日本人は何を考えてきたのか<明治篇>
1月8日(日)午後10時~11時30分が第一回、全12回シリーズ2013年1月完結予定。
更新日: 2012年01月30日RSS
1月8日(日)午後10時~11時30分が第一回、全12回シリーズ2013年1月完結予定。
更新日: 2012年01月30日RSS
知の歩みの中に未来を解くカギがある。明治・大正・昭和 日本人の近代思想の歩みを描く大型シリーズ番組です。 明治編2012年1月、大正編2012年7月、昭和編2013年1月 Eテレで放送
未曾有の震災、原発事故、そして混迷する政治・経済…いま、私たちは文明史の転換に立たされています。
日本はどこへゆくのか。時代の座標軸を求めて、思想や哲学を求める声が高まっています。
日本が近代文明を目指して開国してから150年。この間、人々は時代と向き合い、何を考えてきたのでしょうか。
思想の巨人たちの苦闘の中に、今を読み解く手がかりはないのか―。
このシリーズは国際的な新しい視点で2年がかりで日本人の近代の思索の営みを描いていきます。
放送予定
明治篇 文明の扉を開く
1月8日(日)午後10時~11時30分
第1回 日本はどこへゆくのか ~福澤諭吉と中江兆民~
1月15日(日)午後10時~11時30分
第2回 自由民権 東北で始まる
1月22日(日)午後10時~11時30分
第3回 森と水と共に生きる ~田中正造と南方熊楠~
1月29日(日)午後10時~11時30分
第4回 非戦と平等を求めて ~幸徳秋水と堺利彦~
大正編 「一等国」日本の岐路 2012年7月
第5回 東と西をつなぐ ~内村鑑三・新渡戸稲造~
第6回 大正デモクラシーと中国・朝鮮 ~吉野作造・石橋湛山~
第7回 貧困に取り組む ~河上肇と経済学者たち~
第8回 常民の日本を探る ~柳田民俗学とその継承者~
昭和編 戦争の時代を生きる 2013年1月
第9回 ひろがる民衆宗教 ~出口なお・王仁三郎と大本教事件~
第10回 昭和維新の指導者たち ~北一輝・大川周明と2・26事件~
第11回 京都学派の哲学者と戦争 ~西田幾多郎から三木清まで~
第12回 女性解放運動はこうして始まった ~平塚らいてうから市川房枝へ
黒船来航によって開国させられた日本。文明世界を初めて見た日本人は何を考えたのか。明治日本を代表する二人の思想家・福澤諭吉と中江兆民の欧米での体験を探ろうとモデルの知花くららさんがアメリカ、フランスを訪ねる。
幕末、米欧を訪れた福澤はイギリス流の二大政党による議院内閣制に注目。一方、岩倉遣欧使節団でフランスに留学した中江はルソーに影響を受け、直接民主制を民主主義のモデルと考えた。しかし、政府は伊藤博文・井上毅らを中心にプロイセン等の憲法をもとに明治憲法を制定。天皇と政府に強い権限を与えた。こうした中で、中江は上から与えられた「恩賜的民権」を下からかちとった「恢復的民権」へ育てていくことを主著「三酔人経綸問答」で訴える。また、福澤は明治憲法のもと官民が調和した政治をめざしていく。
日本の民主主義の様々な可能性が論議されていた明治10年代、福澤と中江はどのような未来構想を思い描いていたのか。そして、欧米列強による植民地化が進むアジアで日本の行くべき道どのように示していたのか。アメリカ、フランス、韓国、海外の研究者の目から二人の思想家の構想を見つめ直す。
文明開化の諭吉(文明に優劣あり、欧米がモデル)、自由民権の兆民(文明に優劣なし、欧米が勝るのは技術・理論のみ、我に儒学あり)。諭吉→多事争論/二大政党制。兆民→社会契約論/直接民主制/個人的利害を離れた道徳的自由を有する個人が前提(儒教やなあ。仁義知信)。
