2013.1.16 05:06

巨匠・大島渚監督が死去、壮絶闘病17年(2/3ページ)

大島渚さん(左)と小山明子=2002年3月、神奈川県藤沢市

大島渚さん(左)と小山明子=2002年3月、神奈川県藤沢市【拡大】

 反骨心にあふれる巨匠が永遠の眠りについた。

 96年以来、入退院を繰り返し、長く自宅で療養していた大島さんが変調をきたしたのは、一昨年10月。嚥下(えんげ)性肺炎で一時意識がなくなったが、小山ら家族は「人間らしく晩年を送ってもらう」ことにこだわり、延命治療を行わない緩和ケアを選択した。

 だが、昨年12月中旬に容体が急変。「あとちょっとで、お正月。家族みんな揃うから頑張って」という小山の励ましに「はいっ」と生きる意欲を見せた。家族水入らずで新年を迎えたばかりだったという。

 夫の最期を看取った後、小山はけいこのため、20年ぶりの主演舞台(20日まで)が上演される東京・池袋の東京芸術劇場へ。現実と同じく夫に尽くす女性役で、周囲に「万が一のことがあっても出ます」と宣言、夫の了解を得ていた。

 小山は「夫は倒れてから体の自由が利かなくて大変な日々でしたが、彼の晩年に2人で濃密な時間が過ごせてありがたいと思いました。介護ではやるべきことはすべてやりました。悔いはありません。これまで私が支えてあげたので、これからは彼が私をしっかり見守ってくれると思います」とコメントした。

 大島さんが最初に倒れたのは1996年2月。時代劇映画「御法度」の製作を発表した後で、言葉も不自由となった。しかし、小山の介護で徐々に回復。小山自身はその後4年間、心労から鬱病になっても支え続けた。

 その甲斐あって、99年には「御法度」がクランクイン(同年に完成)。同作は翌年春にカンヌ映画祭コンペ部門の出品作に選ばれ、夫婦でカンヌを訪れた。しかし、大島さんは帰国後、多発性脳梗塞を発症。右半身まひで車いす生活を余儀なくされ、2006年からは公の場に出ていなかった。

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