村宮白帆
-the EnD-

 「約束は、あんたに何も言わないこと。だけどあんたが気づいたら、そりゃ知ったことじゃない」

 何が知ったことじゃないんだろう、2人だけの秘密はどうあっても守られなければいけなかったんじゃないのか。

 「それを知ったらあんたはどうするつもりだったの?ねぇ、どうしたかったの?私達のことを知ってどうするつもりだったの?」

 知りたかったのはきっとこっちの方だ。秘密が漏れることを大袈裟に恐がっている皆斗の陰で、私は家族に引き裂かれて蔑まされることを何よりも恐がったんじゃないだろうか。

 だから守ってやると言ったんだ。だから私も守って欲しかったんだ。だけどあの子は全然答えてくれなくて。

 「あの子は私のこと好きって言ってくれた。だからいっつも一緒にいたんだ…」

 好きとしか言ってくれないのが凄い恐かった。ただその言葉だけで生きていけるほど私は子供じゃなかった。将来が、私達の未来が知りたかった。大丈夫の一言もかけてくれたらあんな…あんな…

 「血吐いて倒れるなんて思わなかったんだ…」

 胃潰瘍で、原因はストレス。

 きっと私だろう。

 きっと私が原因であの子は…

 「だけど好きって、言ってくれたんだ…」

 初めてだった。あっちからキスしてくれたのは。

 決別してもらう、そう思った矢先にあんなことされたら、また振り出しに戻れるとそう思っていたのに。

 なんで、なんでまたこの子が出てくるんだ…

 「言ってみなよ、何に気付いたか。話してみなよ、私と皆斗の関係を」

 ぼろきれを見つけた時の気迫はどこへやら、美汐は10秒後には泣きそうな顔をして首を振っている。

 その、泣きそうな顔がとても恐くて私は踏み出していた。

 「さぁ」

 「…っ」

 このまま泣きながら帰って…もう顔を見せないで…

 「お姉ちゃんと…お兄ちゃんは…」

 美汐の唇は声を出さなかった。

 寝た。

 形だけ動いていた。

 寝た、と確かに言っていた。

 先に泣いたのは私だった。



 喧しいノックの音で私は目が覚めた。

 自分の家よりは綺麗に見えるのは、ただ天井が白いだけだから。言葉で比較するなら「どんぐりの背比べ」どっちも同じくらいヤニの煙に煤けている。

 「村宮、おい、開けろって、おい!」

 時計は昼の10時を回ったところ。最近すっかり平均的大学生になってしまった。

 ここは大学の、ウチのゼミの研究室。研究室っていっても大袈裟なフラスコとかビーカーが鎮座してるようなソレっぽいのではなくて、ちょっと良いパソコンが並んでいるだけの安っぽい部屋だ。壁にはどこの酔狂な信者が張ったのか知らないけどガンジーのポスターがとめてあって別名懺悔の部屋って呼ばれている。

 ガンジーは懺悔したわけじゃない。

 だけどルームメイトではある。背中の黒子の数まで知られてしまっているインドの爺さんに朝の挨拶をすると、私はさっきから煩いドアの鍵をあけた。

 「おー、おはよう神代君」

 ロンゲで赤い十字架とか鎖とかぶらさげた黒いシャツのあんちゃんが顔を出す。趣味はなんですか?と聞いたらロック。あ、バンドもされるんですか楽器は何を?ベースです、ボーカルもします。

 そんな質疑応答を簡単にシミュレートできてしまう風貌だが、得意楽器は純和風の鼓(つづみ)というなんともギャップに溢れた面白いヤツである。歌舞伎の舞台で休日に叩いているらしい。インパクト勝ちで、私の中での評価は高い。

 そんな彼は私と同じゼミの仲間で、大学で数少ない知り合いでもある。

 「おーおはよう、じゃないよ村宮ぁ?ノックは、1回で起きろってや」

 「いや、実は君の足音で目が覚めたんだ」

 「おい!起きてたのかよっ」

 「そうなるねー」

 彼はうんざりした顔で、私にコンビニの袋を渡してくれた。中には弁当とお茶と…サラダ?

 「あ、それおごりね」

 「おお、たすかるねー」

 栄養が偏る、か。気配りができるヤツなので良い掘り出し物をしたと思っている。

 私がここに寝泊りするようになって一週間。その初日、遅くまで作業をしている彼の横で寝床の準備を始めたのがきっかけだった。

 詳しい経緯を聞くこともせず、彼は私の「お使い」をしてくれた。

 まぁ、見合った労働もあるんだけど。それが寝坊の原因、ということにしている。

 「そいで、できた?アレ」

 「大丈夫、いつものフォルダに入ってるよ」

 レポートの代筆が私の仕事。1度受けた授業のだから結構簡単にできるのが助かる。

 弁当を買ってきてもらうのは、ただの惰性だ。

 「昨日もちゃんと電気ついてたよ」

 お使いが彼の仕事。

 それを聞くのが毎朝の日課だった。

 携帯の電源は、バッテリーごと抜いてある。

 私はあれから家を飛び出した。

 皆斗の家を飛び出し、1度自分の家にいってから大学へ来た。ゼミ室はいわば学生の「場所」で大学の中の治外法権が適用されている場所である。私物を置くのは当たり前、私みたいに泊まっている学生もいるらしい。研究という名目の宿泊だ。

