「あらかじめ裏切られた革命」の読者のために
『あらかじめ裏切られた革命』が講談社文庫本化された際、巻末に「革命の世紀」である20世紀を総覧するための年表を掲載しました。
これは、読者の方々が、同書の背景となる歴史の流れを理解するための参考になればと、作成したものですが、紙幅に制約があり、ごく短く、簡潔なものにせざるをえませんでした。
そこで読者のためにここで、未発表のオリジナル・バージョンを掲載いたします。この年表の始まりは、1812年、終わりは2000年にしていますが、もとより歴史に始まりも終わりもありません。2001年には米国で同時多発テロが勃発し(9月11日)、2002年に入ると、米国は特殊部隊をグルジアに派遣するだけではなく、チェチェンにおけるイスラム原理主義過激派の掃討のため、ロシアに協力することを発表しました。いずれも、9・11テロ以前には考えられなかった動きです
『あらかじめ裏切られた革命』の最後の章には「終わりなき終章」というタイトルをつけましたが、そのタイトルの通り、歴史はオープンエンドのまま、今も進行中です。2002年3月2日 岩上安身
1800年〜 1900年〜 1910年〜 1920年〜 1930年〜 1940年〜 1950年〜 1960年〜 1970年〜 1980年〜 1990年〜 2000年
- 1812年
- アレクサンドル一世統治下の帝政ロシアを、約六〇万人のナポレオン軍が襲撃。ロシア軍は「冬将軍」の助力を得て、これを退ける(祖国戦争)。アレクサンドル一世の帝政ロシアは、欧州最大の帝国となる。
- 1818年
- マルクス生まれる。
- 1825年12月
- デカブリストの乱。青年貴族将校たちによる、専制君主制と農奴制の打倒を目指したロシア最初のクーデターだったが、鎮圧される。
- 1820年
- エンゲルス生まれる。
- 1845年
- ドストエフスキーが処女作『貧しき人々』を世に問う。
- 1848年2月
- マルクス・エンゲルスが『共産党宣言』を発表。
- 1853年
- クリミア戦争勃発(〜五六年)。中近東及びバルカン半島の支配権をめぐり、英仏など四カ国連合と戦い、敗北。黒海における権益などを失った。その結果、ロシア皇帝アレクサンドル二世(五五年即位)は、ロシアの後進性に気づき、上からの大改革に着手する。
- 1855年2月
- 帝政ロシアと徳川幕府の間で、日露和親条約締結。日露国境を択捉(エトロフ)島と得撫(ウルップ)島との間に設定。樺太(カラフト)島は、日本とロシアとの間で境界をもうけずに行き来できるようにする、と決める。
- 1861年
- アレクサンドル二世、農奴解放令を発布。
- 1862年
- ツルゲーネフ『父と子』発表。旧世代と対比しつつ、新世代の無神論的なニヒリストを描く。
- 1864年
- ロンドンで世界初の国際労働者組織、第一インターナショナル(国際労働者協会)結成。創立宣言と規約はマルクスが起草。
- 1866年
- ドストエフスキー『罪と罰』を発表。
- 1867年
- 大政奉還。
- 1868年
- 明治維新。
- 1869年
- トルストイ『戦争と平和』を発表。
- 1870年
- レーニン生まれる。
- 1871年
- 普仏戦争後のベルサイユ仮条約に反発したパリ市民が、選挙によってパリ・コミューンを成立させるものの、ブルジョワ共和派の政府に圧殺される。第一インターナショナルは、パリ・コミューンを支持したため各国政府から弾圧され、七二年には事実上活動を停止。七六年で正式に解散。
- 1875年
- 日露間で樺太・千島交換条約。樺太全島をロシア領、ウルップ以北のロシア領千島を日本領とした。
- 1877年
- ロシア、トルコ間で戦争(〜七八年・露土戦争)。勝利をおさめるも、列強の干渉によって、バルカンにおける権益を制限される。
- 1880年
- ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』を発表。
- 1881年
- 急進的な革命を志す「人民の意志」派が、ロシア皇帝アレクサンドル二世を暗殺、アレクサンドル三世が即位。同年、ドストエフスキー死去。
- 1883年
- マルクス死去、ツルゲーネフ死去。ロシアで最初にマルクス主義を受容したプレハーノフが、ジュネーブで労働解放団を結成。
- 1887年
- ツルゲーネフの翻訳などを通じてロシア文学の影響を受けた二葉亭四迷、近代日本文学の嚆矢となる『浮雲』を言文一致体で発表。
- 1889年
- 第二インターナショナル、パリで欧米十九カ国の代表によって結成。ドイツ社会民主党が主導。マルクス主義が多数を占め、無政府主義は排除。
- 1892年
- 日本で、ドストエフスキーの『罪と罰』が、内田魯庵訳で出版される。
- 1894年7月
- 日清戦争始まる。
この年、アレクサンドル三世が死去。帝政ロシア最後の皇帝となるニコライ二世が即位。同年、レーニンが『人民の友とは何か』という冊子を書いて、ナロードニキを批判する。
- 1895年4月
- 日清戦争講和条約(下関条約)締結。朝鮮の完全独立、遼東半島・台湾・澎湖諸島の日本への割譲、日本への賠償金などが決定される。しかし露仏独の三ヶ国が干渉し(三国干渉)、そのため遼東半島を清へ返還することに。
- 5月
- レーニン、マルトフらとともに、ペテルブルク労働者階級解放闘争同盟を結成するが、のちに当局に逮捕される。
- この年、エンゲルス死去。
- 1896年2月
- 韓国で親露派のクーデター、親日派政権を倒す。朝鮮半島をめぐる日露の対立激化。
- 5月
- ペテルブルクで綿工業労働者ゼネスト。
この年、チェーホフの『かもめ』初演。
- 1897年10月
- トロツキー、オデッサにて、南ロシア労働者同盟組織。
この年、レーニンはシベリア流刑となり、チェーホフは『ワーニャ伯父さん』を発表。
- この年、レーニンはシベリア流刑となり、チェーホフは『ワーニャ伯父さん』を発表。
- 1898年3月
- ミンスクで、ロシア社会民主労働党の創立大会が開かれ、『宣言』を発表。大会後、活動家たちはロシア政府に一斉逮捕される。
- 4月
- 米西戦争。米国はフィリピン、グアム島を獲得。さらに米国はハワイも併合。キューバ独立。
- 10月
- 幸徳秋水、片山潜ら、社会主義研究会を組織。
スタニスラフスキー、ネミロヴィチ・ダンチェンコら、「モスクワ芸術座」を創設。世界最高水準の演劇活動を展開する。
- 1899年10月
- ドイツ社会民主党は、ハノーヴァー大会を開き、ベルンシュタインの修正主義を否決。
この年、レーニンは流刑先で『ロシアにおける資本主義の発達』を執筆し、トルストイは『復活』を発表。
- この年、レーニンは流刑先で『ロシアにおける資本主義の発達』を執筆し、トルストイは『復活』を発表。
- 1900年3月
- 日本で、集会・結社・大衆運動の取り締まりを目的とする治安警察法公布。
- 5月
- ロシアのハリコフで労働者デモ。
- 6月
- 義和団が北京に侵入し、日独の外交官を殺害。義和団の乱(北清事変)。ロシア、日本を含む列強八カ国が、鎮圧に乗り出す。以後、ロシアは満州を占領し、更に南下して朝鮮へも進出。
- 12月
- ドイツのライプチヒで、ロシア社会民主労働党党の機関紙「イスクラ」創刊。
- 1901年2月