米国で学んだ福沢諭吉は『ミッチェル地理書』のような欧米中心的な発展史観の影響を受け、文明へ至る発展段階的に観て世界の国々は優劣の差があり、日本は先行する欧米列強に追いつかなければならないという文明開化論を唱える。一方、フランスで学んだ中江兆民はルソーの平等主義から影響を受け、世界の国々は平等であり優劣の差があるとすればそれは道徳心にあり、日本は儒教をベースとした道徳を身に着けなければならないという非開化論を唱える。
甲申事変の失敗→諭吉の脱亜論(心に於いてアジア東方の悪友を謝絶するものなり)。兆民の三酔人経綸問答(紳士君、豪傑君、南海先生)、国家と個人の道徳(道徳的自由)は一致すべし、恩賜の民権から恢復の民権へ。
3人の思想の異なる登場人物、洋学紳士(紳士君)、豪傑君、南海先生が酒席で議論する物語で、紳士君は人類史を3段階に区分し、明治10年代に日本へ紹介されていた社会進化論を用いて、進化を発展の原動力とした。フランス、ドイツなどヨーロッパ列強を批判し、完全民主制による武装放棄や非戦論などの理想論を展開。これに対して豪傑君が反論し、中国進出を主張。両者の論争を現実主義的立場に立った南海先生が調停する構成である。「三酔人経綸問答」ウィキより
ETV特集 日本人は何を考えてきたのか(第一回) 第1回「福澤諭吉と中江兆民」 近代日本の進路を示した福澤諭吉と中江兆民。明治を代表する思想家は 若き日、西欧で何を学んだのか。モデルの知花くららさんがアメリカ、 フランスにその足跡を訪ねる 2ch実況 ETV特集 日本人は何を考えてきたのか第1回 http://hayabusa2.2ch.net/test/read.cgi/livee…
関連ツイートのまとめ。中味はまだ精査していないがとりあえずリンクしておく。
「わが日本、古より今に至るまで哲学なし」中江兆民。ここで言う「哲学」とは「道徳的自由」のことだろう。兆民の反文明開化論は「道徳的自由」が前提、目先の利害に惑わされず全体最適を考える能力=道徳的自由が兆民のミソであり、理想論に留まらざるを得なかった所以である。
明治10年代、国会開設を求めて全国にひろがった自由民権運動。福島は高知と並んで運動が盛り上がった地域だった。河野広中らを中心に地方分権を求める声が高まり、士族から豪農そして農民へとその担い手は拡大していく。しかし、1882年の福島事件を機に運動は政府の厳しい弾圧を受ける。いま、原発事故で警戒区域となった福島県浪江町にも当時、苅宿仲衛(かりやどなかえ)という民権運動家がいた。苅宿は投獄されるが、厳しい拷問を耐え抜き、自由を求めていく。
『日本人は何を考えてきたのか 第二回 自由民権 東北で始まる』で取り上げられた民権運動家(憲法草案者)、河野広中、苅宿仲衛、千葉卓三郎、小田為綱、植木枝盛。彼らは忘れ去られ、脚光を浴びることはほとんどない。
Eテレ「日本人は何を考えてきたのか」第二回は、自由民権運動と思想を取り上げた。樋口陽一先生は、植木枝盛憲法草案→鈴木安蔵憲法研究会草案→GHQ草案→日本国憲法を指摘する。鈴木が福島県南相馬市小高出身ということにも気付かされた。鈴
昨日のNHKEテレ「自由民権東北で始まる」は、戊辰戦争で負け、明治政府から冷淡視された東北での自由民権思想の高まりを丁寧に誠実に取り上げていて感動。今、陸前高田で家業を再興しようとする人の「復興というけれど東北は震災前から壊れていた」に、訪ねた菅原文太も絶句。若者達に期待します。
これも昨晩のEテレ、菅原文太と話した東北30歳代男性「津波が来なくても遅かれ早かれ東北は壊滅していましたよ」農業高齢化、若者が年長者を尊敬しない等々。それを踏まえて国と戦ってでも立ち上がると。その前に紹介された過去の自由民権の闘士達の姿とだぶり重く迫力ある言葉だ。東北だけか。