 アルバイトっていうのが嫌いで、私はろくに金も無かったからこういう設備はとてもありがたかった。

 私と皆斗との約束は破られた。

 美汐、私達の妹に関係を…自ら暴露したようなものだけど知られてしまったのだ。

 もう誰にも会えなかった。

 口止めしてもよかったのかもしれない。でも美汐が聞いてくれるか判らないし、もし聞き入れてくれてもあの子は演技が下手だからすぐにばれてしまうだろう。

 だから私の居場所はどこにもなくなった。

 どちらの家にも私が居られる場所は存在しない。

 弟に狂ってしまった日から、本当は無かったに違いないけど。

 居場所が、無かった、どこにも無かった。

 心に穴が空いた気がした。

 皆斗に会いたかった。

 美汐とだって、また笑って話したかった。

 我慢して、我慢して二木とでも付き合っていれば実は丸く収まっていたのかもしれないけど…

 そんな過去は嫌だった。

 そんな過去からこれから生きていくなんて絶対嫌だった。

 皆斗以外の人間が隣にいるなんて反吐が出る。

 皆斗、皆斗…約束を破ったけじめのつもりで携帯の電源も切っているのに…声を聞きたかった、罵られても叩かれても刺されて殺されても全然構わない、会いたかった…

 いっそのこと私の首でも神代にもっていってもらおうか、そうすればあの子に会える…なんてサイコな考えすら浮かぶ自分に昨日は少し笑った。

 「村宮…村宮ぁ?」

 「あ…すまん。ぼーっとしてた」

 「デフォでぼーっとしてるようなヤツがぼーっとするってどんな感じなん?」

 「知らないよ…あ、次の時間私授業だ」

 いってらっしゃぁーい、変なアクセントの見送りに手をふって私は6階にある教室へ向かった。はじめのうちは授業なんか受ける気がしなかったけど、なんかしてないと生きていく気がなくなりそうでこうして授業に出ている。これは1年の時取り損ねた授業で、これをとらないと卒業できないなんともシビアなものだった。シビアな分、勉強に集中できるものだ。

 最後列の、1番右が私の特等席。大きな扇形の講堂といっても言いすぎじゃない豪華な教室は、6階にあるだけに窓からの景色も良い。  今日も良い天気だ。最近雨は…私の心でしか降っていない…ちょっとキザだった。

 白い雲はとても薄くて、太陽の前を通っても透けて見える陽射しが心地良い。

 もうじき授業が始まる。ルーズリーフから一枚、ノートを引っ張り出しているとすぐ隣から声をかけられた。

 「隣、いいですか?」

 「おーう」

 大学の教室において、窓際を確保するのはシビアだ。人間誰しも同じことを考える生き物でどんなに生徒数はまばらで座席は埋まらなくても、窓際一列は埋まるくらいの人気の場所。だからこうして時々、窓際からもれた連中が少しでも窓際の恩恵を受けようと隣に…

 「…」

 教室はガラガラだった。最後列だからわかるけど窓際にはまだまだ空き地があるのだ。

 なんでわざわざ隣に来るかな。ベンキョウにシュウチュウしたいのにちょっと迷惑だ。

 「あの」

 時間が止まった気がした。

 人違いだと思った。

 でも私がこの横顔を間違えるだろうか?

 こんなに会いたいと思っていたのに

 その方が難しい…

 「なんで…?」

 皆斗が横に座っていた。

 小学生の卒業式みたいに馬鹿みたいに膝に手をそろえておいて1番前の黒板を見ていた。

 嬉しい反面、その倍くらい背筋が凍りついた。自分が逃げた1番の理由が本当はこの恐怖を味わいたくなかったからだと思った。

 破ってしまった約束のけじめじゃない。

 破ってしまった約束を知った皆斗の顔を見たくなかった。

 「家出したつもりか?」

 そむけたい、そう思ったけど皆斗の横顔から視線を外すことはできなかった。

 じわじわと心の中に水が溢れてくるのが判る。今にも溢れそうに、溢れさせてそれを代償に、免罪符に知られてしまったこの場所からも流れて逃げてしまおうと…

 した時だった。

 「学校に電話したら判るっつーの。なんでちゃんと律儀に出席表提出してんだよ姉貴」

 トントン、小突かれた額。皆斗が笑っているのは約束を破ったの私の狼狽ぶりが滑稽で腹の底から笑っているんだと思っていた。

 「ば・か・じゃ・な・い?」

 眉を持ち上げ歯を見せて…皆斗は笑っていた。懐かしい、その記憶が色あせて見えるくらい懐かしい私の大好きな笑顔だった。額に突きつけられている手をそのまま握りたい、その体を抱きしめたい。そう思っても、あまりに嬉しくて体が動いてくれなかった。ただ私の手だけが痴漢をするおっさんのように何もないところをうろうろしているだけだった。

