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「すばる」2月号のインタビュー『一九八九年の丸山真男』
集英社刊の雑誌「すばる」2月号に、『一九八九年の丸山眞男』と題した未発表インタビューが載っている。死の7年前だ。その中で丸山真男が次のようなことを言っている。「アメリカの軍事占領ってのは、いろんな理由がありますけれど、史上まれに見る緩やかな軍事占領です。これはちょっとないんですよ。軍事占領でね。敗けた国に対する外国の軍事的独裁でしょ、そういう意味では。日本に対してぐらい緩かったっていうのは、歴史上ほとんどないんじゃないかな、このくらい緩かったのは。それで、ぼくは九月の中頃、復員して帰ってきたんですけれども、軍隊にいたときには、「お前ら、うち帰ったってだめだ。女房もなにもみんな強姦されてる」と。自分たちが中国でやったことをそのままやると思ってるわけですね。アメリカも。(略)それは二つ理由があると思うんです。一つは、第一次大戦の教訓から、連合軍というのはよほど学んだってことなんです。第一次大戦のヴェルサイユ条約というのは、もう苛酷きわまる条件を課したわけです。ドイツに。常備軍を十万に制限したのはまだしも、天文学的賠償、賠償の数字が天文学的と言われたんです。だけど、これは全くドイツが降伏した条件に反するんですよ。ドイツが降伏した条件は、ウィルソンの無賠償、無併合(略)によるもの(略)。敗けた国から領土を取ったり、賠償を課したりしないってウィルソンは言ってたわけでしょ」(P.127)。


「ところが(略)クレマンソーなんかの報復政策 - フランスのドイツに対する - の方が通ったわけです。それで天文学的数字の賠償を課す。そのためのドイツの苦しみたるや、大変なものです。よく笑い話になりますけど、ビール三本飲もうと思ったら、先に三本取っておかないと、一本飲んで次に注文しようとすると、(そのときは値段が)また上がってるわけですね。(略)途端の苦しみなんですよ、ドイツは。で、徹底的にドイツを抑圧した、その反動がナチになったわけです。(略)ヴェルサイユ条約に対する反発から猛烈なナショナリズム、ドイツのナショナリズムが出たでしょ。それで、もう連合国はそれが身に染みてるわけ。敗けた国をあんまり虐めると逆効果になるという、これが非常に大きいんです。そういう意味では。それで(日本は)非常に助かった。(連合国は日本に)全然賠償課さないしね。で、(日本が)侵略した領土は取り上げるけれども、あとはまあ全然触れない。(P.124-125)。このインタビューは、新憲法の制定過程の証言を聞き取ったものだが、現在の私の関心から、上に紹介した部分に目が止まった。第一次大戦後のドイツに対する措置が失敗だったため、その反省から日本に対する仕置きが寛大になり、逆に理想的な民主国家を建設するべく連合国が指導したという歴史的事情はよく納得できる。この議論に注意が向いた理由は、尖閣有事から始まる日中戦争の終わり方という問題を、ずっと考えているからだ。

戦争はいつかは終わる。終わったとき、どういう姿になっているのか、そのことを想像するのは無意味ではないと思われる。むしろ、今、われわれが考え、そして言い、公論化しなければならないのは、この戦争のリアルなイマジネーションだ。日米開戦の報を告げるラジオ放送を聞いたとき、医学部生だった加藤周一は、即座に東京が空襲で焼け野原になる図を直観し、自分も焼かれて死ぬ運命になるだろうと覚悟した。同じことを、これは篠田正浩の映画で見た場面の記憶だが、中国からの撤兵問題で日米交渉が暗誦に乗り上げた時点の会話で、ゾルゲが顔をこわばらせて尾崎秀美に言っていた。尖閣紛争から始まる事態の進行について、あまりに日本で議論が少ない。中国では、テレビの番組で全面戦争になる可能性が論じられている。日本の右翼マスコミは、この事実を歪曲して報道し、中国指導部が戦争準備に歩を進めて国民を煽っていると言っているが、日本の侵略戦争で1千万人が犠牲になり、虐殺や強姦や略奪の地獄の目に遭った中国が、尖閣の危機に緊張し、官民の境なく警戒感を深めた反応になるのは当然だろう。日本のマスコミは、中国の報道を中国攻撃の材料に要用して世論工作するだけだが、必要なのは、その報道や議論の内容を思惑で編集せず、論評を加えず正確な翻訳テロップを流して日本人に見せることだ。われわれが客観的にありのまま見て、中国国内の状況を知ることだ。それをするジャーナリストがいない。

