「同時多発テロ」をどのように捉え、対処すべきか? 緊急サイト上討論


以下、「関西からの緊急アピール」に応え、新しくサイト上討論のページをおこしました。ご意見をよろしく!

行動などの情報はこちら → 反戦ネットワーク:http://flag.blackened.net/apfj/anti_war/
                  反戦平和アクション:http://peaceact.jca.apc.org/

これまでの書き込みはこちら → 9・11自爆・道ずれテロ攻撃についての意見、分析、評価など【日本】


関西から緊急アピール 高寺良一 (9月19日10時)

高寺です 

アメリカ帝国主義国家に対する同時多発テロをわれわれは、どのように捉え どのように対処すべきか。緊急サイト上討論を呼びかけます。

〈1〉同時多発テロは、物事の始まりであったのか。それともこの間の連鎖のつなぎ目であったのか。

〈2〉 報復戦争をくわだてるアメリカ帝国主義の意図はなへんにあるのか。

〈3〉 列強帝国主義の戦争に対する緊急同盟をどう評価すべきか。〈ロシア/中国の対応は)

〈4〉イスラエルシオニズムのパレスチナ人民にたいする日常的殺戮と秘密情報機関モサドによる暗殺テロをどう評価すべきか。

〈5〉 イスラム原理主義をどうひょうかすべきか

〈6〉 われわれは なにをなすべきか

総力をあげて反戦闘争の波を世界へ NAMでは既に激しい討論、行動への呼びかけが始まっています。


米国の経済、軍事中枢に同時多発テロ 愚かな報復戦争を許すな! 有事法制制定などの動きに警戒を! 9月12日記 ワーカーズ・ネット 阿部治正

 9月11日、アメリカの金融ビジネスの中心地ニューヨークの貿易センタービル、アメリカの軍事的中枢機関であるペンタゴンに、ハイジャッカーが操る旅客機が突入しました。ペンタゴンは部分的な機能不全に、アメリカの金融機能は深刻な麻痺状態に陥っています。航空機の離発着禁止により物流にも支障が生じ、生産活動にも影響が及んでいます。
 大規模な破壊にともなうアメリカの経済的社会的ダメージは、ドルへの信認にも影響してドル安を招き、さらに日本などの株価下落にもいっそうの拍車をかけています。
 アメリカ政府当局は、犯行グループは反米を掲げる「イスラム原理主義者」たちだとほのめかしています。直接の実行グループだけでなく、それを支援する国家に対しても報復の軍事攻撃を仕掛ける権利を持つと叫んでいます。
 もしテロを遂行したのが「イスラム原理主義」の一部の右翼的排外主義的勢力だとすれば、確かにこの蛮行は彼らの反動的なイデオロギー・政治主張にふさわしいものとといえるでしょう。
 また他方では、アメリカが中東やイスラム世界に対して行ってきた抑圧や蛮行、不正義の数々を、事件の背景として指摘する声もあがっています。アメリカが、イスラエルなどと陰に陽に手を結んでアラブ・イスラム世界の民衆を野蛮に抑圧し続けてきたことが、ムスリムの民衆の中にアメリカへの憎悪を育み、今回のテロ攻撃につながったのだというのです。
 こうした中、日本政府、小泉首相は、「アメリカの報復を支持する」「断固たる反撃は当然」などとよけいなことを言い、さらに「米軍を防衛するための自衛隊の出動」「有事法制の早急な整備」の必要などと、反動的な発言を繰り返しています。
 今回の事件は、市場経済、市民社会、政治的民主主義をうたうこの資本主義世界が、実際には搾取や抑圧や、そこから生ずる憎悪や紛争や戦争等々と不可分の世界であることを、あらためて人々の目にさらしました。
 経済で自信を失ったアメリカや日本などの支配階級は、この事件を利用してテロ勢力打倒の戦争、治安管理体制の強化を叫び、政治的求心力の回復と強化などを画策する可能性があります。
 破壊と殺戮に輪をかける愚かな報復戦争、治安管理体制の強化、資本の国家の下への反動的国民統合のもくろみを許すな! 
(9月12日記  詳しくは次号で)
(ワーカーズ・ネット 阿部治正)


Mさん(教育労働者)からのMAIL 9月19日、20日

いつもメールありがとうございます。同時多発テロ以来、やばい情勢になってきましたね。アメリカ国民の感情は日本人の想像以上に高ぶっていると思いますが、報復・泥沼化・世界戦争といった最悪のシナリオは、ぜひ避けねばならないと思います。外交による平和的解決がベストだと思いますが、犯人を逮捕処罰しないかぎり、アメリカの国民感情は沈静化しないと予想されます。「アメリカの国民感情VSイスラム教」という図式に単純化されることを、最も恐れています。ひょっとすると首謀者の意図は「キリスト教先進諸国VSイスラム」という対立図式を作り上げ、世界規模の戦争に持ち込むことにあるとさえ思えるのです。

****の仕事で全く首が回りません。21日の集会もぜひ参加したいのですが、難しいようです。すいません。(9月19日)

サイトでの公開ですが、もちろん結構です。
今日は、*****、Newsweekを読みましたが、全体として報復やむなしの論調です。一部、もろもろの報復手段の検討から、空爆、地上軍投入などの困難を指摘している、分析的なアメリカらしい記事があった程度です。日本では、なしくずし的に自衛隊の後方支援を当然とする雰囲気ができつつあるような気がします。(何の論議もなく!!)テレビも朝日新聞も、事実の追跡だけに止まり、日本はどのような選択をすべきか全く議論を提案しませんね。問題が大きすぎて、ただおろおろしているということでしょうか?非常に危険な情勢になってきたと思います。
(取り急ぎ、お返事まで)(9月20日)


高寺提案 私も参加します 志摩玲介 2001年9月21日

みなさんこんにちは。志摩です。

 「関西から緊急アッピール」にわたしも応えたいと思います。ただし、月末まで憲法問題に集中するので、いまはかんたんなことしか述べられませんが。

〈1〉「同時多発テロ」とその後の推移は、あたかも「戦争の世紀」=20世紀へ世界が投げ返されつつある点で「この間の連鎖」の側面をもちます。しかし、死者6000名にのぼる無差別テロを絶対支持しない立場から「全世界を獲得する」運動を新構築する必要があり、その意味で「物事の始まり」の一契機にしていかなくてはならないと、わたしはかんがえます。

〈2〉失墜した国家的威信の回復、それがアメリカ帝国主義による報復戦争の目的です。ブッシュ政権は、軍事報復(と米本土要塞化)をやらなければアメリカがアメリカでなくなる、という深刻な焦燥感にかられているのです。けれども、報復がさらなる報復をよぶことは歴史の峻厳な教訓です。わたしは、「21世紀の新しい戦争」NO! 21世紀の新しい平和創造をめざそう! と主張します。

