分類2−2<自然農水畜産物2>
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分類2−1<自然農水畜産物1>
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魚 (参考文献番号:9、10、11)
日本人は魚をよく食べる民族(世界でもトップクラス)ですが、ヨーロッパの人々が魚を食べないというわけではありません。昔から魚は豊富に食べられてはいたようです。食べられていた魚の種類としては、イワシ、タラ、ニシン、サケ・マス、コイ、ウナギなどなど、海から河、湖や池など、あらゆるところで穫れた魚、つまり、基本的にはどんな魚でも、食べていたということのようです(笑)。
ただし、現代のように輸送手段が発達していたわけでもなく、また冷蔵、冷凍手段もほとんどありませんでしたから、沿水部から遠く離れた地に住む人々の口には、新鮮な魚がなかなか入ることはなかったというのも事実です。中世くらいには、海で獲られた魚は、専門の運搬業者によって街へと運ばれていたようですが、それもせいぜい水揚げ地から1日程度で行ける範囲までだったようです。かといって、内陸部で、大きな川からも遠く離れた場所の人々が魚を食べていなかったかというと、そういうわけでもありません。確かに「新鮮な魚」を食べられることは少なかったでしょうけどね。
最初、海での漁業は沿岸部、また比較的陸地に近い海で行なわれるものでした。やがて11〜12世紀、造船技術や航海技術の発達に伴い、遠くの海を漁場にすることができるようになると、ニシンやタラ、イワシ(サーディン)なども多く水揚げされるようになりました。ニシンなどの漁獲高、取り引き高は相当な量であったらしく、13世紀ドイツではハンザ同盟がこの貿易のため設立され、多大な利益を上げていたようです。
獲れた魚は陸揚げされ、各地の市場へと運ばれることになりますが、前述したように「新鮮な状態」で運ぶのは大変難しかったようです。ここで重要となったのは魚の保存のための加工方法です。ここで用いられた方法が「燻製」や「天日乾燥(干し魚)」、「塩漬け」などです。これら「魚の燻製」や「魚の塩漬け」、「干し魚」は比較的長期間の貯蔵が可能であり、内陸部の非沿水地に住む人々のもとへも運ばれ、食べられていたようです。
ヨーロッパでは普通の漁業のほか、餌を与えて魚を育てる「養殖」も行なわれていました(イメージ的には意外ですね)。8世紀以降になると、ヨーロッパには養殖を目的として魚を飼っている池がたくさんあったようです。このように池での養殖が盛んになったのには、水車による水管理技術の発達が影響しているようです。11世紀のイギリスにはこんな池が数多くあったようですが、支配者が水車へとかけていた税金がそこの「魚」によって支払われていたという記録もあるようですね。
池での養殖ですから、そこで育てられていた魚は淡水生のものであったようです。中でも鯉(コイ)はその特性のため、ドイツや中央ヨーロッパなどで多く養殖されていたとか。ちなみに鯉が盛んに養殖された要因となったその「特性」とは、市場などへ運ぶために水から出して箱にいれておいても、運搬中に水をかけて「エラ」を濡らしておくだけで結構長期間生きたままで運べたというものです。私自身が実際にこんな事をした経験があるわけではないのでよくはわかりませんが、このような理由で鯉は盛んに養殖されていたみたいです。ヨーロッパ人が鯉を食べていたなんてなんか意外ですね(笑)。
新鮮な魚を手に入れられる地域では、魚は焼かれたり、蒸されたり、また他の料理(スープやシチューなど)に入れられて食べられていたようです。燻製や塩漬け、干し魚は、そのままで食べるよりも、スープやシチューなどの「具」に使われたりしていました(これは沿岸、内陸部問わずですが)。魚の燻製を材料にした独特のシチューなどのメニューもあったようです。いろいろな食べられ方をした魚ですが、さすがに生魚のままで食べられることはまず無かったようです。現代でこそ、日本の「sashimi」の知名度も増し、愛好する欧米人も増えているようですが、昔であれば生魚を食べるなんて「とんでもない」「気持ち悪い」ことであったようですから。もちろん例外的に生魚を食べた地域も極々僅かにあったようではありますが…。
中世の頃に食べられた魚では、前述のニシンやタラ、鯉のほか、鮭(サーモン)や鱒(トラウト)などが多かったようですが、鰻(ヨーロッパウナギ[アンギラ種]:ニホンウナギよりもややずんぐりしていて、身が柔らかく脂っぽいらしい。)もよく食べられていたようです。これらの魚は、焼いたてソースをかけたり、スープやシチューの具にしたり、ペーストにして整形して蒸しものにしたりと、いろいろな食べ方をされていました。ヨーロッパ貴族の宴会でも、連日の祝宴がある際には、一日を「魚類」をテーマにした料理の日にしたりと、なんとなく思っているイメージ以上に、魚類は食べられていたようです。
鮭や鱒は、昔はヨーロッパの川にはとてもたくさんいたようです。現在は環境汚染によって、鮭や鱒の数も激減してしまったようですが、ほんの限られた地域では、今でも街を流れる川や水路で大量の鮭、鱒を見ることのできる場所も残っています。同様に、フランスの川や河口域には昔はチョウザメが多く棲息していて、たくさん食べられていたという話もありますが、こちらもやはり環境の変化によってほとんどいなくなってしまったということです。
ファンタジー世界でも港街はあるものですから、冒険者がそんな街を訪れた際には、積まれた箱に入ったたくさんの魚を目にすることもあるかもしれません。各冒険者の出身や過去(あるいはプレイヤーの好み(笑))によって、「魚料理が大好き」とか「苦手」とかいろいろだとは思いますが、新鮮な魚が豊富にある街では、その街ならではの美味しい魚料理を食べてみるというのもいい「旅の喜び」だと思います。
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スイカ(参考文献番号:2、6、7)
エジプトでは4000年も前に絵に描かれていたそうですが、当時は種の方を食用にしてたんだそうで、BC1000年頃ギリシャに、紀元初頭期頃にローマに入り、地中海で栽培されている間に、今食べてる部分を食べるようになったのだそうです。ヨーロッパでは17世紀に入ってからやっと広まりました。中近東へはヨーロッパよりもだいぶ早い次期に伝わっていたようで(10世紀頃までには)、砂地での栽培に適していたこともあり、水分補給の作物として重宝されていたようです。
ちなみに現代の大型で水分の多いスイカは最近の時代に改良されてできたもので、19世紀までは小型で瓜臭かったんだそうです。
余談ですが、スイカの黒い縞々模様は、原産地に多い砂地のような場所で、空を飛ぶ鳥が見下ろした際に、よく目立ち、食べられたもの(鳥に食べられる=鳥によって種が運ばれる)が、結果的に選抜されていった結果、種として一般的な模様として定着したものではないかといわれているようです。
スイカをファンタジーに活かすってのはなかなか難しいかもしれませんね(笑)。アラビア風の国に旅した時、露店などで売られていたりする程度かもしれません。「Watermelon
Breaking(スイカ割り)」って競技でも作ってみますか?(笑)。目隠しのため命中判定−4で、グルグル回った後ならさらに−4、目標ACはスイカの大きさによって5〜9くらいで(笑)。
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ソバ(蕎麦、buckwheat) (参考文献番号:39、45)
日本の年の暮れ、大晦日に食べるものといえば、やはり「年越しそば」。日本でも、蕎麦は昔から食用にされ、救荒作物として栽培されていました(もちろん、救荒作物としてだけではありませんが)。そんな蕎麦ですが、実はヨーロッパでも昔から栽培されていたりします。ここでは、そんな蕎麦について、調べてみましょう。
今日、主に知られている蕎麦は、タデ科の一年草です。日本語の漢字表記では「麦」の字があてられていますが、植物学的には「麦類」とは全く別の種です。「普通そば」は、最近の研究では、中国の南西部が原産といわれています。普通そばの他にも、ルチン(ポリフェノールの一種)を豊富に含む、苦みの強い「ダッタン(韃靼)そば」という種類が知られており、こちらの方は、チベット高原東部が原産といわれています。ソバは、日本を含むアジア、さらにはロシア、ヨーロッパなど、世界の多くの国々で栽培されており、日本には、5〜6世紀頃、中国、朝鮮半島から伝わったとされています。
蕎麦の「蕎」は、「角ばった」とかいう意味があるようで、「角ばった形の麦」というような意味で、「蕎麦」の字が当てられたようです。また、英語ではソバは「buckwheat」と呼ばれます。「buck」は「ブナ」を、「wheat」は「小麦」の事です。ブナの実は、角ばった形をしており、ソバの実もまた角ばった形をしているため、「ブナの実に似た麦(小麦)」という意味で、この名で呼ばれるようになったようです。日本でも英語でも、同じような意味合いの名がついているあたり、面白いですねw