- ロシアの文相ボゴレーボフ狙撃される。モスクワで学生・労働者の反政府デモ。
- 5月
- 片山潜、安部磯雄ら社会民主党結成。即日禁止。
- 6月
- 日本平民党結成。即日禁止。
- 8月
- ロシアで「人民の意志」派解散。
- 12月
- ロシアで、ナロードニキの思想を受け継いだ社会革命党(エス・エル)が結成される。
- 1902年1月
- 日英同盟締結。
- 2月
- シベリア鉄道完成。
- 3 月
- ロシアのポルタワ、ハリコフ県で農民闘争発生。バトゥーム石油労働者スト。
- 4月
- ロシアの内相シピャーギン暗殺。後任にプレーヴェ。
- 11月
- ロストフ・ナ・ドヌーでゼネスト。
- この年、レーニンは『何をなすべきか』をあらわす。ゴーリキーは『どん底』を発表。
- 1903年4月
- ウクライナのキシニョーフで、反ユダヤ主義者によるポグロム(ユダヤ人虐殺)勃発。
- 8月
- ヴィッテ蔵相解任。
- 11月
- ロンドンでロシア社会民主労働者党第二回大会。綱領採択。同党内部でレーニン率いるボリシェヴィキ(多数派)とメンシェヴィキ(少数派)の対立発生。幸徳秋水、堺利彦ら平民社を起こし、週刊「平民新聞」を創刊。
- この年、チェーホフ『桜の園』を発表。
- 1904年2月
- 日露戦争勃発。
- 7月
- ロシア内相プレーヴェ暗殺される。
- 8月
- アムステルダムで開催された第二インターナショナル第六回大会に、片山潜が参加。プレハーノフらとともに、日露戦争反対を宣言。
- 12月
- ロシア南部のバクー(現アゼルバイジャン首都)で石油労働者スト。同地で、ロシア初の九時間労働を定めた団体協約締結。
- この年、チェーホフ死去。日本ではこの年、「平民新聞」に『共産党宣言』が訳載され、発禁処分となる。
- 1905年1月
- ロシアの首都ペテルブルクのプチロフ工場でストが始まり、全市でのゼネストに広がる。血の日曜日事件起こる。ペテルブルクで十万近い労働者たちが、司祭ガポンに導かれ、自分たちの窮状を皇帝に訴えるために冬宮へ行進。それに対し軍隊が発砲、数百名の死者を出した。
- 2月
- モスクワ総督セルゲイ大公暗殺される。農民暴動各地で起こる。自由主義者の「組合連合」発足。
- 5月
- 日本海海戦。世界最強と謳われていたバルチック艦隊が、日本の連合艦隊に敗れたというニュースにより、世界中に衝撃が走る。
- 6月
- 戦艦ポチョムキンの乱。
- 8月
- ロシアで国会(ドゥーマ)設置法発布。
- 9月
- 日露戦争講和条約(ポーツマス講和条約)が締結される。この条約により、日本の韓国における権益が認められ、ロシアは満州から撤兵し、遼東半島南部の権益および樺太(サハリン)の南半分を日本に譲渡。
- 10月
- ロシア全土でゼネスト。ペテルブルクに労働者ソヴィエト生まれる。ソヴィエトとは、労働者が工場を母体に自発的に形成した代表選出機関のこと。クロンシュタットとウラジオストックの軍隊の反乱起こる。ニコライ二世が「十月宣言」を発布し。国会の開設と憲法の制定を約束。革命勢力は、一時後退。
- 11月
- トロツキー、ペテルブルクのソヴィエト議長となる。
- 12月
- ペテルブルク・ソヴィエトのメンバー二百六十七名逮捕。モスクワ・ソヴィエト、ゼネストをアピール。モスクワの労働者が武装蜂起するが、軍隊によって鎮圧。
- 1906年2月
- 前年にニコライ二世が発表した「十月宣言」を支持する地主や資本家たちが十月党を創立。
日本社会党、イギリス労働党成立。
- 4月
- ロシア首相のヴィッテ退陣、憲法発布、第一回国会(ドゥーマ)が召集される。
- 7月
- ストルイピンが首相就任。革命運動を鎮圧するとともに、帝政の枠内で近代化につとめるが、農村共同体(ミール)を解体し、個人の土地所有を認める土地改革に着手して挫折。
- この年、徳富蘆花、ロシアにトルストイを訪問。同年、島崎藤村『破戒』を発表。
- 1907年2月
- ロシアで第二回国会開会。
- 6月
- ロシア第二国会の社会民主党議員逮捕、第二国会解散、選挙法改正。
- 7月
- 第三次日韓条約調印。米国の対日市場開放圧力により、日露が接近、第一次日露協約締結。
- 11月
- ロシアで第三回国会。社会民主党議員に対する裁判に抗議して、ペテルブルクの労働者約十万人がスト。
- この年、二葉亭四迷『平凡』を発表。
- 1908年7月
- 立憲運動組織・青年トルコ党の反乱。
- 10月
- オーストリア、ボスニア・ヘルツェゴビナ併合。ギリシャはキプロスを併合。
- 12月
- ロンドンで、十カ国が集まり、軍縮会議。日本は観戦保有比率を押さえこまれ、軍部が反発。軍国主義化への転換点となる。
- この年、二葉亭四迷、ロシアを訪れる。帰国の途上、インド洋上で病死(1909)。
- 1909年10月
- 伊藤博文、韓国の独立運動家・安重根にハルピン駅頭で射殺される。
- この年、ディアギレフ、ロシアバレエ団を結成。パリで公演をし大喝采を浴びる。アンナ・パブロワやニジンスキーを擁し、バレエ音楽の作曲にはドビュッシー、ラヴェル、サティ、ストラヴィンスキー、舞台装置にはピカソやキリコを起用。バレエを総合芸術として新しい領域にまで高めることとなる。
- 1910年5月
- 大逆事件。明治天皇暗殺未遂の名目で、幸徳秋水ら社会主義者、無政府主義者が弾圧される。
- 8月
- 日韓併合。
- 1911年1月
- 「大逆事件」判決、幸徳秋水ら死刑に。
- 9月
- ロシア首相のストルイピン、キエフの劇場で暗殺される。
- 10月
- 辛亥革命により清朝倒れる。孫文が臨時大総統に就任して、共和制を宣言。
- 1912年1月
- ロシア社会民主労働党のレーニン派、大会でメンシェヴィキと決別し、ボリシェヴィキ党結成。
- 4月
- ボリシェヴィキ党機関誌として『プラウダ』創刊。
- 10月
- 第一次バルカン戦争勃発。
- 11月
- スイスのバーゼルで、第二インター臨時大会が開かれ、戦争反対の宣言採択。
- 1913年2月
- ロマノフ王朝三百年記念祭。大赦が行われる。
- 6月
- 第二次バルカン戦争。
- 7月
- 中国第二革命失敗。孫文ら日本に亡命。
- 1914年1月
- ロシア国会再開。
- 6月
- ボスニアのサラエヴォで、オーストリア皇太子が汎スラブ主義者によって暗殺される。
これが引き金となり、第一次世界大戦勃発。
- 7月
- ケレンスキーを中心に、ナロードニキ系諸組織代表会議。
- 8月
- 独ソ戦開戦。
- 11月
- チェコでマサリクら革命を起こし、スロヴァキアと合同で、チェコ独立を宣言。
- この年、首都サンクト・ペテルブルクの呼称を、敵国のドイツ語風から、ロシア語風のペトログラードに改称。
- 1916年1月
- 首都ペトログラードで首都労働者スト、ゴムレイキン首相解任、後任シチュルメル。
- 4月
- ドンバスの炭坑夫、鉄鋼労働者のスト。
- 6月
- レーニン、『帝国主義論』をあらわす。
- 11月
- シチュルメル・ロシア首相解任、後任トレーポフ。
- 12月
- ラスプーチンが暗殺される。トレーポフ首相解任、後任ゴリーツィン。
- 1917年2月
- ペトログラード労働者のゼネスト。さらにペトログラード労働者、兵士ソヴィエト成立から二月革命へ。
