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小山明子、病床で“最後の晩酌”大島渚監督「お酒、飲みたい」

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舞台出演後に会見し、涙ぐむ小山明子と、次男の大島新さん(左端)、崔洋一監督

 15日に肺炎のため80歳で死去した映画監督・大島渚さんの妻で女優の小山明子(77)が16日夜、会見した。この1か月間は危篤状態が続いていたが、最後の会話はこよなくアルコール好きだった人らしく「お酒、飲みたい」で、病床では“最後の晩酌”をしたことを明かした。17年の介護を続けた小山は、この日開幕した都内の劇場で主演舞台を気丈に務めたが「覚悟はできていた。私のために、逝く日もパパが選んだと思う」と涙ながらに語った。

 「その時がいつ来ても覚悟はしてました。監督としても夫としても素晴らしい尊敬できる人でした」と話した小山だったが、会見中に涙があふれ、おえつした。この1か月は危篤が続いていた。かすかに会話できた時、最後の言葉は「お酒、飲みたい」だった。小山は次の日に日本酒を持参。「もちろん飲めませんでしたが、パパの口に湿らせるとペロリとなめていました」と“最後の晩酌”を楽しんだことを明かした。

 悲しみ、私情を封印して小山はこの日、東京芸術劇場シアターウエストで開幕した舞台「女のほむら」(20日まで)の主演を気丈に務めた。殺人罪で死刑になる明治の毒婦、高橋お伝の役だった。偶然にも病で苦しむ夫を抱える場面など実体験と重なるシーンも多く、演じながら感極まる瞬間も。カーテンコールでは出演者の誰よりも大きな拍手が送られた。

 前日は夫を病院でみとって夜8時の舞台稽古に奇跡的に間に合った。「親の死に目にも会えないと言われるこの仕事で、大島は(逝く日を)私のために自分で決めたんじゃないかしら」

 96年に脳梗塞で倒れてから17年に及ぶ介護。その疲労でうつ病で苦しんだ時期もあった。この日の小山の顔は「できる介護はすべてやった」と話しただけに、晴れやかな表情も見せた。一番好きな夫の作品を「戦場のメリークリスマス」と答えた。

 妻の女優としての実力を誰よりも評価していたのは大島さんだ。若いころ、家庭に入るため役者引退を考えたとき、監督はこう言った。「良い女優になれない人が、なぜ良い奥さんになれるんだ。あなたは望まれて女優になった。みんなにいらないと言われるまでやりなさい」と。この日もその言葉を忠実に守った。

 二人は1960年に結婚。2010年には金婚式を迎えた。交際中に交わした手紙は実に360通。明子夫人は、薄汚れた格好の人ばかりの撮影現場にあって、どんな金欠の時もネクタイにアイロンをかけたシャツ姿を通した大島さんに引かれ、ついていこうと決めた。結婚までに5年。「私はあなたのお嫁さんになることにしたわ」。プロポーズは小山からで場所は松竹の食堂だった。

特集   訃報・おくやみ

[2013/1/17-06:05 スポーツ報知]

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