村宮美汐
-blue apron-


 朝から気分が良かった。お兄ちゃんの問題は全然解決していないのに、プレゼントされたくらいで都合が良いなと思うけど嬉しいことは仕方ない。

 エプロン、水色で、胸の所に可愛いお家のアップリケがついている。自分で他にも色々付け足してもいいかもしれない。白い壁のお家しかない一軒の村。でもそこに犬とか、猫とか…どんどん賑やかになってくのを想像すると今からでも裁縫道具を取り出してしまいたくなってきた。

 それこそおばさんって言われちゃうな…思わず笑ってしまいそうになり慌ててあくびのふりをした。

 学校の、教室。朝のHR前のにぎやかな一時。仲良しの子はまだ来ていない。おはよう、おはよう、とクラスの他の友達に挨拶しながら私は座席についてその子を待った。早くこのエプロンを見せたいのだ。

 早く…このエプロンを…あれ?

 待ちきれなくてカバンの中を見るとエプロンが、それを入れた袋ごと消えていた。入れ忘れちゃったのかな。おかしいな、朝入れたはずなのに…

 忘れた、と諦めきれずそれこそ私がカバンを引っくり返して中身を探していると1人の男の子が私に声をかけてきた。

 「よう」

 同じクラスの市原君だ。内緒だけど彼は学校で禁止されているバイクで通学していて、近くの空き地に停めている所を私が見つけてしまったことがある。恐そうな人だな、と思っていると気さくに話かけてくれたので良いお友達になってくれた。丁度お兄ちゃんの友達の弟だってことも最近知って、お兄ちゃんの家で4人で遊んだこともある。私はバイクは全然判らないけど、優しい人だった。

 「おはよう、市原君」

 「おはよ〜っと、どしたん鞄なんか引っくり返して。小銭でもばらまいたか?」

 前の人の座席に座って不思議そうに私を見ている。

 「ううん、エプロン持ってきたんだけど…忘れちゃったみたいだから」

 「逆さにしたら出てくるもんなの?」

 「で、出てくるかな〜って思って」

 ちょっと子供っぽかったかなぁと照れると、市原君はのけぞって笑った。

 「出てきたらある意味恐ぇんだけど…村宮おもしれー」

 「あはは…」

 「でな、村宮聞きたいことあんだけど」

 「うん、何?」

 カバンを机の横にかけて私は市原君に向き直った。椅子の背中に肘をおいて、窓の外を見ている市原君。うーんと唸ったあと、市原君は内緒話でもするように私の顔を覗き込んできた。

 「お前の兄貴生きてる?」

 エプロンが頭の中を右から左に飛んでいく。

 市原君にも見せられないのが残念でならない。

 「お兄ちゃん?ん〜ちょっと元気ないけど生きてるよ。どうしたの?」

 「あぁ、別に生きてるなら良いんだけど…」

 口ごもる市原君。なんだか嫌な予感がした。

 「兄貴が聞いてくれってさ。最近お前の兄ちゃん学校で見ないからって」

 「…学校で見ない?」

 「学校来てないんじゃない?よくわかんないけど」

 「…本当?」

 「え、お前知らねぇの?なんか結構前から授業顔出してないみたいよ。最近会ってないの?」

 「毎日…御飯作りに行ってるけど…」

 気づけなかった。お兄ちゃんはちゃんと学校行ってるんだと思っていた。そうじゃなかったらお姉ちゃんみたいに単位がとれてて、家にいる時間も多いのかと思っていた。大学生って暇だね、っていうとそうだなって笑っていたのに…

 「お兄ちゃん、本当に学校行ってないの??」

 「あぁ…そうみたいだけど…わかんねぇよ?俺の兄貴もしょっちゅう講義休んでツーリング行くから会わないだけかもしんないし…って村宮?村宮、どうした?おい?」

 馬鹿だ、馬鹿だ、私は大馬鹿だ…市原君の前で、私は頭を抱えて机に突っ伏していた。

 エプロンなんかで浮かれてる自分を殴れるものなら殴りたかった。

 目の前が真っ暗になった気がした。

 お兄ちゃんは何かを隠していた。

 それはとても辛いことに、1人で抱えきれないものに違いない。

 抱えきれないからお兄ちゃんは…

 お姉ちゃんの顔が頭をよぎった。頭の良いお姉ちゃん。何でも知ってるお姉ちゃん。

 ――やっぱり1人じゃ限界があるのかな…お姉ちゃんが相談にのっていると思っていたから私は、苦しいけど我慢してお兄ちゃんと普通に接してきたのに、お兄ちゃんが私には話したくないからと思って私も黙っていたのに…泣けば話してくれるかな、って思っていた昨日までの自分が馬鹿だと思った。

