体罰に関するQ&A
【回答者:体罰の会 顧問(戸塚ヨットスクール校長) 戸塚 宏】
■■【体罰とは?】■■
Q1 体罰と暴行(虐待)の区別は付けられるのでしょうか?
「体罰」と「暴行」や「虐待」では目的が違います。
体罰の目的は子供の進歩ですから、利益は子供が受けます。
「暴行」や「虐待」は自分の利益の為に行います。
Q2 体罰の有用性を教えて下さい。(体罰を使うとどのような子供が育つか etc )
体罰を受けた子供は進歩します。人間は進歩を宿命づけられた動物です。
人間性(人格)、社会性、思考力、行動力、全て進歩させなければ一人前の人間になれません。
Q3 体罰は誰にでも出来るのですか? ( 体罰を行う側の心構え・技術 etc)
体罰はもしあなたが一人前なら誰でも出来ます。もし自分に自信がなければ次のようにして下さい。
体罰の目的は進歩なのですから、その事を頭の中において体罰を行います。
「進歩、進歩」と頭の中で言いながらやって下さい。
実に上手く出来ますから。口に出してもいいですよ。 その時、丹田に意識を集中出来たら言うことはありません。
■■【教育の現場における体罰について】■■
Q4 体罰は子供の人権の侵害です。大人は体罰など使わずに、子供にはきちんと理由を説明し、根気強く言ってきかせ、納得させる努力をするべきであり、子供の人格を尊重することが大切だと思いますが?
この事は良く言われますが、時間軸が逆です。
人格も納得する力(理解力)も進歩させる物です。子供にはそれらがありませんね。
体罰をはじめとする様々な罰を受け恥をかき人格も理解力も進歩します。子供は未完成です。
人間としてかなり完成してくれば失敗した場合、人に罰せられなくても自分で恥をかき進歩する事が出来ます。
Q5 凶悪な犯罪を起こした少年は、両親から厳しい体罰を受けている事が多々あるようですが、体罰を受けた子供は暴力で物事を解決する子供になるのではないですか?
この話は真実ですか?誰か確認したのでしょうか。
アメリカで出来た「暴力の連鎖」と言うアイディアを無批判に受け入れ、現実を無理矢理それに合わせる。
思考力のない人間がイニシヤチブを取るとこういう事をやります。
批判力のないマスコミは日本をとことん駄目にします。
まず、第一に体罰は暴力ではない。
善であるから連鎖するならそれはいいことです。
第二にマスコミはしょっちゅう歴史の歪曲を行います。
昔、父親から木につるされる等のひどい体罰を受けた子供は長じて暴力で物事を解決するようになったでしょうか。逆ですね。
Q6 実際に、幼い頃に親や教師から体罰を受けた為、大人になってからもトラウマを抱える人は多くいます。体罰を行うと子供の心に傷を付けることになるのではないですか?
これもQ5と同じです。歴史の歪曲です。
まず、トラウマの正体は何でしょう。私には「間違った理性」の事に思えますが。どうでしょうか。だから一生消えない心の傷などと言うのではないでしょうか。だけど消せますよ。強くなれば勝手に消えてしまいます。
体罰世代の我々のどこにトラウマが残っているのか証明してもらいたいですね。
「体罰は悪」という間違った理性がトラウマになっていませんか ?
Q7 体罰で子供を押さえつけて大人の言うことを一方的に聞かせることよりも、子供を誉めて子供のやる気を引き出し、子供の長所を伸ばすことが子供を成長させる為には大切なのではないですか?
「叱るより誉めろ」ですね。これは間違っています。
誉めて伸ばせの場合は誉められたら嬉しかった。だから、また誉められようと頑張る。頑張る目的は誉められる事です。
だから、何時までたっても誉める人が必要になるし、その人を超えてはなりません。
幼児に対しては使えても少年になったらもう使えません。
叱って伸ばせの場合は叱られるのが嫌だから頑張る。だから進歩しなければならない。頑張る目的は進歩です。
だから進歩の能力が身につきます。以後どんな事でも自律的に進歩出来ます。これは幸福になる能力でもあります。
Q8 子供を強く育てる為には、愛情が第一であり体罰は逆効果ではないですか?まずは子供の良い所を認め、子供と共感することが大切なのではないですか?その安心感の中で子供は自分を肯定するようになり、強さを身に付けて行くのではないですか?
