腹が立つ程に晴れ渡った青空の上で、鬱陶しい陽光がこれでもかとばかりに存在を主張する。
ジリジリとした熱気が降り注ぎ、道行く人々の水分を容赦なく垂れ流させる。
ビルの立ち並ぶコンクリートジャングルに風は吹かず、ただひたすらに真夏の猛威を人々に思い知らせ、夏にしかその声を聞かせてくれない夏の虫……セミが耳障りなBGMを添える。
だが生真面目な日本のサラリーマン達はそれでもいつも通りの明朝出勤をする。
見渡す限り人、人、人。
右を見ても左を見ても人が歩いており、皆汗を垂れ流している。
なんと暑苦しいことか。
男……山田政人、39歳。
来年には四十代になり加齢臭の厳しいおっさんの仲間入りをしてしまう、妻子持ち男は思う。
ああ、何故俺はこんなクソ暑い中出社せねばならんのだ、と。
今日が休みならばどれだけよかったか、と、この真夏の朝はいつも思う。
いっそ仮病でも使って欠勤し、扇風機の前で麦茶を飲んでいたい。
ああ、あのコンビニなど涼しそうだ。
冷房の効いた図書館で一日本を読んでいるなどどうだろう。
そんな誘惑がいくつも頭を過ぎり、頭を振って打ち消す。
だが暑さにやられた頭は現実逃避を止めようとはしない。
そういえば年下の同僚に最近進められた二次創作、というものがあった。
あまり興味もなく、休憩時間に進められて流し読みした程度だが内容はなんとなく覚えている。
確か、何の特徴もない現代日本の若者がトラックにはねられてあの世に逝き、神様に漫画の世界に送ってもらう話だった。
漫画の名前は……確か魔法先生玉葱……だったか?
いや、魔法生徒会ネギ、だった気もするし魔法少女リリカルネギ、だった気もする。
まあどちらにせよ幼い頃に見たサリーちゃんやアッコちゃんと似たようなものだろう。
最近の若者の見る漫画やアニメにはあまり詳しくないが、きっとそうだ。
もしかしたら娘が詳しいかもしれない。魔法だのなんだのは偏見だが、何と無く女の子の読む本な気がする。
しかし最近娘は反抗期で口をあまり利いてくれないし、自分が入った後の風呂の湯を捨てる。
仕事から帰る度に「おかえりー!」と言って抱きついてきた、昔の姿を思い出すと涙が出てくる。
きっとこんな話をしても聞いてくれないだろう。
……話がずれた。
とにかく、その二次創作とやらで読んだ話は“死んだら新しい人生”というものだった。
全く羨ましい話だ。
いっそ自分もこの現実から逃げ出してもう一度人生をやり直せたらどれだけ幸せなことか。
「……何を考えてるんだ、俺は」
馬鹿馬鹿しい、と苦笑。
そして政人はいつも通りバス停にまで辿り着き、足を止めた。
後はバスが来るのを待つだけ。
そんな、いつも通りの朝。
だが、変なことを考えていたからだろうか……。
その日は、いつも通りでは、なかった。
異変に気付いたのは、大きなクラクションの音が聞こえたときだ。
見れば前方からトラックが突っ込んできているではないか。
幸いこのバス停に人はいない。だから被害者は出ない。
……自分を除いて!
(……これ、なんていうんだっけ……。
……ああ、そうだ! “てんぷれーと”だ!)
トラックによって命を終え、そして新たな人生を迎える。
そうだ、確か同僚に見せられた二次創作であった展開だ。
同僚が言うにはそれは“テンプレート”というらしい。
(そうか、俺……死ぬのか)
思えば、ロクな人生ではなかった。
社会の歯車として働き、国に血税を搾り取られ。
可愛かった娘はいつの間にか反抗期。楽しみといえば仕事帰りのビールくらい。
そんな人生。
ならばここで閉じてしまってもいいじゃないか。
そんな考えすら浮かんでくる。
ああ、もし、だ。
もし、可能ならば……。
あの二次創作のように、生まれ変わってみたいなあ……などと。
(ふ ざ け る な !!)
――そう、思いかけた思考を振り切った。
自分が死んだら誰が家族を養う!?