 「なぁ、村宮ってば…大丈夫か?…え、何でお前泣いてるの」

 私はその日、高校に入学して初めて早退をした。



 お夕飯のお買い物をしているうちに、ようやく気持ちが少し落ち着いてきていた。ハンカチ片手にお肉を選びながら、私はできるだけ感情的にならないように慎重に作戦を考えていた。

 指折り数えて、1、2、3…深呼吸。

 年頃の子は、感情的に話すと非行に走るってテレビで言ってたからだ。

 どうしたら私に心を開いてくれるかな。

 お兄ちゃんは凄い何かに悩んで、お姉ちゃんに相談をしている。けど解決できていなくて食欲は無くなって不登校。

 ただの不登校なら、きっと市原君のお兄ちゃんも心配しなかったと思う。大学ってそういう所だって前にお兄ちゃんは説明してくれたからだ。不登校っていうか、自主休講って言うんだったかな。今の私がそれだ。

 …深呼吸。

 市原君のお兄ちゃんは何か気にかかることがあったのだろう。さすが友達だなって思った。

 やっとハンカチを離すことができたのは、お兄ちゃんのお家の近くのスーパーから出た時だった。

 空は良い青空が広がっていて、ちょっと汗ばんでしまいそうになる。夏も近い。こっちの夏は初めてで、お兄ちゃんも色々案内してくれるって言った。約束はしてないけど、絶対守ってくれる。絶対…お姉ちゃんも一緒に3人で笑顔で海とか山とかに行きたい、ううん。

 「行くんだ…」

 キャンプとか行って、写真とかいっぱい撮るんだ…。

 決意は固まるけど、どうするかが全然思い浮かばない。大事な人のことなのに、どうして思いつかないんだろう。

 またハンカチを取り出したのはお兄ちゃんのアパートが見えてきた時、だった。

 人ごみが。

 その中心には白い車体。その上にはサイレン。

 アパートの前に救急車が止まっていた。

 「…」

 こういう時にああいうのを見ると凄い気が滅入ってしまう。目を反らそうとしたら、どいてください、とか声が聞こえて慌しい雰囲気がここまで伝わってくる。救急隊員の人に両方から支えられてタンカで誰かが中に運ばれていくのが見えた。

 あぁ…あの人…大丈夫だといいな…と、思っていた時だった。

 「…え?」

 白衣の救急隊員の人に続いて見知った顔が…お姉ちゃんが車に入っていったのだ。

 「…え?」

 バタン、遠くからでも救急車のドアが閉まる音は充分聞こえて、サイレンの音で思わず耳を塞いでしまった。

 「…え、え?え?」

 ――荷物が、重く感じる…私はゆっくりでしかアパートに近づけない。

 「あ、あの…」

 散りじりに去っていく野次馬の中、大家さんが箒片手にアパートのおばさん方とお話しているのを見てほっとしていた。

 いつもの光景だ救急車が来た後とは思えない和やか過ぎる光景だ。

 いつもの、いつもの大家さんと目が会う、だからこんにちはと私は声を

 「村宮さん!」

 なんで私を見て、駆け寄ってくるの?箒を投げ捨ててまで…

 泣きながら私の手を握るの?

 「今運ばれていったの、お兄さんだよ!」

 特売の卵が全部割れてしまった。



 「お姉ちゃん!!」

 搬送先の病院を突き止めた私は、受付のお姉さんに事情を説明すると看護婦さんがここまで案内してくれた。

 そこにはお姉ちゃんがいて、椅子に座って真っ青な顔で「処置室」とかかれた部屋のドアをみつめていた。

 私のように泣いていないけど…真っ青な顔だ。毛布にくるまっていて、それじゃまるで溺れた人みたい。

 「……みなと?」

 私は毛布ごとお姉ちゃんに抱きついていた。そして腕から伝わる感触に毛布の意味を痛感する。お姉ちゃんは本当に溺れたようだった。氷の張った池に落ちたみたいに震えていた。

