気まずいな、そう思った朝は初めてだった。お兄ちゃんの病院から帰った私は、お姉ちゃんの優しいけど凄い冷たい言葉を思い出して泣いていた。首が痛い…私は机に突っ伏したまま寝てしまったみたいだ。 首を揉みながら、ゆっくり、できるだけ静かに私は振り向いた。振り向けばそこに居間がある。 だけどお姉ちゃんはいなかった。 杞憂はたちまち崩れ去って、私は朝から深い溜息をついていた。お姉ちゃんがいなくてホっとする自分がとても嫌だけど、正直に言うと今は会いたくなかった。 「…」 お姉ちゃんの部屋、居間、玄関、トイレにお風呂まで見てもお姉ちゃんは帰ってきた形跡がなかった。洗面所の鏡に映った自分の頬には何かが乾いた白い跡が。私はどんな夢を見たんだろう、夢の中でも泣いたから私は今泣かないで済むのかもしれない。 私は、2人の力になれない。 どんなに努力をしても埋まらない溝に私は昨日病院を飛び出してきた。どうやって帰ってきたかはちゃんと覚えてる。タクシーのおじさんがおまけだ、と言って料金をタダにしてくれたからだ。 どんな顔をしていたかは想像したくない。だけどおじさんが知らない人で本当に良かったと思う。 鏡の私が涙の線を指先でなぞる。 本当に悲しいと涙は出ないっていうけど、それなら私は悲しくなかったんだろうか。大好きなお兄ちゃんに隠し事をされて、お姉ちゃんにまで受け入れてもらえなかった。それが本当に悲しくないんだろうか。 ほら、今だってまた… 鏡の私の顔がひしゃげる。子供みたいな泣き声をして、それを見るのが耐えられなくて私はしゃがみこんで涙をぬぐった。ぬぐってもぬぐってもまだこぼれてくる。嘘だ、嘘だ悲しいから泣けないなんて絶対嘘だ。 静かな部屋が物悲しい。私しかいないから、家には音がすごい響く。誰かがいないとテレビの音も15くらいで済むけど、滅多に20以下になんてならないのに。今は5でも3でも充分だろう。でもテレビなんか見る気にもなれない。 お姉ちゃん… 窓際のいつもの席に座ってみる。 玄関側の私が机に肘をついてテレビを見ているのが見える気がする。お姉ちゃんは私を見てくれていたのだろうか。本当は向こうのドアからお兄ちゃんが帰ってくるのを待っていたんじゃないだろうか。 お兄ちゃん… お夕飯を作りにいくといつもにこにこして迎えてくれた。お掃除をすると助かるなぁって言ってくれたのに、本当は私の余計なお世話で、お兄ちゃんは優しいから我慢して私の好きなようにさせてくれたんじゃないだろうか。本当は1人がよくて… 「ヤだなぁ…」 何もかも疑っている自分。家族を疑ってどうするの?濡れた頬を叩く。叩いても叩いても悔しい気持ちは飛んでいかない。どうして私じゃ駄目なんだろう。どうして私じゃ力になれないんだろう。何が私にたりないんだろう。 「…」 私は卓袱台の上に置いてあるそれを手にとった。英語かな、よくわからないけどお姉ちゃんはマルボロって言っている。 煙草。 私もこれを吸ったら認めてくれるのかな…箱から一本取り出すだけで胸がおかしいくらいドキドキする。学校ではもう何人かの人がこれを吸っている所を見かけて停学になっていた。そんなに美味しいんだろうか。お兄ちゃんとかが吐いた煙を吸った時は美味しくなんて全然感じないのに。 茶色い粒をまいただけの白い紙。それをじっと見ているだけで時間が過ぎていく。ドキドキが治まったら少し挑戦してみよう、と思うのに一向に落ち着きを見せない私の心臓。大人になるまで駄目、とか言われてるけど駄目なだけで死ぬわけじゃない。私だって子供じゃないから別にそのルールにこだわるわけじゃない。 だけど、なんだかわからないけど凄い抵抗があった。他人に迷惑をかけたりするわけじゃないのに、なんで踏み出せないのだろう。 