〈3〉同盟国は、軍事行動への参加(集団的自衛権の行使)のいかんを問わず、米帝主導の「新十字軍」にくみこまれつつあります。無差別テロにたいして、(市民)社会は自己防衛の正当な権利を有することはいうまでもありません。とはいえ、社会的対立・紛争(階級、民族、宗教その他)を解決し、未来の希望を提示できる労働者・市民の自治能力が発展しなければ、「国際テロリズム」による絶望的な戦術の温床をなくしていくことはできません。特定諸国による自衛権行使の先走りは事態を悪化させるだけであり、むしろアラブ諸国や中国の要求する「国連主導の政治的解決」に一定の妥当性があると思います。

〈4〉イスラエルによるPFLP議長暗殺、および米帝によるその容認などは、中東和平に逆行するものであり、許されるべくもありません。しかしそれをもって今回のテロを正当化する理由にはできません。なぜなら、アラブ・パレスチナ解放への「北側」労働者・市民の支援・連帯をさまたげる役割を、あの無差別テロがはたしたからです。米国ですでにイスラム教徒3人がリンチ殺害された事実は、ブッシュの排外主義的煽動にだけ責任を帰すわけにはいかないのです。

〈5〉イスラム原理主義への評価は必要ですが、神学論争におちいらないためには、テロ実行グループ−支援国家と目されている人びとの理念や政策への政治評価と結びつける必要があると思います。情報不足で断片的になりますが、実行グループを主導したといわれるビンラディンのアルカイダ・アルジハード(本年6月統合)は、反帝闘争ではなく、手段をえらばない反米闘争を自己目的化した集団のようにみえます。アフガニスタンのタリバン政権は、女性の教育・就労を否定する政策を実行しており、この点で支持できません。いずれからも、かつてのポル・ポト派にも似た誤った思想体質を感じます。

〈6〉米軍を中軸とした多国籍軍によるアフガン(イラクも?)軍事侵攻が切迫しており、プロレタリア国際主義−世界市民連帯の立場から、あらゆる軍事報復に反対する反戦運動をつくりだす必要があります。日本では、自衛艦の「後方支援」投入など、小泉政権の対米同調(追従)外交に反対し、日米安保−有事法制−改憲策動との対決が問われます。

 自分でやる用意がないのにいうのも恐縮ですが、情勢の動向をめぐる諸情報をこの討論の参加者に配給してくれる人はだれかいないでしょうか? つまり、米軍−多国籍軍、タリバン軍、米本土、日本国内(権力側と運動側)、国連など、分野別の動向を数日ないし一週間単位で情報収集整理をする作業です。べつの信頼度の高いサイトがでてくれば、そことリンク可能にするだけでもよいのですが。


9・11特攻テロ 「報復」ではなく<反省>を ―― 「イスラエルの無法」容認の巨大な代償 村岡 到

 【以下は、村岡到さんの個人紙「稲妻」第338号=2001年10月1日号1面の論文です。「ぜひご意見・批判を寄せてください。」とのことです。9月22日受信】

 2001年9月11日、この日は、1945年8月6日以上に深刻な意味を人類の歴史に刻印することになるだろう。アメリカ経済の象徴といえるニューヨークの世界貿易センターと、アメリカ軍事の中枢ペンタゴン(国防総省)が、ハイジャックした旅客機を激突させる特攻テロによって攻撃された。110階420メートルのツインビルは完全に倒壊し、死者は数千人に及ぶだろう。瓦礫を片づけるだけでも数ヶ月を要する。
 信じがたい特攻テロの映像は、リアルタイムで全世界で放映され、強烈な印象でかつてない巨大な衝撃を与えた。アメリカは即日、「連邦非常態勢」に入った。全米で飛行機の離発着が禁止され(飛行機は広大な国土をもつアメリカの輸送手段の主軸であり1日6000便が経済の動脈となっている)、世界の投資資金の3分の2を扱う金融市場は封鎖され、プロ野球も試合を中止し、全米は機能麻痺状態にたたき込まれた。1941年の「パールハーバー以来だ」と叫ばれ、ブッシュ大統領は、翌日には「これはテロを超えた戦争行為だ」と声明し、軍事的報復の準備に着手した。
 これだけ巨大な出来事であれば、その影響もその意味も簡単に解き明かすことはできない。直撃されたアメリカ経済、ひいては世界経済はいかなる打撃を受けたのか。世界同時不況が進行するなかで、そのマイナスの影響は計り知れないと言える。軍事行動というレベルでは国家対国家という枠を超えた「新しい戦争」の意味を考えなくてはならない。また、この惨劇を直接にあるいは映像で間接的に体験した人間の記憶と精神にどのような心理的トラウマを残すことになるのか、回答を用意している者はいない。この世がかくも不安定ではかないものであると知ったからには、もはや真面目に生きる意味はないと思うようになった少年も少なくないかも知れない。あるいは、何かの課題に打ち込んで生きる意味を見いだしている人間にとって、たじろいでその意味を問い返す契機になる場合もあるであろう。地球の最後を予感することはないが、さまざまに深刻な問題を投げかけたことは疑いない。「日本人救出の数」だけを過大に報道するマスコミの質の低さは目にあまるものがある。
 他方、小泉政権は、アメリカの軍事的報復に呼応して、自衛隊の海外派遣を強行しようとしている(この危険な動向については左翼的世界では強調されているので、ここでは取り上げない。内陸の山岳に位置するアフガンへの軍事的報復は、イスラム世界を敵にまわし、ベトナム戦争の再現となるであろう)。

 テロと大量殺戮反対を共通の道徳に

 第二次大戦末期の日本軍の特攻隊を想起させる自爆テロ、しかも奪った旅客機を爆弾代わりに活用する、この行動はこれまでのハイジャックをはるかに超える質を示した(国際テロ事件は昨年、世界で423件発生し、1196人が死傷している)。人間の生命をここまで軽んじる思考が、政治的目的に結びついて実行にまで転化すると、現代社会は防衛できないことを衝撃的に明らかにした。ミサイル防衛だのエシュロンだのでも対抗できない。アメリカが先頭に立って開発した電子技術がテロ・ネットワークに活用され破壊力と化した。幸いにして今回は原発への攻撃はなかったようであるが、原発にたいして同様な特攻テロが敢行されれば、原爆が投下されたのとまったく同様の惨劇を招くことは明らかである。また、ナノテクノロジーの開発(殺人手段の簡便化)や生物兵器の危険性も増大している。現代の文明は、自らが創り出してきた巨大な可能性と背中合わせに人類の存在そのものを危機にさらしている。したがって、科学技術の飛躍的な発展に見合う社会の道徳的向上を急務としている。国際的テロ組織を想定しなくても、都市の水源になっているダムに猛毒を投棄すれば、地獄絵が現出する。すでに私たちは、1995年にオウム真理教によるサリン事件を経験している。
 私たちは、このサリン事件の直後に「<社会の存続>と『結社の自由』」と題する論文を提起した。「大量殺戮手段の開発」の主体は従来は国家であったが、「この条件が突破された」ことに注意を喚起し、「この重大な変化は、その社会にまったく新しい道徳的基準が必要であることを提起している」と明らかにした。その内実は「大量殺戮手段を開発・製造することを主張したり実行する組織は、憲法第21条の『結社の自由』の埒外にあるものとして『禁圧』する」というものである(拙著『社会主義へのオルタナティブ』ロゴス社、参照)。サリン事件がテーマだったので、憲法を引いたが、国際法としても適用可能である。旅客機はもちろんテロリストが製造したわけではないが、旅客機を大量殺戮の手段に活用したのはテロリストである。したがって、今回の行為もこの新しい道徳的基準に照らして、断じて許すことができない。
 だが、テロを許さないことは、テロリストへの軍事的報復を意味するのか。そうではない! 軍事的報復は新たなテロを誘発するだけである。このことを理解するのは難しいことではない。この悪循環には多くの人びとが気づいている。
 アメリカでは星条旗の洪水のなかで「愛国心」がかき立てられ、ブッシュによる軍事的報復への支持が優勢ではあるが、他方では「武力行使には犯行責任者の解明が必要である」とする世論も81%となっている。アメリカ・緑の党の代表は「無差別殺戮に反対」だと表明してデモ行進した。人気歌手マドンナは、14日にロサンゼルスで1万8000人の聴衆にむかって「暴力は新たな暴力を生み出すだけです」と語りかけた。
 佐渡龍己氏は、「怒りはテロリズムを助長する源である」と指摘し、組織から「離脱したテロリストが逃げ込める『逃れの町』制度を作ること」を提案しているが、きわめて重要である(「朝日新聞」9月16日、「私の視点」)。