中国との間の壁は高くなり、溝は日毎に深められている。日本の政界の議論の現状、マスコミの報道姿勢、世論の空気、知識人の言動、それらを直視し、中国の立場で状況を観察すれば、尖閣問題が外交努力で解決に向かうという可能性は小さく、日本は有事勃発に向けて着々と準備し、態勢を整えていると判断するのが正しいだろう。年が明けて以降も、警告射撃の予告とか下地島への空自配備などの挑発的な動きが続いている。衝突を避けて解決するためには、中国は尖閣の主権放棄を選択するしかない。日本側には武力衝突を回避する意思や戦略はなく、日本国内の多数世論も基本的に同じだ。中国との戦争を恐怖していない。日本の国内状況は、米国と戦争する71年前と同じで、それが破滅に向かう無謀な行動だと理解していない。長く平和な時代が続いたため、戦争が他人事の世界になっていて、戦争のリアリティを持てず、破滅だの焦土だの飢餓だのをよく想像することができない。右翼化した日本人の意識は、中国や中国との戦争を過小評価していて、あたかも北朝鮮と同じが如き矮小で脆弱な独裁国家だと思い込んでいる。イデオロギーのバイアスが先行し、イデオロギーのレンズで存在を認識するため、中国の規模や国力や趨勢が意識から消えている。北朝鮮と同じく、圧力をかけるのが正しい方法だと思っている。日本が持つ「民主主義の価値観」が正義で、それを持たない中国は国際的に孤立し、日米で封じ込めれば共産党体制が瓦解すると楽観している。

右翼化した日本人一般が思い描く戦争終結の図は、中国の共産党政権が倒れ、PRCが崩壊するというムシのいい展望だ。また、この想念が、尖閣有事から始める対中戦争の軍事目標に他ならない。実際のところ、日本にとって日本の勝利で中国と講和・終戦する可能性というのは、この場合しか考えられない。中国内部で動揺と蜂起が広がり、中国の体制が転覆し、新しい政権が日本との和睦に動き、尖閣の日本領有を認めるという絵である。ソ連も崩壊したのだし、北朝鮮も崩壊寸前なのだから、中国の共産主義も潔く滅亡するべきで、中国人も「自由と民主主義の価値観」を国際社会と共有する日を迎えるべきだという主張だ。日本は中国と戦争することで、中国に「自由と民主主義」をもたらす機会を与えるのだから、この戦争の正義は日本にあるという発想である。日本の右翼の大半(それは決して国民全体の一部ではない)は、戦争の初期段階でそういう局面が訪れ、中国国内の反乱で共産党支配が潰されるだろうという観測と自信を持っている。共産党独裁に恨みを持ち、自由を求める中国人自身が、PRCを解体し、チベットとウイグルの独立を認め、内モンゴルの分離を認め、版図を半分ほどに縮小させた小さな軽い中国になるだろうと想定している。さらに、新しい中国も割拠分裂の状態になることを期待し、混乱して停滞すればいいと悪意で祈念している。右翼のイデオロギーにおいては、これが東アジアの正しい方向であり、日米同盟の繁栄であり、こうした中国の将来像を理念として尖閣有事に臨む態度なのだ。

日本の勝利(尖閣領有を認めさせる講和)が、この設計図でしか構想できない以上、戦争は全面戦争にならざるを得ない。尖閣と先島諸島の局地戦で限定することは不可能だ。自衛隊が東シナ海の中国軍を撃滅したとしても、必ず復讐と反撃の本格戦争へと拡大する。米国も、この戦争への関与を深めるか、それとも静観するかの態度を決めざるを得ない。関与を深めれば、米中の第三次世界大戦に発展する可能性がある。さて、戦争がどういう終わり方をするかだが、全面戦争となった場合は、どちらかの国の降伏で終戦することになる。私は漠然と、降伏するのは中国ではなく日本だろうと予想する。中国の降伏を想定するのは難しく、中国が敗北する場合は、降伏ではなく共産党政権の転覆のみだろう。共産党政権が持ち堪え、中国人が一丸となって総力戦に出た場合は、国民総動員のサイバー戦となり、さらに核戦争の死闘となっても、中国側が優勢となり、消耗戦で日本側の士気が落ち、米国が促す形で日本の降伏という結末になると考える。日本の場合、戦争のさなかに政権が倒されるという展開にはならない。首相が交替しても戦争は続ける。簡単に講和せず、犠牲者を増やしながら戦争を続行する。太平洋戦争と同じパターンだ。戦争を止めるときは、支配者がそう指示したときだけで、20世紀の戦争では天皇、21世紀の戦争では米国である。今回の日中戦争もイデオロギーの戦争であり、日本において、共産主義体制は悪で「自由と民主主義の価値観」が正義だという絶対的な信念がある以上、神風が吹いて逆転するまで戦争は続ける。

中国が戦後処理をどうするかを書こうとしたが、そこまで進まなかった。


by thessalonike5 | 2013-01-17 23:30 | Trackback | Comments(0)
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