ダメ出しは公衆の面前ではなく、裏でこっそりやりましょう

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2013/01/16


ぼくは自分のブログでは個別のダメだしは控えるようにしています。


ダメ出しは裏でこっそりやる

たとえば面白いアプリを紹介するとして、「これ、コンセプトはいいんだけれど、UIがいまいちだなぁ」と思うことがあったりします。

そんなときは、ブログではUIについてのダメだしは、どれだけ書きたくなっても口をつぐむことにしています。何らかの事情でどうしても書いておきたい場合でも、せいぜい「リリースしたばかりのこのアプリ、新し物好きの方はぜひ試してみては?」とやんわり濁す程度にとどめておきます。

で、気になった部分は、別途アプリの開発者の方にフェイスブックなどでメッセージをお送りするようにしています。「記事書かせていただきました!面白いアプリですねー。触ってみて個人的にユーザーとして気になった点があったので、ご参考までにお伝えしておきますね。……」といったテンプレですね。


ダメが改善されにくくなる

公衆の面前でダメだしをすることは、ほとんど無意味だとぼくは考えています。「ダメだし」の目的である「ダメを改善すること」が困難になってしまうからです。

耳目が集まる中で「お前のここがダメだ!」と指摘することは、無礼な行為ですし、得てして反感を抱くことになります。「なんでこんな場所で辱めるようなことを言うんだ」、と。みなさんも経験ありせんか?公衆の面前で叱咤されるというのは、侮辱そのものです。

そうではなく、裏口でこっそり「お前のここはよくなかったと思うよ」と伝えるようにすれば、相手が侮辱感を抱いてしまうことは、まずないでしょう。真意を理解してくれるかは別として、公衆の面前でダメだしするよりも、比較的「ダメだし」の効果は高くなるはずです。


公衆の面前でダメだしする人が消えない理由

ではなぜ公衆の面前で「ダメだし」をする人が絶えないかというと、その場合の真の目的は、純粋なダメだしではないからです。

たとえば上司が部下を叱る際に、同僚の目の前で叱るとします。このとき上司は、「この場においては、自分に絶対的な権威があること」を示したいと考えているのかもしれませんし、組織のマネジメントとしてそれが求められるのかもしれません。

「ダメを改善する」ことはどちらかというとサブ目的で、主眼たる目的は「権威を示すこと」なわけですね。ちょうど猿山のボスを想像していただければいいでしょう。


もっとタチが悪いのは、ダメ出しをするように見せかけて、実は相手を没落させようとしているというケース。

たとえば上司が部下に対して「お前はだからダメなんだ!」と叱るシーンにおいて、上司の目的が実は「使えない部下を退職させること」に置かれている場合などです。

「ブラック企業」にもそんな手法が紹介されていましたね。

(自己都合退職の追い込みで)むしろ多いのは、直接「辞めろ」とは言わずに「自分から辞めるしかない」状態へと追い込むことである。絶対にこなすことができないノルマを課し、これができない場合に「能力不足」を執拗に叱責するなどである。

(中略)そして、ひとたび鬱状態になれば、「辞めたほうがいいのではないか」という「アドバイス」も親切なものに聞こえてくる。苦しい状況から一刻も早く脱するために、「自己都合退職」の書類にサインする。

(本)今野晴貴「ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪」 | ihayato.書店

これは「善意」を隠れ蓑にして「自己責任」に追いつめる、とんでもなく卑怯なやり口です。純朴な人たちは「私が弱いからだ…」と自分を苛め、見事上司の狙い通り、会社を辞めていってしまうでしょう。本来は会社にもかなりの責任があるのにも関わらず。


もっともっと手に負えないのは、本人が本心から「よかれと思って」公衆の面前でダメ出しをするケースです。同僚の目の前で叱るのは、本気で「おまえのためになる」と思ってやっている場合ですね。これは悪気がないのでタチが悪いのです。

この場合は、相手がもしも侮辱感を抱いたとしても、それを「甘え」と切り捨てることでしょう。もし叱られた対象が潰れたとしても、「あいつは弱いヤツだった」と吐き捨て、彼を救うこともありません。彼をダメにしたのは他でもない自分だということに、まったく気付かないまま、新しい犠牲者が生まれます。体罰教師なんかは、こういう心理で暴力性を増していっているのではないでしょうか。


というわけで、ぼくは基本的に、個別のダメ出しは表の世界ではやりません。自分自身もいやな気分になりますしね。

最期に中島義道を引用しておきましょう。この人はホント真理を突いていると思います。

「おまえのためを思って言ってるんだぞ!」

ああ、この言葉はとりわけ虫酸が走るほど嫌いです。それは嘘だからであり、自分を守っているからであり、恩を着せているからであり、愛情を注いでいるとかんちがいしているからであり、つまり徹底的に鈍感でしかも狡いからです。
(中略)
「自分のために」、おまえにどうにか変わってもらいたい。つまり、もっと世間並みになり、世間の掟を尊重し、その枠の中に収まって欲しいのです。そうでなければ、「自分が」不安で不安でしかたない。
(中略)
ここには、そう語る当人が気づいていないたいへん傲慢な態度がある。つまり、そう語る人は「おまえのために」言ってやるその相手より人間として絶対的に上位にいるという傲慢です。(中略)おまえは低級人種だからおれが言って聴かせなければわからないが、おれは高級人種だからおまえなんぞに言われたくない、というわけ。

(本)中島義道「私の嫌いな10の言葉」 | ihayato.書店


関連して、ツイッター上でもニーチェの格言をいただきました。「いたわるような振りをして殺す手」。まさに。


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