- 3月
- 皇帝ニコライ二世退位。臨時政府成立。即時に戦争継続を表明。
- 4月
- レーニン、「封印列車」にて帰国。「帝国主義戦争に反対のため、祖国防衛主義に反対する」とした四月テーゼを発表。
- 5月
- トロツキー帰国、ボリシェヴィキ支持を表明。
- 6月
- 労兵ソヴィエト第一回全国大会。
- 7月
- エスエル党出身のケレンスキーが首相となり、内閣成立。
- 9月
- ボリシェヴィキ、ソヴィエトの多数派となる。トロツキー、ソヴィエト議長となる。
- 10月
- ペトログラードに、ソヴィエト政権樹立。
- 11月
- 11月革命(ロシア歴10月革命)。ボリシェヴィキの武装蜂起によって、ケレンスキーの臨時政府が一夜で倒れる。直後に、反革命軍・外国軍と闘うため、赤衛隊(のちの赤軍)が結成される。ケレンスキーはアメリカへ亡命。
- 12月
- KGBの前身となる秘密警察組織、チェーカー(反革命・サボタージュ取り締まり全ロシア非常委員会)が創設される。
- この年、レーニン『国家と革命』をあらわす。同年、中国では、第三革命。孫文を大元帥とする軍政府、広東に樹立。
- 1918年1月
- 憲法制定会議開かれる。解散後、ボリシェヴィキ独裁が実現。レーニンは「当分の間」と称したが、現実にはプロレタリア階級独裁ではなく一党独裁、さらには個人の独裁へと進む。「土地社会化法」公布。赤軍創設。ドン・コサックの反乱により、内線の火蓋が切られる。
- ドイツ各地で政治ストライキ。ベルリンの武装蜂起にまで至り、皇帝が退位、共和国宣言へと繋がる。
- 米大統領ウィルソン、第一次大戦終結のための十四ヶ条の綱領発表。
- 3月
- ブレスト・リトフスク条約(ロシアとドイツ・オーストリアの間の講和条約)締結。
- ロシア社会民主労働党からロシア共産党と改称。首都をモスクワに移転。トロツキーが軍事人民委員に就任し、赤軍の指導者となる。
- 7月
- エカチェリンブルクで、前皇帝ニコライ二世一家殺害される。
ソヴィエト共和国憲法を可決。
- 7月から9月にかけて、日本では米騒動が勃発。このために寺内内閣が倒れる。
- 8月
- シベリア出兵。日米英の陸戦隊、ウラジオストックに上陸、ロシア革命への武力干渉始まる。
- 9月
- ロシア共産党、反革命に対する赤軍テロルの敢行を、公然と宣言。
- 10月
- オーストリア革命。皇帝が退位し、社会民主党臨時政府成立。
チェコスロヴァキア、ポーランド、ブルガリアが共和国宣言。
ポーランド、オーストリア、ドイツで相次いで共産党結成。
- 11月
- ドイツ臨時政府が休戦条約に調印し、第一次世界大戦終結。
英国、イスラエル建国を約束したバルフォア宣言を発表。十五年にはパレスチナを含むアラブの独立を約束しており、二枚舌外交のため、現在位に至るパレスチナ問題の種がまかれる。
- この年、武者小路実篤ら「新しい村」建設。また、吉野作造を中心に民本主義的思想啓蒙団体・黎明会が結成され、東京帝国大学内には、吉野作造らが後援した社会主義思想の学生運動団体、新人会が生まれる(〜29年)。
- 1919年3月
- ムッソリーニ、ミラノで反共産主義のファシスト党を組織。
第3インターナショナル(コミンテルン)創設。ロシア共産党の指導の下、20年末ま では世界革命を目指す急進政策を採る。
- 6月
- 第一次大戦の戦後処理のためのヴェルサイユ条約締結。
ドイツ革命鎮圧、指導者のローザ・ルクセンブルグとリープクネヒトら殺害される。ワイマール憲法が制定。また、ブルガリア、アメリカに共産党創立。
- この年、「改造」、「解放」創刊。
- 1920年1月
- 国際連盟成立。
- 4月
- ソ連、ポーランドと開戦。
- 5月
- 日本、最初のメーデー、普通選挙大会デモ。
- 7月
- コミンテルン第2回大会が開かれ、「21ヶ条加入条件」など決定。
- 10月
- ドイツの共産党(スパルタクス・ブント)と独立社会民主党左派、統一ドイツ共産党を結成。
- この年、ベルギー、フランスに共産党結成。また、日本では大杉栄、堺利彦、山川均らが「日本社会主義同盟」創立。
- 1921年2月
- 赤軍、グルジアに侵攻。国家計画委員会(ゴスプラン)創設。
- 3月
- クロンシュタットの水兵が反乱。トロツキーらがこれを弾圧。飢饉が頂点に達したため、第10回党大会で食料強制徴発策を放棄、農民の手元に食糧が残るようにした。戦時共産主義の結果、極度に低下した生産回復のため新経済政策(NEP)はじまる。
- イタリアではこの年、ムッソリーニ、正式にファシスト党を結成。
- 7月
- コミンテルンの働きかけで、片山潜ら、日本国内で非合法に共産党を結成する。
- この年、日本では社会主義同盟結社禁止。
- 1922年4月
- スターリン、共産党の書記長に就任。
- 11月
- モスクワで開かれたコミンテルン第4回大会で、日本共産党はコミンテルン支部として正式に後任される。
- 12月
- 第1回全連邦ソヴィエト大会にて、ソ連邦樹立宣言。
- この年、山川均、荒畑寒村らは、「前衛」創刊。大杉栄らは、「労働運動」復刊。一方、同じこの年にベルジャーエフ、ブーニン、メレシコフスキイら数百人におよぶロシアの知識人たちがソ連に失望し、亡命。
同月にイタリアで、ムッソリーニがローマに進軍、ファシスト内閣成立。
- 1923年3月
- レーニン、病に倒れる。スターリンは、ジノヴィエフ、カーメネフらと「トロイカ」(三人組)を作り、トロツキーに対抗。トロツキーは書簡にて、党指導部を攻撃。
- 7月
- ソ連邦憲法成立。
- 9月
- クロポトキンの翻訳・紹介などをした無政府主義者・大杉栄が、関東大震災の際に憲兵大尉甘粕正彦によって、妻とともに殺害される。関東大震災では、多数の朝鮮人、社会主義者らが虐殺された。
- 11月
- ドイツでは、ヒトラーがミュンヘン暴動を起こし鎮圧される。
- 12月
- トロツキー『新しい路線』を「プラウダ」に発表。党内闘争激化。
レーニン、遺書を作成し、スターリンを批判。
日本では第一次共産党検挙。
中国では孫文が国民党を改組し、共産党員の入党を容認する。
- 1924年1月
- レーニン死す。ペトログラードをレニングラードと改称。
イギリス労働党政府成立。
- 3月
- 日本共産党、解党を決議。
- 9月
- トロツキー『十月の教訓』を発表。「トロイカ」体制とトロツキーの対立が激化する。
国際連盟第五回総会、軍縮議案を可決。
- 10月
- 中国国民党第一回全国代表者会議、国共合作。
- 11月
- イタリア・ファシスト党が、選挙で議席の65%を獲得。
- 12月
- スターリン「一国社会主義論」発表。
- この年、英・仏などソ連を承認。
- 1925年1月
- ソ連党中央委員会、トロツキーを批判。トロツキーは軍事人員委員を解任される。カーメネフは、政治局員を解任される。
日本、ソ連を国家として正式承認。
イタリア・ファシスト党、独裁宣言。
- 4月
- 日本、治安維持法公布。
- 5月
- 日本、普通選挙法公布。日本労働組合評議会結成。
- 1926年7月
- 蒋介石、北閥開始。
- 10月
- トロツキーとジノヴィエフ、政争に敗れて政治局員を解任される。
- 11月
- 中国国民党左派と共産党連立の武漢政府樹立。
- 1927年2月
