村宮皆斗
-NO-

 体が重く感じて目が覚めた。覚めたといっても瞼を開くことしかできない、いつもの朝とは段違いに不自由な目覚めだった。

 唇がカサカサで、口の中も乾いて舌が張り付いている。ぼんやりとした視界の中、水分を求めてざらざらになった舌を動かすと…酷く苦い唾液が口を僅かだが湿らせてくれた。

 その頃には霞がかった目も、ようやく空気に慣れてくる。

 これじゃまるで100年くらい眠ってたみたいだけど…あながち間違いじゃないような気がする。何年も縛られてたみたいに体が重かった。

 まだ、朝は完全に来ていない。見たこともない部屋は薄暗く妙に青白く見える…ここは病院?

 そうだと思ったのは、壁や天井、ベッドやカーテンが白いばかりだったからではない。左手の上、カレーとかが入ってるレトルトパックを逆さにしてつるしたようなものから管が伸びて俺の手に刺さっているのが見えたからだ。

 点滴…?

 管を伝って視線を下ろした先の反対側には、俺の右手を握り締めたまま眠りこける姉貴がいた。

 「あ…」

 思い出した。

 多分…昨日(だと思う)姉貴とえっちしようと…した時だかに俺は…

 思い出したくもない。この頃めっきり増えた吐き気の何倍も強烈な波が…あー、姉貴のをなめようとしたらだったかな…そん時にきたんだ。吐き気なんてもんじゃない、物凄い痛みが腹の底から吹き上げてきて…俺はゲロを手で抑えてたと思ったら真っ赤で、後からガンガン真っ赤なのが出てきて…気づいたらここにいたような。

 …よく生きてたな。

 そういえば体の重さの中心はみぞおち…胃の辺りからきてる気がする。なんかテレビで見たな、胃潰瘍ってヤツかな。潰瘍ってのが何か判らないけど…原因は判る。

 ストレスだろう。

 …横でぐーぐー寝てるこの姉貴…その顔を見てるだけで胃がまた重くなった。

 「…」

 姉貴とのセックスは強烈だった。我慢しまくって溜め込んだ後のオナニーがガキの遊びに見えるくらい気持ちが良いからだ。射精した弾みに腰が浮き上がるなんて姉貴とのえっちで初めて知ったし、初めて触れたあそこの感触が口の中にそっくりだなとか、酸っぱかったり塩っぱかったりする味とか、挿れた感触が生暖かい肉が動いているっていうか…そういうのも含めて…新鮮で、それでいて本当はしてはいけないこと。でもそう嫌々やってるのに…気持ちよくなったりする自分と…そして姉貴を気持ちよくさせようとする自分が嫌だった。

 それが毎日続いて、食欲は無くなって…そして姉貴のあの「できちゃった」発言だ。

 あんときはマジ死ぬかと、いや死のうと思った。

 一瞬のうちに目の前が真っ暗になって、親父の怒声(と拳骨)にお袋の泣き顔、近所の人がひそひそ話す光景が目に浮かんで体から力が抜けた。嘘だってすぐ姉貴は謝ってくれたけど、足なんかしばらく立たなかった、そんくらいマジ追い込まれていた。

 そして姉貴が帰った後、俺は美汐が来るのに不安を感じていた。

 何故だろう。身近な肉親で、一番悲しませたくない家族だからかもしれない。

 美汐が来る時間に近づいていく。カウントダウンは地獄だった。今日、美汐はどんな顔をしてドアをあけるのだろうか。もしかして何もかも知っていて、部屋に泣きながら飛び込んできたらどうしようとか、それよりも来てくれすらしなかったらどうしようとかそんなことばかり考えていた。

 姉貴は秘密を守ってくれてるだろう、だから美汐は俺達の出来事を知るはずもないのに姉貴の嘘が俺の心を揺さぶっていた。

 だから、美汐がいつものようにドアをあけて「ただいま」って言ってくれた時は駆け寄って抱きしめたい気持ちでいっぱいだった。

 今日もお前は家族でいてくれるんだな。

 きっと美汐がいなかったら…俺はどうかなっていたかもしれない。

 乱れた俺達の関係の中で唯一家族を俺のいる普通の場所を認識させてくれる妹。

 それが…見回しても姉貴しかいない部屋。

 「…」

 美汐がいないのは…帰ったのか…もとから姉貴が報告してないからか。

 美汐、美汐…きっと美汐は来てくれたんだと思う。

 来て…どうする?

 恐ろしい推測が頭をよぎって、俺は目をつぶって自分に寝たふりをした。これは夢だ、この考えは夢だと心の中で何度もつぶやく。

 だけど…悪夢からはドラマのように簡単に覚めることはできなかった。

 ここに彼女がいないっていうことは、姉貴は話したのかもしれない。

 なんで俺が病院に担ぎ込まれたかくらい、美汐だって考えるはず。

 「お兄ちゃんどうしたの?」

 誰に聞くかったら1人しかいない。

 「あぁ…」

 また体から血が抜けそうになり、目をつむった向こう側、肌に感じる弱い朝日も熱くてたまらない。

 だとすると最悪だ。事態は最悪だ。俺が耐えて培ってきた関係が全て水の泡になったことになる。こうやって病気にまでなって守ったものが…自分のせいで終わる。因果な自業自得だ。待て待て…自業自得じゃないって…

 姉貴ぃ…

 なぁ、俺はセックスくらいで怯えてがたがた震えるような男だぞ?