 「お姉ちゃん…お兄ちゃんどうしちゃったの?」

 嗚咽が酷くて言葉にならなかったかもしれない。お姉ちゃんもただ首を横に振るだけだ。わからない、なら良いけど、助からないだったら…病院の廊下に私の情けない泣き声が反響した。

 「みなと…」

 しばらくしてお姉ちゃんが、私を突き飛ばしていきなり立ち上がった。尻餅をついた私の後ろから男の人の声が聞こえる。

 「みなとは…どうなんですか!?」

 お姉ちゃんはその人に掴みかかるようににじりよっている。

 「落ち着いて、落ち着いてください。ご説明しますから」

 見てみるとお医者様だった。お顔が丸くて、笑顔がよく似合うおじさんのお医者さんが、にこにこと私を起こして椅子に座らせてくれた。私もまだ立っているお姉ちゃんの毛布を引っ張ると「…うん」って言って横に座ってくれた。

 「まずは安心してください、旦那さんは極めて軽い胃潰瘍です」

 「そ…そうなんですか…!?もっと酷い病気とかじゃないんですか…!?」

 「お姉ちゃん落ち着いて…あの命にかかわるとかそういうのは無いんですか…?」

 「はい、それは安心してください。私の首をかけてもいいですよ」

 とりあえず私はほっとした。何年分かの溜息をまとめてついたような脱力感が襲ってきて…また涙が止まらなくなってきてハンカチを目にあてた。

 「…」

 お姉ちゃんは手を握り締めて無言で床を見ている。

 お医者様は私達が落ち着く頃に病状のお話をしてくれた。

 「旦那さんは何かすごいストレスを感じていたようですね、右耳の上に小さいものですが円形脱毛症もありました。とりあえず今回は心因性の胃潰瘍です。症状としては軽く、吐いた血もコップ一杯にも満たない量ですのでご安心を…妹さんも安心するんだよ?」

 「はい…ありがとうございます」

 私は深く頭を下げた。お兄ちゃんは少し入院して療養すれば手術しないでも治るらしい。平行して専門家の先生がが悩みの治療もしてくれるらしい。頑張りましょう、といわれた時にまた涙腺が緩んだけど、差し出された手を握ったらなんだかとっても安心した。この人が精神科のお医者様だったんじゃないかってくらい。

