芝居は事実より奇なり!
芝居は事実より奇なり。
千葉県の成田市に「宗吾霊堂」という寺がある。
江戸時代の義民「佐倉宗吾」の御霊を祀ってある寺である。
この寺には何度か行ったことがある。
ウエブでも検索できるので、関心のある方はクリックされ見てください。
当山に祀る御本尊 宗吾様は、江戸時代の封建制度の中で災難に苦しむ10万の大衆のため男子の大厄の42歳の御年に尊い命を捧げられました云々とある。
佐倉宗吾という人が飢饉に喘ぐ農民を代表し江戸幕府に年貢米の取立てを緩めてくれ、と直訴し、処刑されたということで義民の誉れ高い佐倉宗吾を祀っている。
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宗吾を演じる松本幸四郎が、千葉県成田市の「宗吾霊堂」で成功祈願を行い、今回で三度目になる宗吾役への熱い思いを語りました。2012年02月17日
松本幸四郎さんもお参りをされています。
実は4・5日前に民俗学者の「宮本常一」の「旅の民俗学」(河出書房新社刊)という対談形式の本を読んでいたところ次のような記述が出てきました。
松永 九州の五家荘の葉木という集落だと思いますけれども、佐倉宗五郎の出身地だというところがあるんです。
佐倉宗五郎という人物も非常に伝説的な人物ですが、これは学習院の児玉幸多先生が佐倉の名主・木内宗吾について調べていらっしゃる。
実在した人物であることは間違いないが、江戸表へ直訴したかどうかは確かじゃない。
しかし、人徳があって、人望があったはずだから、凶作、飢饉、苛斂誅求いう時代背景の中で、何かやったに違いないと考えられているわけです。
房総半島の南部で一揆が起こり、直訴がなされたという話があって、佐倉宗五郎がくっついちゃったんですね。
誰がくっつけていったかっていうと、芝居をつくった作者なんです。
幕末だったと思いますが、『東山桜荘子』という木綿芝居が、江戸の中村座でやられている。
木綿芝居ってのは、百姓姿で出てくる役者さんの芝居で「桜荘子」というのは、桜のごとく華々しく散ったヒーローという意味ですね。
この芝居は非常に受けた。
これは、あるすぐれた民衆の代弁者がいて、江戸表に直訴して華々しく散るという内容ですが、この花の桜が、だんだん土地の佐倉になっていくわけです。
そののち、河竹黙阿弥が『桜荘子後日文談』という芝居を書きますと、芝居を見にきていた人人が、佐倉宗五郎がお仕置きを受ける場面になると舞台に這い上がって、役人を止めた(笑)。
寺山修司がいま芝居でやっているような、観客と役者が一体となるようなことが、幕末に起こっているんですね。
民衆の中にこれほど伝説が入ってくると、もうおれたちのところから佐倉宗五郎が出たんだというふうになっていくわけです。
芝居作者が、面白くするために苦心して、九州の秘境の五家荘に宗五郎の出身地を置いて、葉木から養子にきたという設定にしている。
民衆はドラマの面白さと一緒に、お話を自分たちの財産にしてしまい、五家荘から宗五郎が出たということにしてしまった。
伝説も時代が下がってきて、作品化されたり、文献化されたりしてしまうと、それによって伝説がより身近なものになっていく。つまり証拠がとれたみたいになって、親しく語られていくというようなこともあったんですね。
宮本 歌舞伎芝居などは、そういう意味で大きな役割を果たしておりますね。
とりわけ時代物はほとんど伝説をもとにして、土地に結びつき、主人公が出てきて、いろんな話をつぎ合わせてつくってあるんです。
またそういうものがみんなに受けて支持されたわけです。
松谷『妹背山婦女庭訓』などは石子詰や三輪山や沢山の伝説がもとになっていますね。それに、心中であれ、お家騒動であれ、結構その場その場の事件を、時代を変えたりしてつくっているわけでしょう。
芝居の中で自分たちの言いたいことを言っている。そのうちに、それがほんとうのお話のようになってくるんですね。
松永 民衆というのは、知恵が多いというのか、自分たちが生きるためには、そういう巧妙な手だてを使って生きがいを見つけ出していますね。
宮本 ちょうどいまの人たちが小説を読むのと同じだと思うんですわ。
書かれていることは事実でなくても、そういうものを読まずにおれない。
伝説いうものは、やはりわれわれがものを考一つの考え方を示しておったんじゃなかろうか。
特に英雄談が非常に少なくて、敗者が主人公になって、敗者の言い分が出てきています。ということは、農民自体がそういう立場に置かれておった。
松永 そうでしょうね。農民自体が、自分たちは敗者だとは日ごろ語っていないけれども、力の強い人間が向こうにいて、おれたちはどうもうまくいかないよという感じがあるわけですね。
だから、ドラマを展開して、うまくいかなかった人たちを自分たちが親しく担いでいくということになる。敗者を担いでいく発想というのは、敗者の側の夢を表わしているという感じがします。
後略。
ということで、芝居は事実よりも奇なりといいますか、事実を知ってしまうと面白くも何とも無くなってきますが、信ずるものは救われるといいますから、今まで信じてきたことはそれはそれで仕方が無かった。と思うか、オノレ騙しやがって!、と思うか、あのカルト教団のように信じ切って生きていくか。
人間の幸せとはそれぞれの信ずるものがあるのが良いのでしょうね。
今は大嘘でもでっち上げて犯罪人にしようとする国家権力の横暴が目にあまりますが。
時代が下って100年後に芝居となって好評を博すとすれば、きっと「民主主義を確立した小沢一郎」なんてのが上演されて、あの時代にこういう政治家が出ていなかったら、今の日本は地獄の底だったんだろうな。
なんてことを幸せに語られる時代になっているんでしょうね。
今、生まれた子の孫たちの時代の話ですけど。(笑)
松谷 みよ子(まつたに みよこ、本名:松谷美代子、1926年2月15日 - )は、日本の児童文学作家。 父は社会派の弁護士で、無産政党代議士となった松谷與二郎。元夫は児童文学関係者で人形劇団座長の瀬川拓男。
松永 伍一(まつなが ごいち、1930年4月22日 - 2008年3月3日)は、詩人・評論家・作家。 |