 Vサインで歓喜する少年

 私たちは、「テロは許されない」を共通の道徳にしなければならない。しかし、そのためにこそ、なぜテロが起きるのかを考えなくてはならない。何事によらず、何か事件が発生すると、誰だってまず誰が起こしたのか、を問題にする。同時に、なぜ起きたのか、その背景は何か、を考える。ところが、今回の特攻テロについては、誰がについては「オサマ・ビンラディン氏らのテロリストではないか」と推測・宣伝されているが、<背景は何か>についてはほとんど語らない。「どんな理由があろうとも」(「テロは許されない」)という形で、思考は遮断されてしまう。テロの背景を考えることは、テロを容認することになるなどという阿呆としか言いようがない発言をくりかえすニュース・キャスターもいる。
 その背景の一端は、断片的ながらすぐにテレビの映像となった。エルサレムでは、特攻テロの直後に、街頭で快哉を叫ぶデモが起き、10歳位の少年がVサインで歓喜している。彼の友達や両親はイスラエルの銃弾に倒れたのかもしれない。そこでは失業者は5割をこえ、1日2ドルの生活を強制されている。この1年間にパレスチナ人は600人もイスラエルによって殺害されている。イスラエルの侵略とこの貧困を基礎に、少なくない青年が、それも高い教育を受けた青年ほど「ジハード=聖戦」にわが身を捧げる殉教の道を選択している。彼らは希望もなく出口を塞がれ、天国での神の慈悲だけが救いだと信じている。馬鹿な錯覚だとせせら笑うことによっては、この現実をなくすことはできない。ましてや爆撃によって彼らの生命と生活を奪うことは、彼らの絶望と「確信」を増殖するだけである。パレスチナ問題について、これまで正面から認識してこなかった私には、この問題について語る用意はないが、私のこのような怠慢も含めて、この機会にパレスチナ問題やイスラム文化について認識を深める努力をしなければならない。イスラエルによる度重なる国連決議を無視した侵略を放置していることの代償はかくも巨大だということである。
 焦点の人ビンラディン氏の皮肉な軌跡も再思三考に値する。55の国家・地域の軍事組織を結ぶ国際イスラム戦線を統率する彼は、1979年のソ連邦によるアフガニスタン侵攻に反撃するゲリラに身を投じ、アメリカの援助を受けて育成されたのに、10年前の湾岸戦争において、アメリカ軍が聖地メッカのあるサウジアラビアに駐留しつづけることを契機にして反アメリカ帝国主義へと転身した。アフガニスタンはソ連邦によってもアメリカによっても支配することはできず、今やイスラム原理主義のタリバーンが実効支配している。

 「自由」よりも<平等>を

 ブッシュをはじめすべてのマスコミは「自由と民主主義を守れ」と叫ぶ。そこに欠落しているのは<平等>である。私たちは、たったいま、5割の失業者と1日2ドルの生活の極貧状態を知り、同時に都会の利便を最高に享受する「豊かな生活」を知っている。ここにある巨大な落差を放置しておいてよいのだろうか。<平等>の視点はそこに目が向くことを教えてくれるが、「自由と民主主義」の強調はむしろ目を塞ぐ作用を果たしている。
 周知のように1789年のフランス大革命の標語は「自由・平等・友愛」であった。<平等>はどこへ行ったのか。いうまでもなく<平等>とは何か、と問えばどんな賢人もすぐには答えられない。そんな曖昧なものは意味がないと捨てる者に、重ねて問う。では「自由」とは何かなら明確な答を用意しているのか。いずれも難問であるにもかかわらず、「自由」はかまびすしく発せられ、<平等>は嫌われていることに気づくなら、私たちは一歩だけ真理に近づくことになる。<平等>論については、いずれ真正面からテーマにして解明したいと考えているが、結論だけ示すと、<生産手段の私的所有>という<不平等>の根源を問題にすることを避けなければいけないとする制動こそが、<平等>を回避する最奥の根拠なのである。そんなことを考えると、あの「社会主義」に接近してしまうと恐れて(正確には誤解して)、あるいは恐れ(誤解)させられているからである。いかなるイデオロギーからも自由に思考し、<平等を志向する>私たちは、<生産手段の私的所有>を揚棄するとはいかなることなのかを歴史の経験に照らして深く探究することこそが、なお依然として人類の課題だと考えている。そして、私たちは何一つ新しく気づいていないというわけではない。<所有から占有へ>が21世紀以降の人類が進む道であり、このレベルで<社会主義>を特徴づけるなら<生産手段の連帯占有>の実現と表現することができる(拙著『連帯社会主義への政治理論』五月書房、参照)。

 日本共産党の主張の意義と限界

 日本共産党は、事件の1週間後に、不破哲三議長と志位和夫委員長による各国政府への書簡を発表した。その趣旨は、「テロ根絶のためには、軍事力による報復でなく、法にもとづく裁きを」というこの書簡の標題が明示している。後に指摘する1点が見事に欠落していることだけが弱点ではあるが、その主張は基本的に正しく、私たちも支持する。事件翌日に開催された国連安保理事会での決議1368を引用し、国際的諸協定や1988年のパンアメリカン機爆破・墜落事件の事例――「リビア政府が容疑者とされた2人の人物の引き渡しに応じ」た――も引きながら、「国連憲章と国際法にもとづ」く対応の必要性を強調している。市民運動のなかでは「報復ではなく、平和的解決を」と主張されているが、国際問題の「平和的解決」のもっとも主要な形態は「国連憲章と国際法にもとづ」く対応に他ならない。後者に言及しないで、ただ「平和的解決を」と主張するのは空論にすぎない。「純粋法学」の創始者ハンス・ケルゼンが明確にしているように、「法というものは、平和を促進するための秩序である」。法(律)に嫌悪感をいだきながら、平和を創造することはできない。
 なお、<則法革命>を主張している私たちにとって関心をひくのは、この書簡が「法にもとづく裁判による犯罪の処罰は、人類の生み出した英知の一つです」と明確にしている点である。恐らく、共産党の文献のなかでこの点が明言されたのは初めてであろう。「法律は支配階級の意志を貫く道具である」と考えてきたマルクス主義の主要な教条を放棄することを意味する。法や法律や裁判についての、これまでの共産党の理解がどのようなものだったのか、その認識を変更するのか、明確にしなければならない。
 共産党の書簡で欠落している1点とは何か。今回のテロの背景にまったく触れないことである。私たちは、Vサインで歓喜する少年の存在を直視することが不可欠であると強調したが、共産党はまさにこの現実を直視することを避けている。

 怒りと悲しみを超えて、人間が立ち戻るべきは、人間と郷土への愛であり、他の集団や異邦や異文化との平等を志向することこそが、社会を防衛し、自由と可能性を享受する条件なのである。「報復」ではなく、<反省>を!