- 朝鮮共産党結成。
- 7月
- コミンテルンの日本問題特別委員会は、従来の日本共産党の理論的支柱だった福本イズムを退け、大衆革命路線の「27年テーゼ」を日本共産党代表に押しつける。
芥川龍之介自殺。享年36歳。
ウィーンで社会主義者蜂起。
- 10月
- 毛沢東、井岡山で革命根拠地建設に着手。
- 11月
- トロツキー、ジノヴィエフ、党を除名される。
- 12月
- 共産党第十五回大会。第一次五カ年計画の作成と、集団農場のコルホーズ、ソフホーズの建設を決定。
中国、広東コミューン樹立するが、国民党軍の攻撃により壊滅。
- 1928年1月
- 日本初の普通選挙が実施される。
- 2月
- 日本共産党機関紙「赤旗」創刊。
- 3月
- 第二次共産党検挙(3・15事件)。
- 6月
- 張作霖爆死事件。
- 7月
- 日本、特別高等警察を創設、憲兵隊に思想係を設置。
- 8月
- コミンテルン第6回世界大会(モスクワ)。社会民主主義者およびトロツキスト・グループをソ連共産党から除名する決議。
- 1929年1月
- トロツキー、国外追放される。
- 2月
- ナルプ(日本プロレタリア作家同盟)創立。
- 3月
- ベルリンで、反ファシズム国際大会開催。
- 10月
- ニューヨーク、ウォール街の株式市場で大暴落が起こり、「暗黒の木曜日」。全世界を大恐慌に巻き込む。
- 11月
- 共産党中央委員会総会、ブハーリン、ルイコフらを政治局から追放。スターリンの独裁支配体制が確立する。
- 12月
- 農村の集団化推進。「階級としての富農の絶滅」をスローガンとして採用。多数の農民を流刑に処す。少数民族の強制移住、流刑の組織化。
インド国民会議、ガンジーの独立決議案を可決、大衆的不服従運動を決定。
- 1930年9月
- ドイツ総選挙でナチスが躍進、第二党となる。
- 12月
- スペインで、共和主義者が蜂起するも、政府軍に鎮圧される。
- 1932年1月
- 上海事変勃発。
- 5月
- 5・15事件。海軍青年将校が指導したクーデター。首相官邸などを襲い、犬養毅首相を射殺。
- 1933年1月
- ヒトラー内閣成立。
- 2月
- 小林多喜二、30歳で特高警察に虐殺される。
- 3月
- 日本、国際連盟を脱退。ドイツも脱退。
- ソ連で第2次5カ年計画始まる。また、この年、農業集団化がほぼ達成。そのため、農業は壊滅的打撃を受け、33年から34年にかけて大飢饉発生。死者は400万から1000万人ともいわれる。アメリカ、ソ連を国家として承認。
- 1934年9月
- ソ連、国際連盟に加入。同月、満州事変勃発。関東軍、満州に侵攻。
- 12月
- ソ連共産党政治局員のキーロフが暗殺される。この事件をきっかけとして、30年代後半以降の大粛清が始まる。
- 1935年1月
- ジノヴィエフ、カーメネフ逮捕。キーロフ暗殺事件は、トロツキーが首謀者のテロ陰謀事件であるとするモスクワ裁判が行われる。
- 4月
- 美濃部達吉の「天皇機関説」が告発される。
- 7月
- コミンテルン第7回世界大会。反ファッショ統一戦線、人民戦線の方針を決定。
- 1936年1月
- ロシア文学・芸術界で形式主義(フォルマリズム)批判キャンペーンが始まり、同時に大粛清が始まる。600人以上の作家、芸術家が収容所に送られる。
- 2月
- 2・26事件。陸軍の皇道派青年将校らが、首相官邸などを襲撃したクーデター。事件後、軍部の政治力が著しく強くなる。
- 5月
- 阿部定事件。日本大衆の関心は、暗さを深めていく一方の時局よりも、同事件の猟奇性に集中したといわれる。
- 8月
- モスクワ裁判。ジノヴィエフ、カーメネフら処刑。
ベルリン・オリンピック開催。
- 11月
- ベルリンで日独防共協定調印。
- 12月
- スターリン憲法発布。
- 1937年
- ソ連体制の欺瞞を暴いた、トロツキーの『裏切られた革命』が西側で出版される。
- 1938年3月
- 新劇女優、岡田嘉子と劇団演出家、杉本良吉)が37年末にソ連へ亡命。「赤い恋の逃避行」といわれたが、のちに杉本はソ連当局によって処刑される。
- ブハーリン、ルイコフら銃殺。さらに、獄中のスターリン反対派を大量に虐殺。以後、「人民の敵」として粛清された人の数は数百万人に達するともいわれるが、いまだにその実数は分からない。
この年、日本では、国家総動員法施行。
- 1939年5月
- 満州国西部国境で、ノモンハン事件勃発。日本の関東軍はソ連・モンゴルの機械化部隊に完敗。
- 8月
- 独ソ不可侵条約締結。
- 9月
- ナチスドイツ、ポーランドに侵攻、第二次世界大戦勃発。
- 11月
- ソ連、フィンランドに侵入。この年、米国に亡命していたアインシュタインが、ルーズベルト大統領にウランの核分裂エネルギーは爆弾製造に可能との手紙を出す。これが原爆開発の第一歩となる。
- 1940年7月
- ソ連、バルト三国を併合。
- 8月
- トロツキー、亡命先のメキシコで暗殺される。
- 9月
- 日独伊三国軍事同盟。
- 10月
- 日本、大政翼賛会発足。
- 11月
- 紀元2600年式典が大々的に行われる。
- この年、チャップリン「独裁者」を完成させる。
- 1941年4月
- 日ソ中立条約締結。
- 6月
- 独ソ戦始まる(ソ連ではのちに大祖国戦争と呼ばれる)。
- 8月
- ドイツ軍、レニングラードを包囲(〜44年1月)。長期にわたる封鎖で、ソ連市民に餓死者が続出。
- 10月
- 東条内閣成立。同月、元朝日新聞記者で近衛内閣ブレーンの尾崎秀美とドイツ大使館員のゾルゲが逮捕され、二人ともコミンテルン本部のスパイと断定される。いわゆる「ゾルゲ事件」。ソ連はのちに、ゾルゲに国家勲章を授与した。
- 12月
- 日本軍、真珠湾攻撃を敢行、太平洋戦争(大東亜戦争)に突入。
- 1942年1月
- 日独伊の枢軸国に対する連合国(26カ国が結成)。
- 6月
- ミッドウェー海戦で、日本の連合艦隊壊滅。以後、日本は敗退を重ねてゆく。
- 7月
- 第二次大戦下、独ソ戦の天王山となったスターリングラード攻防戦(〜43年2月)で、多大な犠牲の上にソ連軍が勝利をおさめる。
- 1944年6月
- 連合軍、ノルマンディー上陸作戦開始。
- 7月
- 日本では、学童疎開が始まる。
- 8月
- ワルシャワので、ソ連の支援を信じて、対独レジスタント一般市民が、ドイツ軍に対して一斉蜂起。しかし、ソ連軍は支援せず、見殺しに。ワルシャワ市民の死者は二十万人におよんだ。
- この年、スターリンの命令により、チェチェン人の中央アジアへの強制移住が行われ、多数の犠牲者を出す。
- 1945年2月
- 英、米、ソによるヤルタ秘密会談が開かれ、対ドイツ戦の戦後処理と、ソ連の対日本参戦が決定される。
- 3月
- 東京大空襲。百万人が焼け出された。死者は推定で約十万人。
- 4月
- 米軍、沖縄に上陸。
- 5月
- ドイツ降伏。
- 7月
- ドイツのポツダムで、トルーマン、チャーチル、スターリンの英、米、ソ三国首脳が会談し、対日ポツダム宣言が採択され、日本に無条件降伏を勧告する。
- 8月
- 広島、長崎に原子爆弾が投下される。間をおかずにソ連が、日ソ中立条約を一方的に破棄して対日参戦。日本はポツダム宣言を受託し、第二次世界大戦終結。