 「あの、じゃぁ奥さん。色々書類があるんで少しお付き合い願いますかな?旦那さんとの面会はまだ少々時間かかりますので」

 お医者様に促され、お姉ちゃんはよろよろと立ち上がった。それにしても旦那さんに奥さんか…2人とも仲いいもんね。

 「えーと、妹さん」

 「はい?」

 お医者様が振り向いて私に向き直った。

 「君はどちらの妹さんかな?」

 「どちらの?」

 「あぁ、奥さんのか旦那さんのかだね」

 「あはは…両方のですよ。」

 「あぁ…?あぁ、そうか…とりあえずご家族の方には連絡…」

 「美汐」

 言葉を続けようとしたお医者様を遮ってお姉ちゃんが叫ぶように私の名前を呼んだ。お医者様もびっくりするくらいの声で、私もびくってなった。

 お姉ちゃんが振り向いて…思わず背筋が凍りついた。その顔は見たことないくらいすごい恐かった…

 でもすぐに普通の…お姉ちゃんがする困った時の癖(頭をかきながら明後日の方を見る)をして小さな声でこう言った。

 「私から連絡しとくから、あんたはそこにいなよ。あの子が面会できるようになったら…頼むよ」

 まだお姉ちゃんも混乱してるんだな、って思った。お姉ちゃんも不安でなかなか心の整理がつかないんだろう。

 私は一度、軽く深呼吸するとできるだけいつものように笑ってみせた。

 「――うん、わかった」

 頼むよ、もう一回お姉ちゃんはそう言って私に背を向けて先生といってしまった。

 毛布を畳みながら進む見慣れた後姿が、いつもとはちょっと違っていることに私はふとあることに気がついた。

 なんでお姉ちゃんはお兄ちゃんの洋服を着ているんだろう。



 お兄ちゃんは眠っていた。顔色は…良いとは言えない。体から骨が抜けてしまったから寝てるんじゃないかって思えるくらい力無く、顔は唇まで青かった。

 握っている手も握り返してくれなくて、ぬくもりも私の体温で作り上げたような感じがする。

 大丈夫って言われたけど…やっぱりこんな可哀想な姿を見ていると涙が出てしまう。お兄ちゃんの腕に刺さっている点滴のリズムは涙のリズムと同じなのかもしれない。

 「…」

 夕焼けがお兄ちゃんを赤く照らしていた。もうすぐ夜が来るのに、お兄ちゃんはいつまで眠っているのだろう。早く…謝りたい…。無言のまま、寝顔を見つめるだけの時間は過ぎていく。私が悠長に構えすぎていたからお兄ちゃんがこんな目にあったんだ、と思うと気が気ではなくなってしまう。何のための家族だろう、何のための私なんだろう。お姉ちゃんにばかり任せて、私はただ気づかないふりをして…それで…

 「ごめんね、お兄ちゃん…」

 謝っても謝りきれない。言葉を態度で示せと言われたとしても、どうすることもできないくらい私はお兄ちゃんに酷いことをしてしまった。真っ青な唇が時々苦しそうに呻く。変わってあげられれば、と思いお兄ちゃんの手を握り締めて目をつむっても感じるのはお兄ちゃんの手の感触だけ。

 もしかしてお兄ちゃんは私のことが嫌いになったから目を覚まさないのかもしれない。心の中で悪魔が囁いた。お前がいるからお兄ちゃんは目覚めたくないんだ。すぐに振り払った。お姉ちゃん的に言うと科学的じゃない。目が覚める時にちゃんと覚めるはずだ…そう思っても…またどんどん涙が出てくる。脱水症状にならないのが不思議なくらい…舌で唇をなめるとカサカサしていた。まだ今日は一滴も水をとらないで泣き続けている。

 目を覚まさないお兄ちゃん、悪魔の囁き、そして暮れてしまった太陽…私の心細さはピークに達していた。真っ暗な部屋が拍車をかける。立ち上がって、ドアの横にあるスイッチを押せばいいじゃないかと思うかもしれないけど、この暗闇でお兄ちゃんの手を離してしまったらもう二度と会えない気がして離すことができなかった。暗闇に独りきりは想像しただけで恐い。右も左も判らないこの町でお姉ちゃんと暮らすことができなかったら、毎晩寂しくて泣いてしまっていつか狂ってしまったかもしれない。私は誰かが傍にいないと駄目、だから傍にいる人を大事に…したかった。なのに…

 目の前が急に明るくなって目がくらんだ。

 「暗いよ…美汐」

 お姉ちゃんが来ていた。髪がぼさぼさ。まるで幽霊みたいだけど、私よりは元気があるように見えた。

 「皆斗は?」

 「…寝てる」

 苦しそうに、と口から出そうになって慌ててお腹の中に押し込んだ。不吉なことは口に出して言うもんじゃないってお爺ちゃんがいつも言っていた。

 「そう…」

 私とは反対側。椅子には座らないでベッドに腰を下ろしてお姉ちゃんは静かにお兄ちゃんの額をなでていた。「…」言葉にはしないでお姉ちゃんが何か呟いた。馬鹿だね、に私は聞こえた。

 「しばらく、入院だってさ…まぁ、暇な大学生でよかったな」

 明日荷物とか持ってこないと、お姉ちゃんは…お兄ちゃんの寝顔に向かって喋っている。寂しそうな目、やっぱりお姉ちゃんは何かを知っているんだ…

 「お姉ちゃん…」

 「ん…美汐、あんた酷い顔してるよ?1回トイレ行って来たら?」

 「あ…うん、でもその前に…」

 「私も喉渇いちゃってさ…ジュース買ってきてくれると嬉しいんだけど…」

 有無を言わさない何かがその中にあった。なんとなく突き放したような感じのお姉ちゃんの言葉に、私は少し驚きながら財布を預かって部屋を後にした。ドアを閉めると…理由が判った。

 『うああああああ…』

 お姉ちゃんの泣き声が。



 少し時間をかけるために病院を出て、近くにあるコンビニでジュースを買ってきた。夜の病院はなんともいえない雰囲気で、薄暗いロビーの待合室でぼんやりとしている入院患者さんが少し恐かった。

