昭和17(1942)年4月。シンガポールを攻略した日本軍は、イギリス軍基地から電探(レーダー)二基を押収した。この時、ゴミ焼却炉の燃えかすの中から、偶然、一冊のノートが発見される。表紙には、レーダー技師のニューマン伍長のサインがあり、中には詳細なメモが記されている。もしかするとレーダーのマニュアルなのではないか? ノートは直ちに南方軍兵器技術斑で翻訳され、秘密裏に内地に輸送。兵器本部の技術将校たちは、ノドから手が出るほど欲しい敵の電波兵器に関する資料を、目を皿のようにして熟読した。
ところが、そのニューマン・ノートには、“YAGI”という意味不明の単語が頻繁に出てくる。例えば「送信アンテナはYAGI空中線列よりなり、受信アンテナは4つのYAGIよりなる」と行った具合だ。どうやらアンテナの形を指しているらしいのだが、「ヤギ」なのか「ヤジ」なのか、読み方すら分からない。
そこでシンガポールの収容所に捕虜として捕えられていたニューマン伍長を探し出し、“YAGI”とは何かを尋ねる。するとニューマンは、キョトンとした顔をして「あなたは、本当にその言葉を知らないのか。YAGIとは、このアンテナを発明した日本人の名前だ」。尋問に当たった技術将校は、絶句した。それもそのはず、それはわが国電気通信工学の第一人者で、当時東京工業大学の学長でもあった、あの高名な八木博士の名だったのだから! |