- 11月
- GHQによって第一次農地改革が行われる。
- 1946年1月
- 天皇人間宣言。
- 5月
- 極東国際軍事裁判はじまる。
- 7月
- アメリカが、ビキニ環礁で原爆実験。
- 11月
- 日本国憲法発布。
- 1947年8月
- インド・パキスタン独立。
- 9月
- コミンフォルム(共産党・労働者党情報局)結成。ソ連をはじめ奥羽州の九カ国の共産党が組織。
- 1948年1月
- マハトマ・ガンジーがニューデリーで暗殺される。
- 4月
- ソ連が、ベルリン封鎖を開始。2ヶ月後、ベルリンは東西に分断され、冷戦が始まる。
- 5月
- イスラエル建国。これを認めないアラブ側が攻撃を開始、第一次中東戦争勃発。アラブ側が大敗し、イスラエルは分割案の1・5倍の領域を獲得。
- 6月
- コミンフォルム、チトー率いるユーゴスラヴィアを除名。以後、ユーゴは独自の社会主義建設と中立外交をとる。
- この年、日本でドストエフスキーの『罪と罰』(米川正夫訳)が、ベストセラーに。
- 1949年1月
- ソ連・東欧の経済相互援助会議(コメコン)設立。
- 2月
- GHQ下の日本で、レッドパージが始まる。
東西ドイツが、それぞれ成立する。東ドイツはコミンフォルムに加盟する。
- 7月
- 下山・三鷹事件。
- 9月
- ソ連、原爆の保有が明らかになる。
- 10月
- 中華人民共和国樹立。
- 1950年1月
- コミンフォルム批判を契機に、日本共産党内で、徳田球一ら主流派と、宮本顕治ら反主流派の対立が激化。翌2月に、日共の最高指導者・野坂参三が、コミンフォルム批判を受け入れ、自己批判を発表する。
- 2月
- アメリカ共和党マッカーシー議員が、国務省に五七名の共産党員がいると演説。ヒステリックな「赤狩り」が始まる。
- 6月
- 金日成率いる北朝鮮が南侵を開始、朝鮮戦争勃発。
- 7月
- 警察予備隊創設。
- 1951年9月
- サンフランシスコ平和条約(アメリカなど四八カ国との対日平和条約)締結。米軍の日本駐留を認める日米安全保障条約が結ばれる。
- 1952年2月
- イギリス、チャーチル首相が原爆保有を公表。
- 4月
- 日華平和条約を、台北で台湾国民政府と結ぶ(72年の日中国交回復で失効)。
- 5月
- 日本で血のメーデー事件。
- 7月
- ヘルシンキ五輪。革命後初めてソ連が参加。日本も、ベルリン大会以来の参加。
- 10月
- 日本で保安隊創設。
- 11月
- ユーゴ共産党大会が開かれ、ソ連は侵略的帝国主義国であると決議。自らの党名を共産党から共産主義者同盟に変更。
- 1953年3月
- スターリン死亡。そのニュースで、日本でも株式大暴落。
- 5月
- ダ レス米国務長官、インドシナの共産化が、全南アジアの共産化を引き起こすという「ドミノ理論」を発表。米国がベトナム戦争の泥沼に踏み込んでゆく基礎を築く。
- 7月
- 朝鮮戦争休戦。同月、スターリンの下で、大粛清を指揮してきたベリヤ逮捕。のちに銃殺。
- 9月
- フルシチョフ、ソ連共産党第一書記に就任。
- 1954年2月
- 力道山・木村組対シャープ兄弟の試合を、連日テレビ中継。街頭テレビの前は、黒山の人だかりとなった。
- 3月
- 米国、ビキニ環礁で、水爆実験を敢行。第五福竜丸被爆。
- この年、保安隊が自衛隊に改称される。西ドイツでは、再軍備開始。
- 1955年1月
- 春闘始まる。
- 11月
- ソ連、水爆投下実験を行う。
- 1956年1月
- ソ連共産党第20回党大会にて、フルシチョフが、スターリン批判の秘密報告を行う。
- 6月
- ポーランドで反ソ活動のゼネスト、ポズナン暴動。
ユーゴ大統領・チトー、訪ソ。
- 9月
- フルシチョフ、ユーゴを訪問。自主路線を認める共同宣言を発表。
- 10月
- ハンガリーで、共産党独裁支配に抵抗する大規模な民衆蜂起が起こる。いわゆるハンガリー動乱。ソ連軍が介入して、全土を鎮圧。国際的非難を浴びる。当時、ハンガリーの首相だったイムレ・ナジは、複数政党制を進めるなど、民衆の要求に応じる姿勢をみせたため、ソ連介入後の五八に、反逆罪で処刑される。
スエズ動乱(第二次中東戦争)。スエズ運河の国有化に対し、英・仏・イスラエルが、エジプトに侵攻。国際世論の批判を受けて撤退。
日ソ国交回復。鳩山一郎とブルガーニンの日ソ両首相が、日ソ共同宣言に調印。
「雪融け」によって、コミンフォルム解散に。
- この年の『経済白書』は、「もはや戦後ではない」と、復興を力強く宣言。
- 1957年6月
- 党中央委総会で、マレンコフ、モロトフ、カガノビッチ、シェピーロフらを、反党グループとして追放。
- 8月
- ソ連が、大陸間弾道弾(ICBM)の実験に成功。米国は、ソ連より4ヶ月遅れの同年12月に開発成功を発表する。核戦力による均衡の時代の到来。
- 10月
- ソ連、アメリカを出し抜いて、世界初の人工衛星「スプートニク一号」打ち上げに成功。
- 12月
- カイロで、第一回アジア・アフリカ人民連帯会議開催。アルジェリア民族解放闘争支持。
- 1958年7月
- ブルガーニン首相を解任、フルシチョフが第一書記と首相を兼任することに。
- 11月
- 皇太子妃に、日清製粉社長正田英三郎氏長女、美智子さんが内定。
- 1959年1月
- キューバ革命。
- 3月
- チベットで反中国蜂起。中国はチベットに武力介入。ダライ・ラマは、印度に亡命する。中国、劉少奇が国家主席に。毛沢東は党主席に専念。
- 4月
- 毛沢東、千五百万人ともいわれる餓死者を出した「大躍進」政策の責任をとり、国家主席を辞任。同月、日本では皇太子ご成婚にわく。
- 9月
- フルシチョフ訪米、国連総会で軍縮を提案。続けてフルシチョフは訪中、毛主席と会談するが、共同声明は出せず、中ソ対立が表面化する。
- 1960年1月
- 三池闘争。
- 4月
- 中国が、ソ連の平和共存政策を公然と批判する。フルシチョフは、ルーマニア労働党大会で中国の批判に対し、反論。
- 5月
- 日米安保条約を、単独強行可決。
ソ連最高幹部会議長に、ブレジネフ就任。
- 6月
- 安保闘争で、デモ隊が国会突入。東大生の樺美智子が死亡。日米安保条約は、自然承認となる。
- 10月
- 社会党委員長・浅沼稲次郎、右翼青年に刺殺される。
- 11月
- 米大統領選で民主党のジョン・F・ケネディが、共和党のニクソンを破って当選。
- 12月
- 池田内閣、所得倍増論を発表。
- この年、アフリカでは、17カ国がたて続けに独立。「アフリカの年」と呼ばれる。
- 1961年1月
- 米国、キューバとの国交を断絶。
- 4月
- ソ連が打ち上げた、世界初の有人宇宙船ボストーク5号が帰還。宇宙飛行士のガガーリン少佐は「地球は青かった」という言葉を残した。
キューバの反革命軍、米軍の支援のもと、キューバを侵攻。
- 5月
- ハバナ宣言。キューバのカストロ首相、キューバ革命は社会主義革命であると宣言。
- 6月
- ウィーンでケネディ・フルシチョフ会談。ラオス中立化合意。
東ドイツ、東西ベルリン境界に壁を作る。
- 1962年3月
- アルジェリア独立。
- 10月
- キューバ危機。ソ連がキューバ国内に建設中のミサイル基地の撤去を米国が要求して、米ソが対立、第三次大戦の一歩手前にまで至るが、ソ連がミサイルをキューバから撤去して終息。