共産主義者同盟首都圏委員会の「声明」 9月25日

米帝・ブッシュ政権による「対テロ報復」に名を借りた、新たな戦争策動を許すな!
反米テロリズムによる無差別攻撃ではなく、労働者階級被抑圧人民の国際主義的連帯を!

 九月一一日午前九時頃(現地時間)、ニュー・ヨークの世界貿易センタービル(ツイン・タワー・ビル)に相次いで二機の旅客機が激突し、二棟の同ビルは、数千人規模といわれる死傷者を出して瓦解崩落した。これに巻き込まれた同じブロック内のビル数棟も同様に崩壊したという。世界的な富と繁栄、世界経済の金融的支配の象徴は、文字どおり廃墟になった。またほぼ同時に、ワシントンの国防総省ビル(ペンタゴン)にも旅客機が突入し、同ビルは大破し、二〇〇人もの死者が出たという。米国軍事力の司令部、世界に君臨する軍事支配の象徴は大きく傷ついた。更に一〇時ごろには、ピッツバーグ南東でやはり旅客機が墜落した。同機は、米国大統領専用別荘、キャンプ・デービット、あるいはホワイトハウスをめざしていたなどとも言われている。前者は言うまでもなくしばしばパレスチナ和平会談の舞台とされてきた。いずれの旅客機もハイ・ジャックされたものと見られ、その乗客乗員の生命はすべて絶望的とされている。
 これらの前代未聞の事件は、ほぼ同時にハイ・ジャックを行った人々の意思によるものと考えられるが、いまだそのその当事者の主張は示されていない。事件の反米的性格、自殺攻撃、メッセージを伴わない軍事行動などという特徴から、米国当局者および、マスメディアは、九三年同貿易センター・ビル爆破事件、九六年サウジアラビア米軍住宅爆破事件、九八年タンザニア・ケニア米大使館爆破事件、昨年イエメン・アデン港での米イージス艦爆破事件と同様に、オサマ・ビン=ラディンが関与するものと決め付けている。だがこれはあまりにも実証性を欠いた独断であり、事態の正確な認識を損なうだけでなく、米国国民を反アラブ主義、人種主義にかりたてる悪質な反動的煽動である。
 他方、今回の事件は、状況証拠的には、米帝国主義の経済、軍事、政治の中枢を申し分なく的確に目標とした軍事的攻撃であったにもかかわらず、そこにはどのような政治的メッセージも伴っていない。ここから想定されるのは、今回の攻撃者たちが、米帝国主義との政治的軍事的敵対性をいわば自明のものとして認識している集団であることであり、さらに政治的メッセージを伝達すべき他者を必要としない、あるいは考慮に入れていないということであろう。そうであれば認識を共有する自らの集団以外の他者はすべて「敵」とされることにもなりかねない。これはこの攻撃者集団が、宗教的カルト性を強くおびていることを推測させる。その反米主義についてはその背景にかかわって検討の必要がある。だが、推測が許されるのはせいぜいここまでであろう。
 米帝国主義のグローバリズムや、親シオニズムへの敵対行動であることについては、蓋然的には想定しうるが、確定する根拠は何もない。米国における排外主義、愛国主義の高揚に乗じて、政府当局者が行う、フレームアップやでっち上げに十分警戒しなければならない。マスメディアが、ろくに独自の調査もせず、この一方的報道をほぼ鵜呑みにして情報を撒き散らしているのは、恐るべきことである。すでに反アラブ主義、人種主義的な暴力事件が米国内外で多数発生していることが報道されている。
 従って現状では、この悲劇についての、米帝ブッシュのコメントだけが政治的に検討しうる言説である。ブッシュは、同日の最初の声明で、可能な限り米国の愛国主義、民族主義の発揚を煽動した。翌一二日の二回目のメッセージでは、この事件を「戦争」と規定し、自国の戒厳状態と戦争動員とを正当化するとともに、世界に対して、自ら、他国の国家主権を踏みにじることの正統化を要求した。これは直ちにわが国を含む世界中の帝国主義諸国の同意を得るところとなった。以後、米帝国主義と、これに追随する諸大国はわが国を含めて、戦争準備の道をひた走っている。この先に見えるのは、オサマ・ビン=ラディンの滞在先とされる、アフガニスタンへの大規模な軍事攻撃と侵攻である。これは、中東および、南アジアのきわめて不安定な政治的均衡を大きく破壊し、更に大きな戦争を誘発しかねない、重大な軍事的冒険である。本紙が発行される時点ではもはやこの侵略戦争は実際のものとなっているかもしれないが、この新たな米帝国主義の戦争策動を許してはならない。あらゆる大衆的反戦行動の手段に訴えて、戦争発動阻止に全力を尽くそう。
 今回の事件は、世界的覇権国家・米国の支配体制がけっして磐石ではないことを満天下に示した。ブッシュの強がりにもかかわらず、米国の政治・軍事・経済の屋台骨は大きく揺るがされたのである。ブッシュのMD計画は、根本から見直しが要求されている。この間のブッシュ外交に顕著な、ユニラテラリズム(単独行動主義)の破綻は、ますます明らかなものとなった。世界的金融センターの物理的壊滅は、米国経済、ひいては世界経済の全面的な後退の趨勢を一層明確なものにしつつある。資本主義の弔鐘は再び鳴りはじめている。戦争景気が息継ぎを与えることはあるかもしれないが事態の趨勢は変わらない。この情況への準備を急がなければならない。
 同時に、今回の事件に現れた、現代世界の歪みをただし、全世界の労働者階級人民の公正な世界秩序へと組みなおすための、国際主義的実践が問われていることを強調しなければならない。資本のグローバリゼーションと米帝国主義の単独世界覇権は、世界的規模での貧困、抑圧、差別、悲惨を一層拡大し、更に深々と構造化された暴力=新たな「世界無秩序」をもたらした。テロリズムの蔓延は昔も今も共産主義運動の立ち遅れへの罰である。この情況を一新する、プロレタリア国際主義の実践と、国際人民連帯の秩序が求められている。また資本の世界的運動に導かれて、帝国主義諸大国は、国民国家における個別の国家主権さえ打ち砕いて、人民抑圧・戦争挑発の軍事行動に乗り出している。この帝国主義諸列強の戦争に抗する闘いの中で、地球人口の圧倒的多数を占める被抑圧諸民族人民の自決権を擁護し、長期にわたる友誼の蓄積の中で、階級的な連帯と融合を実現する、プロレタリアートの国際的団結の力が実際に示されなければならない。
 プロレタリアートの国際主義的団結と力強い闘争が目に見える形で存在しないのならば、世界資本主義の運動がもたらす貧困と悲惨に耐え、人々に生きて闘い続けるための希望を示すことはできない。世界人民多数の一人一人の、幾重にも胸に畳み込まれた屈辱や困窮の体験や感情が、特定の宗教の精神的支配やこれに結びついた民族排外主義の感情による憎悪の行動に帰結するなら、世界人民の将来は決して幸福なものにはならない。国際的帝国主義支配秩序と闘う、こんにちの労働者階級人民のインターナショナリズムの復権とその実践が切に求められている。
 この事件のあおりを受けて、わが国株式市場は、あっという間に一万円の大台を割り込んだ。先の見えない大不況に突入している日本経済は、更に泥沼に踏み込みつつある。そうであればこそ労働者階級、被抑圧民族人民、被差別大衆の連帯と団結が求められる。貧しい人々、虐げられた人々の団結と闘争だけがこの社会の行き詰まりを打ち破る。
 最後にわが国支配階級の、この事件に便乗した、米帝にこびへつらう、戦争協力、有事体制作りの小ざかしい策動を指摘しておく必要がある。防衛庁は「周辺事態法」の拡大解釈による、米軍支援策の検討をはじめ、それが難しいことがわかると今度は、政府が、「米軍支援=戦争協力新法」制定策動を目論んでいる。「自衛隊法」改悪も国会上程の予定という。世界的な貧困と悲惨は、その原因そのものの一掃、つまり資本主義の廃絶によってしか解決されることはない。軍事的手段によって秩序からの逸脱や反逆を押さえ込めると考えるのは、最もおろかな選択である。更に、このおろかな選択に唯々諾々と追随するのは、もはや救いがたい行動といわなければならない。小泉連立政権の戦争協力、戦争参加を許してはならない。
 事態は急迫している。最大の努力で職場、地域、学園に政治工作を打ち込み、緊急の諸反戦行動に全力で立ち上がれ!ともに闘おう。


