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政治
【正論】埼玉大学名誉教授・長谷川三千子 日本型「経済」の理想を取り戻せ
「日本を、取り戻す」--これが、自民党総裁選から衆議院選挙へと引きつがれた自民党のスローガンでした。新政権の発足を伝える党の機関紙「自由民主」も、幹事長インタビューの見出しに「支持された『日本を、取り戻す』」とうたっています。とすれば、これからの課題は、どうやって日本を取り戻してゆくのかということであると同時に、日本を取り戻すとはどういうことなのかを真剣に問うことだと言えるでしょう。
≪「一の矢」は確実に的を射た≫
まず、安倍晋三新政権は経済の分野でその第一歩を大胆に踏み出したと言えそうです。まだ首相に就任する前からの、思い切った金融緩和政策の宣言によって、実際に株価は上昇し、円高は是正されつつある。日本経済の危機突破を目指す「一の矢」は、確実に的を射たように見受けられます。
しかしもちろん、本当に難しいのはこの先であって、ここに財政政策、成長戦略をどう組み合わせてゆくのかが、最も手腕を必要とする勘所です。ことに成長戦略の難しさについては、多くの人が指摘しているとおりであって、かつての通産省が日本の高度成長の立役者のように言われたときでさえ、実はよく分析してみると、通産省はただ〈邪魔をしない〉ことが上手だっただけなのだ、と言う人もあるほどです。
ましてや現在のような経済状況の中で本当に効果のある成長戦略をたてるのは、非常に難しい仕事となるでしょう。ただ一律の規制緩和だの構造改革だのを押しつけたりしたら、かろうじて生き残っている芽まで枯らしてしまいかねない。それぞれの業種に応じた、本当にきめの細かい作戦をたててゆくことが必要となるはずです。
≪「危機突破」だけでいいのか≫
しかもその時、つねに念頭に置かなければならないのが、はたしてこれによって雇用が確保されるのか、各家庭の所得がふえてゆくのか、という観点です。この観点は、生産性の向上、効率化、といったかけ声の中で、しばしば置きざりにされがちなのですが、本当に日本経済の再生を目指すのならば、これこそが最も重要なポイントだと言えます。ただ単に企業の収支が改善するだけでなく、それが各家庭の所得増につながってはじめて、景気回復の歯車は本格的に回りはじめる--新政権のもとの日本経済再生本部は、ぜひともこの基本を忘れないでいただきたいと思います。
と、こんな具合にありきたりの注文ばかりを並べてきましたが、これを見て首をかしげる方もおありでしょう--いったい「日本を、取り戻す」とはこんなことだったのか? たしかに今の日本経済の危機突破が急務であることはわかるけれども、そればかりに気を取られていてよいのだろうか?
たとえば、昨年12月27日付本欄に、遠藤浩一氏は、かつての池田勇人首相の所得倍増計画をふり返り、「豊かさの獲得には、国家的課題への切迫感を麻痺(まひ)させるという副作用があった」と指摘しておられます。実際、ちょうどその10年後、高度成長期の日本の姿に絶望した三島由紀夫は「このまま行つたら『日本』はなくなつてしまふのではないか」と嘆じたのでした。「日本を、取り戻す」どころではない。経済にかまけるうちに「日本」がなくなってしまったら元も子もないのではないか--これはたしかに、もっともな危惧だと言えましょう。
≪エコノミーへの思想的挑戦≫
けれども実は、この「経済」という言葉そのものの内に「日本」の神髄がしっかりと埋め込まれているのです。この「経済」という語は、明治時代、西洋語の「エコノミー」を翻訳してできた、いわゆる翻訳語なのですが、これは「経世済民」(世を治め民を救済すること)という語を縮めてできた言葉です。つまり、西洋近代の資本主義経済を表す「エコノミー」という西洋語を訳すのに、明治の先人は、東洋の王道政治の基本を示す言葉をあてたのです。
そこには当然、民を「おおみたから(大御宝)」と重んじてきた日本の政治道徳の伝統が意識されていたはずですし、また、日々の働きは苦役などではなく人間の生活そのものである、という日本人の無意識の労働観がそれを支えていたはずです。それはほとんど、西洋近代のエコノミーという観念に対する思想的挑戦と言ってもよいものでした。資本家と労働者の対立などという図式をこえて、上も下も心を一つにしてよい仕事をしてゆこうという思想--そのような独特の「経済」の理解のもとに、近代日本はここまで成長してきたのです。
実はあの高度成長の時代は、そうした日本型「経済」の理想を世界に示すまたとない機会だったのです。それがマネーゲームの波に呑まれていってしまったのは誠に残念なことでした。しかし、もしも新政権が日本型「経済」の理想を名実ともに取り戻せたなら、それ自体がまさに「日本を、取り戻す」ことであり、またそれこそが「アベノミクス」の名にふさわしいものとなるでしょう。(はせがわ みちこ)
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