 こんな俺のどこが良いんだ?

 お前は本当に…

 …困ったヤツ

 「姉貴」

 ちょっと揺すると姉貴はすぐに飛び起きた。寝起きの目を何度もしばたかせて俺を見ている。俺が起こすなんて滅多にないよな、こういうときでもないと。

 「皆斗…」

 「おはよう、姉貴」

 針の刺さってる左手に気をつけながら身を起こそうとすると、姉貴が首にすがりついてきた。そのままベッドに押し付けられる。時間がたってすっかり薄れてしまったけど、姉貴の使ってるシャンプーの香り。俺は好きだった。

 「…なんで早く病院に行かなかったの」

 「いや、あれ、ほら、ただのハライタかなって思ってさ…泣くなよ」

 「早くに病院に来てれば…」

 「わかった、わかったから…」

 起き抜けに説教って姉貴らしいけど滅多に「〜すれば良かったのに」なんて言わないから相当心配をかけたに違いない。

 「悪ぃ…」

 「私のせい?」

 耳の中身が吸い取られそうなくらい、直に姉貴が俺に囁く。聞いたこともないような悲痛な声で。誰のせいだよ、なんて考えていた言葉が俺の中からはすっかり消されていた。見ていて痛いくらい感情を剥き出しにした体で姉貴は震えながら俺を抱きしめる。

 「違うよね、皆斗私のこと好きって言ってくれたもんね、体調が悪かったんだよね。風邪とか悪くなったからだよね。そんな時にエッチしたから多分おかしくなったんだよね、わ、私がからかったりしたからかな、きっとそうだよね…」

 髪の毛がもみくちゃにされている。姉貴のと俺のが絡まってしまうんじゃないかってくらい、押し付けられてこすりつけられた。

 「み、皆斗の約束もちゃんと、ちゃんと守ったよ、美汐には一言も言ってない。本当、本当だから、約束守ったから…」

 酷い顔をしているんだろう。姉貴が。剥き出しになった感情を見られたくないんだ。

 姉貴はあの日のように俺にすがりついていた。彼女は俺を誰よりも1番信頼してくれて、その結果こうして間違った愛を抱いてしまったんだと俺は思っている。もしもここで俺が突き放したらどうなってしまうだろう、姉貴と違って過去を振り向いてばかりの俺はこのテーマについて何度も考えていた。

 姉貴は案外繊細だって気づいたのは、あの日から何度か肌を重ねた時だった。俺が姉貴の胸が小さいことをぽろりとこぼしたら、泣き出してしまったのだ。姉貴を言葉で泣かしたのは、後にも先にもその時が初めてで面食らったのを覚えている。そして出来ちゃった発言のあの日も、そうだ。俺は美汐へのプレゼントを買うために家に帰るのが遅くなって…それが多分昨日の癇癪に。

 だが時は来ていた。

 俺が吐き気とハライタを我慢しながら耐え、ようやく願ってやまない時間がきていた。

 姉貴の問いかけは、始まりの日の再来だった。今姉貴は俺の病気の原因が自分のせいだって気づいている。

 「皆斗、答えて…」

 ここで俺がNOと言えば、悪夢は終わる。世間の人間が俺達を指差して笑う夢や、変な形の子供が産まれて親父やお袋や美汐が全員で血の涙を流しながらそいつを袋叩きにしている夢は見ないのだろう。飯だって美味く喰える、飲みにだって行けるし休日はダチと普通に遊んだり普通に恋愛したりできる。

 だけど、姉貴はどうなる?

 俺が別れを告げたらどうなってしまうのだろう。

 考えても考えてもこの結果しか考えられなかった。

 想像できなかった。答えがわからない。恐ろしいほどに空白だった。空白にしたかったのかもしれない。

 断れば、俺は今までの生活を失う。

 楽しかった2人の生活、それが3人になってさらに楽しくなった生活。別居したけど、強くなった気がする3人の絆の笑顔。築き上げた最愛の帰る場所。それがある幸せ。姉貴だって美汐だって気付いてなくても絶対体感している幸せ。

 俺がNOといえばきっと…

 世界に俺の場所がなくなる。姉貴の場所がなくなる。美汐の場所がなくなる。家族が離れてしまう。

 たった一人の言動で、世界は終わってしまう。俺はそれを食い止める義務が…ある。

 「んなわけねぇよ…」

 断れば姉貴が駄目になる。

 「馬鹿だな、姉貴。心配しすぎだって」

 美汐もきっと笑わなくなる。

 「俺は、姉貴のことが大好きだよ」

 何より俺が死んでしまう。

 俺は初めて自分から姉貴にキスをした。



 結局、俺は始まりの日と同じことをしていた。 

 今日も幸せな1日が始まる。



bbs
next_story
back