9月24日の反戦デモ・集会に参加して 菊地里子 9月28日

先日24日の代々木公園での集会に下の娘を連れて参加しました。学校でも戦争について取り上げているので戦争は恐ろしくていやだという気持ちはしっかりあります。
(みんなおんなじだと思うケドナー)
 印象は、とにかくいろんな年代、いろんな人が参加しててアメリカの報復戦争に反対する人たちが多くいると言うことでした。労組、市民の会、女の会、学生、その他…。1200という参加者数がデモ行進の後1800人に訂正されました。サイバーアクションのいずみチャンがネット運動のことを壇上で呼びかけていました。社労党の人が米帝国主義批判のビラをまいていました。次回10月7日(日)同じ場所で集会ということだったと思います。もちろんそれ以外の行動もあります。
 同夜TVニュースでチョコット映し出されていましたが、犠牲者に黙祷を捧げてテロに対する抗議集会・平和の為のデモみたいに報道されてて、アメリカの軍事行動への反対であるということは意図的に隠されていました。事実の歪曲・デマの報道操作を実感しました。

【編集者訂正:次回10月7日(日)同じ場所で集会 → 次回10月7日(日)宮下公園で集会 詳しくは、反戦ネットワークの行動などの情報 (2001年10月) http://flag.blackened.net/apfj/anti_war/information/200110.html をご参照下さい】


●『Workers』211号にテロと戦争関係の記事 阿部治正 9月29日

 『Workers』のホームページに、テロと戦争関係の記事だけを先にアップしておきました。
 是非ご覧になって下さい。 

 10月7日の宮下公園での集会に、私は参加します。21日に参加したアメリカ大使館前行動と同様、*******。211号を参考にしてビラつくり、持っていくことも考えています。***コムの相談会でも、反戦行動について話し合えればと思います。

URL http://www.workers-net.org

テロを育んだのはアメリカ自身だ
    報復は報復を呼ぶだけ
       戦争参加・戦争協力を許すな!(ワーカーズ・ネット  阿部治正)
「覇権」と「利権」めあて
    戦争と「国家テロ」――米国の半世紀(ワーカーズ 広)
対米協力の陰で進む軍拡(ワーカーズ 広)


部落解放同盟中央本部へのMAIL 津村 洋 9月29日

こんにちは。日々の活動ご苦労様です。
部落解放運動のごくささやかな実務を援助するものとして、
かつ毎号の「解放新聞」の読者として、以下
率直に疑問を投げかけさせていただきます。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

最新の「解放新聞」(2037号、2001年9月24日)の三面の、「うの眼 たかの目」欄に、「理解するが支持しない」(K)として、9月11日の同時多発・自爆道連れテロについての記事があり、正直、心底びーーーーーーーーーーーーっくりしてしまいました。なぜなら、その書き込みは以下のように始まるからです。

「世界の貧者と弱者は、世界貿易センタービル(WTC)と、米国防省にたいする自爆テロに、喝采をあげ、歓喜した。かくいうわたしも、明け方までテレビにかじりつき歓喜をあげつづけた。WTCは、アメリカが主導し、G7が仕切るグローバリズムのメッカである。世界経済を米とG7が自由に動かし、貧しい国と、その民から徹底的に搾取し、収奪する市場原理主義の聖地にほかならない。だから世界の貧者は、WTCビルの崩壊に喝采をあげた。・・・」

第一に、Kさんの書き込みの後半部分には大半賛成であり、アメリカ帝国主義の横暴・国家的テロルをまず非難すべきだという立場に大いに共感します。が、なぜ無差別テロルを正面きって批判せず、多大な犠牲者に追悼の意を表明しないのか、不思議でなりません。なぜなら、「グローバリズムのメッカ」にこそ差別構造が典型的に露出するのであって、二重・多重の差別構造のもとで、そこで清掃や雑役で働く下層労働者たちもまるごと一瞬に有無をいわさず抹殺するテロルになぜ被差別者として喝采を送るのでしょうか?