 何事もなかったように、部屋に戻るお姉ちゃんはもう泣いていなかった。目はまだ赤かったけど、私が泣いたみたいに嗚咽が後に残っていない。

 「お、ありがとう…なに、コンビニまで行ったの?」

 私が出した袋を見てお姉ちゃんは恥ずかしそうに笑った。

 「うん、私が飲みたいのコンビニにしか無いから」

 紙パックの烏龍茶。ミニのペットボトルと同じ量入っているのに値段が50円近く違うのだ。パックの口をあけてストローを刺しながらそのことを言うと、お姉ちゃんはまた、笑ってくれた。コーヒーの缶をふる手を止めて神妙な顔で私に向き直って

 「ごめんね、取り乱しちゃって」

 「仕方ないよ、大事な人が倒れたら…誰だって多分こうなっちゃうよ」

 「だね…」

 プシュ、無音の部屋にプルタブを開ける音だけが響いた。

 静かなのが嫌いなお兄ちゃんならテレビをつけるんだろうけど、お兄ちゃんはまだ眠ったまま。だけど大分落ち着いた顔になった気がした。

 ちょっと安心した私は、さっき言いかけてた言葉の続きを言うことにした。

 「お姉ちゃん」

 「ん?」

 お姉ちゃんもそのことに気づいているんだろう。良くなったお兄ちゃんの顔色を見て唇の端を緩ませた次に私を見た。

 「ごめんなさい」

 私は頭を下げた。

 「私、お兄ちゃんの悩みに気が付いてあげられなかった。お姉ちゃんにばかり何もかも押し付けて知らない振りをして、それでお兄ちゃんを病気にしてしまいました…ごめんなさい」

 口から一気に言葉が流れ出た。散々言葉を考えたけど、結局こういうことしか頭に浮かばなかったのだ。

 ちょっとした間の後

 「…え?」

 お姉ちゃんは訳が判らないと言った声をあげる。

 「私ばかりって…?」

 「お姉ちゃん…お兄ちゃんの悩みの相談にお兄ちゃんの家まで毎日来ていたんでしょ…」

 「…」

 「お兄ちゃん優しいから、私に心配させないように毎日普通に接してくれてた…こうやって倒れてしまうくらい大変な悩みを抱えていたのに…」

 泣きそうになる一歩手前で、言葉にならなくなるから泣かないように必死にこらえて私はお姉ちゃんに…私の気持ちを判って貰いたかった。

 「お姉ちゃんも、きっと凄い悩んだんだと思う。お姉ちゃんも私には普通にしてくれていたもん。だけどね、お姉ちゃん、私も家族なんだよ、どんなことでも私はお兄ちゃんの、お姉ちゃんの役に立ちたいと思ってるんだよ」

 「…」

 「だから、教えてお姉ちゃん。お兄ちゃんは何を悩んでいたの?後でお兄ちゃんがそのことで怒っても私が代わりに怒られるから、私はお姉ちゃんとお兄ちゃん大好きだから役にたちたいの…お願い…」

 眉間に力がこもる。お姉ちゃんを見る、いや、きっとこの顔は睨んでいるように見えるに違いない。産まれて初めて私は姉を睨んでいた。思いの真剣さを判ってもらうには、こうするしかない…。

 お姉ちゃんは、息を飲んだ顔をして私を見ていた。困った時のあの髪をかく癖も出さずに…目を反らされる。窓の外を見て、首を横に振って…また私を見て…うつむいて…お兄ちゃんを見て…葛藤しているようだった。

 私は睨むことをやめない。お姉ちゃんは時々話しを流してしまうことがある、だけど今日は私がそれを許さない。私だってお兄ちゃんを助けたいのはお姉ちゃんと同じなんだ。お姉ちゃんならきっと判ってくれる、何があっても私を信じてくれて打ち明けてくれる。

 お姉ちゃんはお兄ちゃんの頭をなでながら、自信なさそうに呟いた。

 「駄目…皆斗との約束だから…」

 「そうだけど…違うでしょ…!今は、今は、お兄ちゃんのことが大事なら教えてよ…。私も絶対力になるから!」

 私は知らないうちに拳を握り締めていた。攻めと守りがあるなら、私は珍しく攻めに回っていた。絶対に引くことができない攻防。お姉ちゃんは…いつになく弱気な感じで目を細めた。

 「皆斗に嫌われたくないから…」

 「嫌わない!お兄ちゃんはそんな人じゃないよ!」

 初めてする口答えの数々。自然に体が震えてくるのはどうしてだろうか。頭の隅がちりちりと痛んでくる。誰かに何かをわかってもらうのって喧嘩するより辛いことなのかもしれない。

