第45回 視野狭窄 |
緑内障の症状として視野狭窄がある。
緑内障は、ついには失明する病気で、できることなら失明は避けたい。そのためには早く病気に気がついて医者のところに行き、治療を受けることだ。
既に起きてしまった視野の欠損は、元に戻らない。でも進行を止めれば、失明は免れる。ところが視野に狭窄があったり欠損があったりしても、人間は意外と気がつかない。だから厄介だ。
これと同じくらいに厄介なのが、精神的な視野の狭窄だ。比喩的にあの人は視野が狭い、というふうに使われる。こっちは視野が欠けてくるのでなくて、最初はだれも精神的視野が狭い。しかし大人になり、勉強をしていくと、視野が次第に広くなる。様々な視点からものを見ることができるようになる。だからこっちの視野狭窄は成長によって治る。でもそれにはまず狭窄に気づかねばならない。
大人になってからの精神的な視野狭窄は、困った病気だ。しかも政治家がこの病気にかかって、その人に国政が委ねられたりするのは、絶対に避けたい。
例えば円安になると喜ぶ人がいる一方で、円安を喜ばない人もいる。広い視野を持てば両方が視覚に入る。ところが視野が狭いと、一方しか目に入らない。輸出産業は円安がいいという。ものが売りやすい。輸入業者は円安になれば損をする。同じものを買うのにより以上に払わなければならない。そして、輸出と輸入が大まかに半々と考えれば、喜ぶもの半分で、困るもの半分だ。円安を単純に喜ぶ政治家は視野が狭い。
2パーセントのインフレにすれば、2パーセントの成長を見込めるという政治家もいる。二つを両の目で見れば、それが名目上の成長でしかないことがわかる。個々に見れば、物価が2パーセント上がって、給料が据え置きなら、これはデフレそのものだ。これでは消費者マインドは冷え込むばかりだ。視野の狭い政治家にはそれが見えないらしい。
本当の緑内障の場合だが、視野の欠損を、自動車事故を起こしてから気づく場合がある。視野の狭い指導者が、事故を起こしてから、国民がそれに気づいても、それでは遅すぎる。
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