守りたい。あの日に判ってあげられなかったから今度は、二人を守ってあげたい。

 もしも二人が喧嘩をして、酷い喧嘩をしたら…その時のエプロンを投げつけてやろう。

 その時二人はどんな顔をするんだろう。

 気付いたらピーマンを細かく切りすぎていた。




 美汐が許してくれた。これがどんなに心の支えになったんだろうか。

 もしかしたら俺の世界は美汐を中心に回っているのかもしれない…って聞いたらきっと姉貴は怒るんだろうな。

 「ほら、皆斗」

 普段滅多に家事なんかしねぇのにこういう時だけ鍋奉行ならぬカマド奉行の姉貴が、網から肉を取り分けてくれる。ごまだれに浮かぶそれは…

 「明らかに炭じゃねぇか姉貴ぃ」

 「ウェルダン。美味いぞ、よく焼けてて」

 聞こえてたのかよ…ちょっと考えごとの最中だったから反論もしないで俺は肉だった炭に噛付いた。

 苦い。

 あまりに苦くて俺は慌ててビールで流し込んだ。

 夏の熱気にすっかり汗をかききった缶ビールが空になる。次の缶を、とクーラーボックスに手を伸ばすと隣のコテージの家族連れが目に入った。

 両親に挟まれる形で小学生くらいの子供が、楽しそうに串に刺さった肉を頬張っている。

 森に囲まれたキャンプ場。木の向こうからは夕焼けが伸び始めていた。

 フツーの家族だよな…

 姉貴に告白された日から今でもまだ少し普通って言葉が痛くてたまらない。

 俺達は普通じゃない。

 姉と弟なのに恋人になってしまったから。

 誰にも相談できないでいたら、今頃はプレスリーとロックを歌ってたかもしれない。

 でも今は、美汐が俺達を理解してくれている。それだけであの時の痛みは少し和らいだ気がした。

 3人で手を繋いで寝た日から、俺は一度泣いた時がある。

 姉貴と美汐の家。俺と姉貴はテレビを観てて、美汐が夕飯の準備をしていた時だった。

 家の電話が鳴っていた。美汐は料理してて出れないって言ってたんだっけな。

 「ほら、皆斗出番だぞ」

 「いや、あれは姉貴に用事の電話だな。姉貴が出るのが親切ってもんだ」

 「皆斗の勘ってよく外れるからね、今思ってることの逆が大正解」

 「もう、誰の用事でも良いけど切れちゃうよ」

 結局美汐が笑いながらその電話に出たんだけど。

 「…皆斗?」

 目を丸くして姉貴が俺を見ていたのも判る。

 それに気付いて俺は少し泣いていたからだ。ほんのちょっと、あくびよりも少し多いくらい目尻に涙が。

 喋って気付いて、唇を結んでいた。

 なんで姉貴は気付かないんだ。

 美汐がいる前で姉貴に軽口叩いたのなんてかなり久し振りなのに。

 俺が望んだ前と同じ普通の光景。

 そっと触れてきた姉貴の手を俺は握り返していた。

 右往左往して乱れて、また戻ってきた普通を壊すわけにはいかない。

 「姉貴も飲む?」

 クーラーボックスから取り出したビールを姉貴に手渡す。

 「ん、ありがと」

 渡した指に、姉貴が唇をつけてきた。美汐がタレのボトルをとる時、俺達から視線が外れたタイミングを狙っての確信犯。

 「アメリカ人か」

 指先にごまだれが。

 してやったと、上目で笑う姉貴の前でそれを舐めてやると…慌てて目を反らしてやがる。

 勝った。

 最近生まれてきた余裕っていう感情。恥ずかしい話、姉貴を少し可愛く感じ始めた時からそれは生まれて…あっちも同じなのか俺達の中に新しい駆け引きが生まれていた。

 いかに相手を、照れさせるか。

 俺達のことを知ってるとはいえ、美汐にはちょっと早い世界の話。

 「お姉ちゃん、タレまだある?」

 「あ、あぁ、た、足りないかも」

 声を上ずらせてる姉貴を尻目に俺は勝利の美酒をあおる。




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