別にこれから毎日吸うわけじゃない、ちょっと味見をして、そうすればまた2人に会う勇気もわくんじゃないかなって思っただけ、だからほんの少しだけ一本だけ… 口にくわえることができた。くわえるといっても口の中には入れていない。唇で吸うところを挟んだだけ。舌も奥の方で丸まっているし。 お姉ちゃんやお兄ちゃんがしているのを思い出す。火、次は火。 灰皿の横にライターがあった。そうだ、あれは確か点かないからあそこに放ってあるんだ。だから火が点かなかったらここまでにしよう。少しだけ残っている燃料が気になった。口の中にたまった唾も飲み込めないまま私は見よう見真似でカチっと押した。 「――!」 小さいながらも火がついて、私は慌ててスイッチから手を離した。駄目、駄目、今のは嘘。 きょろきょろしても誰かが見ているわけじゃなく、でもなんだか後ろ暗くてカーテンのレースを引いた。白い薄手の幕が簡単に外の世界を遮ってくれた。そこまでが限界だった。カーテンを本格的に引いてしまえば、なんだか自分に嘘をついている気がしたからだ。 煙草を唇で挟むだけじゃない、ちゃんと口にくわえ直す。こうしないと駄目だと思う。何が駄目なのか判らないけどこうしないと私は2人に気持ちが伝えられないんじゃないかと思う。 試しに舌で吸うところをつついてみた。別にこれといった味はしない。フィルターっていうらしい。別に苦いとかざらざらしてるとかそんな感じもなくて、ちょっと私は気が楽になった。 「…よし」 ライターのスイッチを押す。さっきより少し小さくなった気がする火がゆらゆらとゆらめいた。あとはこれを先につけるだけ…吹っ切れたのか、そこまではもう自分でも驚くほどすんなりいくことができた。じじじ、と音をたてて火が煙草の先にふれる。すぐ黒くなる煙草…だけど… 「あれ?」 火がつかない。ついてはいるんだろうけど、お姉ちゃんがしているみたいに赤く火が残らないのだ。 おかしい、おかしい、とさっきとは違う意味で焦っている私がいた。何度も何度もライターの火を押し付けているのに煙草は黒く焦げるだけ。ついにはなんだか惨めな煙をあげる煙草と私を残してライターの火はつかなくなってしまった。 ドキドキもすっかりどこかにいってしまった。 変な煙をあげる煙草を灰皿に押し込んで、寝そべって窓から外を見上げた。 白いレースの向こうはとても綺麗な青空。 空が綺麗だから、私は泣いた。 本当に悲しいと涙は出ないんだ。 だからこれは感動したから泣いたんだ。 きっとそうだ。 家の電話の音でようやく私は体を起こした。時間にして1時間くらいはぼんやりしてた気がする。 「はい…村宮です」 あ、美汐?とお兄ちゃんの声が聞こえたときは、意識が戻った嬉しさ半分、あとの半分はなんだかもやもやしてて判らない。 『昨日は、心配かけてごめんな。もう元気だから』 「うん…大丈夫なら良いんだけど」 『あぁ、一応こうやって歩けるからな。あははは、死ぬかと思ったよ』 まだ風邪の後みたいに少し張りがないけど、元気に笑うお兄ちゃんの声。 「…」 元気だ、元気だけどそれは本当、なんだろうか。胃潰瘍になるくらいの悩み事がすぐこんな笑顔に変わるんだろうか。 お兄ちゃんは強いんだね…強い人には強い人しか傍にいれないのかな… 「あの、お兄ちゃん…」 『ん?』 「お姉ちゃんも、そこにいるんだよね」 『あ、あぁ…』 ちょっと声のトーンが変わって、高くなった感じでお兄ちゃんは笑いながら教えてくれた。 『俺の病室で高いびき。ベッド独り占め、助けて』 「そう…」 私は言うべきか迷っていた。私はよく落ち着いているといわれるけど、何かをする前にちゃんとその事をするとどうなるか考えてやっているだけだ。お姉ちゃんにしてみれば、私はのんびりしているらしいけど。 今は、そうやってうじうじ考える自分が嫌いだった。 感情のままに言葉をぶつけることができればどんなに楽なんだろう。 私はお兄ちゃんの役にたちませんか。 