- 1963年6月
- ソ連の有人宇宙船ボストーク6号の打ち上げに成功。初の女性宇宙飛行士テレシコワは、チェーホフの『かもめ』のセリフ「私はカモメ」と地上に送信。同日、中国共産党がソ連共産党に公開書簡を送り、全面的な中ソ論争開始。
- 8月
- 英米ソ、部分的核実験停止条約を調印。中仏は不参加。
- 11月
- 南ベトナムで軍部クーデター。同月、米国のダラスでケネディ大統領暗殺される。通信衛星による日米間テレビ中継の第一回が、このニュースだった。
- 12月
- 戦後のヒーロー力道山、暴力団員に刺殺される。
- 1964年8月
- トンキン湾事件。米駆逐艦が、北ベトナム魚雷隊の攻撃を受ける。
- 9月
- フルシチョフ、訪ソした日本の国会議員親善使節団と会見し、「米国が沖縄を返せば、ソ連はいつでも歯舞・色丹を返還する」と発言。いまだにこの「公約」は実現していない。
- 10月
- 党中央委総会で、フルシチョフが第一書記を解任され、後任にブレジネフが就任。
東海道新幹線開業。東京オリンピック。
- 1965年2月
- 日韓条約調印。同月、米国は南ベトナム支援のため、米軍を本格的に投入。
- 3月
- ソ連のボストーク2号、人類初の宇宙遊泳に成功。同月、ソ連は北ベトナムへの支援を開始。中国もそれに同調。
- 4月
- ベトナム戦争に反対する市民運動・ベ平連、初のデモ行進。小田実、開高健、堀田善衛らが参加。
- 8月
- 北ベトナムの民族解放戦線が、南ベトナムのサイゴン市内に入る。
- 9月
- インド、パキスタン両軍、カシミールで激突。ソ連コスイギン首相が印パ調停会談を提案。実現へ。
- 1966年2月
- ソ連のルナ9号、月面軟着陸。
中国で文化大革命はじまる。毛沢東が権力を再奪取するために、「造反有理」というスローガンで若い紅衛兵らを焚きつけたこの「革命」は、中国を大混乱におとしいれ、多大な犠牲を強いることとなる。
- 4月
- ソ 連共産党第23回大会で書記長制度復活。ブレジネフが就任。
- 6月
- ビートルズ来日。
- 1967年2月
- 米軍、ベトナムの非武装地帯で「枯れ葉作戦」開始。のち、ベトナムで奇形児が多数生まれる原因となる。
- 6月
- 第三次中東戦争(六日間中東戦争)。イスラエルが先制、六日間で圧勝。アラブをソ連が、イスラエルをアメリカが、それぞれ支援。
- 7月
- ヨーロッパ共同体(EC)成立。
- 1968年1月
- 米原子力空母「エンタープライズ」の佐世保入港阻止闘争。
- 3月
- ソンミ虐殺事件。南ベトナムのソンミ村で、米陸軍の小隊が、子ども、老人、女性だけの村を襲い、村民を虐殺。翌年3月、帰還兵が調査を要請したため、この蛮行が明るみとなる。
成田空港建設に反対する三里塚闘争が始まる。東大の医学部のインターン闘争を発端とした東大闘争で、学生が安田講堂を占拠。
- 4月
- チェコ共産党、言論・宗教の自由を認める新綱領採択。いわゆる「プラハの春」。
- 5月
- ベトナム・パリ和平会談。
日大闘争。日大の使途不明金をめぐっての抗議集会から始まり、6月にはバリケード封鎖をして、機動隊と衝突する。
パリ5月革命。パリ大学の施設改善要求を求める学内集会を発端とし、労組によるゼネストにまで発展。
- 7月
- 東大の反日共系学生ら250人が、再び安田講堂をバリケード封鎖。東大全共闘結成へ。
- 8月
- チェコ事件。ソ連軍をはじめ、ワルシャワ条約機構に加盟する五カ国軍隊が、チェコ領内に武力侵攻、プラハを制圧。ドプチェク第一書記らを逮捕し、モスクワへ連行。「プラハの春」終わる。中国は、ソ連を「社会帝国主義」と非難。
- 10月
- 米国のジョンソン大統領は、ベトナムの北爆の全面停止を表明。
- 11月
- ベトナム戦争終結のために、拡大パリ和平会談が開かれる。
永 山則夫の連続射殺事件。房内で『無知の涙』を執筆、出版。
中国共産党十二中全会において、劉少奇元国家主席の除名決議を全会一致で採択。毛沢東一派が政争で優勢に立つ。
- 12月
- 東大、東京教育大がストライキの影響で入試を中止に。
- 1969年1月
- スウェーデンが、西側諸国では最初に北ベトナムを承認。
東大の安田講堂攻防戦。機動隊の放水によって強行突破される。
- 3月
- チェコ、ドプチェク第一書記辞任。
- 4月
- 中共九全体会で、林彪を毛沢東の後継者とした新党規約と政治報告採択。
- 7月
- アポロ11号、月面着陸に成功。宇宙開発競争でソ連に後れをとっていたアメリカが、追いつき、追い越したことを誇示。
- 9月
- ベトナム共産党の指導者で、ベトナム民主共和国大統領のホー・チミン死去。
- 11月
- 劉少奇中国前国家主席、獄死。
大菩薩峠で武闘合宿訓練をしていた赤軍派53人が、凶器準備集合罪現行犯で逮捕される。
- 1970年3月
- よど号事件。日航機をハイジャックした赤軍派は、北朝鮮のピョンヤンへ亡命。
米ニクソン大統領、カンボジア領内への米軍侵攻命令を出す。続いて北爆再開。
- 11月
- 三島由起夫、楯の会のメンバーとともに自衛隊市ヶ谷駐屯地で、総監を人質にたてこもり、自衛隊員にクーデターを呼びかけ、その後、割腹自殺。
- この年、大阪万国博覧会が開かれる。
- 1971年6月
- 日米間で、沖縄返還協定調印。
- 8月
- ドル・ショック。ニクソン米大統領が、金とドルの交換の一時停止を発表。
- 9月
- 林彪副主席、毛沢東暗殺のクーデターに失敗。飛行機で逃亡中、モンゴルで墜落死。
フルシチョフ前ソ連共産党第一書記、、心臓発作で死亡。
- 10月
- 中国、国連復帰。
- 1972年1月
- 北アイルランドで「血の日曜日」事件。カトリック系住民のデモ隊と英軍が衝突し、13人死亡。
- 2月
- ニクソン米大統領訪中し、米中共同声明を発表。アメリカが事実上、中共を承認。
札幌オリンピック開幕。
浅間山荘事件。武装した連合赤軍が群馬県の浅間山荘に立てこもり、放水とガス弾で攻撃する警察に対し、ライフルで応戦、その模様がテレビ中継された。
- 3月
- インド、バングラデシュ友好協力平和条約調印。
連合赤軍リンチ殺人事件。群馬県妙義山の連合赤軍のアジト付近で殺人死体が見つかる。「総括」の名のもとにリンチで殺されたメンバーの数は14人にのぼり、その中には妊婦も含まれていた。
- 4月
- 米国が4年ぶりに全面北爆を再開。これに応じ、北ベトナムのミグ戦闘機が、トンキン湾で米鑑を初攻撃。
- 5月
- ニクソン米大統領、訪ソ。ブレジネフ書記長と会談。戦略兵器制限条約調印。
沖縄復帰。
- 7月
- 田中角栄内閣スタート。この年、田中角栄の『列島改造論』がベストセラーとなり、土地投機熱が煽られる。
- 9月
- ミュンヘン五輪選手村に、パレスチナ・ゲリラ「黒い九月」侵入。イスラエル選手宿舎で二人を射殺。
日中国交正常化。田中角栄首相が訪中し、日中共同声明調印。
- 11月
- 元女優の岡田嘉子が、34年ぶりに亡命先のソ連から帰国。
- 1973年1月
- ベトナム。和平協定が調印され、3月までに米軍は撤兵。
- 2月
- ラオス内戦終結。
- 4月
- ウォーターゲート事件発覚。ニクソン大統領が、政敵の民主党の事務所に盗聴器の設置を指示したことが明るみに出る。