冒頭で、救荒作物としての蕎麦について触れましたが、蕎麦はなぜ救荒作物・災害に強いといわれるのでしょうか? それは、蕎麦のもつ、様々な性質によるもののようです。
蕎麦は生育が早く、播種してから収穫できるようになるまでの期間が短いとされます。現代の日本では、(条件によって変わるでしょうが)蕎麦は70日前後で収穫できると聞きます。生育期間が短いということは、それだけ気象災害や人的災害に遭う可能性が少ないといえるでしょう。また、時期によっては、他の作物の作柄の見込みがついてから、急に作付けしても間に合うかもしれません(充分な種子や準備があることが前提でしょうが)。
生育に関してもうひとつ。蕎麦は、「無限花序性」という性質をもっています。これは、どういう事かというと、花が一斉に咲かず、バラバラと咲いていくということで、蕎麦の場合は、実際には茎の下の方から花が咲き始め、だんだんと茎の上の方の花が咲いていきます。トータルの開花期間は、なんと25日ほどにもなりますが、早く咲いた花から、順々に実をつけていきます。このため、一時的に著しい気象障害等に見舞われたとしても、収穫全てがダメになってしまう確率が低いようです。まあ実際には、気象障害なんてものは、一定期間続くことが多いのでしょうが、それでも、収穫皆無になってしまう可能性は低いのかもしれません(ただし、収穫適期に一度に収穫し、平均的に高品質を要求する現代農業経営においては、これは問題点でもあると思いますが)。
蕎麦の強さについてもう一つ。植物が根から水を吸収するのは当たり前のことですが、蕎麦は葉の裏側に細かい毛がたくさんあり、そこから空気中の水分を取り込むことができるんだそうで、水量に恵まれていない土地においても、比較的まともに生育することが出来るようです。
さて、蕎麦が救荒作物だったという事を述べてきましたが、ヨーロッパでも栽培されているものでしょうか。蕎麦=ソバといえば、「ざるそば」、「かけそば」等、細く切った「ツルツル」っと食べるアレを思い浮かべますが、世界的に見ると、必ずしもそうやって食べられている(いた)わけではありません。加熱して穀粒のまま食べたり、粉にして薄焼きにして食べたりと様々で、ソバ好きの日本人から観ると、意外な感もありますね。
ソバは、14〜15世紀くらいにヨーロッパに伝わっていました。イスラム世界から伝わったという説をよく聞きますが、モンゴルから伝わったんだというヨーロッパ人もいるようです。ちなみに、フランスでソバを意味する「サラザン(sarrasin)」とは、十字軍の頃イスラム教徒のことを指した「サラセン」からきているのだとか。
ソバは荒地や地力の低い痩せた土地でも育つソバは、フランス北部やロシア、東ヨーロッパなどで広く栽培され、麦代わりに食べられていました。この中で、多くの地域では、ソバを粉にして「薄焼き」状に焼いて食べられることが多かったようです。現在でも、ロシアのブリニ、フランスのガレット(クレープ)など、様々なものが食べられています。
ガレットは、元はフランスはブルターニュ地方の農民たちに食べられていた、ソバ粉を平たくのばして焼いて食べられていたものです。「クレープ」は、もともとソバ粉で作られていた平焼きである「ガレット」が、小麦を使われたりするようになり、次第に洗練されて生まれた食べ物です。
※ クレープは、ラテン語で「縮れている」という意味の「crispus」が語源となっているようです。同様の意味合いから、絹織物の1種や、紙の種類(クレープ紙)を表す言葉としても使われてますね。
現在では、ガレットは、卵(目玉焼き)やベーコン、ハム、チーズ、野菜等を載せて(なぜか折りたたんで)、軽食として食べられています(ちなみに、ガレットといえば、飲み物はシードル(林檎酒)です)。ブルターニュ地方では、そば粉のガレットで軽い食事を済ませ、続いて
小麦粉のクレープをデザートに食べたりしているそうですw
ソバのヨーロッパ伝来の時期を考えると、中世ヨーロッパにソバってのは結構ギリギリ(それさえも微妙)な感じですが、雰囲気さえ壊さなければ、登場してもいいのかもしれません。寒冷で痩せた土地しかない村で、ソバ粉の薄焼きに卵とチーズで心ばかりのもてなしを受ける旅人。こんなのもOKかも。
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トウガラシ(参考文献番号:2、6、9)
野生種が未発見らしく、原産地は不明とのことですが、メキシコ中部の紀元前6500〜5000年頃の遺跡から発見されており、年代的に見て、この辺りが発祥地ではないかと考えられています。南アメリカ東部やペルー海外付近でも、2000年以上前の遺跡から発見されているそうで、この辺りでも古くから栽培されていたようです。そもそもコショウを求めてアメリカ大陸にやって来たコロンブスは、当初の目的であったコショウは発見できなかったものの、コショウに負けず劣らず優秀な香辛料であるこのトウガラシを発見することができました。トウガラシは15世紀末にはスペインに伝えられ、16世紀半ばにはイギリス、そして他のヨーロッパ各国へと広がっていきました。
コショウとは異なる種類の植物であるのに「Redpepper」の名が付いているのは、コショウと同様の香辛料として受け入れられたからであるといわれています。そもそもコショウ獲得が目的の大航海でもたらされた物ですからね(笑)。
オリジナルワールドをおもちのDMさんなら、そのワールド内の少し南方の国などで(どこかから持ち込まれて)盛んに栽培されてるっていうことにするのもいいかもしれませんね。外国旅行中のPCが、南方の国の港の酒場で「見慣れない真っ赤なスープ」を食べてその辛さにビックリするなんてのも面白いかも(笑)。
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動物乳 (参考文献番号:31、32)
牛乳、山羊乳など、様々な家畜動物の乳は、とても古い時代から人間の飲料として利用されてきました。その歴史の古さは、様々な神話や伝承などからも、見て取ることができます。北欧神話では、始原の巨人ユミルの食べ物となり、インドでは乳の海が登場し、ギリシャやローマでは、神々への供物の一つとされていました。また、古代ヘブライやエジプト(紀元前4000年頃)でも、乳類や乳製品は多く利用されていました(クレオパトラのお風呂とかも(笑))。例外的に、中国や日本では、牛などを飼ってはいたようですが、その乳はほとんど飲まれず、稀に飲まれることがあっても、薬として扱われていたようです。
国や地域によっては、牛や他の動物の肉を食べることを禁忌としている習慣、宗教もあったりします。しかし、そんな禁忌をもつ地方の多くでも、案外、動物の乳を口にすることについては、特に禁じてはいないことが多かったりするそうです。かのお釈迦さまも、修行に疲れたある時、村娘から差し出された「牛乳でつくったお粥(乳粥)」を口にし、活力を取り戻したと言われています。余談ですが、このとき乳粥を差し出した娘は、名前を「スジャータ」といい、今も某コーヒークリームの名前として聞き慣れたものとなっています。
乳を産することができる家畜としては、山羊や羊、牛などが挙げられるでしょう。現代では、確かに「乳=牛」というイメージが強いようです。現在でのホルスタインなど乳牛のイメージは強く、まさに搾乳動物のイメージでしょう。しかし、昔の牛は現在の乳牛とは違い、それほど多量の乳が出るというわけではなかったようです。豊富な搾乳量を誇る現代の乳牛は、長い年月をかけた品種改良などによって生み出されたものなのだそうです。ですから(というか当然ですけど)、乳もまた、貴重な食料資源であり、財産だったわけです。
ついつい牛の話になってしまいがちですが、搾乳されていた動物は、牛だけではありません。もちろん他の動物からも乳は搾られ、消費されていました。
世界的には、搾乳獣で多かったのは山羊、そして遊牧民が利用していた羊などででしょう。地域によっては、馬の乳を利用するところもあります。一方、全身の肉を余すところなく利用され、「鳴き声以外は食べられる」とさえ言われる豚については、乳を搾っていたという話は聞いたことがありません。美味しくないのか、量が出ないのか、はたまた他に問題があるのか…。少なくとも、豚の乳などというものは、食卓に上がるようなものではなかったようです。
乳というものは、搾る動物によって、やはり質が違うものらしく、味や風味等、成分的な特徴もあるようです。そのため、特定の動物の乳でつくられる加工食品が、独特の風味をもっていたりすることも不思議ではありません。
さて、動物の乳は、本来はその子供のためのものですから、栄養価も高く、人体(人に限りませんが)に必要な栄養分を含む、優れた食品です。ただ普通に飲むことも多かったはずですが、それ以上に加工され、もとの「乳」とは異なる形態の乳加工食品としても消費されていました。乳加工食品には主たるものがいくつかありますが… それは「分類3−1<加工食品1>」の「乳製品」の方で、お話しすることにしましょう。