誰が家族を守る!?
俺は一家の大黒柱だ! 俺はあいつらの夫であり父だ!
それにまだ、娘の花嫁姿を見ていない!
こんな所で……死ねるかッ!!
「おおおおッ!」
それは、覚醒だった。
死を跳ね除け、無様でも生に縋り付こうとする意志。
それが彼に、一度限りの奇跡を与えた!
素早く後ろにステップを踏み、後方に跳躍!
2メートル程高く飛び上がり、後方宙返り!
そして後ろにあった建物の壁を蹴り、三角飛び! この時点で5メートルの跳躍!
直後、轟音。
トラックがバス停を破壊し、建物に突っ込む。
だが危険は去っていない。
トラックが破壊したバス亭の破片。それが政人に飛来した。
(――見える!)
だが、政人は見付けた。
一瞬! 一点!!
己が唯一生存できるスペース、飛来する破片の間にある、人一人がギリギリ無傷で通過できる“安全地帯”!
「はッ!」
身体を空中で捻り、横回転!
その一瞬後に破片が政人のいた場所を通過するも、政人は無傷だ。
彼は見事バス亭の破片を回避してのけたのである。
だが危険は過ぎ去ってはいない。
政人の着地地点を狙ったかのように二台目のトラックが突っ込んできている。
このまま地面に降りれば潰れたトマトの出来上がりだ。
「何のおッ!!」
だがまたも彼は見付ける。己の生存するべき唯一つの道を。
それは近くにあった道路標識! それを踏み台に、彼は再度跳躍!
突っ込んでくるトラックの上を通過し一回転。トラックの後ろへと華麗に着地。
「ホアアアアアッ!」
「ッ!」
だが今度はトラックから降りてきた男が政人目掛けて走る。その手に握られているのは包丁だ。
……これも同僚が話してくれた。
確かトラックの次くらいに使い古されている死に方。……通り魔!
――すなわち、これもテンプレート!
政人は考える。
相手は武器を持っているが自分は素手だ。
今のままでは戦えない。
何か……何でもいい! 武器が欲しい!
咄嗟にポケットを探り……見付ける。
金色に輝く玩具……ゴールデン・ビーダマンを!
娘がまだ幼かった頃、好んで遊んでいた玩具だ。
そして父の日に贈ってくれた大事な大事な宝物だ。
いつからか使わなくなったその玩具を、政人はずっと持ち歩いていた。
時代遅れ、そして流行後れの古びた玩具。
だが、娘からもらった、世界でただ一つの掛け替えの無い大切な宝物。
それは彼にとって最高のお守りだったのだ。
(力を借りるぜビーダマン!)
腹の部分にビー玉を詰めて通り魔に照準を合わせる。
そして発射!
無論、ビー玉に通り魔を撃退する力などない。
漫画などでは雷だの炎だのが出ているがそれは所詮創作の中での出来事。
本当にビー玉からそんな超常現象が発生するわけがないのだ。
もしそんなのがあれば、それはもはや奇跡という他ない。
そして、政人の生への執念が成したのだろうか。
……奇跡は、そこに為った。
「いけええッ!」
放たれたビー玉。
それは雷のごときスパークと、この炎天下すら上回る炎の二つを宿し、音速すら上回る速度で通り魔へと襲い掛かる。
だが通り魔は素早く横にステップ。
いかに強力な攻撃も当たらなければどうということはない!
それを見て、政人は……笑った。
ゴールデンビーダマン。
その性能の特筆すべき点は、頭部に内臓されているダイアルだ。
それを回転、調節することでビー玉に回転をかけ、好きな方向へのカーブショットを可能とする!
そう……この黄金のビーダマンの放つ玉は“曲がる”のだッ!
「ッな、にい!?」
カーブしたビー玉。
それは通り魔の包丁に直撃し、その刃を根元から叩き折る。
あり得ない現象、あり得ない出来事。
それに通り魔が呆然とした……その、わずか一瞬。
政人はすでに通り魔の懐にまで飛び込んでいた!
「チェストォォォーッ!!」
「――っ!!?」
一撃!