どうして自由民権運動家はみんなハンサムなの?植木枝盛は知ってたけど、河野広中も苅宿仲衛も。植木は当時のベストセラー作家。印税で陽暉楼の芸妓を総揚げして作詞作曲振り付けも自作の民権音頭を踊らせた。秋元康は植木をまねしたのです(というのは嘘)bit.ly/wuLRm1
苅宿仲衛(かりやどなかえ)は、1854年、苅宿村【現在の浪江町苅宿】の代々神官をつとめる家柄(いえがら)に生まれました。宮城師範学校(みやぎしはんがっこう)で学び卒業すると、しばらく小学校の先生を指導(しどう)する先生として活躍(かつやく)しました。
1880年、教育の世界から政治の世界に入り、…1886年に県会議員(けんかいぎいん)となり、1890年の第1回総選挙(そうせんきょ)に立候補(りっこうほ)【落選】した時期をのぞいて、1898年までずっと自由党の県会議員として自由と人権のためにたたかいました。
1881年(明治14年)に、私擬憲法の中では最も民主的、急進的な内容とされる『東洋大日本国国憲按』を起草
その後、長くこの「国憲按」の存在は忘れ去られていたが、1930年代、明治文化研究会などで明治憲法制定過程の実証的研究を進める鈴木安蔵らによって他の私擬憲法とともに再発見され、鈴木は、第二次世界大戦後の1945年(昭和20年)12月、自らが参加する憲法研究会が新憲法案「憲法草案要綱」を作成・公表した際に、土佐立志社による「日本憲法見込案」などとともに「国憲按」を参考資料として使用した。同「要綱...
千葉卓三郎は、江戸時代末期の1852(嘉永5)年6月17日、…父の宅之丞は、仙台藩の下級武士で、卓三郎が誕生する直前に亡くなり、母親とも…
卓三郎は、12歳のときに仙台藩校の養賢堂で蘭学を学んだ後、17歳で農兵隊の一員として戊辰戦争に参戦しました。しかし、白河口の抗戦で敗れ、「賊軍」の汚名を受けました。
以後、上京し、1880(明治13)年4月下旬、東京の西多摩郡五日市に下宿し、五日市勧能学校に教師として勤務。…翌1881(明治14)年には、現在の日本国憲法の源流となっている「主権在民」という考え方を基本にした「204カ条の五日市憲法草案」を起草…
小田 為綱(天保10年(1839年) - 明治34年(1901年))は、岩手県九戸郡宇部村(現:久慈市宇部町)出身…昌平黌に学んだ後、盛岡藩の藩校である作人館の教授・寮長となり、原敬らを指導する。明治維新後、北奥羽開拓の構想を建白するが顧みられなかった。 明治10年(1877年)の西南戦争に呼応して、東北地方での士族挙兵の計画に参画するが未然に検挙され…他の参加者らとともに禁固刑に処せられた。明治31年(1898年)には衆議院議員に当選するが、任期中の明治34年(1901年)に没した。
明治13年(1880年)から翌年にかけて作成されたとされる「憲法草稿評林」は、民権論的な私擬憲法…
足尾銅山鉱毒事件で 田中正造は、被害民のいのちを奪う鉱毒の実態を知り、政府と企業の責任を追究する。議員を辞職し、直訴した後、田中は、強制立ち退きに抵抗する谷中村に入った。
一方、南方熊楠は、政府が打ち出した「神社合祀令」が地域の生態系や文化を破壊するとして反対。地元の熊野の森を危機から守ろうと闘う。南方は粘菌などの生物学の研究から民俗学、宗教学など幅広い知見を得て、南方曼荼羅とも呼ばれる知の体系を編み出し、100年前に独自のエコロジーの思想を究めた知の巨人だった。