- 8月
- 金大中事件。韓国の野党、新民党の元大統領候補・金大中(現韓国大統領)が、来日中に拉致され、ソウル市内の自宅で発見された。拉致事件に韓国政府機関が関与したと見られている。
- 9月
- ソ連の「水爆の父」と呼ばれる核物理学者アンドレイ・サハロフ博士が、記者会見を開き、ソ連では多数の反体制派が精神病院に隔離され、投薬で知的能力を奪われていると暴露する。
- 10月
- 第四次中東戦争。イスラエル軍とエジプト・シリア両軍がシナイ半島とゴラン高原でぶつかる。アラブ側が石油戦略に出たため、石油危機が発生。
ソルジェニーツィンの『収容所群島』がパリで発表され、ソ連の強制収容所の実体が明らかになり、衝撃を呼ぶ。
- 1974年2月
- ソルジェニーツィン、市民権を剥奪され、国外追放となる。
- 8月
- ウォーターゲート事件により、下院で弾劾され、ニクソン大統領辞任。後任の大統領には、副大統領から昇格したフォードが就任。
「東アジア反日武装戦線」による三菱重工爆破事件で、八人が死亡。
- 9月
- ハーグ事件。オランダのハーグで、日本赤軍がフランス大使館を襲撃。
- 10月
- 「文芸春秋」誌上で、立花隆が田中金脈を暴く。これを契機に、田中首相の金脈問題が国会でも追及される。同月、「東アジア反日武装戦線」による三井物産爆破事件。
- 11月
- 田中首相、辞意を表明。
- 12月
- 三木内閣発足。同月、大成建設爆破事件。これも「東アジア反日武装戦線」の犯行。
- 1975年4月
- サイゴン陥落。南ベトナム民族解放戦線の猛攻により、南ベトナム政府が壊滅。
- 5月
- 一連の企業爆破事件の疑いで、「東アジア反日武装戦線」のメンバー逮捕。
- 8月
- 日本赤軍がマレーシアのクアラルンプールで、米大使館とスウェーデン大使館を占拠。人質を取り、日本で拘置されているメンバーの釈放を要求。「超法規的措置」として、日本政府は要求を呑む。
- 12月
- サハロフ博士に対し、ノーベル平和賞の授与が決定。ソ連がサハロフに出国許可を出さなかったため、オスロでの授与式には、エレーナ夫人が代理で出席。
フランス、ランブイエで第一回サミット(先進国首脳会議)。
- この年、ソ連は干ばつでアメリカ、カナダなど西側諸国から小麦やトウモロコシの買い付けを行う。
- 1976年1月
- 周恩来首相が、北京の病院で死去。華国鋒が首相代行に。
- 2月
- ロッキード事件発覚。
- 7月
- ベトナム社会主義共和国成立。
ロッキード事件の被告として、、全日空と丸紅の幹部逮捕。続いて田中角栄逮捕。
- 9月
- ソ連空軍の最新鋭戦闘機ミグ25が、函館空港に強行着陸。飛行士のベレンコ中尉が、米国への亡命を求める。
毛沢東死去。
- 10月
- 華国鋒首相、文革によって権力を握った毛沢東の三番目の夫人江青ら四人組逮捕。
- 12月
- 米国で、アップルコンピュータ社設立。アップル1発表。パソコンによる情報化社会の扉が開かれる。
- 1977年5月
- 日本共産党、歯舞・色丹を北海道の一部とし、ソ連に返還を求める新見解。
- 9月
- 日本赤軍、パリ発東京行の日航機をハイジャック、バングラデシュのダッカ空港に強行着陸。
- 11月
- 「赤の広場」でロシア革命六〇周年記念式典。中国外相として11年ぶりに黄華外相が出席。同月、ブレジネフ書記長訪米。
- 1978年5月
- 成田空港、強制開港。
- 11月
- ソ連・ベトナム友好協力条約調印。
- 1979年1月
- ポル・ポト政権、首都撤退。
- 2月
- 中越戦争。中国軍がベトナムのカンボジアに侵攻したベトナムに対し、中国軍が攻撃を加え、ベトナム領の一部を占領。社会主義国間で起きたはじめての戦争。「社会主義=平和勢力」という幻想に終止符が打たれる。
- 3月
- イラン革命により、イランは共和制になる。最高指導者ホメイニが、イスラム原理主義的な政策を強行。第二次オイルショックを招来し、西側世界に衝撃を与える。
中東諸国の中でエジプトのみが、イスラエルと平和条約を結ぶ。ワシントンで両国首脳が調印。アラブ十八カ国とPLOは、エジプトを「裏切り者」とみなして断交。
米国で、スリーマイル島原発事故。
- 6月
- 米ソ、SALT2調印。
- 12月
- ソ連、アフガニスタンに侵攻。親ソ派のクーデターを支援。全土を制圧。同月、宮本顕日本治共産党委員長、ソ連ブレジネフ書記長と会談。日ソの共産党の15年にわたる断絶が終結。
- 1980年1月
- サハロフ博士、国家への反逆を理由として、夫人とともにゴーリキー市へ国内流刑。
ソ連のアフガン侵攻に対する報復措置として、米国のカーター大統領は、ソ連向けの穀物輸出大幅削減、高度化学技術・戦略物資の輸出全面禁止を発表。モスクワ五輪ボイコットを呼びかける。
- 5月
- 韓国で光州事件。朴大統領暗殺後、全斗煥政権を掌握、戒厳令を発令。これに反対して民主化を求める学生や労働者を戒厳軍が弾圧し、多数の死者を出した。
- 7月
- モスクワ五輪、西側諸国の多くがボイコット。
鈴木善幸新内閣発足。
- 8月
- ポーランドのグダニスク造船所で、党の支配を受けない自主管理労組「連帯」が創設される。議長はレフ・ワレサ。
- 9月
- 中国・華国鋒首相、ト小平副首相が辞任。後任首相は趙紫陽副首相。
伊藤律・元日本共産党政治局員が、29年ぶりに中国から帰国。
イラン・イラク戦争勃発。88年まで続く。
- 11月
- 米大統領選で、共和党のレーガン候補が現職のカーターを大差で破る。
- 1981年1月
- レーガン、米国大統領に就任。
- 4月
- 米国で、世界初の再使用可能な有人宇宙船スペースシャトル・コロンビアの打ち上げが成功。
- 5月
- フランス大統領選挙で、社会党候補のミッテランが当選。
- 6月
- 中国共産党第11期六中全会。華国鋒党主席辞任、ト小平党中央軍事院主席就任して復権。文革を全面否定し、毛沢東の功績を認めつつも左傾の誤りを指摘する。
- 7月
- 英国のチャールズ皇太子がスペンサー伯三女ダイアナと挙式。
- 10月
- エジプト、サダト大統領暗殺。対イスラエル和平を不満とするイスラム原理主義者による犯行。
- 12月
- 連帯による民主化運動の広がりを怖れた統一労働者党は、ポーランド全土に戒厳令。
- この年、情報革命の時代の到来を告げたA・トフラーの『第三の波』がベストセラーになる。
- 1982年4月
- フォークランド紛争。アルゼンチン軍が英領フォークランド諸島を占領。英軍に奪回されて降伏。
- 5月
- ポーランドの首都ワルシャワで、軍政反対、「連帯」支持の大規模なデモ。
- 6月
- 米ソ戦略兵器削減交渉(START)開始。
- 7月
- レーガン大統領、宇宙開発での軍事優先の国家宇宙政策発表。
- 11月
- プレジネフ死去、新書記長にアンドロポフ就任。
- 1983年9月
- サハリン沖で領空を侵犯をしたとして、ソ連が民間旅客機の大韓航空機を撃墜。
- 10月
- ポーランドのワレサ・連帯議長に、ノーベル平和賞授与。
ロッキード裁判で、田中元首相に実刑判決就任。
- 1984年2月
- アンドロポフ死す。後任書記長にチェルネンコ。
- 5月
- ソ連が、ロサンゼルス五輪不参加を発表。13カ国が追随する。
- 7月