役立たずですか? 『ん?どうした?』 「私とお姉ちゃんどっちが好き?」 私にとってはこれが精一杯だった。 『えっ…』 聞いておきながら、私は言葉に詰るお兄ちゃんの答えが恐くて電話を切っていた。 悩んでも結局後からこうすればよかったと思う。 いつも思う。 「着替え、もっていってあげよう」 何かをしていないと、もう生きていけない気がした。 お兄ちゃんのアパートは、今日もいつも通りだった。 大きな通りからは少し離れているし、正面は大きい公園だから風の音がよく聞こえる。私達の家からはいっつも海が見えていてそれがあたりまえだったけど、今日みたいに潮の香りがしない風を自然に感じることができるのかと思うと、あそこは故郷になったんだなって思う。 「…」 少しホームシックになってしまったかもしれない。駄目だな、大学を卒業するまでこっちにいる予定なのに。 1度深呼吸。二度、三度と続けていくうちにちょっとだけ気が晴れた気がする。私はお兄ちゃんの部屋へ向かった。 村宮 と手書きの表札は私が書いてあげた画用紙の切れ端だ。初めてここにきた時、どの部屋も表札がなくて私は戸惑ってしまった。1人で行く、自分で辿り着くと粋がっていた私はこんな場所でお兄ちゃんに電話をするはめになってしまって凄い恥ずかしかったのを覚えている。 『おい、今どこ?』 「――今ここ…」 『はぁ?』 まだまだお兄ちゃんの語り草だ。ここってどういうこと?って言いながらお兄ちゃんはすぐ傍のドアから出てきて…私を見て笑ってくれた。どういう顔したらいいのかわからなくてちょっと困った感じの笑顔だったけど、1人で歩いてきた私にとってはとても優しい笑顔に感じた。 大好きなお兄ちゃんの笑顔はいつも変わらないと思っていたのに。いつから痛いのを我慢する笑顔になってしまったんだろう。 「もう…」 悩んでばかりで嫌になっちゃうな。 ここに来たのは悩むためじゃない、お兄ちゃんの着替えを取りにきたんです、と。 合鍵を取り出して、鍵穴に差し込む。 ノブを回すと…無用心にも鍵は開いていた。昨日お姉ちゃんは慌てて閉め忘れたのかもしれない。泥棒でも入っていないかと少し不安になったけど…今は昼だし、もしいたとしても大声をあげたら誰か来てくれるからきっと大丈夫。 私はおそるおそるドアを開けた。 するとそこには見覚えのある靴が脱ぎ散らかされていて、少し気が楽になった。 いつも家でするようにちゃんと揃えて置いた。 すっかり灰色になってしまった白いスニーカー。お姉ちゃんの靴だ。 きっと、お姉ちゃんも着替えをとりにきたんだろう。 お兄ちゃんに頼まれて…。 私に頼めばいいのに…と思ってすぐに思い出した。さっき私は何をしたっけ。私はお兄ちゃんへ勝手に言葉をぶつけて一方的に切ってしまったんじゃなかったっけ。 本当は私にお願いしたかったかもしれないのに。自業自得。 ともかく玄関先で立っていても仕方ない。お姉ちゃんに会うのも昨日の今日でやっぱり気まずいけど、このまま帰るともうお姉ちゃんに話し掛けられない気がしたから、私はお兄ちゃんの部屋へ入った。 玄関からは居間が見えるけど、お姉ちゃんの姿は見えない。 奥の部屋かな。 靴を脱いで、部屋へ向かいながら私は声を…かけようとしてある物に目がいった。 折りたたみのテーブルの横に見覚えのある青い布地が、無造作におかれていたのだ。 あれは…? 手にとろうとしたその時、奥の部屋から声が聞こえた。 「…!?」 半開きになった襖から、お姉ちゃんが現れた。 「なんで…あんた…」 私は驚いた。お姉ちゃんでもこんなに面食らった顔をするのかって。目を丸くして、口なんか半開き… 「なんでって、お兄ちゃんの着替えを取りにきただけだよ」 少し後ろめたくなって口よどみながら、私は答えた。やっぱりどう頑張ってもちょっと距離をおいた言い方になってしまう。 