第二に、あらゆる差別・抑圧に一貫して反対する見地からは、大量の無差別テロルに喝采し、歓喜する評価も、感性も理解しがたいです。抑圧し差別する側がいかに卑劣であっても、それを批判する側が相手を超える積極性、展望としてのモラルをもてなければ、説得力はないと思います。

第三に、世界の貧者と弱者が喝采をあげ、歓喜した・・・という一般化は事実としても正しくもないし、危険だと考えます。実際、あの9月11日の衝撃的な事件直後から、パレスチナの民全体がテロルに喝采・歓喜しているかのごとき意図的な報道がなされました。十年前の湾岸戦争時の情報統制、アメリカ側からの勧善懲悪の意図的なキャンペーンと同様な事態が今起きています。

 以上の点はさておき、「解放新聞」がその主張に反する異質な個人見解を公開されたことに敬意を評します。個々人の意見表明を尊重する人権・民主主義感覚におおいに期待しております。Kさんとの率直な議論・有意義な論争を期待して。

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津村 洋
Hiroshi Tsumura
参照:反戦ネット:http://flag.blackened.net/apfj/anti_war/


テロの目的 菊地里子 10月01日

 今回の米国への同時テロ事件で理解したいと思うことは、その目的は何かということです。テロは中には感情的なものもあるかもしれません。でも今回の自爆テロは、単にアメリカへの復讐心とかいうものではないと思います。この多くの死傷者を出した貿易センタービル、ペンタゴンへの自分の命を賭けた突入は周到に計画されたものだと思います。一般の市民・労働者を巻き添えにしてでも、アメリカの外交的・経済的・政治的力を弱めるために断行した行為だと思います。このようなテロを行ったことで、イスラム教徒たちから犯罪者のレッテルを貼られても、イスラム世界をアメリカから守るために決行したのだと思います。このテロの目的は、アメリカに戦争をさせるために実行されたものだと思います。そして、米の報復戦争は今日の世界経済や国際関係の状況、反米感情によって阻止され、アメリカの政治的力は急速に弱められるだろうとの確信の下で行われたのだと思います。例え軍事的報復、あるいはビンラディン氏が逮捕されても米帝は敗北するだろうというシナリオがあると思います。米帝の世界支配の野望を打ち砕き、イスラム世界を守るために計画され実行されたものだと私は思っています。


「特攻テロ」に<平等>の視点を 村岡到 10月05日

オルタ・フォーラムQの『QUEST』第16号(10月末発行)に掲載予定のものです。2000字ですからすぐに一読できます。

 2001年9月11日、この日は、1945年8月6日以上に深刻な意味を人類の歴史に刻印することになるだろう。アメリカ経済の象徴といえるニューヨークの世界貿易センターと、アメリカ軍事の中枢ペンタゴン(国防総省)が、ハイジャックした旅客機を激突させる特攻テロによって攻撃された。信じがたい特攻テロの映像は、リアルタイムで全世界で放映され、強烈な印象でかつてない巨大な衝撃を与えた。
 これだけ巨大な出来事であれば、その影響もその意味も簡単に解き明かすことはできない。直撃されたアメリカ経済、ひいては世界経済はいかなる打撃を受けたのか。世界同時不況が進行するなかで、そのマイナスの影響は計り知れない。軍事行動というレベルでは国家対国家という枠を超えた「新しい戦争」の意味を考えなくてはならない。また、この惨劇を直接にあるいは映像で間接的に体験した人間の記憶と精神にどのような心理的トラウマを残すことになるのか、回答を用意している者はいない。
 他方、小泉政権は、アメリカの軍事的報復に呼応して、自衛隊の海外派遣を強行しようとしている。最貧国のアフガニスタンは、平均寿命が45歳、今年の干ばつで50万人の餓死者が予測されている。内陸の山岳に位置するアフガニスタンへの軍事的報復は、イスラム世界を敵にまわし、アメリカが敗退したベトナム戦争の再現となるであろう。
 第二次大戦末期の日本軍の特攻隊を想起させる自爆テロ、しかも奪った旅客機を爆弾代わりに活用する、この行動はこれまでのハイジャックをはるかに超える質を示した。人間の生命をここまで軽んじる思考が、政治的目的に結びついて実行にまで転化すると、現代社会は防衛できないことを衝撃的に明らかにした。ミサイル防衛だのエシュロンだのでも対抗できない。アメリカが先頭に立って開発した電子技術がテロ・ネットワークに活用され破壊力と化した。幸いにして今回は原発への攻撃はなかったようであるが、原発にたいして同様な特攻テロが敢行されれば、原爆が投下されたのとまったく同様の惨劇を招くことは明らかである。また、ナノテクノロジーの開発(殺人手段の簡便化)や生物兵器の危険性も増大している。現代の文明は、自らが創り出してきた巨大な可能性と背中合わせに人類の存在そのものを危機にさらしている。したがって、科学技術の飛躍的な発展に見合う社会の道徳的向上を急務としている。その内実は、大量殺戮手段を開発・製造することを主張したり実行する組織は、憲法第21条の「結社の自由」の埒外にあるものとして「禁圧」することである。
 だが、テロを許さないことは、テロリストへの軍事的報復を意味するのか。そうではない! 軍事的報復は新たなテロを誘発するだけである。このことを理解するのは難しいことではない。この悪循環には多くの人びとが気づいている。佐渡龍己氏は、「怒りはテロリズムを助長する源である」と指摘し、組織から「離脱したテロリストが逃げ込める『逃れの町』制度を作ること」を提案している(「朝日新聞」9月16日、「私の視点」)。
 私たちは、「テロは許されない」を共通の道徳にしなければならない。しかし、そのためにこそ、なぜテロが起きるのかを考えなくてはならない。その背景の一端は、断片的ながらすぐにテレビの映像となった。エルサレムでは、特攻テロの直後に、街頭で快哉を叫ぶデモが起き、10歳位の少年がVサインで歓喜している。彼の友達や両親はイスラエルの銃弾に倒れたのかもしれない。そこでは失業者は5割をこえ、1日2ドルの生活を強制されている。この1年間にパレスチナ人は600人もイスラエルによって殺害されている。イスラエルの侵略とこの貧困を基礎に、少なくない青年が、それも高い教育を受けた青年ほど「ジハード=聖戦」にわが身を捧げる殉教の道を選択している。彼らは希望もなく出口を塞がれ、天国での神の慈悲だけが救いだと信じている。爆撃によって彼らの生命と生活を奪うことは、彼らの絶望と「確信」を増殖するだけである。イスラエルによる度重なる国連決議を無視した侵略を放置している
ことの代償はかくも巨大だということである。
 ブッシュをはじめすべてのマスコミは「自由と民主主義を守れ」と叫ぶ。そこに欠落しているのは<平等>である。周知のように1789年のフランス大革命の標語は「自由・平等・友愛」であった。<平等>はどこへ行ったのか。この特攻テロへの多くの論評のなかで<平等>の視点から論じたものはないようである。
 日本共産党は、事件の1週間後に、不破哲三議長と志位和夫委員長による各国政府への書簡を発表した。その趣旨は、「テロ根絶のためには、軍事力による報復でなく、法にもとづく裁きを」というこの書簡の標題が明示している。テロの背景にまったく触れないことは決定的限界であるが、その主張は基本的に正しく、私たちも支持する。「報復ではなく、平和的解決を」という主張があるが、国際問題の「平和的解決」のもっとも主要な形態は「国連憲章と国際法にもとづ」く対応に他ならない。後者に言及しないで、ただ「平和的解決を」と主張するのは空論にすぎない。
 怒りと悲しみを超えて、人間が立ち戻るべきは、人間と郷土への愛である。他の集団や異邦や異文化との平等を志向することこそが、社会を防衛し、自由と可能性を享受する条件なのである。「報復」ではなく、<反省>と法による裁きを!