 何かを言おうとして、お姉ちゃんは口を動かすだけでまたお兄ちゃんの頭に手をやった。窓の外からクラクションが聞こえてくる。病室の中、無言が続いても時間だけは進んでいる。

 時間と同じように私達も進むしかない。それはお姉ちゃんも気づいていると思う。でも私は引く気はない。お兄ちゃんとの約束は私への口止め。だけどお姉ちゃんは揺らいでいた。もう少し、もう少しで…

 「…美汐は優しいね…」

 話してくれる!私がそう思ったその時。お姉ちゃんが私に向き直った。その鋭い眼光、意思をもった力強い視線が私を突き刺してくる。。強い意思や意味を持った目。私と同じ目。だけど…お姉ちゃんのあまりにも様変わりした様相に折れてしまいそうに…私は瞳を反らさないようにするのが精一杯になっていた。

 「大事な人に拒まれたらって考えたことある?」

 真正面からぶつけられる力のある言葉。

 「あんたが詮索したい気持ちも判る。だからあんたは多分こう思ったんだね。本当は私は嫌われているんじゃないかって。だから悩みは相談してくれなかったって思ったんじゃないの。私には相談しないで、お姉ちゃんにばっかり。なんで?もしかして役に立たないと思っているから?嫌われてしまっているから?お姉ちゃんなら何か知っているかもしれない。話す前に考える、良い、とても良いことだよ。

 だから今、私も話そうか考えたよ。結論。私はこの子に嫌われたら死んじゃうと思う。それくらい私はこの子が大事だよ」

 「…」

 「だから言えない。私はこの子に嫌われたくないから。判ってくれるでしょ…あなたも私と同じなんだから」

 形成は逆転していた。心の中に浮かんだけど、あまりにも恐くて穴に埋めてしまったことがすっかりお姉ちゃんには見抜かれていた。お姉ちゃんは言葉だけで詰め寄り、言葉の最中でまたお兄ちゃんに視線を戻していた。見たこともないような優しい目でお兄ちゃんの頬に手を重ねると、さっきまで恐かった言葉が嘘のように静かに呟いたのだ。図星を突かれ、叱られた子供みたいにただお姉ちゃんを睨むしかできなかった私の耳に…泣いてしまうほどの優しい言葉が届いた。

 「大丈夫…この子は美汐のことが大好きさ。保障する。だから黙ってやってくれないかな。これは…私等の問題だから…」

 お姉ちゃんはそれきり口を閉ざしてしまった。

 こんなことになるとは思わなかった。

 確かに私の想いは伝わった。多分1から100まで全てお姉ちゃんは汲み取ってくれたに違いない。

 だけど私を受け入れてくれなかった。

 いや、受け入れてくれたけど…これじゃ仲間はずれだ…

 同じ家族なのに、一緒に悩むこともできない。

 悲しくて、病室を飛び出していた。

 真っ暗な自分の部屋で独り、泣いていた。

 暗闇なんてちっとも恐くないと思った。



     

-今回の没文章-
 「皆斗に嫌われたくないから…」
 「嫌わない!お兄ちゃんはそんな人じゃないよ!」
 「…美汐は幸せ者だね…」
 「…え?」
 お姉ちゃんが私に向き直った。その鋭い眼光、意思をもった力強い視線が私を射すくめる。反らさないようにするのが精一杯だ。
 「大事な人に拒まれたらって考えたことある?あんたも多分同じこと考えたよね。本当は私は嫌われているんじゃないかって。だから悩みは相談してくれなかったって思ったんじゃないの。私はこの子に嫌われたら死んじゃうと思う。それくらい私はこの子が大事だよ」
 「わ、私もお兄ちゃんのことが大事だよ…!」
 「…じゃぁ死んじゃえば」
 私は言葉を失っていた。お姉ちゃん…今なんて言ったの…?
 「この子の悩みはあんただよ。判ってるの?嫌われてるなんてとんでもない。この子はあんたのことが大好きなんだよ」
 恐い…お姉ちゃんが凄い恐い…今にも掴みかかってきて私を殺してしまいそうな雰囲気がひしひしと伝わってきている。


ちょっときれてます。半分やけっぱち(死語)ですが一回彼女は泣いて平静に戻ってそうなので没にしました。
白帆はどこまで、いつまで美汐のお姉ちゃんでいられるのでしょうか。

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