ファンタジーでも、一般的にミルクは登場するものだとは思いますが、実際のファンタジーゲームなどでは、乳について記述されていることは、あまり無いような気がします。せいぜい、酒場などでのメニューの一つとして出てくるくらいでしょう。しかし、ときには、ファンタジーならではの珍しい動物を、人間や他の種族の搾乳獣として登場させるのも、面白いかもしれません。時には、不思議な力が宿る、不思議な動物の乳…そんなシチュエーションもありでしょう。
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トウモロコシ (参考文献番号:2、6、7)
起源となる土地は不明だそうですが、メキシコ南のBC5000年ごろの遺跡からは最古の野生種の穂が発見されてるそうで、どちらにしろアメリカ大陸であることには違いないようです。BC2000年ころから、現在の栽培種の系統が出てきたらしく、以降、原住民たちの手により、選抜等の品種改良が進められ、後にコロンブスに見出された頃には、すでに栽培種として、随分手が加えられたものになっていたようです。コロンブスは航海中、キューバの辺りで初めてトウモロコシを発見し、スペインへともたらしました。その後数十年の間に、トウモロコシは、フランスやイタリアなど各地へと伝わっていきました。痩せた土地でも充分栽培することができ、天候不順にも強いのか、麦類が不作の年にでも、結構な収穫量を得ることができたようです。ただし食用トウモロコシの栽培には、やや温暖な気候が適するらしく、ヨーロッパでは18世紀に入った頃でも、まともに栽培していたのはオーストリアや南東ドイツくらいだったようです。
ファンタジー世界ではあまりトウモロコシは登場しませんね。やはり中世のイメージではないのでしょう。異国との貿易船の積荷で少しだけ登場するってのが精一杯かもしれません。
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トマト (参考文献番号:2、4、6、7)
南アメリカ原産のナス科の一年草で、今でもアンデス山脈地方には、原種(その多くは、緑色で小粒。)らしきものが自生しているそうです。人間による栽培の歴史は想像以上に古いらしく、一説では、1万2000年前から栽培されていたともいわれています。原種は、直径が親指の先くらいの小さな実だったようですが、高い技術を持っていたアステカ文明の時代(1300年代〜1500年初頭くらい)に、今のものに近い、比較的大きな実がなるようになったといわれています。
現代ではとても一般的な作物ですが、15世紀くらいまではヨーロッパには知られてはいませんでした。南アメリカから北アメリカへと分布が広がったトマトは、やがて新大陸の発見によりヨーロッパにもたらされました。16世紀ころにはヨーロッパでもいくらか栽培はされていたそうですが、「毒があるに違いない!」という噂もあって食用としてではなく、「珍植物」(鑑賞用でしょうね)として扱われていたようです。一般に食用とされるようになったのは、18世紀に入ってからの事だそうです。
食用にされるようになって以降、時間が経つにつれて、イタリアをはじめとするヨーロッパ各地で盛んに消費されるようになりました。今では、イタリア料理やメキシコ料理をはじめとする多く料理文化にとって、欠かせない食材の一つとなっています。イタリアでは、「トマトの季節には下手な料理はない」という諺があるそうで、その食材としての評価、重要性、馴染み深さについては言うまでもありません。
食用としての普及の遅さから、ファンタジー世界ではあまり見かけませんね。この辺りを適当に(笑)ツジツマ合わせしたワールドなどでは、トマトソースも登場させられるでしょうけど(笑)。
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梨(ナシ) (参考文献番号:2、6、7、9)
この場合のナシは、当然ながら西洋ナシのことです。リンゴよりは少し温暖な乾燥気候に適するようです。原種はヨーロッパ周辺にあったらしく、ヨーロッパの中部から東部では、有史以前から栽培されていたようです。ギリシャ、ローマ時代には栽培も盛んで、様々な品種があったみたいです。やがてローマの全盛期にはヨーロッパの広い範囲へと伝播していきました。11世紀くらいには各国での栽培も安定して行なわれるようになっていました。特にフランスでは他国に先んじて品種改良、栽培の技術が進み、それにやや遅れてベルギーやドイツも産地になりました。ラ・フランスという品種名は有名ですね。西洋ナシは日本のナシとは異なり、果肉にざらつきがなく、甘味が強いものが多いようです。個人的には果肉の柔らかくて甘味の強い西洋ナシよりも、あっさりして「シャッキッ」という食感の日本梨(二十世紀とか幸水とか)の方が好きなんですけどね。
リンゴ同様、中世貴族などの食卓には大皿に山積みになってたんではないでしょうか。ファンタジーでもなにげなく出し易いですね。梨を齧りながら市場をそぞろ歩く盗賊ギルドの見回り…。そんな姿も見られることでしょう。
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ナッツ類(概論) →関連項目「アーモンド」 「栗」 「クルミ」 (参考文献番号:19)
英語の「ナッツ(nuts)」という言葉は、いわゆる「ナッツ類」、この場合は「木の実」や「種子」を表す言葉ですが、低木に成る柔らかい実を「ベリー(berry)」と区別して呼ぶのに対し、「硬い木の実」を表す言葉として使われているようです。植物学的な分類では「堅果類」(クリ、など)や「核果類」(アーモンド、など)、またピーナッツ(落花生)など味や外見もナッツ類に比較的近いものも「ナッツ」として扱われるようです。
ナッツ類の堅い実は携帯や持ち運びに便利でしょうから、旅する際の携帯食として、また堅焼きパンやドライソーセージなどと共に保存食として持ち運ばれ、食べられていたのかもしれません。「おやつ」としても食べられるのもありかもしれませんね。
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ニンジン(参考文献番号:2、6、7、9)
原産地は、ヨーロッパから北アフリカ、中東辺りで、後にアフガニスタン北部の山岳地帯の辺りで栽培されるようになり、中近東、ペルシャで交雑を繰り返し様々な品種に分かれていきました。12世紀にはアラビア人によってスペインに伝えられ、13世紀にはイタリア、14世紀にはフランス、オランダ、ドイツに伝わり、15世紀にはイギリスにも伝わりました。今では一般的な橙色系の品種は、16〜17世紀ごろに黄色系の品種から分かれて確立したもので、それ以前のニンジンは、紫色などの長ニンジンだったそうです(細いビートのような感じでしょうか)。
中世の料理の中にも結構登場する根菜でしょう。ファンタジー世界でも同様ですが、実際に馴染みの深い野菜だけに、イメージが湧きやすくていいですね。スープやシチューに入れたり、肉類などの付け合わせにしたりといろいろな食べ方もできますから、冒険者にもお馴染みなのではないでしょうか。
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パイナップル(参考文献番号:2、6、9)
パイナップルもまた南アメリカ原産です。森の中の樹の股や石の割れ目に根を張るような形で野生種が生えているそうです。この野生の種はタネが多く、小さくて酸味がとても強いようです。今よく目にするタネの無いものは、この野生種から突然変異で生まれたものを、現地の人たちが選び出して栽培し、やがて改良されたもののようです。意外なことに栽培の歴史は結構古いらしく、コロンブスが新大陸を発見したころには、既に熱帯アメリカの広い範囲で栽培されていました。16世紀、スペイン人によって世界各地に伝えられ始め、17世紀半ばにはイギリスにも入りました。栽培そのものは、18世紀初めにオランダで温室栽培が始まり、やがて1世紀くらいかけてヨーロッパ中に温室栽培が広がりました。つまり通常の栽培はさすがに気候の関係で無理であったようで、中世ヨーロッパではとても珍しいものであった事には違いなかったようですね。ちなみにパイナップル(Pine
apple)の「pine」とは松の事です。ヨーロッパ人はこれを「松毬(まつかさ)」のような果実と考えてこの名をつけたようです。
私のワールドでは、海を渡った南方の国の南部で栽培されていることにしており、その国からいくらか輸入されているとしています。だから貿易航路のあるような港街では、店によっては南方風フルーツとして食べられるかもしれません。
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パセリ(参考文献番号:2、6、9)