以下はついでに、
 この「事件」の名称について。「米同時多発テロ」がもっとも多いようですが、私は「同時多発」よりも<特攻>的というところに焦点を当てたいと考えます。普段、マスコミの流されてはいけないと言っている人が、マスコミの命名を反復するのはな
ぜでしょう。
 もう一つ。「テロは戦争ではない」という主張する人がいますが、そんなことは当然です。問題は、今度の「事件」あるいは「事態」を「テロ」と見るか「戦争」と見るか、それとも新しい言葉で表現すべきかという点にあります。


「特攻テロ」の呼称について 村岡到 10月06日

 私が書いた「特攻テロ」についての論評について、掲載紙稲妻」の読者から、全体の論旨には共鳴するが、ただ1点、「特攻テロ」の呼称については異論があると、指摘されました。その理由は、「特攻」は日本帝国主義の国家権力による強制であるが、9・11の行動はだれがやったにせよ「自発的行動」だから、一緒にしてはいけない、というのです。
 まったく意味なしとは思いませんが、いわゆる「赤紙」で無理矢理招集された兵隊と「志願した」特攻とはやはり違いもあり、なお思案しています。いずれにしても「同時多発テロ」は、事態の特徴を外れた用語ではないでしょうか。「自爆テロ」「米中枢テロ」などというのもあります(後者はターゲットに着目)。社会的な出来事はさまざまに呼称され、やがて一番適切な言い方が残るとよいです。


10/8アフガニスタン空爆を糾弾する緊急声明 コム・ネット・21(仮称)

http://www.ne.jp/asahi/com/f/


Mさん(教育労働者)からのMAIL 10月10日

(略)

日本では、中高生が政治や状況について語る環境が、貧弱すぎる。それは多くの場合、学校(塾も)教師のあり方によるのだと思います。また、親の意識も大きいと思います。「政治の議論ができる学校より、受験指導に熱心な学校の方がいい」というのが、大方のところかと推測されます。家庭では結構しているかもしれないのに・・・。
戦争がついに始まってしまいました。テロへの怒り自体は理解できますが、空爆によって一般人の犠牲者がでないなんて、全く信用できません。喜んでいるのは、イスラム原理主義の好戦派だけでしょう。これで、「イスラム対欧米等」という構図の戦争に持ち込めるかもしれないと。パキスタンの反米デモなどは、その危険性を示唆していると思います。僕なりにあれこれ考えていますが、今必要なことは「戦争VS平和」という対抗軸のもとでの「平和主義」ではないかと思います。国際紛争を戦争によって解決しないという日本国憲法の先見性が光ります。NEWSWEEKなどを読むと、アメリカでは、報復に協力しない国は「友人」とはみなさないという論調が主流で、完全に脅しになっています。国内でも、安保体制を前提とした繁栄に固執する人(知識人・大衆を含めて)は、アメリカに追随することを当然と考えていると思います。そうではない選択肢を模索することが、全く発想されていないのです。だが、この戦争が泥沼化すれば、当然反戦論も高まってくると思います。今は、残念ながら少数派ですが、地道にがんばりましょう。


反戦闘争とラディカリズム メモ Ver.3 津村洋 10月12日 反戦ネットワーク掲示板(議論用)への書き込み

以下、整理しつつあることの箇条書き的提示として。

1、「テロにも報復戦争にも反対!! 市民緊急行動」は、結集するスペースとしてその広範な発展が必要。だが、この並列的なスローガンは、日本のような帝国主義的な抑圧国の労働者・市民が、その抑圧と自覚的に対決する意識の発展回路を押し留める。「かけはし」の見地はこの左派的な代表。

2、宗教や人種・民族を越えた世界的な労働者・被抑圧民族の国際的連帯を推進しようとするものにとって、9・11テロルを支持したり、容認・黙認することは、戦術問題としても、「宗教戦争」の評価としても間違っている。

3、左派は概して、テロルを市民的良識・道義から断罪するか、批判を避け・擁護するかいずれかの方向をとっており、そこで欠落しているのはイスラム原理主義と対峙し、乗り越えようとする批判意識である。つまり、イスラム原理主義にラディカルな左派としてどう向き合うのかがないのでは?

4、左派的に押し出そうとする部分は、テロル・テロリズムへの批判を避け、あるいは後景化させることで、帝国主義的な抑圧構造を暴露し被抑圧者の側に立つことを強調しようとしている。中核派は9・11テロルをなんとゲリラ戦と定義し、テロ批判を許さないという姿勢をとっている。そこまではいわない革マル派も、謀略論・代理戦争論や「被抑圧民族迎合主義」批判をどう総括したのか不明のまま、中核派とそっくりな(かつての革マル派ならきっと「反帝主義的偏向」と断罪された)政治的立場をとっている。また、「人民新聞」は、9・11攻撃支持を表明。

5、「風をよむ」が「共産主義運動の立ち遅れへの罰」としてテロリズムを捉え、その打開を課題としているたてかたは積極的。「烽火」は9・11犠牲者に哀悼の意を表明しつつその戦術を批判している。「火花」は「・・・イスラムのみが、人類のやり直しを実現する唯一の可能性になることすら有り得る。マルクス主義がそういう可能性を保持しているとは、今のところ言い難い。」とまで言い切っている。

6、ラディカルな左派にとって不可欠な問は、イスラムの民にとってなぜ階級闘争や社会主義・共産主義が反発され、原理主義が台頭し、全面に踊り出ているのか?この主体的な総括。民族的な迫害・抑圧は帝国主義の側だけでなく、社会主義の側にも存在したことに真剣に向き合うこと。

7、ラディカルであるとは、根源・原点に向っていくらでも大胆に立ち戻ること。ソ連のアフガニスタン侵攻やイラン革命の総括とかだけでなく、すくなくともロシア革命の時代、当初のソ連の実態にまでさかのぼってイスラムの民の革命を阻害してきた問題を掘り下げ、再考し、総括すること。その点で、白井朗さんの『二〇世紀の民族と革命』(社会評論社1999)は学び、検討するだけの意義がある。

8、こうした民族問題の再検討は、沖縄をめぐる自治、自決、反復帰、独立論をどう評価するかにつながる作業でもある。それはまた、ソ連でいえばボルシェビキ・左翼SL・アナキストたちが革命の坩堝で協働していた時代、日本でいえばアナ・ボル論争の時代にまで立ち戻って考えるくらいの話である。

9、日本におけるラディカルな左翼の再創造は、階級闘争が後景化し宗教戦争が前景に踊り出ている事態の転換をかけた試みであり、また、イスラムの民が原理主義を乗り越えて革命化する可能性と国際的に接合できるものでなければならない。


「テロ・暴力を肯定する方お断り」をめぐる議論を! 津村洋 10月13日/14日  反戦ネットワーク掲示板(議論用)への書き込み

反戦ネット交流板で、

[726] 社民党、とほほ、、、 投稿者: 赤い山女魚@静共闘 投稿日:2001/10/11(Thu) 21:46

を受けての、

[728] 懸念していることが、地方では 投稿者: ザーカイ 投稿日:2001/10/11(Thu) 23:28

の問題提起はとても重要なことだと思います。

昨日午後、偶然テレビ(4チャンネルだったかな?)でパキスタンの民族構成を説明している場面を目にしたら、フリップで二番目に多い民族パシュトゥーンの補足説明みたいな感じで「タンバリン」だって。笑い転げてしまいましたが、笑い事ではない。いかにいいかげんな情報操作であることか。また、ニューヨーク市長がサウジからの献金をつっかえした件でも、いっさいの批判を許さない傲慢さを感じます。

市民的反戦運動の側の「テロ・暴力を肯定する方お断り」には、もしまじめにこの言説を受け止めるならば、それと同様のいいかげんさや、傲慢さを感じないわけにはいきません。

で、少なくとも、たとえば「意見が相違・対立する相手に言論での争いではなく暴力・テロルを用いる人たちとは一線を画します」ってなら了解できるのですが。どうでしょうか?

