ひと:大野豊さん 野球殿堂入り「無名若手の励みに」
毎日新聞 2013年01月12日 00時03分(最終更新 01月12日 08時31分)
「ピンとこない。本当に自分がこんな栄誉を与えられたのか、と思う」。広島の5度のリーグ優勝に、先発で、あるいはリリーフで貢献した左腕は、穏やかに語った。
印象に残っている試合は「スタートとゴール」。1年目、たった1試合の登板は敗戦処理。3分の1回、満塁本塁打を含む5安打で5失点。防御率は135.00という記録が残った。
球場から泣きながら帰った。故郷の母、富士子さんに電話すると「1試合の失敗くらいであきらめるな」と励まされた。母を楽にしたい、と軟式野球からテスト入団を決意したことを思い起こし、落胆をモチベーションに変えた。
21年後、ファンに引退のあいさつをしたときは「我が選んだ道に悔いはなし」と言い切った。血行障害など故障に悩みつつも、完全燃焼した22年間に満足感があった。
同い年に江川卓(巨人)、掛布雅之(阪神)ら球界を代表するスターがいた。彼らがユニホームを脱いだずっと後、42歳で最優秀防御率のタイトルをとり、彼らがなしえていない殿堂入りも果たした。「入ったころは雲の上の存在だったのに。不思議ですよね」としみじみ言う。
いまはドラフト外入団という制度はないが、育成選手が近い立場。「ぼくの殿堂入りが、彼らの励みになればうれしい」。“雑草たち”の活躍を、楽しみにしている。【冨重圭以子】
【略歴】大野豊(おおの・ゆたか)軟式野球の出雲信用組合からプロ入り、投手王国・広島を支えた。アテネ、北京五輪では日本代表コーチ。57歳。