原種は地中海沿岸にあったそうです。ヨーロッパ南部で古くから栽培されたいました。ギリシャ、ローマの時代には香味料として使われていました。13世紀には北ヨーロッパへと伝わり、16世紀にはドイツでは一般的なものになっていたそうです(ソーセージ作りに用いられたからでしょうか)。ともあれ、当時のヨーロッパ人にとっては、一番身近で手軽な香辛野菜だったことでしょう。
たとえば村を脅かす獣の群れなどを退治した後、お礼の晩餐でパセリたっぷりのソーセージと麦酒をいただく…。う〜む「報酬はいりません」って言ってしまいそうです(笑)。
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蜂蜜、ローヤルゼリー、プロポリス(参考文献番号:9、26、28、29)
甘くとろける黄金の液体、そう蜂蜜は、実は「中世ヨーロッパ風」のファンタジーには欠かせない食品です。そもそも、昔のヨーロッパでは甘味料といえば普通「蜂蜜」を指していたんだそうで、「砂糖」は大航海時代の後に普及するまでは貴重品であり、高価なものでした。
蜂蜜と人類との付き合いは、結構古いようです。古代エジプトでは蜂蜜は神聖なものとされ、ギリシャ神話では主神ゼウスは蜂蜜と山羊の乳で育てられたことになっています。旧約聖書でも、美味であると同時に誘惑的な魅力をもつ食べ物の象徴として記されているようです。
野生の蜜蜂の巣から蜂蜜を得るだけではなく、蜂を飼育して蜜を集めさせる「養蜂」も古くから行われていました。ギリシャでは、戦争に伴って技術が広まったともいわれ、やがてローマや北部ヨーロッパへと伝わり、後の近代的な養蜂の礎となりました。中世ヨーロッパでも、やはり養蜂は行われていたようで、地面よりも高くした台の上に、木などで作られた巣箱を置き、悪天候や鳥、他の害虫などから守りつつ、大事に蜜蜂が飼われていました。防護具を身につけ、巣箱から蜜を採る人の姿は、当時の絵画にも残されています。
ちなみに余談ですが、中世ヨーロッパでは、蜜蜂は「昆虫」ではなく「鳥」として見なされていたとか…。貴重な蜂蜜をもたらしてくれるありがたい存在として、ちょっと格が上として考えていたのかもしれませんね(笑)。
養蜂では、巣箱から蜜を収穫するに当たって、実際には巣箱内にある「巣」を収穫することになります。中世ヨーロッパでは、取り出した巣からどうやって蜜を分離していたのかは不明ですが、現代では、巣を円筒形の器具に入れ、ハンドルなどによって回転させて、遠心力で蜜を分離したりしているようです。
蜂蜜の食べ方には、このように巣から分離した蜂蜜だけを食する方法の他にも、巣ごとたべる「巣蜜」というものもあります。まさに「プーさん」の気分ですね(笑)。
蜂蜜は、蜜のもと(蜜源)となる花によって、それぞれ異なる味や色、くせがあります。甘さだけではなく、様々な栄養分も含んでいるため、滋養のためにも優れた食品であるといえます。甘味料としてだけでなく、純粋に蜂蜜を食することもあったことでしょう。また甘味付け、発酵に必要な天然酵母の添加などのために、葡萄酒に加えられることもありました。蜂蜜そのものを発酵させて作った、蜂蜜酒(ミード、ミョード)というアルコール飲料もありました(「蜂蜜酒」の項を参照)。
蜂蜜は、滋養に富んだ食品としてゲームに登場することもあります。例えばD&D(R)では、ジャイアントビー(巨大蜜蜂)の巣から得られる蜜にはダメージの回復効果があるとされています。
蜂蜜と共に、蜂の巣から得られるものとして、「ローヤルゼリー」、「プロポリス」が知られています。ローヤルゼリーは、働きバチが花粉などを食べ、それを基に体内で変化合成して作り出す物質です。この物質は、体外に吐き出され、女王バチだけに食事として与えられます。女王バチというものは、元々は普通のハチと同じなんだそうで、あんなに大きな体に成長し、たくさんの卵を生み続けることができるのは、このローヤルゼリーを摂取しているからなのだともいわれています。もしもファンタジー世界で、食品としてこのローヤルゼリーを得ることができるなら、さぞかし高滋養・高栄養価食品となることでしょう。普通の蜂蜜の「回復効果」なんて、目じゃないくらいの特殊な効果を発揮するかもしれません。ただし、ローヤルゼリーというものは、巣からは毎日ほんの少しずつしか採れないらしく、まとまった量を得ようとすれば、相当の手間と時間が必要とされることでしょう。
一方、最近よく耳にするようになった「プロポリス」は、蜂蜜やローヤルゼリーとは違い、ハチの食べ物ではありません。これは、ハチが集めてきた樹液等とハチの分泌物が混ぜ合わされて作られる物質です。この物質は、働きバチによって、ハチの巣の内部や縁に塗り込まれています。プロポリスには、高い抗菌作用があるらしく、これを塗り込むことによって、ハチの巣は雑菌などの繁殖から守られ、衛生的に保たれています。また、プロポリスそのものの成分の中には、既にお馴染みのポリフェノールも含まれているそうで、これが昨今の健康食としての人気の秘密なのかもしれません。資料が少ないので細かいことは不明ですが、古代エジプトなどでは、プロポリス(っていうより、ハチの巣から採ったいろいろな物質の混合体でしょうけど。)は歯磨き粉としても使われていたそうです。なんか甘い香りがしてそうで、子供の歯磨き粉を想像してしまいますね(笑)。
蜂蜜をはじめとする、ハチの巣から得られる物質は、魔法の効果(多くは回復系でしょうか)をもつ品の材料としては最適かもしれません。魔法や特殊な技術を用いて、巨大蜜蜂の巣から、これらの物質を集める魔法使いや職人、あるいは種族の存在というのも、ファンタジーのイメージソースとしては面白いかもしれません。もっとも、巨大ハチが相手だと、養蜂する方も命懸けになってしまいますが(笑)。
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バナナ(参考文献番号:2、6、9)
原産はアジアの熱帯地方と推定される植物で、今の種なしバナナは人工的な淘汰によって確立されたものと考えられています。人との関わりの歴史は意外に長く、ギリシャ、ローマの時代には既に、地中海地方では知られていたそうです。ただし、大量にヨーロッパで利用され始めたのは19世紀末以降の事のようです。
これまたファンタジーでは使いにくいですね(笑)。ただ珍しいながらも、多少の流通があったことにしてもよいのではないでしょうか(港町などでは)。食べるのは、一部の珍しいもの好きな裕福な人たちだけでしょうけど。バナナの皮で滑るってのは、金持ちの特権なのです(笑)。
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パンプキン(カボチャ) (参考文献番号:2、6、7、9)
メキシコ南部から中央アメリカが原産とみられるウリ科の作物です。新大陸発見によってヨーロッパに伝えられました。おかげで現代ではハロウィンにランタンが作れるようになりました(笑)。ちなみに「カボチャ」という和名は、カンボジアから日本へ入ってきたものとして名付けられたんだそうです。ファンタジーに登場させるなら、ニホンカボチャではなく、より樽型で大きく、ややパサパサな果肉をもつセイヨウカボチャでしょうね。
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ビート(甜菜、砂糖大根)(参考文献番号:2、6、9)
もともとヨーロッパではサトウキビが栽培できないため、砂糖は輸入に頼っていました。換算貨幣価値は香辛料ほどではないにしても、砂糖もそれに近いくらいの貴重品だったということです。ジャガイモの普及から少し遅れて、ビートの栽培も普及してきました。18世紀になると、ビートを搾った汁に石灰を加えて沸騰させ、不純物を取り除き、さらに煮詰めたり蒸留したりして砂糖を作る方法が発明され、ビートは、ヨーロッパでの貴重な砂糖の原料作物として、栽培されるようになりました。ビートはヨーロッパ原産の野生種から改良されたものらしいのですが、19世紀初頭の砂糖価格の高騰などによって品種改良が進んだそうです。
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葡萄(ぶどう、ブドウ)(参考文献番号:17、39) 関連項目→葡萄酒(ぶどう酒、ワイン シャンパン及び酒精強化ワイン含む)
ブドウはアジア西部原産といわれ、人による栽培の歴史はとても古い作物です。古代エジプトでは、既に栽培されていたといいます。旧約聖書にはブドウについて書かれている記述が結構あるそうですし、新約聖書にはキリストが自らをブドウの木に、民をブドウの枝に例えた言葉を述べる場面があるようです。実際に聖書が書かれた時期については諸説あるにしても、それくらいの古い時代には、既にブドウそのものが人々の暮らしに身近なものになっていたのは間違いないでしょう。事実、ブドウは、ギリシャ、ローマを経由し、2000年前くらいにはフランスに伝わっていたそうですし、そもそも、5〜6千年前にはワインが作られていたという説もあります。もちろん現在でも、ブドウは生食や加工原材料など、さまざまに利用され、人間生活に馴染み深いものとなっています。
