1960年10月、女優の小山明子(右)と結婚した大島渚さん=東京都千代田区【拡大】
大島さんの生涯で最も注目された作品は、俳優の藤竜也(71)と女優、松田英子(60)を起用し、大胆な性描写を描いた日仏合作「愛のコリーダ」(1976年)。同作の脚本と写真を掲載した単行本がわいせつだとして起訴されたが、大島さんは「わいせつがなぜ悪い!」。82年に東京高裁で無罪が確定した時も「議論を逃げられた」と悔しがった。
1980年代からはテレビの討論番組「朝まで生テレビ!」にも出演。激しい怒りで「バカヤロー!」発言も。90年10月には、大島さんが都内のホテルで結婚30周年記念パーティーを開いた際、作家、野坂昭如さん(82)の名前を読み上げるのを忘れ、酩酊していた野坂さんに殴られた。大島さんもマイクで野坂さんの頭を2度たたき返し、語り草となった。
仕事も私生活も情熱的だった大島さん。天国では支えてくれた夫人を優しく見守るに違いない。
大島渚(おおしま・なぎさ)
1932年3月31日、岡山県出身。京大法学部卒業後に松竹入社、59年「愛と希望の街」で監督デビュー。「青春残酷物語」「太陽の墓場」などで松竹ヌーベルバーグの旗手と呼ばれるが、日米安保闘争を描いた「日本の夜と霧」を無断で上映中止とされ61年に退社。76年、日本初のハードコア・ポルノ「愛のコリーダ」で高まった国際的評価は、カンヌ映画祭監督賞の「愛の亡霊」(78年)、「戦場のメリークリスマス」(83年)で不動に。テレビ朝日系「朝まで生テレビ!」などの論客としても人気だった。96年に脳出血で倒れ、99年の復帰作「御法度」が遺作となった。2000年紫綬褒章、01年フランス芸術文化勲章受章。
(紙面から)