「……」 あ、とか、お、とかそんな感じで口を開け閉めするお姉ちゃん。もしかしたらさっき私が言った言葉も聞いていないのかもしれない。目はさっきからずっと泳ぎっぱなしだし…何か変。 「あ…ごめんね、驚かせちゃった?」 そうだ…もしかしたら私が静かに入ってきちゃったからお姉ちゃんは本当にびっくりしてしまったのかもしれない。 「いや、あの…うん、驚いた…驚いたよ」 それでようやくお姉ちゃんは我に返ったみたいに、頭をばりばりかきながら持っていた煙草を吸おうとして…すっかり長くなっていた灰が落ちて私達は同じタイミングで声をあげた。 「うぁ、やべ」 「あっ、ちょっと!」 私はあわてて灰皿を探して…なんで机の横でひっくり返っているんだろう。撒き散らした灰を覆うようにさかさまになっている灰皿。 横に丸まっているぼろきれ。 やれやれって言いながらお姉ちゃんは自分が落とした灰を指でつまんで片付けている。 昨日のお姉ちゃんが嘘みたいな感じでなんかいつも通りマイペースだ。 まるで壊した花瓶を隠している子供みたいな口ぶりだった。 「まったく、あんまり驚かせないでよ。死ぬかと思っちゃった」 「…」 「いやぁ、今日はね私は着替えをとりにきたんだ。あの子の。うん、朝なんか看護婦に叩き起こされちゃってさ、困った困った」 「…」 「なんかさ朝っ早くからアイツ検査とか検査とか検査とかに狩りだされてさ、私は部屋で病院の飯食いながら待ってたんだけどありゃ不味いな。私が作ったほうがまだましってくらいに」 お姉ちゃんは必死に何かを喋っている。 きっとマイペースっていうのは嘘なんだ。 慌てている。 それこそ自分で言った死ぬほど慌てているんだ。 なんでこんなことになっているんだろう。 私はそれを見つめて、叫びそうになるのをこらえるのに必死だった。 「…お姉ちゃん」 「ん、どうした美汐?」 私の声と底抜けに高い調子のお姉ちゃんの声。 「…なんでこれがここにあるの」 私の手の中には、お兄ちゃんから貰った大事な水色のエプロンがあった。 でも大事なエプロンはハサミで裂かれたみたいにぼろぼろになっていて… 「なんでこんなことになってるの…」 「――!」 お姉ちゃんの表情が変わった。青ざめて今度は灰じゃなくて煙草が口から落ちた。 今ここに鏡があったら、私は自分の顔を見て泣いてしまうかもしれない。だけど鏡くらいじゃ私は、もう止められない。 朝、ちゃんとカバンに入れたエプロンは学校に着く前に姿を消してそれが今ぼろぼろになってここにある。 私が出かける前にトイレにいった時、お姉ちゃんはいつも通り玄関で私を見送るために待っていた。 私のカバンの横で待っていた。 「なんでこんなことしたの?」 心が体がお姉ちゃんを犯人だと決め付けている。 「ねぇ、なんで私のエプロンをこんなにしたの?」 全てが嫌な方向で符号して、今まで溜め込んでいたものと一緒に爆発していた。 「ねぇ!」 これお兄ちゃんから貰った大事なエプロンなんだよ!? あまりに怒りすぎて声にすらならない。両手で大事なエプロンだった無残な残骸を抱えて、私は立ち上がっていた。自分から立った記憶がない。立ち上がったと思ったのはお姉ちゃんを見下ろしていたからだ。自分の体と心がコントロールできていないのは初めてのことだった。 目の前が真っ赤になった気がする。火事の中にいるように体中が熱く火照って全部が全部許せなくなっていた。私に隠し事を、お兄ちゃんを独り占めにしてエプロンをボロボロに破いて… 飛び掛って引っ掻こうとする5秒くらい前に、お姉ちゃんも立ち上がる。 「なんで…」 真っ向から包丁の刃のような視線をぶつけてきて、牙があれば剥き出しにして飛び掛ってきそうな気迫で私に指をつきつけてきた。 「なんであんたは私達にこだわるんだよ!!私達があんたになんかしたか!?