ローマが去って
ローマがイギリスを去ってから、ルネッサンスまでの間を漠然と中世と呼ぶようです。ローマが去ってからイギリスは暗黒時代へと入って行きます。この間に、サクソン人や後にノルマン人が侵入してきますが、ここではその後の1066年から1485年までの後期中世を中世と呼ぶことにします。
ウィリアム征服王イギリスを統治
ノルマンディー(フランス北西部の地方)の公爵ウィリアムは1066年にフランスからやって来て、イギリスの王位に着きます。ウィリアム王は無慈悲な方法でイギリスを統治して行きました。その例を挙げると、イギリス人の領主や司教を死に追いやり、その妻や娘をフランス人と結婚させるとか、イギリス北方ではウィリアムの兵士は畑の穀物や食料や家畜の動物を集めた後、全部焼き払い、人々を餓死させるといったやりかたでした。この時に死んだ人々の数は10万人以上に上ったと言われています。
人々の生活
この時代の人々の生活は、王による厳しい封建制度とローマカトリックの宗教の両方に支配され、物質的にも精神的にも厳しいものでした。それに加え1348年の黒死病は人口の3分の1を奪ってしまったと言われます。
ローマカトリック宗教
中世において一番重要なことは、人々はみんなローマカトリック教に支配されていたことです。その支配者は神に通じるローマ法皇で、ヨーロッパ全体がローマ法皇を頭に一つの組織を成していたのです。もちろんどの国の王の力よりローマ法皇の力の方が大きいものでした。
中世の町
中世になると領主は自分の権力を象徴する為、立派な城を建て始め、多くの城がイギリス中に建ちました。町は、小さな道なりにそって店、市場、馬屋、家などが密集していました。そして排水溝がない町も多かったので、雨水はたまり、町は不潔で悪臭が漂っていたと思われます。それに加え人々は汚物を何でも川に捨てたので、川は汚染されはじめ、大きな町では清潔な飲み水を手に入れることがだんだん難しくなっていきました。
束縛された食べ物
ローマカトリック信者は次のように考えていました。信仰の魂と食欲、快楽、喜びのような肉体的欲求の間にはいつも葛藤があると信じていました。すなわち禁欲することによって正しい精神が宿ると。断食はカトリック信者、中世の全ての人々の生活にとって大切なことでした。断食の日は魚以外の動物の肉や乳製品を食べることが禁じられました。レントの40日間を含め、断食の日を計算すると、年間の半分が断食の日に当たりました。この他にも王室の食べ物と決められた動物や、貴族の食べ物などあって、野生の動物でも、食べることが禁じられていたものもありました。
パンが示す人々の身分
中世においてパンは人々の主要な食品でした。そして使われた穀物の種類でその人の身分が解りました。小麦で出来た白いパンは金持ちの土地所有者だけが食べることの出来るものでした。一般的な人々のパンは小麦とライ麦を合わせて作った物で胃にもたれる重いパンでした。収穫に恵まれない時の貧しい人の大麦やオート麦のパンには、豆類やドングリが入れられました。
食器としてのパン
パンは食べる為のものだけではありませんでした。人々は木目の粗い茶色のパンをお皿として使いました。これらのパンのお皿はトレンチャーきなローフパン(作って4日位経ったもの)を厚くスライスした物で、まん中に少しくぼみがありました。
お屋敷の食事
中世社会はとても身分の違いが明確で、このことは食事の中にはっきり現れています。食事は概して形式的で、領主は食事の前か後の時間を、お屋敷の日々の問題について論じるために使いました。領主とその家族と大事なお客は、ダイアスと呼ぶ一段高い所で食事を取りました。領主は長いダイニングテーブルの中央に座り部屋全体が一望でき、そして楽団の場所と向き合っていました。その他のお客とお屋敷の人々は身分の高い順番に座って食事を取りました。大広間で領主から召し使いまで全員が一緒に食事を取ったので、食事の時は清潔な手が重要でした。人々はみんなに見える所で手を洗うのが常識でした。食事の間、手を清潔に保ち続ける事は概してとても難しい事でしたので、食事中に我慢すべき沢山のことが記された行儀の手引書が販売されました。どういった内容かと言うと、『お食事の最中には手を耳の穴につっこんだり、手で頭をかいたり、もちろんおならもしてはいけません。』等でした。
中世の食べ物の特徴
中世はウィリアム征服王による、フランスの影響や、十字軍遠征により、中近東からの影響が大きく、沢山の雑草や香草、そしてスパイスが使われました。魚が重要なタンパク源だったので、臭みをとる為に、いろんな香草を使った料理が開発されました。花なども料理に登場していたようです。中世の人々は料理を着色するのが好きでした。いろんな野菜を煮込んだ万人の食べ物ポタージュはサフランで煮、カスタードは赤色だったり、ゼリーはお雛餅のようにいろんな色で層を作っていました。