ブドウの栽培方法もいろいろで、ヨーロッパのような「垣根作り」や、日本で行われているような「棚作り」などがあります。日本では湿気が高いため、(土の湿気を避けるため?)地面から房を離して実らせる棚作りを行っているようですが、ヨーロッパの多くの地域などでは、よくテレビなどでもご覧になったことがあるように、比較的背の低い垣根状に樹を並べて植える「垣根作り」が行われています。ただ、1株当たりの多収量性という点では、棚作りの方が優れているようで、日本の棚作りでは1株の樹から約50房ほどが収穫されるのに対し、ヨーロッパの垣根作りでは同じく1株当たり約12〜13房しか収穫できないようです。品種やら風土、その他諸々の要因もあるでしょうから、一口には言えないのだとは思いますが…
でもまあ、収量の善し悪しはともかく、ヨーロッパ的なブドウ畑といえば、やはり垣根作りのイメージが強いですね。なので、ヨーロッパ風テイストのファンタジーであれば、やはりブドウ畑は垣根作りでいきたいところでしょう(笑)。
ちなみに、外国でも、棚作りでブドウを栽培することもあるようなので、「垣根作り」が絶対というわけでもないようです。
※ ここで述べている「収量」のお話は、あくまでも1株当たりの収量での対比について述べています。実際には、ヨーロッパでの垣根作りにも、優れた点、伝統的側面等、さまざまな良い点があるはずなので、そこら辺、お間違えないように。
様々に品種改良の進んだ現代はもちろん、中世ヨーロッパの頃でも、様々なブドウの品種が知られていました。また、栽培される地域や畑によっても様々な品種、品質のブドウが作られていました(現代でも、「畑」に対する格付けがワインの等級になったりすることもあるとか)。現代では、生食用の品種と葡萄酒用の品種に分けて、それぞれ栽培されているようです。生食用の品種は甘味が重要と考えられるのに対し、ワイン用品種というものは、酸味が強いものが多いようです。甘味(果糖)は、酵母によるアルコール発酵の過程で分解されてしまい、味わいが無くなってしまいますが、酸味の風味は醸造の後にも残り、それが味わいや芳香として残ったりするんだそうです。ちなみに、赤ワイン用のブドウは、大粒のものよりも、小粒なものの方がいいようです。赤ワインは、皮部等からの赤色ポリフェノールが欠かせませんが、大粒のブドウを使うと、果粒全体における果皮部分の比率が少なくなってしまい、しっかりと色が出にくくなってしまうそうです。
ブドウの樹には、比較的痩せた土地が向いているという話を聞いたことがありますが、ワインで思い浮かぶフランスでは、砂礫質、粘土質など、様々な土壌と地域の気候に適した品種が栽培され、様々なワインが作られています。もちろん、これはフランスに限ったことではありません。様々な土地に合う品種というものはあるもので、土地によって(主な)ブドウの品種が違うというのは、当たり前のことでしょう。ファンタジー世界も同様。あっちの街で飲んだワインの味はこうだ、こっちの街ではこうだと、土地柄によって異なるワインの味わいは、その土地で栽培されるブドウの違いでもあるでしょう(もちろん、ワインの味の違いは品種だけによるものではありませんが)。
全くの余談ですが、ほんとは私は、ブドウを「葡萄」と書き表すのが好きだったりします。「フルーツ」=「デザート」的なイメージが強いブドウですが、漢字で書くと、なんか「農産物」らしく見えるような気がして(笑)。
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ホップ (参考文献番号:8、17、47)

クワ科の多年草つる草で、雌雄異株ですが、栽培されるのは「雌株」だけだそうです。夏に葉脈から松かさ状の花穂が垂れ下がりますが、その中の腺から出る物質がビールにほろ苦さと芳香を与えるのに使われます。ビールへの使用例としては、麦芽とホップを煮て麦汁を作り、それを醗酵させるという方法がとられたりしています。
ホップはヨーロッパからアジアにかけて原産し、地中海地域で栽培されていました。古代エジプトでは鎮痛・健胃などの薬用にされました。ホップがビール醸造に使われるようになったのは、記録では8世紀後半以降らしく、ドイツを中心にビール用としての栽培が始まりました。以後中世には、ヨーロッパ各地において貴族や司祭などの監督のもとに栽培が発達しました。
なにせビール醸造にはつきもののホップです。冒険者たちも、ホップそのものは目にすることはなくても、ビールならいつも日常的に口にしていることでしょう。ほろ苦いビールは食欲を刺激し、仲間との語らいのひとときを楽しいものにします。現実世界でも今度ビールを口にするときは、苦味を味わいながら飲んでみましょう(未成年者はだめですよ)。
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マッシュルーム、キノコ類全般 (参考文献番号:9、26)
マッシュルームはもともと西ヨーロッパの草地や牧場に自生するキノコで、馬舎の馬糞や堆積肥などの上にもよく生えるそうです。ローマの時代からおいしい食用キノコとして知られてたらしく、当時は野生のものを採取して食べていたようです。草地に生える際は、夏から秋にかけて直径20〜30cmの輪状に並んで生えます。この性質を利用し、その部分の土を採取して栽培する方法が17世紀にフランスで始まりました。この栽培方法はその後イギリスに伝わり、フランスに劣らぬ発展をしたようです。中世の頃は、まだ栽培技術はありませんでしたから、自然に生えてるものを採取して食べてたんでしょうね。結構頻繁に食べられたみたいですから、その家に伝わる「よくマッシュルームの生える秘密の場所」なんてのもあったりして、親が子供たちに教えてたりしたんではないでしょうか。ちなみに「傘」の肉の厚い、質の揃った今のマッシュルームは18世紀から20世紀にかけて品種改良されたことによる結果です。ですから昔のマッシュルームは、傘の肉もそれほどは厚くはなく、質もあまり均一ではなかったようです。
充分に大きくて肉厚のあるキノコなら、焼いて食べることできるかもしれませんが、ヨーロッパでは、キノコは基本的にはスープやシチューに入れたり、パイに入れて焼いたりして料理の「具」として食べるのが普通だったみたいです。
キノコ全般
ヨーロッパ人にとってキノコといえばマッシュルームの事で、マッシュルームという言葉がキノコ類の総称としても用いられることからもそれは明らかなことでしょう。しかし、実際にはマッシュルーム以外の様々な種類のキノコも食べられていたようです。当然、栽培なんてしてませんから、どのキノコも自然に生えてるものを採取して食用にしていました。自然に生えてるキノコの中には、当然ながら毒性のあるものや、熱を加えれば毒性の消えるものなど、そのままでは食べられないキノコもたくさんあります。そんなキノコの種類についての知識は、親から子へ、子はさらにその子へと受け継がれていきます。そうして食べられるキノコだけを取り、見慣れないキノコは取らないという生活の知恵がうまく活用されていくことになります。ファンタジー世界でも、キノコは食べられてるはずです。かの古典ファンタジー「指輪物語」に登場するホビットたちは、キノコの類が大好物であるとの記述もあったように思います。一般のファンタジーゲームなどにおいても、冒険者たちの中には、「森林での生存」や「薬草学」などの知識的スキルをもっている者もいるかもしれません。そんなスキルを持っていれば(DMの判断にもよりますが)、食べられるキノコを選んで採取して、荒野での晩餐のスープの具を増やすこともできるでしょう。とはいってもキノコの毒性の有無の誤判断は危険ですから、注意は必要ですね。エルフなら、もっとキノコのことに詳しいかもしれませんし、普段からキノコが好きでよく食べているハーフリングとかいたりしたら、彼らも同じように詳しいかもしれません。まあマッシュルームなら最も身近で見なれたキノコでしょうから、森の中などでもそれと選んで採取することができることにしてもいいでしょう。
トリュフ
トリュフの仲間は、広く世界中に分布していますが、珍重されているのは、北アフリカからヨーロッパにかけての、石灰岩地帯に生える数種類だけだそうです。昔から、動物を使って、臭いを頼りに探させていました。以前は、豚を使うことが多かったようですが、気をつけないと、豚は見つけたトリュフを食べてしまうので、最近では、犬を用いることが多いようです。
一般的にトリュフといえば、黒いトリュフのことを言いますが、白トリュフというものも知られています。白トリュフは、11月〜2月頃に、樫の木の根元などで見つかりますが、とても珍しく、黒トリュフよりも高値で取り引きされます。昔の価格はわかりませんが、現代では、10kgで約25,000円くらい(生産者販売価格)だそうです。ちなみにこの価格は、普通〜安い黒トリュフの10倍になるんだそうです。採取すると、同じ場所からは1年経たないと採れず、その豊かな芳香も2〜3日間しかもたないため、その価格以上に珍重されています。
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豆類 (参考文献番号:2、6、7、9、41)