いじめたか!?あの子がお前をのけものにしたか!?嫌ったか!?言っただろ、あの子はあんたのことが大好きだって!あんたはなんも心配することなんかないんだ、いつものようにガッコ行って皆斗の家で家事するのも良いしウチで好き勝手してくれて構わない!縛った覚えもない!何が不満なの!?何が!?」 昨日、冷徹に私に意見をぶつけたお姉ちゃんはもういなかった。足を力任せに踏み鳴らし髪を振り乱し私を食おうとしている。心臓をえぐりだしてやるとその指先が言っている気がした。 はぁはぁ、と肩で荒く呼吸をして見据えてくるお姉ちゃん。 怒気はすっかり伝染ってしまった。なんだか昂ぶりかけた心が不完全燃焼のまま…心に爛れた傷痕を残していく。割と落ち着いた声が出たのは、その傷のおかげだと思う。まだお姉ちゃんのことが好きで歩み寄りたかったなんて…思いたくない。 「…だからエプロンをこんなにしたの?」 お姉ちゃんは確かに刃物を持っている。目には見えない刃物を振り回しているようだった…それは私だけじゃなくて他のもっと大事な人も…切り裂いているような気がする。 お兄ちゃんは、きっとその刃物に切り裂かれて病気になった… 「――お兄ちゃんのこと、お姉ちゃん大好きなんだ?」 「あぁ、好きだよ、大好きだ。お前なんかと…比べられてたまるか…!」 悲しいけど、私は判ってしまった。 辛いけど気がついてしまった。 お医者様が言っていた言葉の本当の意味が全て繋がってしまった。 好き。 大好き。 君、どちらの妹さん? 奥さん?旦那さん? 私は思い違いをしていたみたいだった。 私の好きは、お姉ちゃんにとってさぞかし安易な好きに聞こえたに違いない。 お姉ちゃんは命をかけていた。 お兄ちゃんとどんな話をしたか、私には知るよしもないけど お姉ちゃんは必死だったんだ お姉ちゃんは必死に実らせようとしたんだ お兄ちゃんとの報われない恋を |
「なんでこんなことしたの?」 心が体がお姉ちゃんを犯人だと決め付けている。 「ねぇ、なんで私のエプロンをこんなにしたの?」 全てが嫌な方向で符号して、今まで溜め込んでいたものと一緒に爆発していた。 「ねぇ!」 これお兄ちゃんから貰った大事なエプロンなんだよ!? あまりに怒りすぎて声にすらならない。両手で大事なエプロンだった無残な残骸を抱えて、私は立ち上がっていた。自分から立った記憶がない。立ち上がったと思ったのはお姉ちゃんを見下ろしていたからだ。自分の体と心がコントロールできていないのは初めてのことだった。 言葉にならないで、口だけが叫んでいたその時お姉ちゃんは腰が抜けたみたいにしてお兄ちゃんの部屋へ入っていった。 私は追う。もしかしたら唸り声でもあげていたかもしれない。 「ごめん、ごめん美汐…何も無い、何も無いから…!」 お姉ちゃんはベッドの上で必死になって何かを隠している。体全体で大事なものがあると言っているようなものだった。お姉ちゃんは私の大事なものを壊した挙句、お兄ちゃんと一緒になって私に隠し事を、私を除け者にしようとしている張本人なんだ。 「――!」 思い切り 「――!!」 私は思い切り力をこめてお姉ちゃんの背中を叩いていた。手が痛い、すごい痛い。涙が出てしまうくらい痛い。こんなに私は悲しいのになんでお姉ちゃんはお兄ちゃんを独り占めして、私を邪魔者にするの?? 手は両手とも赤紫に腫れ上がった。握るのも痛い、だけど私はその手を使ってお姉ちゃんを「それ」から引き剥がしていた。お姉ちゃんもぼろぼろに泣いて必死に抵抗したけど…どうやったのか覚えていないけど私は「それ」を手にしていた。 私の下着だった。 昨日の朝着替えたばかりで、まだ洗濯していない下着だった。 全然訳が判らない。 説明を求めて私はうずくまって顔をおさえているお姉ちゃんを見た。 