 「いいか姉貴」

 「あ、う、うん?」

 「俺さー他のガッコの授業って受けるの初めてでさ、ちょっとどきどきしてんだけど…センセに当てられたりしないよな」

 「あ、あてられないと思うけど」

 「じゃぁ、OK」

 皆斗は自分のカバンからノートや筆入れを出しながら、今までと同じ口調でこう言ったきり口を閉ざした。

 「授業が終わるまでに決めろ」

 ベンキョーにシュウチュウするから、と言わんばかりに前を向く。

 授業が終わるまでに決めろ

 それ、絶対二木のアレだな?

 だけど私はそれを指摘することはできなかった。

 先生はきっと不真面目だと思っただろう。隣で真面目に授業を受けている学生と違って私は机に突っ伏して。

 でも、寝ていなかったんですよ。

 鼻をすするのがうるさいと言われたら、風邪ですって答えよう。



 「ふー」

 皆斗が煙を吐いている。

 どっか2人になれるトコない、と言われて私は半ば連れ込む形で皆斗をゼミ室へ案内した。部屋には神代がいたけど、「隣の猫が臨月だから」と帰ってくれた。

 「非暴力ねぇ」

 私はソファにうなだれて座り、皆斗は物珍しそうにゼミ室を見回っていた。

 どうしたら良いか判らなかった。

 このまま思い切り皆斗を抱きしめてしまえればどんなに嬉しいだろう

 望んでた唇がそこにあるんだから存分に貪れればいいのに…

 「どうして…来たの?」

 「え、外泊許可で」

 「外泊許可…」

 「どっかの誰かさんが家出なんかしたからな。どっかの誰かが泣いて泣いて困る困る」

 …あの家は1人でいるのには広すぎるってさ

 美汐はやっぱり泣いていたんだ。

 泣いていたけど…それの他にも…

 「そんで、俺も心配になってガッコにとりあえず電話したら普通に出席してるじゃありませんか。んじゃ今日のはどうだ、と思ったらBINGOですよお姉さま」

 「皆斗…」

 「なんですかお姉さま」

 「美汐は…その…」

 あなたに喋ったのか。

 私が漏らしたことを口にしたのか。

 聞きたいことはそれだけだった。

 もしかして…と一抹の期待すらあった。私と美汐の喧嘩だと思っていて欲しかった。

 「お兄ちゃんはお姉ちゃんと寝たの?」

 「…」

 全てが崩れ去った。ちゃちな希望だった…何もかもが終わった瞬間はあっけなく訪れていた。それを告げる皆斗の声も淡々としていて、訪れは静かなもんだった。映画みたいにBGMもあったもんじゃない。

 体中から何もかもが流れていってしまうようだった…。

 皆斗は抜け殻になったみたいな私の横に座って肩を抱いてくれた。

 「しっかりしろよ」

 「…皆斗…ごめん…」

 約束は破られ、それを知られてしまった。

 もうそうなると人は謝るしかできない。

 「ごめん…ごめんねぇ…みなとぉ…」

 うなじに鼻をこすりつけるように私はすっかり細くなった弟の体にしがみついた。だけど腕は回されない。いつもならこうしたらちゃんと答えてくれた腕は、私を抱きしめてはくれなかった。

 まるで皆斗は自分がぬいぐるみだと言っているような…今までも本当はそう言っていたんだろう。

 それに自分は気付かないふりをして…

 これ以上してはいけない、もう終わったんだ。けじめはちゃんとつけないといけない……

 「離すのか?」

 「えっ…」

 皆斗が静かにそう言っただけで私は動けなくなっていた。抱きしめるために結んだ指も離れることはできないと言っていた。

 「離すと終わるんだぞ?」

 「…」

 終わる、もうこれ以上何が終わるというんだろうか。終わってしまった後にまだ終わりがあるんだろうか。終わってしまった後の私はどうなっているんだろうか?皆斗を離してしまうと私はどうなってしまうんだろうか。

 「美汐が聞いてきたんだ、お姉ちゃんのことは好きなの?って」

 …

 「うーん…」

 皆斗が、私の耳元で囁いた。

 「今照れてるけど、後でちゃんと言うからさ」

 どこかで聞いたことある言葉が

 「そしたら告白するから」

 フラッシュバックした

 「俺のことが好きなら

 
 手を離してくれ。


 私は手を離していた。

 皆斗はちょっと私の目を見てから

 私を抱きしめてくれた。

 強く、強く抱きしめてくれた。

 終わりは来た。

 だが始まりが来てくれた。

 なんて気持ちの良い始まりなのだろうか

 こうしてこの子が抱きしめてくれた。

 この子から始まってくれるなんて

 私は夢にも思ったことはない。


 

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