豆類はいろいろな栄養が詰まった食べ物で、世界の様々な国々で、古くから様々な豆が食べられています。食材としての歴史も古い豆類は、様々な種類や食べ方が知られており、ファンタジー世界でも例外ではないでしょう。インゲンマメなど、現実世界では、新大陸発見の後にヨーロッパに持ち込まれ、広く普及し、親しまれるようになった豆もありますが、ファンタジー世界では適当につじつまさえ合わせれば、普通に登場させても構わないでしょう。ファンタジー的豆としては、「悪魔を追い払う豆」や「ジャックと豆の木」などが思い浮かぶところですが、私のワールドでは回復の効果をもつ「魔法の煎り豆」などをオリジナルの魔法のアイテムとして出したこともあります。冒険者も、旅の途中に立ち寄った酒場などでは、豆類を使ったスープなどをよく食べているかもしれません。豆は、日々の食事やアイテムとして、身近な物でしょう。お豆さんは栄養たっぷりですから、しっかり食べましょうね。
インゲンマメ
メキシコからグァテマラにかけての辺りが原産地と考えられています。西暦が始まるころには、既にアメリカ南西〜中央アンデスの辺りの広い地域で栽培されていました。16世紀始めにヨーロッパへ入り、17世紀の終わり頃にはヨーロッパの広い範囲に広がっていたようです。インゲンマメの仲間は品種が多く、色や形、大きさの差異も様々です。日本では、「金時豆」(赤紫色)、「大福豆」(大きな白インゲン)、「手亡」(てぼう。小さい白インゲン)のほか、「うずら豆」(ウズラの卵のような模様から)、「とら豆」(豆の半分に、虎皮も思わせる模様有り)などがよく知られていますが、これらは全てインゲンマメの一種です。
ヨーロッパへ伝来、広まってからは、各地で庶民的な食材として多く食べられるようになりました。茹でたり、煮たりして(他の食材と和えて)サラダや肉などのつけ合わせにしたり、肉と一緒に煮込んだり、焼いたりして食べられます。「小麦粉が買えない貧乏人が作るケーキ」という名の、茹でインゲンマメをペースト状にしたものを使うケーキもあります。今でも、ヨーロッパの家庭料理や伝統料理には、インゲン豆をつかったものが多く残っており、食材として広く浸透していることがわかります。
日本語名の「インゲンマメ」は、「隠元禅師」という人が、中国から日本へ伝えたとされる事に由来するそうですが、実際には、この時の豆は今のインゲンマメではなく、違う種類(「藤豆」との説あり。)なんだそうです。
エンドウマメ
ヨーロッパの南部、地中海沿岸辺りが原産地とされていますが、他説もあります。ヨーロッパではとても古くから食用にされていたようで、ギリシャ、ローマの時代には、既に栽培されていました。その後、西や北へと広まっていったようで、スウェーデンで10世紀前後の墳墓から、エンドウ豆で作られた食べ物が発掘されたともいいます。またイギリスへは17世紀半ば頃にオランダから持ち込まれて栽培が始まりました。中世の時代までは、莢(さや)から中の種子(豆)だけを取り出した状態で利用していたようです。ちなみに、「サヤエンドウ」というのは、エンドウマメを若採りしたものです。
インドでは、軽く焼いたエンドウマメを挽き割りにし、「ダル」と呼ばれるものにして、スープなどに入れてよく食べているようです。
ソラマメ
栽培の歴史はとても古く、ヨーロッパでは、スペインやハンガリー、イタリアなどで発掘された新石器時代の遺跡などからも発見されているようです。西アジアからヨーロッパへ入って来た民族が、伝えたのではないかといわれています。北ヨーロッパへの伝来は青銅器時代、イギリスへの伝来はローマ人による征服の頃だそうです。
ヒヨコ豆
英語では「chickpea」と呼ばれるこの豆は、西アジアから地中海沿岸部にかけてが原産地とされています。南ヨーロッパなどでは、シチューやスープに入れて食べられたり、サラダとしても食べられたりします。ヨーロッパ地域だけでなく、中近東やインドでも、主要食材の一つとされています。スペイン語である、「ガルバンゾ(garbanzo)」という名前でも知られていますが、チャナ豆、エジプト豆とも呼ばれます。
日本でよく販売されているヒヨコ豆は白っぽいものが多いのですが、インドなどでは、少し小粒で黒や茶色など、様々な色のヒヨコ豆が栽培、利用されています。
レンズマメ
英語では「lentil」。ラテン語で「lens」。だいたい直径7〜8mm前後(大きいものは10mmにも)の、扁平な形の豆で、緑色や褐色、ピンク系など、品種によって様々な色があります(一般的に売られているオレンジ色のレンズマメは、皮を剥いたもののようです)。その形から、日本では「ひらまめ」とも呼ばれます。西アジアから地中海沿岸部が原産の豆で、紀元前の昔から栽培されており、スープの具などにして食べられていました。
その名のとおり、レンズのような円盤形をした、円く薄い豆ですが、「レンズ」に似た形だから「レンズ豆」と名づけられたのではなく、ガラス製品のレンズの方が「レンズ豆」に形が似ていたから「レンズ」と名づけられたのだそうです。また、イタリアでは、コインに形が似ていることから、金運がよくなるといって年末に好んで食べるともいわれています。
ヨーロッパやインドでは、スープやサラダ、炒め物にして、よく食べられています。もちもちとした独特の食感があり、肉っぽいともいわれることもあるので、まさに畑のお肉といったところです。
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麦類 (関連項目:「パン、麦加工品」)(参考文献番号:1、2、6、24、30)
中世に始まったことではありませんが、ヨーロッパの農業の基幹を担っていたのは、やはり麦作です。紀元前4,500〜4,400年くらいからメソポタミアなどでは既に麦が作られていたそうですから、人との関わりの歴史の深い作物であるといえるでしょう。
パンや粥、パスタ類などに用いられ、今日でもお馴染みの小麦、ビール作りなどに多く使われる大麦、小麦よりも荒れ地に強いライ麦など、いろんな種類の麦が栽培されていました。日本の食文化における米とは少し違いますが、麦、そして麦から作られる各種加工食品が、炭水化物(→糖質)という形でエネルギー摂取のベーシックなものであり、「主食的」なものであることには違いありません。このように重要な位置付けにあり、ヨーロッパに限らず多くの土地で栽培されていた麦類作物ですが、これら麦類作物は、当然ながら地力(土地の肥沃さの程度)や気象条件によって大きくその収穫量が増減します。農産物というものは基本的にそういうものですが、麦は主たる食糧のもとであるだけに、その影響は大きかったはずです。そもそも中世ヨーロッパでは、農産物の収穫率は決して高くはありませんでした。
農産物の収穫率を表す言葉に「倍率」というものがあるそうです(あまり一般的には使われていないようですが)。これはその作物が播いた種子に対して、どれだけの収穫が得られるかという事を表します。つまり1粒の種をまいて収穫が20粒あったなら、倍率20ということになります。この倍率を用いて中世ヨーロッパの麦作を数値で表すと、その収穫率の低さに驚かされます。いわゆる中世と呼ばれる時代には、小麦などの倍率は「ほとんど2倍にも満たない」ような状況だったのです。
13〜14世紀のイギリス(イングランド)を例にとってみると、小麦の倍率はなんとたったの約4倍、16〜17世紀ごろでも6〜7倍だったんだそうです。倍率が10を越えたのは19世紀半ばから後半に入ってからのようです。フランスやドイツでの小麦の倍率は、イギリスよりも少し下回るくらいだったそうですから、その想像以上の生産性の低さにびっくりです。現在でこそ倍率は大きく増進し、食糧供給状況はいくらか安定したものになっていますが、欧米でのこれら倍率は、日本と比べるとなぜか低かったりします。20世紀半ばの小麦の倍率はイギリスで16倍弱、アメリカで23倍強、それに比べて日本の「小麦」の倍率はなんと51倍を越えているのです。日本では小麦は主食ではないにもかかわらず、倍率が高い(笑)。「お米」にいたっては同時期でなんと140越えです(笑)。日本と欧米の生産性の違いは、耕作適地の面積などによるのかもしれませんね。日本みたいに平地が少ないような土地柄では、少ない面積で多くの収穫を上げることが一層求められるものでしょうし、逆に広大な耕地の広がる欧米などでは、播種(タネまき)の仕方やその密度からして違うものになるでしょう。実際のところ、日本の農業の労働量は、欧米とは比べものになりません。播種から苗作り、そして苗の植え付け、複数回繰り返される草取りなど、その労働はたいへんなものです。一方、中世ヨーロッパでは、農業とは土地を耕し、そこにタネをまいて後は収穫というものだったようで、植え付け前やその後のケアが少ない分、結果としてやはり収穫量も低いままであったようです。この他にも生産性の差となる要素としては「気候」や「農法」、「品種」などがあるでしょうし、これらの他にも「信仰」をはじめいろいろな要素が関係していることでしょう。ファンタジーワールドなどでは、その要素次第では生産性も大きく変化することになるかもしれません。