エプロンと一緒で、これがここにあるのはお姉ちゃんの仕業以外にありえないからだ。 「あ、あの子は何もしてないよ…」 なんでそこでお兄ちゃんが出てくるの? 「それは私が…ただけで…」 お姉ちゃんがなんで私の下着でお兄ちゃんなんだ? 「何もしてない、何もしてないから…」 そればっかり。 部屋を見る。 洋服が散らばっている、私が掃除しないと誰も掃除しないお兄ちゃんの部屋。 「いいよ」 もういい 「お姉ちゃんには、聞かないよ。お兄ちゃんに聞くから」 「駄目っ!!!」 今度こそお姉ちゃんは血相を変えて私に食い下がった。やっぱりお兄ちゃんだ。お兄ちゃん、お兄ちゃん。お姉ちゃんはなんでお兄ちゃんにこんなに弱くなってしまったんだろう。 片方の頬を真っ赤に腫らしたお姉ちゃんは部屋を出ようとする私の足にしがみついて離れようとしない。 「駄目駄目!絶対駄目!!皆斗に話したら…私死んじゃう、生きていけなくなっちゃう!」 昨日お姉ちゃんが言った台詞そのまま。 「じゃぁお姉ちゃん話してよ」 「え…」 お姉ちゃんは泣いてこそいなかったが、今にも泣きそうなくらい唇がわなないている。すっかり悲劇の主人公の様相になったお姉ちゃんは悲しそうに首を左右にふった。私を辛そうに見てからは、床に向かって必死に首をふっている。 私はふと、病院でお医者さんが言っていた言葉を思い出し、お姉ちゃんのつむじを睨みつけた。 「何さっきから黙ってるのさ奥さん」 なんで知らない人にそうまで言われるくらい仲良くなってるのさ。私を差し置いて、私を除け者にして…! お姉ちゃんが私を見上げた。 きっとこの顔を写真に撮って実家に送っても、家族の誰もお姉ちゃんってわからないだろう。ってくらいお姉ちゃんの顔は呆然としていた。目を見開いて、唇を震わせて…そしてついに泣き出した。泣き出してもまだお姉ちゃんは私を見ていた。 「言わないで!あの子には絶対!黙ってて!!お願い…美汐…なんでもするから…」 は? すっかりお姉ちゃんの意思は挫けていた。私の一言がお姉ちゃんを打ち砕いてしまっていた。 奥さん…? 「…」 旦那さん…? 『君はどちらの妹さんかな?』 『どちらの?』 『あぁ、奥さんのか旦那さんのかだね』 『あはは…両方のですよ。』 『あぁ…?あぁ、そうか…とりあえずご家族の方には連絡…』 奥さんのか旦那さんのか? 泣き崩れるお姉ちゃんの横にあるものが目に入る。 私が洗濯してるからすぐ判る。 お兄ちゃんのトランクスと、お姉ちゃんのショーツ。 脱ぎ散らかされた2人の服。 お姉ちゃんが朝着ていた服と、お兄ちゃんのパジャマ代わりのシャツ。 お姉ちゃんは何を着てる? 一昨日私がタンスにたたんで入れたお兄ちゃんの洋服… なんで、お姉ちゃんはお兄ちゃんの服を着ているのか。 なんでお医者様が2人のことを旦那さんと奥さんって言ったのか。 どちらの妹さんって聞いたのか? 奥さんって私が言っただけでなんでお姉ちゃんは泣いてしまったのか。 なんでこんなに こんなに、お兄ちゃんの悩みを泣いてまで隠そうとするのか。 「お姉ちゃん…」 私だって子供じゃない。 ドラマだってよく見る。 お姉ちゃんと笑いながら見たり お兄ちゃんと泣きながら見たりした 恥ずかしい「そういう」シーンの時 脱げ、とお兄ちゃんは言った やれ、とお姉ちゃんは言った 照れたのは私だけだった だけどそのことは知っている 知っているから照れている 「そんなっ…」 だけど今は 「お兄ちゃんと…!?」 照れてなんかいる暇が無かった。 信じられなくて、私は腰が抜けていた。 私は、悲しいのか、怒っているのか もう訳が判らない。 激しいです美汐。今までの鬱憤を晴らすかのように暴れてます…久我はこっちのシーンの方が好きだなぁ… でも白帆には最後まで戦って欲しかったので、没にしました 弱い所を見せるのは皆斗の前だけと彼女は決めています |