明治三十八年(1905)八月の講和条約締結によって日露戦争が終結する。しかし講和は過重な戦費負担に耐えた国民を納得させるものではなく、全国で講和反対・戦争継続の世論が噴出し、都市部を中心に政情不安が続いた。農村部においても下層農民の疲弊は深刻で、社会不安の芽が育ちつつあった。そのような情勢のもと、内務省は明治39年末に戦後経営策の一環として「神社合祀令」を布告した。
「それは神主もおらず社殿も荒れて祭神も不分明な神社を整理・合祀し、合併によって不要となった跡地を無償で払い下げて神社の基本財産とし、専任の神主を置き、神殿を立派にして尊厳を保て
日露戦争にあたって非戦を唱えた幸徳秋水、堺利彦。二人は日本の社会主義思想の始まりをリードしたが、1910年の大逆事件で幸徳秋水は処刑される。
近年、大逆事件で処刑された人々の復権が熊野、岡山など日本各地で進むなか、非戦と平等を唱えた幸徳と堺の再評価の動きがひろがっている。
昨夜のNHKEテレを見た印象を付け加えると、幸徳秋水も堺利彦も各自の思想を展開する上で、孟子を援用していたことである。秋水が秘書をしていた中江兆民も孟子の影響大であった。この点が、西洋的近代主義者と言われる丸山真男と異なる点であろう。東アジアの公共哲学が孟子から始まる所以がある。
非常に良く取材され丁寧に構成された秀逸な番組でたいへん勉強になったが、特に驚いたのがこの事件を研究してきたボルドー第三大学のクリスティーヌ・レヴィの知識や語学力と、事件当時、世界各国で日本大使館宛に猛烈な事件を死刑にまとめたことへの反対署名・抗議が届いていたことであった。特に英国や米国の日本大使館にはもろもろの政治組織だけでなく、キリスト教の組織からの抗議書簡が殺到。社会主義運動への大弾圧だった大逆事件に対してこうした抗議がされていたことは意外であり、興味深かった。
平民社(へいみんしゃ)は、1903年11月に、日露戦争を開戦しようとする動きに対して非戦論を主張していた『萬朝報』が、社論を開戦論へと転換したときに、非戦論を訴えつづけていた同紙記者の幸徳秋水と堺利彦(枯川)が、非戦論の主張を貫くために朝報社を退社し、あらたに非戦論を訴え、社会主義思想の宣伝・普及をおこなうために開業した新聞社。形態は新聞社であったが、社会主義者と社会主義支援者らのセンターの役割を担い、事実上、社会主義協会とともに社会主義運動の中心組織であった。幸徳秋水は現在の大塚駅北口広場近くにあった借家に住んでおり,平民社は同地を拠点としていた(写真)。
翌年に死刑判決を受け、他の死刑囚とともに1月24日処刑された。これには当時すでに国内や海外の一部から批判があり、社会主義者たちを一網打尽にしたかった当局が仕組んだ謀略である、というのがほぼ定説[要出典]。になっている。幸徳をはじめ主要な刑死者のうち7名は冤罪であったと考えられる。[要出典]。もっとも、管野須賀子ら4名による皇族暗殺計画の準備はあったので、全てが事実無根の謀略というわけではない。幸徳は事件当時、皇族暗殺計画の首謀者である管野と同棲中であり、暗殺計画を知っていた可能性はある。
1922年、日本共産党(第一次共産党)の結成に山川均、荒畑寒村らとともに参加するものの、山川らに同調して共産党を離脱、後に労農派に与する。その後東京無産党を結成して活動を続け、1929年に東京市会議員に当選した。
数多くの翻訳を通じて、欧米の社会主義思想、社会運動やロシア革命の動向、ユートピア文学をはじめとする西洋文学の紹介につとめた。
1932年の6月頃発狂し、翌月には家庭内暴力を起して青山脳病院(現・東京都立小児総合医療センター)に入院した。翌年の1月に脳溢血で死去(享年64)。
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