麦類の生産性がある程度向上してくると、精麦製粉した後に出る「ふすま」(お米でいうとモミ殻ではなく玄米の糠層です。)を、豚などの家畜の飼料として使うことができるようになります。これによって家畜の肥育性が向上し、増加した人口に見合った量の食肉が生産できるようになると、人々が肉類を口にできる機会も増えていきます。やはり麦作はヨーロッパ農業の基幹ということになるんでしょうね。
日本との麦の生産性の違いは投下される労働力の違いであると書きましたが、日本の場合、特に稲作は精神的、宗教的な要素に結びつく事も多くありました。稲作に関連する神事やその他宗教行事(神事と稲作とどちらが先という事は述べませんが)は、今も多くの地方で伝えられています。
ファンタジー世界などで、農耕を司る神などがいれば、その信者たちの農耕への考え方は他者とは違ったものになり、その投下される労働量も多くなるかもしれません。そうなればある程度までは労働力に比例して土地生産性も上がり、「農耕神の信者の畑は(他の畑に比べて)収穫量が多い」という理屈が成り立つかもしれません。農耕神のカルトには独自の農業理論や特別な農法、豊作祈願の儀式や秘伝の肥料(笑)なども伝わっているかもしれませんから(まさにファンタジーならではですが)、この理屈はさらに現実的に思えます。
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メロン (参考文献番号:2、6)
ギリシャ語の[melopepon]=リンゴの様な瓜がその名の由来といわれます。アフリカ原産とされ、ここから古代エジプトや中央アジア、また中国などにまで広がりました。ギリシャ、ローマへは古代エジプトから伝わり、中世以降はヨーロッパ諸国にも伝わりました。16世紀、スペインやフランスでは既にたくさんの品種が知られていたそうです。ちなみにイギリスへは16世紀の終わり頃に伝わりました。
生活の中心をなす食べ物ではありませんから、それほどに歴史に登場することもありません。まあファンタジーでも、高価な果物や珍しいものは、裕福な貴族や商人の食卓に上る程度でしょう。まあ冒険者の酒場には似合わない果物ですね(笑)。
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桃 (参考文献番号:2、6、7、39、40)
中国西部の黄河上流が原産の、樹高4メートルに達する、落葉高木です。果実内の中皮が肥大、多汁化して果肉を形成し、内皮が硬化して、いわゆる「核」を形成するため、果実分類上は核果類と呼ばれるグループに属しています。苗の植え付け(現代では、接木が主流ですが)してから3年くらいで結実し、だいたい6月から8月くらいが、主たる出回り時期になっています。
モモは、紀元前3世紀〜4世紀頃から(紀元前2000年頃からとの説もあり)、原産地の中国で薬用(核の中の仁を利用)、食用、花卉鑑賞用として栽培されていたようで、シルクロードを通って紀元前2世紀にはペルシアに入って栽培され、やがてギリシャへと伝わりました。モモは学名を「Amygdalus
persica」といい、[persica]とは「ペルシャの」という意味を持ちます。ペルシャを経由してヨーロッパに入ったため、17世紀くらいまでは、モモはペルシャ原産だと考えられ、このような学名が付けられました。このこともあり、ヨーロッパでは、モモは別名「ペルシャのリンゴ」とも呼ばれていました。ちなみに、英語の「peach」、フランス語の「pecher」、ドイツ語の「Pfirsich」なども、もともとはペルシャを表す言葉が変化したもののようです。
話は戻りますが、モモは紀元前1世紀以内にローマへ伝わり、地中海でも栽培が普及したようです。ヨーロッパへも想像以上に早く伝わっていたようで、フランスでの最古の記録は西暦530年頃でした。このころドイツやベルギー、オランダへも伝わりました。イギリスへは13世紀にフランスから入ったようです。日本にも弥生時代(紀元前3世紀くらい)に伝わり、薬用や花卉用、そして食用として栽培されるようになりました。日本に伝来した頃のモモというものは、現在のものよりも実が小さく、硬いものだったようです。現在のようなモモは、長きに渡る品種改良により、より大きく食べやすく、より美味しいものが作り出された結果の産物といえるでしょう。これは、現在食用されている、多くの果実類に共通したことでもあります。
中国では、モモは「仙果」などと呼ばれ、不老長寿の果物として喜ばれます。また、多産や吉兆の象徴であり、その香りが邪気を払うと考えられていました。日本でも中国の影響により、モモは凶禍を払うものと考えられていたようです(桃太郎のお話もこの流れによるもののようですね)。モモは、中国の伝承にも多く登場し、西遊記では、「西王母の庭」の番をしていた孫悟空が、そこに植えられていたモモを盗み食いするエピソードが語られています。西王母の庭に植えられていたモモには、それぞれ3000年、6000年、9000年に一度実をつける3種類があり、それぞれ食べた者は、仙人になる、不老長寿になる、不死になるといわれていました。孫悟空が盗み食いしたのは「9000年モモ」であり、これによって、彼は不死性を手に入れたとされます。西遊記は、15世紀頃に書かれた物語ですが、古くからモモが中国で親しまれていたことを物語るものでしょう。実際、中国では、モモといえば果物の代表ともいえるものであり、他の果実や木の実の中を、「桃」の字を使って表した言葉があります(例:「胡桃(クルミ)」、「扁桃(アーモンド)」など)。
桃は、果皮表面に柔毛が密生している、いわゆる普通の「桃(毛桃)」[peach]のほか、果皮表面に柔毛がなく、光沢のある「ネクタリン」[nectarine](油桃、椿桃とも呼ばれます。)、独特の扁平な果実がなる「ばん桃」[flat
peach]、木の高さが人の背ほどにしかならないものなど、多種多用の変異があります。日本では、明治以降に品種改良が進み、果肉が白くて柔らかいモモ(白肉、粘核種)が、品種として確立されてきました。白肉系のモモは、ほぼ日本独特のものだそうで、中国やヨーロッパのモモは、だいたい果肉が黄色くて硬めなもの(黄肉、離核種)が一般的のようです。
ネクタリンは、交配によって作出されたモモの変種です。一般的に、果実は普通のモモよりも小さく、果実表面は光沢があり、柔毛がありません。果肉は、硬めで多汁、強い酸味があります。最近は、生産、消費ともに増えてきており、スーパーの店頭にも並んでいることが多くなりました。ネクタリンという名前は、ギリシャ神話に出てくる「神々のお酒」にちなんだ名前だそうで、それほどに甘くて美味しいという意味が込められているようです。余談ですが、お馴染みの桃の果汁入り清涼飲料である、不二家の「ネクター」も、同様に「神酒」にちなんで名づけられた名前です。
※ ネクタリンの起源については、調べてみたところ、アメリカで作出されたという話や、7世紀頃にトルキスタン地方で生まれた変種であるなど、いろいろあるようで、どれが正しいのかわかりませんでした。ただ、ネクタリンが(ヨーロッパでいうところの)中世より以降の、比較的新しい時代に作出されたモモの変種であるということは、間違いないようです。
ばん桃は、「蟠桃」と書き、その扁平な果実形状が特徴です。味はいいらしいんですが、避けやすかったり、腐敗しやすかったりで、あまり日持ちしないらしく、ごく一部を除いては、日本では流通していないようです。ちなみに、西王母の庭で、孫悟空が盗み食いしたのは、この蟠桃であったそうです。
西洋ファンタジーに桃。意外かもしれませんが、実は既に渡来していたはずですから、意外というわけではないんですね。ヨーロッパ(またはヨーロッパっぽい国)で生産されたものとして登場する桃は、果肉が硬めで黄色い、黄肉タイプと考えられます。モモの原産地である中国では、10世紀頃に既に優良栽培品種は現れていたようですが、原産地ではない国々では、まだまだそんな優良な品種は現れていない可能性が高く、ヨーロッパにあったモモも、現在のものよりも果実の小さな(果肉もより硬く、今のものよりは甘味も少ない)ものだったことでしょう。それでも、珍しく、高価な果物には違いないでしょうから、裕福な人達の食卓にしか上らないの確かですね(笑)。
桃って出そうと思って出さないと、なかなか登場しない果物のような気がします。酒場のオヤジに「いい桃入ってるよ」とでも言わせてみましょうか(笑)。
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野菜食〜サラダ(参考文献番号:32)
健康な生活は、バランスのとれた食事から。肉ばっかり食べてないで、野菜もしっかり食べなきゃいけません。野菜をしっかり食べなきゃいけないということ自体は、大昔から知られていたようで、紀元前、古代ギリシャでも、すでに「健康のために」野菜を食べることが奨励されていました。