曖昧な排除の論理は有害では? 津村洋 10月14日

 BORAさん、黒パンさんご意見、返信感謝です!以下、ごく簡単な返事です。

 第一に、黒パンさんのおっしゃる「主催者はD.CとN.Y.の「自爆」をいっているのは、間違いありません。」について、これはまったく違う解釈をしてました。それならあえて明記する必要はないでしょうし、主催者の意図として私は、革マル派、中核派、解放派などの「内ゲバ」的テロルを肯定する勢力への排除だと思っていました。もちろん、勝手な私の思い込みであればゴメン。少なくとも、私としては、曖昧な解釈を許す排除の論理は現下の反戦闘争の発展にとってよくないと考えます。
 第二に、日本人のエエコロカゲンな判断からして、日本に在住するイスラム、アラブ系の人びと、あるいはそうみなされてしまうインド、パキスタン、バングラディシュ、スリランカなどなど多くの人びとの参加を躊躇させるような基準は間違いだと思います。どのような民族、宗教の人であれ、たとえ反米的な暴力的・武装闘争を肯定する人であれ反戦闘争から有無を言わさず排除するのはおかしいです。9・11テロルについて相反する議論をめぐって論争すればいいわけで、あらかじめ排除するのは納得できません。
 第三に、あえて基準として持ち出すとすれば、見解・意見の異なる相手、対立する相手に議論・論争ではなく、テロル・暴力をふるまう、あるいはそれを肯定する「内ゲバ」的、カルト的勢力にはご遠慮願う(これもまた難しい問題を孕むんだけど)くらいでは?
 とりあえず以上。
 せめて「テロ・暴力を肯定する方お断り」という言説の不気味で気分の悪くなるような勧善懲悪的な排外主義的を危惧する程度のおおらかな感性ぐらいは、反戦闘争の側で持ち合わせたいと希望しております。


◎東京唯物論研究会への投稿 9・11特攻テロ評価の3つの分岐点 村岡 到 2001.10.14

 9・11特攻テロについては、すでに「『報復』ではなく<反省>を――『イスラエルの無法』容認の巨大な代償」を個人紙「稲妻」に書いた(2001年10月1日)。この衝撃的な事件の評価について3つの分岐点だけ指摘する。
 第1は、今では明白だと判断できる実行行為者たるオサマ・ビンラディンらにたいする制裁をいかにして実行するかについてである。法による裁き――今日的には国連あるいは特設の国際法廷による制裁をいかに困難であろうと追求・実現する必要がある。「報復戦争反対・平和解決を」という主張があるが、「平和解決」の今日的形態は国連あるいは特設の国際法廷による制裁以外にはありえない。後者に触れない「平和解決」は空論にすぎない。この点で、日本共産党の主張は正しい。法や国連を嫌うのはいわば左翼的、あるいはマルクス主義的残滓にすぎない。共産党の書簡が「法にもとづく裁判による犯罪の処罰は、人類の生み出した英知の一つです」と明確にしたのは画期的である。これは、「法律は支配階級の意志を貫く道具である」と考えてきたマルクス主義の主要な教条を放棄することを意味する。
 第2は、この特攻テロの背景、原因について深く反省することである。イスラム問題としても考えるべきだし、南北問題=世界的な貧富の巨大な格差としても考えなくてはならない。この点では、共産党は一貫して不明確である。中村哲医師とペシャワール会の活動が注目を浴びているが、誠に頭が下がる思いである(『QUEST』第16号に紹介)。
 第3は、<平等>の視点を貫くことの大切さである。ブッシュをはじめすべてのマスコミは「自由と民主主義を守れ」と叫ぶ。そこに欠落しているのは<平等>である。沢山の論評が発表されているが、<平等>の一語を発見するのは容易ではない。<平等>の視点を貫くことは、<社会主義への志向性>と切りはなしがたく結びついている。
 否定的な現状にただ反対するだけではなく、どうしたらそこから脱却できるのかについてこそ考え、行動しなくてはならない。


●『Workers』212号にアフガン戦争関係の記事 阿部治正 10月15日

ワーカーズネットのHP、とりあえずアフガン戦争関係の記事だけアップしておきました。
ご覧になって下さい。

海外派兵新法、戦争参加を許すな! 報復戦争はアフガン民衆を戦火と飢えで殺している 大国と周辺諸国は自国本位のアフガン介入をやめろ! (ワーカーズ・ネット 阿部治正
戦争参加の新法を許すな! 「10・27 テロにも戦争にも反対! 市民緊急行動」に参加して (ワーカーズ・ネット T)
テロか報復戦争か概念を明確にして議論しなければ対応を誤る (ワーカーズ S)


「報復反対、テロ用心」コールは? 津村洋 10月16日 反戦ネットワーク掲示板(議論用)への書き込み


 第1に、テロへの警戒、要人、対策として、そのことを口実として、実際に経済的にどれだけの影響があったのかどうかにかかわらず、企業の側の首切り、リストラが激しくなっており、政府もまたそことを口実として、有事法制、戦争遂行システムをやれるとこまでやってしまえ、って現状があり、そのことへの対抗が見えなくなるからです。
 第2に、庶民に取ってはぶっちゃけた話、火の用心ならかなりめいめいが対策できますが、テロ用心はある意味では具体的にどうしようもない、やりようのない面が大きいはずです。マジに、どう用心するの?です。テロへの警戒・用心は権力者の発想で、ムード的に庶民をそこに巻き込むプロパガンダでは?
 第3に、テロ用心ではなく、テロが発生する根源をどうするのか?抑圧的な側にいる私たちにとってこれが問題だと思います。アフガニスタンで侵略戦争によりライフラインが断たれ、病気と怪我と飢え、餓死に直面している膨大な人びとがおり、パレスチナ・アラブ・イスラムの民が一方的に抑圧・迫害・虐殺されている現実。貧富の格差が途方もなく拡大し、一方が他方を手前勝手にむちゃくちゃに痛めつけるグローバルなシステム。テロルへと走るこうした背景・誘因をなんとかしようと模索し、宗教や民族を超えた友愛を構想することが必要かと考えます。


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