愛の目的は何なのでしょう。
それが分からないと愛と称する甘やかしになってしまい子供はわがままな甘えん坊になってしまいます。
めんどくさい事は人にやらせますので上手く行かなければ全て人のせいです。
当然進歩しません。強くもなりません。
自分でやらなければトレーニングにはなりません。
行動の為には不快感が必要です。大きな不快感は大きな行動を生み大きく進歩します。
山中鹿之助の「七難八苦を与えたまえ」です。
今の教育論は「進歩」を真剣に考えていません。だから不快感を悪物にしています。
不快感は善であることを分からねばなりません。
良いところを認めなければもっと良くなります。
共感とは何の為であり、何を共感するのでしょう。
安心感を使うのは逆の方法ではないですか。今の自分を肯定しては進歩しません。
強さとは何であり、どうしたら身につくのでしょう。
今の教育論はきれい事の羅列であり、きれい事は悪です。
その証拠に悪い結果ばかり出ています。
Q9 私が叱る時に子供を叩いていたら、子供もお友達や兄弟を叩くようになってしまいました。やはり子供は親の真似をすると思うので、体罰はやめようと思うのですがどうでしょうか?
子供は親の真似をし、兄貴の真似をして、先生の真似をする事により子供は進歩していきます。
真似をするといっても外側だけで中身は真似できません。ですから失敗します。
失敗をするとなぜ失敗したかを考えます。
考えるという精神的な行動により精神的な進歩が得られます。子供は正しい事を真似ようとします。
大人は子供に正しい体罰を与えねばなりません。
その結果子供は自分が正しく変わったという実感があります。
だから他に対してもそれを行おうとします。ところがまだ正しく体罰を行う能力がありません。
TPO がうまく合いません。だから失敗します。
その失敗が進歩につながり正しい体罰が出来るようになります。
体罰は善である事。
しかし、そのやり方によって悪になる事を忘れてはなりません。
Q10 子供を虐待する親は、自分の暴力行為を「躾である」と正統化します。一度親に体罰を許す風潮が出来ると、体罰がエスカレートして児童虐待事件が益々増えるのではないですか?
動物行動学でノーベル賞をもらったコンラート・ローレンツの名著「攻撃」には「攻撃行動は善である」事が科学的に証明されています。
そしてその善を悪に変えてしまうのは人間だけである事も。
攻撃行動を虐待という悪に変えてしまう人がいるなら、その人を罰すればいいのであって、善なる行動を禁止するのは本末転倒です。
Q11 今の教師は人間としておかしい人がたくさんいます。私は個人的に体罰を否定はしませんが、今の日本の学校職員に体罰を許すのは少し心配なのですが。
精神においてもハードとソフトははっきりと分けて考えねばなりません。
事故はソフト(体罰の仕方)により起こります。
自動車事故が起こるからといって自動車を否定する事はありません。
そんな事をしたら文明は崩壊してしまいます。
今の教師は体罰の仕方に習熟している人は皆無でしょう。
体罰を禁止したからです。
当然正しい体罰は出来ません。
それなら先生をトレーニングすればいいじゃあないですか。
先生だって進歩できるのですから。
Q12 マスコミ等で報じられているとおり、家庭内暴力やキレる子供が増加している件に関して、体罰を用いれば解決しますか?
解決します。
しかし、それはキレル子を押さえつける。と言う事ではなくキレナイ子を作ると言う意味です。
教育は戦略的に考えねばなりません。
今の問題ばかりに気を取られているからきれい事で解決しようとします。
性善説が正しいのですからきれい事は悪です。
本音で子供に接すれば体罰をするはずです。
家庭内暴力やキレル子供の特徴は弱さです。
幼児から進歩していません。
体罰は進歩を目的としているのですから。
子供を強くする事が出来ます。
強い子供はキレル事もなく家庭内暴力も起こしません。
Q13 体罰で教育するなど時代遅れです。そのような理論は今の時代では通用しないのではないですか?
今の教育論は理論と呼ばれる高級なものではなく、理念あるいは哲学と呼ばれる低級なものです。間違えてはなりません。
よく我々は時代遅れという言葉を使います。
文明に対してそれを使うのはいいとしても文化に対して使うのは現代人が驕慢だからです。弱さの故です。
人間はこの数年進化しておりません。
従って性善説の中身は全く変わっていません。
人類の歴史の中で、人間が作り上げた最高の精神は武士道なのであって、それを捨て訳の分からぬヨーロッパ流の精神論を現代風だから良いなどとはもっての他です。
Q14 日本の知識人等の上層部は体罰否定が多いですが、実際、一般市民レベルの人達も体罰反対派が多数なのでしょうか?
体罰否定論者とは「体罰は悪」という意見を持っている人の事です。
意見は自分でつくるものであり、その創り方は帰納法か演繹法です。
帰納法は我々のような現場でしか使えませんから。
エライ人もエラクナイ人も演繹法で作ったのでしょう。
それなら「体罰」と「悪」の定義をしなければなりませんね。
体罰反対者でこれが出来る人に会った事がありません。
多くの人はマスコミに雷同しているに過ぎません。
なぜ雷同するのでしょうか。それは自分に有利だからです。
自分の為ではなく子供の為に考えましょう。それも将来の為に。
権利は戦術なのでありもし教育の戦略に合わないようなら権利を教育の場で使ってはなりません。
エライ人はそこまで考えなくてはなりません。
君子は和して同ぜず。小人は同じて和せず。