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法華狼の日記

2013-01-12

[][][]「必要悪」という言葉はしばしば犠牲を強要する口実となる

横から口を出す形になるかもしれないが、昔にかかわったこともあり、気になったので。

Naoki Takahashi氏の「まおゆう魔王勇者」解説。まおゆうは本当にネオリベで戦争賛美なのか? - Togetter

個人的に連想したのが、マンガ『南京の真実』の終盤に登場した台詞。

『1937 南京の真実』の真実 - 法華狼の日記

批判してきた東京裁判を擁護して「しかし…」「時計の針を元に戻すわけにはいきません」「戦後という時代を迎えるための生贄が必要だったのかもしれません―――」と戦犯や遺族を激怒させそうな台詞を口にした

そこで最終的に「必要」という単語を選択し、読者も過程にすぎないとして擁護にまわりがちだから、思想面から批判されるのではないだろうか。

作品自体、多くのスレッドをまたがる長大さで、複数視点で描かれているのに、ほとんどエクスキューズらしい描写がなかった。普通なら、「キャシャーン無用の街」のようなエピソードを入れたくなりそうなものなのに。どちらかといえば作劇的な欠点だが、その欠点ゆえに反感を抑えられなかったという感想。

そのあたり、前後して@氏も、主人公が賢くないと自覚しているという解釈をしている。

「必要」のかわりに、たとえば「限界」という表現にてっせれば、いくらか反応は違ったものになるんじゃないかな。


ところで、前々から思っていた怒られそうなことを敢えて言う

同じように人間社会の歴史的な変化をシミュレーションするジャンルで、導き手の意図を超えて民衆が自我を確立していく物語として、『大長編ドラえもん のび太の創世日記』という作品がある。

映画ドラえもんオフィシャルサイト_Film History_16th

たぶん『まおゆう魔王勇者』よりは政治的に正しそうな作品だ。しかし、藤子・F・不二雄原作の『大長編ドラえもん』から映画化された中では、最もつまらなかった。連載マンガとしてはバラエティある偽史エピソードで毎号を楽しめたのだが、決定的な犠牲や危機を回避し続けたために、映画原作としてはサスペンスの起伏が小さすぎたのだ。アニメ映画は、クライマックスにイメージシーンの戦闘を入れて、なんとか映画らしいアクションを描こうとしていたくらい。

私個人としては、政治的な正しさと物語の面白さが相反するとは思わないが、必ず相関するとも思っていない、という話。

NakanishiBNakanishiB 2013/01/13 11:16  どうもあけましておめでとうございます(^_^;)。リンク先は読んでみるとなにより論者が「まおゆう」のこととは別のことが言いたいということはひしひしと伝わってきて…。
 アニメになったのは驚きましたが、冒頭10分ぐらいで恥ずかしくなって見るのやめてしまって。以前の議論で変に知識があったせいもあるんですが、予備知識なしなら面白い導入になるんですかね…。ちゃんと見る気が起きなくて。『ソードアート・オンライン』(以前のエントリーでの「軽いネタばれ」というのはこちらのことですよね?)以上にネットでのやり取りを前提とした作品なので小説として出たときにどのように変えたのか気になりますね。

https://twitter.com/mannin/status/289354384297574400
 感想として一番納得したのはこれですね。商売として考えては作ってあることがよくわかります(^_^;)。

 「犠牲」とかそれにともなう「葛藤」とかはある種のストーリーを作るときの要素だからそれ自体はまあ出てくるのは仕方がないのですが、「必要」が『1937 南京の真実』の場合は現実の歴史を扱っている以上、本性を出したという意味で酷いとともにとても興味深くあります。小説やアニメの「まおゆう」はその点では欠点がわかりやすいぶんあまり興味も持てない感じです。
 もうひとつ、「政治的正しさ」だけでなく物語の構成の魅力や引き出しの多さとかも実はヒットするかとかはあんまり結びつかないというのも感じます(大河ドラマとかw)。その点では銀英伝やガンダムクラスのヒットになればそこはさすがに違って、むしろ読者がどんどん(いろんな意味で)勝手に継ぎ足してくれるという感じでしょうか。それこそそれほどのヒットでもないコードギアスあたりとの作品としての出来の差はちょっと気になりますね。

 「ドラえもん」の大長編は初期以降はほとんど知らないのですが、「創生日記」は作者の本当の晩年の作品なのですね。(ドラえもん以外も含めた)短編に原型なりそうなのがありますが卓抜な発想ですが確かにスペクタクルには難しそうです。「ドラえもん」だからこそ作れたという感じがしますね。
 とりあえず、ひとつの問題としてスペクタクルやドラマなどを作るということ自体をどう評価するかは問題だと思います。「まおゆう」はわかりやすいからまだいいけど、他の人はわからないので私個人ということになりますが厳しい見方をすればそのようなジャンルのものを作ること自体を否定しなければならなくなりますし(あえて例えに出せばミステリーは殺人を出す(さらには事件を起こす)こと自体が問題でジャンルとして問題があるとなります)。そもそも(芸術)作品は本質的に非政治的であることによって政治的であり、その意味では「まおゆう」と「独裁者」や「大いなる幻影」(あるいは「7人の侍」でも「東京物語」でも)は同じであり(芸術)作品としてきちんと成り立っているので問題ということになります。
 ただ特に映画やテレビアニメなどは産業ですからそういう下部構造や社会を抜きに出来ないし、そういう文化が自分のある部分を作っているということもあってやはり気になります。ただいまのところはきちんと考えがまとまらないし、勉強もあんまりしてないし、きちんと作品を見てないし。
 https://twitter.com/NakanishiB/status/285612259512819712
 まあちょっとこういうこともありまして

 ぐだぐだですいません。とりあえず、この場合は面白さとヒットするかも違うということはやはり付け加えとかないと思います。ではすいません。

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