政人の両手から放たれた掌底が通り魔の胸を圧迫した。
免許取得の際に行ったような気がする心肺蘇生法の練習。
そのときに聞いた気がする。
心臓マッサージは、普通に息のある人にやると大変危険だということを。
それだけで逆に殺してしまいかねない危険な凶器だと。
政人が行ったのはそれだ。
徒手空拳、そして素人。
その政人が相手を一撃で戦闘不能に至らしめることのできる“救命技術”!
その一撃で通り魔は膝を付き、地面に崩れ落ちた。
※大変危険ですので悪い子でも決して真似しないで下さい※
(……勝った……)
政人は周囲を見渡し、そしてようやく自分が助かったことを確信した。
自分は勝った。
この連続で身に降りかかった“死亡フラグ”を見事やり過ごしたのだ。
そして思い出すと同時に身震いする。
さっきまでの自分はどうかしていた。
あんな跳躍にあんな動き、そしてあろうことか玩具で刃物に立ち向かうなど……。
だが、自分は生きている。
生きてここにいる。
このくだらない、だが素晴らしいいつも通りを守りきれたのだ。
そう思えば、ああ、世界は何と美しいのだろう。
先ほどまで鬱陶しかった暑さも、今は生きている実感となって彼に感動を与えてくれる。
今まで自分はどこか半分死んでいるような状態で何と無く世界を生きていた。
だが、今からは……今なら、もう少し生きている喜びを存分にかみ締めて、感謝して生きていける。
そんな気がする。
「おおっと、早くしないと遅刻だ! へい、タクシー!」
ああ。
世界は、こんなにも美しい。
*
「あ、あの野郎……やり過ごしやがった!?」
先ほど倒されてしまった通り魔が悔しそうに拳を握り、だがすぐにそれをとく。
その横では最初に突っ込んだトラックの運転手が微笑んでいた。
「ああ、我々の完敗だな。……この生きることに疲れている現代社会で、久しぶりに生きる執念を見た気がするよ」
「しかしどうします、兄貴。これじゃ俺ら閻魔様に怒られちまわあ」
彼らは……この世界の住人ではなかった。
人間で言うところのあの世の遣い、魂の回収役だ。
その日を寿命と定められている人間を適当な方法で殺し、その魂を回収する、死神。
それが彼らだった。
昔は骸骨ルックに鎌を持って人を殺していた彼らだが、時代が変われば方法も変わる。
科学が席巻し神秘と幻想が失われた現代社会。その中で彼らが目をつけた方法が交通事故、及び通り魔による不幸な事件だった。
彼らは今までそうして数多の人間をあの世へと送り、気が向いた時などには別世界などに転生させたりしている。
そして今日はあの男、山田政人がターゲットだったのだが……。
「構うもんかい。閻魔などたまには困らせてやればいい」
「兄貴、人が悪いですぜ……」
今日、死神二人は任務を失敗した。
山田政人の生への執念に敗北したのだ。
だが二人の顔にもはや悔しさはない。それどころか、久しぶりに“生きた”人間を見れたことに対する喜びすら浮かんでいた。
多くの人間が無気力に生きている、この現代社会。
だがそんな中で時々いるのだ。生に執着し、死の運命をも跳ね除けてしまう者が。
その姿は何と滑稽で何と無様で、そして何と美しいことか。
そんな彼らの前で……。
山田政人はバナナの皮で滑って転んで頭を打った。
何と呆気ないことか。
即死だった。
「…………」
「…………」
山田政人は風になった。
死神二人が無意識のうちにとっていたのは『敬礼』の姿であった。
涙は流さなかったが、無言の男の詩(うた)があった。
――奇妙な友情があった。
「……さて、魂を回収するか」
「……兄貴……なんか切ねえっす」
END
どうも皆様お久しぶりです。
初めての方ははじめまして。
ちょっと聞いて下さいよ奥さん。最初は転生物を書こうとして、オープニングを書いたんですよ。
で、ありきたりなのもアレなので、ちょっとテンプレートを踏まえつつ、そこから私なりに捻ってみたんです。
そしたらこの通り、意味不明なカオスになってしまいまして、物語の導入としてはとても使い物にならない代物と化してしまいました。
嗚呼、人はこうやって失敗を繰り返して成長していくんですね……。
や、まあ、私は常に失敗し続けていますが。