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2012年11月 1日 (木)

芸北へ

祝島を出て何処に行こうか。原発や放射能の心配が少ない場所、移住者を受け入れる姿勢がありそうな場所はないだろうか、西日本の地図を広げて探してみた。

 

四国には良さそうな場所がいくつもあるが、伊方原発がある。九州、大分県の国東半島には祝島との交流もあり惹かれるものがあるが、ここも伊方原発が近い。ほかの九州にも魅力のある場所がいくつもあったが原発があり、北九州で瓦礫の受け入れを開始してから放射線量が上がっているのが心配だ。僕たちが一番気にするのはこの放射線量の変化だ。ただ放射線の量を測って高いか、低いか、だけで人体への影響はわからないと考えている。祝島だってもともと自然放射能は高いらしいけど放射能を怖がる僕らが祝島に1年半住んだ。自然界になかった人為的に作られた類の放射能が、原発事故や瓦礫の焼却を境に急激に増えた、というケースを一番心配している。

 

この国には放射能の心配をせずに暮らせる場所がなくなってしまったのだろうか。もしかしたら世界中を探してもそういう場所が限られているのかもしれない。心配しだすときりがないが、僕たちは子供の体を考えて少しでも安心できる場所を探した。

 

あそこでもない、ここでもない、さまざまな候補地をネットで探して候補地に上げたが唯一ネットで調べても全然出てこなかった候補地があった。それが広島県の芸北だ。

ここは東京にいた頃の友人UH氏を通して知った。友人と言っても会ったのは数回のみ。彼がパーソナリティを務めるラジオ番組に僕が出演したことで知り合った。

 

福島原発の事故が起こって僕たち家族は神戸に避難したが、彼はほぼ同じタイミングで違う場所に子供を連れて避難していた。そのことでまた連絡を取り合うようになり、祝島にいる間もときどき電話でのやり取りがあった。

 

今回移住を考える中でいくつかの候補地の情報を集めるなかで、彼に電話した。この時の電話は一生の記憶に残るのかもしれない。

 

僕「実はこうこうこういう事情があって、祝島を出ようと思いまして。」

UHさん「えっ!まじですか?それで今度はどこに行かれるんですか?」

僕「いや、それはまだ今っておらんのです。候補地に芸北も入っているんです」

UH「ぜひ来てください。絶対来てください。佐野さんは絶対芸北に住むべきです!」

僕「ありがとうございます。とりあえずどんな所か想像もできんので、家族でそちらにお邪魔したいのですが大丈夫ですか?」

UH「もちろんです。いろんな人を紹介します。ぜひ一緒に芸北を盛り上げましょう。」

彼の頭の中ではすでに僕たちは芸北に住むことがイメージされていたようだ。

 

知らない土地に行く、しかも小さな子供がいる家族と共に。今まで僕はそういう旅は多かったが、家族がいる今となっては責任の重さが違う。家族がいるが故の楽しさが沢山ある一方で、不安も沢山抱える。そんな中、彼の存在とサポートは大きかった。

 

大きな期待と不安を胸に、定期船の朝便に乗り出発。車に乗り換え一路、芸北へ。ずっと島で生活しているから車で遠出をする機会は少ない。子供たちもはしゃいでいて遠足気分。島で暮らす中でこういう「島から出て違う空気を吸いに行く」という行為が少なかった。少なすぎたかもしれないと思っている。子供たちにとってもときどき外の空気に触れると言うことは、大事なことだったのかもしれない。

 

芸北は広島県と島根県の県境に近い豪雪地帯。高速は広島ジャンクションを抜け、山に向かうと途端にトンネルの連続。東京の高尾山のことが思い返される。僕たち夫婦は高尾山にトンネルを通すことに反対する運動を通じて知り合い結婚した。この運動の中でトンネルを通すことの破壊の大きさを勉強した。トンネル内にたまった排気ガスを吐き出す排気口付近の植物が枯れること。トンネルによって水脈が変わり、すべての生き物の生態系に影響を与えてしまうこと、いま自分たち人間は車に乗れば芸北という、たくさんの山の向こうの場所に3時間ちょっとで行くことができる。そういう便利な道がどれだけの犠牲の上に成り立っているのか。ということをトンネルを通るたびに考えてしまう。そういうことを意識すること、考えることは大切なことだと思う。高速を使うことが悪いことだとは思わない。今あるものを有効に使うのは必要なことだ。原発のように危険なものはすぐ使わないようにするべきだけど。大事なのは目をそらさずに、知ること、意識することだと思う。そのうえで未来を考えた方がいい。

 

話を戻そう。子供たちがおしっこに行きたいようなので、高速を降りてすぐの安芸太田という町の道の駅に立ち寄る。裏には山あいを流れてきた川が流れ、なにか懐かしい景色を見ている気がした。二十歳のころヤマセミ(清流の川魚を食べる鳥)を探してあちこちの山をかけずり回っていたころに見た風景がよみがえってきた。きっとヤマセミも飛んでいるのだろうと思った。だとしたらそれは、山や川が昔のままの元気な姿だと言うバロメータになるだろう。

 

UH氏に電話する。芸北はここから40分だと言う。一体どんな山奥なのだろう。そして一路芸北へ。それからというものトンネルをくぐっては蛇行するように山を登り、下り、どんどん山の中へと入っていく。途中にまた違うタイプの懐かしい風景が広がる。それは日本人の主食である米を作る稲作の風景だった。そしてやっと目的地に着いた。ずいぶん山の中に来たと思うが、そこにはこじんまりとした集落がひらけていた。約2年ぶりに会ったUH氏は下駄をカランコロン言わせて握手を求めてきた。車から降りるとヒンヤリと冷たい空気が心地よかった。

 

今日はここまで。芸北に至る道を描写していたら長くなってしまいました。次こそは芸北のことを書きます。

 

 

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コメント

こういう嘘をつくのはやめてもらえませんか?
「北九州で瓦礫の受け入れを開始してから放射線量が上がっている」
上がってませんから。

投稿: 北九州は故郷 | 2012年11月 3日 (土) 05時18分

北九州は故郷 さん コメントありがとうございます。お気にさわってしまったのであれば申し訳ございません。ただ上がっているという情報があることは事実です。

http://blog.livedoor.jp/home_make-toaru/archives/6627441.html

今現在でいえば変化があるないで賛否両論あるかもしれません。でも焼却し続ければ放射線量が上がると僕は考えます。

投稿: 佐野高太郎 | 2012年11月 3日 (土) 10時42分

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