また、古代ローマでも、「薬」の作り方として、サラダの作り方(材料の例、塩やオイルなどでの和え方など)を記した文献が残っているようです。実際、多くの野菜には薬効があるものと考えられていたようで、生野菜食は、一種の薬用食として位置づけられていました。まあ、「薬食い」とまでは考えなくても、体にいいから生野菜を食べるという考えがあったのは、間違いなさそうです。ギリシャ時代には、家の庭に菜園を作り、そこでできた野菜を食べる人もいたようですから、特別な薬としてというより、日々の健康食としても、野菜は食べられていたようです。
古代ギリシャ、ローマ以降、生野菜を食べる習慣は、後のヨーロッパで広く習慣化していきました。いろいろな生野菜を、塩やオイルなどと混ぜ合わせる食べ方は、やがて、サラダと呼ばれるようになったわけですが、この「サラダ」という呼び名の原義には、いくつか説があるようです。「塩で味付けする」という意味のラテン語「サラレ」が、変化していった結果、14世紀ころから「サラダ」という言葉で用いられるようになったという説。フランスで、野菜を和えるボウル状の容器が、半球形のヘルメット状だったので、ヘルメットを意味する「サラード」(英語のサレットに当るもの?)と呼ばれるようなり、変化を経て英語圏で「サラダ」と呼ばれるようになったという説などがあるようです。
サラダというものは、野菜をそのままで、または小さくちぎったものを、塩やオイルで和えて食べるという、作り方としては非常にシンプルな料理ですが、14世紀頃には、様々な料理とともに王様の食卓に並べられ、宮廷料理人の料理書にも、その作り方が記されるようになりました。単純な作り方のサラダではありますが、15世紀頃の料理書では、サラダの材料として、バラのつぼみやタンポポの花など、野菜に加えて花類までが記されていたようです。もともと薬的な食べ物であるサラダに、彩りが加えられたということか、花にも薬効が期待されていたのかはわかりませんが、ヨーロッパ人が花を食べていたというのは意外に思えます(ただし、一般庶民が同様にサラダに花を入れて食べていたかどうかは不明。)。
16世紀〜18世紀の間には、サラダの材料にオリーブや、柑橘系のフルーツが加えられるようになりました。また、新しい野菜の伝来や流通の変化などによって、サラダの材料にされる野菜の種類も増えていきました。サラダ材料の多様化はさらに進み、17世紀頃には、鶏肉やエビ、魚なども、サラダに加えられるようになったようです。
この辺りになると、ドレッシングこそ今とは違いますが、サラダの中身は、現代のものに随分近くなっていたようですね。新鮮なレタスをメインにしつつも、鶏のササミが入ってたりするようなサラダは、実際にコンビニでも売ってたりします。
時代とともに、サラダなどの野菜食に用いられる野菜の種類も変わっていき、新しく食べられるようになった野菜もいろいろ登場してきたわけですが、逆に、時代の変化とともにあまり食べられなくなった(または食べる人が少なくなってきた)野菜類もたくさんあるようです。もともとは薬のように食べられていたサラダも、生食に向く美味しい野菜が手に入るようになった事などで、身体には良くてもあまり美味しくないものは食べられなくなってきたということでしょうか。今や一般的でなくなったサラダ野菜には、現代はハーブやスパイスなどとして利用されているもの(ウイキョウ(フェンネル)の茎など)や、単なる雑草として見向きもされなくなった野草類(スベリヒユなど)もあります。ただ、もともと食べられていたくらいですから、その野菜自体が消えてしまったのでない限り、一般的でないとしても、今でも食べられている可能性はあります。もちろん、時代の変化だけではなく、国や地方によっても、食べられる野菜の種類はいろいろ変化していることでしょう。
がっつりと肉を平らげた後、おもむろにサラダのボウルを抱えるようにして食べはじめるドワーフや、旅の途中で焙り鹿肉をたいらげた後、ヘルメットの中に集めた野菜を頬張り始める戦士‥。ドワーフにしても人間にしても、野菜が身体に良いってことは間違いないことでしょうから、野菜食べなきゃと思うことは自然なこと‥いや、自然に野菜が食べたくなるはずでしょう。酒場でサラダなんて光景は、とても意外で不思議な光景に見えるかもしれません。しかし、食べたいと思う人がいれば、それを供する店もあるでしょうから、冒険者が酒場でサラダを食べるなんてシチュエーションも、実はよく見られる光景なのかも。
農耕の盛んなハーフリング郷では、サラダ用の珍しい野菜が手に入るかもしれません。また、エルフの住む神秘的な森の奥では、さらに別の珍しい食用の菜っ葉系植物が採られている可能性もあるでしょう。いわゆる「剣と魔法のファンタジー世界」って、「酒場で肉とビール」というイメージが強い気もするのですが、そこに野菜が入り込む余地は、充分にあるように思えますね。
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林檎(リンゴ) (参考文献番号:2、6、7、22)
原産はコーカサス地方の辺りで、やがてヨーロッパ中に広がりました。夏でも涼しい温帯の北部に適しています。遺跡などの出土品などから、どうやら4,000年くらい前から栽培されていたということがわかっています。ギリシャ、ローマ時代には栽培技術も発達し、その後もおもにアングロサクソン系の人々によって栽培されていきました。ちなみに16世紀ごろまでのリンゴは果実が小さく、子供の拳くらいの大きさでした。やがて16世紀辺りからイギリスなどで果実の大きい品種が発達して今のリンゴの元になったようです。
中世貴族の食卓などには、大皿に山盛りの果物があり、その中にもリンゴはたくさんあったみたいです。当時は果実も小さいものですから、今とは随分イメージが違いますが、小さなリンゴを齧りながら陰謀を巡らす邪な男爵の姿など、なかなかに雰囲気のあるものではありませんか?
中世ヨーロッパにおいて、リンゴは特別な意味をもつ食べ物でもあったようです。リンゴを水平に半分に切ると、その断面には芯の形が円周状につながった五角形のような形が現れます。この五角形は「巡り来る季節」、そして「永遠」を意味すると考えられていたようです。宴会の席などでは他のフルーツと同じく、リンゴも皿に盛られて出されたりしますが、この巡り来る季節を表すように半分に切って器に盛られることもありました。この際の多くの場合、リンゴは前述の五角形が表れるように上下に半分に切られ、その半分の一方はボウルに入った塩水に入れられます。もう一方の半分は、器に満たされ、しっかりと泡立ててサフランなどで色付けられたクリームの中に入れらていたりしました。クリームに付けられた色は、決して色あせることのない黄金の色を表し、リンゴの断面の五角形と同様に永遠を表します。これを食べることは象徴的に長寿を願うことでもあり、6月の祝日などに食べられることが多かったようです。
宴会の席では,リンゴを食べる前によく儀式的というかお遊び的なゲームが行われることもあったようです。このゲームは「アップル ボビング」と呼ばれていました。参加者はだいたい5人毎に分かれ、水を張った大きな器を囲んで膝まづきます。水の中には上下半分に切ったリンゴがたくさん浮いかべられています。さて参加者は皆、体の後の方で互いに手をつなぎ、その膝まづいた体勢のまま、手を使わずに口を使ってリンゴを取ります。なにせ口でリンゴをくわえ取るわけですから、参加者は結構びしょびしょになってしまう事も多かったようですが、それはそれで宴は盛りあがったみたいです(笑)。
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レタス (参考文献番号:2、6)
原種はヨーロッパ東南部の外れから南西アジア辺りに分布し、他種との交雑を経て現在のようなレタスが生まれたといわれています。BC4500年頃のエジプトの遺跡からも発掘されているらしく、古代ギリシャ、ローマでも栽培されました。ちなみに紀元前6世紀ごろには、ペルシア王の食卓にも登っていたそうです。現代のキャベツのような結球型レタスは16世紀頃から現れ、イタリアからフランスへと伝わった後、各国へと広がりました。温度にデリケートで15℃〜20℃で最もよく成長するらしいので、あまり南の国では栽培しにくいのではないでしょうか。
試したことはありませんが、茎葉の切り口からは白い乳液状のものが出るんだそうで、「レタス=Lettuce」とは「乳液の出る」という意味だそうです(フランス語?)。また、日本ではレタスのことを「ちしゃ」とも呼びますが、これはもともと「乳草」(ちちくさ)と呼ばれていたものが縮まったものであるらしく、やはりその乳液状の滲出液が呼び名の由来となっています。
ちなみに、生活レベルが高くなってくるとキャベツの消費が低下し、入れ替わりにレタスの消費が伸びるといわれるのだそうですが(理由はよくは知りません)、これが正しければファンタジー世界ではそれほど多くは消費されてないのかも(笑)。でもまあ普通にそこそこの量は食べられているんではないでしょうか。
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