富士通
2013年1月5日(土) 東奥日報 ニュース



■ 日本陸軍毒ガス常備裏付け

写真
米第81歩兵師団が作成した弘前歩兵補充隊の武器・装備の引き渡し目録。リストの一番下に「6個」「98AKATO Gas」と記されている
 
写真
あか筒の構造図(「毒ガス戦関係資料U」不二出版より)
−PR−


 第2次大戦終了直後の1945(昭和20)年、武装解除のために進駐してきた米軍によって、弘前市の陸軍部隊が「あか筒(とう)」と呼ばれるくしゃみ・嘔吐(おうと)性の毒ガス兵器を接収されていたことが、国会図書館憲政資料室(東京)に残されている米軍文書の本紙調査で分かった。日中戦争が始まった37(昭和12)年以降、日本陸軍の各部隊が毒ガスを常備していた事実が歴史専門家から指摘されていたが、資料によってあらためて裏付けられた。

 文書は、本県に進駐した米陸軍第81歩兵師団の情報部が作成した武器・装備品の引き渡し目録で、弘前連隊区第1歩兵補充隊(通称・弘前歩兵補充隊)の武装解除の内容を記している。同隊は北東北で部隊編成の窓口となっていた。

 接収品を見ると、大はトラック(17台)から小は発煙弾(29個)まで47項目にわたっており詳細を極める。数量的に目立つのは歩兵部隊の主要装備である99式小銃2072丁や銃剣2574丁、弾薬帯1223個、訓練用手りゅう弾87個など。

 くしゃみ・嘔吐性ガスを放出する「あか筒」は42番目に「98AKATO Gas」と記載され、引き渡し数は「6個」となっている。「98」は98式の意味で、正式採用された38(同13)年を表す。

 終戦時に陸軍は3千トン以上の各種毒ガスを保有していたが、大半は米軍が進駐する前に関係書類とともに遺棄された。弘前歩兵補充隊のあか筒は同隊が処分し忘れたものとみられる。毒ガスが米軍にそのままの形で引き渡され、公式記録として残っているのは珍しい。

 くしゃみ・嘔吐性ガスは非致死性に分類されるが、濃度が高い場合には致死効力を持ち、防衛省防衛研究所の資料によると「鼻、のど、胸をかきむしられるように刺激され、いても立ってもいられなくなる」という。

 化学兵器に詳しい研究者らの話を総合すると、陸軍が本格的に実戦で毒ガスを使い始めたのは38年の中国戦線で、使用したのはあか筒。39年にはより強力な致死性のイペリットガスに範囲が拡大され、毒ガス使用が日常化したという。

 弘前で編成され、中国中部の山西省に派遣された第36師団も例外ではなく、39年以降にあか筒を使用していた事実が各種資料から明らかになっている。あか筒は攻撃の際に敵の戦闘力と士気を低下させるために使われた。

 また、あか筒は38年に大湊線近川駅付近(むつ市)で行われたとみられる国内初の列車毒ガス実験でも使用対象となっていた。当時の国際法規は毒ガスの使用を禁じていたが、製造・保有は規制外とされていた。

県外限定!!「東奥日報電子版」
パソコンでその日の東奥日報がまるごと読めます
購読のご案内、申し込みはこちら >>クリック





PR ・第6回全農肉枝肉共励会「最優秀賞」の特上カルビ焼肉用700g
・【47CLUB】全国の地方新聞社厳選の商品をお取り寄せ!
・東奥日報CD縮刷版 購入はこちら

HOME
住まいナビ
三八五流通食品部
青森県神社庁
ビジネス支援チャンネル
47news
 東奥日報
ニュース速報
メール配信サービス
Web広告の申し込み