- ロサンゼルス五輪。共産圏からはルーマニアのみが参加。同月、「僕の村は戦場だった」「惑星ソラリス」などの作品で知られるソ連の映画監督タルコフスキー、滞在先のミラノで亡命を宣言。
- 1985年3月
- チェルネンコ死去、後継者としてゴルバチョフが書記長に就任。
- 6月
- 米、戦略防衛構想(SDI スターウォーズ計画)の要となるレーザー兵器の実験に成功したと発表。
- 7月
- ソ連最高会議で、これまで党書記長が兼任してきた最高会議幹部会議長(国家元首)にグロムイコ外相を、外相の後任にシュワルナゼを選出。
- 8月
- 民主化の進むハンガリーで、初の複数立候補制による議会選挙。非共産党系議員が25人当選。
- 9月
- チーホノフ・ソ連首相、健康上の理由から辞任。ルイシコフが新首相に。
米国の貿易赤字問題解消のため、主要先進国蔵相と中央銀行総裁が米国で会議を開催(G9)、ドル安政策の実施を合意。いわゆる「プラザ合意」。このために急激に円高が進行し、過剰流動性が発生、日本のバブル経済の端緒を開く。
- 11月
- ジュネーブで米ソ首脳会談。核軍縮交渉の加速。相互訪問などを骨子とする共同声明を発表。
- 12月
- レバノン内戦終結。
- 1986年1月
- ソ連のシュワルナゼ外相が来日、安部外相との間で、八年ぶり六度目の日ソ外相定期協議。
- 2月
- フィリピンでアキノ大統領誕生。マルコス前大統領は、ハワイへ亡命。
- 4月
- ゴルバチョフ、「建て直し」を意味するペレストロイカを提唱。同月、チェルノブイリ原発事故。
- 6月
- ソ連で発禁書になっていた『ドクトル・ジバゴ』が敢行され、故パステルナークの名誉回復なる。
- 10月
- 米ソ首脳が、レイキャビク会談。米の戦略防衛構想(SDI)を巡り対立し、会議は決裂。
- 11月
- イラン・ゲート。レバノンの米人人質をめぐって、米国がイランに仲介を頼み武器を供給したことをレーガン大統領が認めた。
日本はこのときからバブル景気に突入。株価も地価も、急カーブを描いて上昇してゆく。
- 12月
- サハロフ博士、流刑解除され、夫人とともにモスクワへ戻ることが許される。
- 1987年4月
- 日本で、組織が硬直化し、赤字の累積した国鉄が、分割・民営化され、JR各社として再出発する。
- 5月
- イラン・コントラ事件。米国がイランに提供した支援が、ニカラグアへ横流しされていた疑惑について、公聴会が始まる。
神奈川県警の公安部が、日共幹部宅の電話を盗聴していたことが発覚。警官2名は、起訴猶予と不起訴となる。
東芝ココム違反。対共産圏輸出統制委員会(ココム)で輸出規制されている船舶推進用工作機械のコンピュータプログラムをソ連に輸出。外為法違反で東芝幹部社員二人が逮捕される。
- 9月
- ハンガリーで、民主フォーラム結成される。
- 11月
- 中国共産党全国代表大会。ト小平ら革命第一世代引退。
大韓航空機爆破事件。「蜂谷真由美」という日本名を名乗る北朝鮮の女性工作員が身柄を拘束された。本名、金賢姫。韓国で西側世界の現実を目の当たりにして自分が北朝鮮で嘘を教え込まれていたことを知り、テロの被害者に懺悔。
- 1988年6月
- リクルート事件。
ECとコメコンが公式関係樹立の共同宣言に署名。
- 7月
- ブハーリン、ルイコフら、スターリン時代に党を除名になった7人の元党幹部の除名を取り消し、党員の資格を復活。
- 8月
- イラン・イラク停戦。
- 9月
- ソウル五輪。12年ぶりに東西がそろい、参加国は160カ国、地域にのぼった。
ソ連共産党は、グロムイコ最高会議幹部会議長ら、党の古参幹部五人の退陣など、指導部を大幅に刷新。
- 10月
- エストニアで人民戦線結成。以後、リトアニア、ラトビアにも人民戦線が誕生。
昭和天皇が高熱を出し、大相撲観戦を中止。ほどなく重体に陥る。
- 1989年1月
- 天皇崩御。昭和が終わる。
- 2月
- ポーランド政府と「連帯」を含めた罪や勢力が一堂に会して円卓会議が開かれる。「連帯」の認可で合意に至る。
- 5月
- 中ソ首脳会談。30年ぶりに実現。同月、ハンガリーで、国外脱出を求める人の波に押される形で、オーストリアとの国境の有刺鉄線が撤去される。東西を分裂していた鉄のカーテン、敗れる。
- 6月
- ポーランドの国会選挙で、「連帯」の候補者が圧勝。同月、ハンガリーでは、ハンガリー動乱後に処刑された元首相ラジの名誉回復と再葬儀が行われる。雪崩をうつように、ハンガリー社会主義統一労働者党は、プロレタリア独裁の放棄を宣言。
- 7月
- ヤルゼルスキが、ポーランド大統領に選出される。
- 9月
- ポーランドで、マゾビエツキを首班とする非共産勢力中心の内閣が誕生。
- 10月
- ハンガリー社会主義統一労働者党、分裂。主流派は社会党と改称。チェコでは、首都プラハのバーツラフ広場で民主化要求デモが繰り返される。
- 11月
- チェコスロバキアで、市民フォーラムが結成され、憲法から、共産党の指導性条項が削除される。一連の脱共産化過程が、非暴力的にすすめられたきたために、東欧ビロード革命と呼ばれる。そのクライマックスは、ベルリンの壁崩壊という形で訪れる。
日本では同月、オウム真理教の被害者の会に関わる弁護士、坂本一家失踪。
- 12月
- 米ソ首脳マルタ会談。冷戦の終結を宣言。
ルーマニアのティミショアラで、反政府デモを、治安部隊が鎮圧。無血で進んできた東欧革命で、ついに流血の事態が起こる。混乱の中で、チャウシェスク政権崩壊。首相夫妻は処刑される。
- この年、サハロフ博士死去。
- 1990年2月
- ソ連で憲法改正。共産党の一党独裁制を放棄。
- 3月
- ゴルバチョフ、最初で最後のソ連大統領となる。
リトアニア、一方的に独立を宣言。
東ドイツ、ハンガリーで初の自由選挙を実施。
- 5月
- ソ連で市場経済移行宣言。
ルーマニアで初の自由選挙。
- 6月
- 中国で、天安門事件。民主化を要求して天安門広場に座り込みをしていた学生多数を人民解放軍が排除。阻止しようとした民衆と衝突。多数の死傷者を出す。
チェコスロバキア、ブルガリア、初の自由選挙を実施。
- 8月
- ソルジェニーツィン復権。
イラク、クウェートに侵攻。
- 9月
- ソ連と韓国、国交樹立。
- 10月
- ゴルバチョフ、ノーベル平和賞受賞。
東西ドイツ統一。
- 12月
- 新思考外交の立て役者・シュワルナゼ、ソ連外相を辞任。
平成天皇即位の礼・大嘗祭。
- 1991年1月
- 湾岸戦争勃発。イラクのクウェート侵攻に対して、多国籍軍がイラクへの空爆を開始。多国籍軍のハイテク兵器の前に、イラクは停戦決議の全面受諾に追い込まれる。CNNの報道が注目され、電子ゲーム時代の戦争と言われる。
- 4月
- グルジア、ソ連からの独立を宣言。
- 5月
- ガムサフルディア、グルジア大統領に当選。
南アフリカの人種差別的法制度・アパルトヘイトを完全に撤廃。
- 7月
- エリツィン、ロシア共和国大統領となる。
米ソ、START調印。
- 8月
- ソ連で保守派によるクーデター失敗。軟禁から解放されたゴルバチョフが、共産党の解散を宣言。
- 9月
- ソ連、バルト三国の独立を承認。
北朝鮮と韓国、国連同時加盟。
ソ連最後の人民代議員大会、憲法を大改正。
- 10月
- チェチェン民族会議、ロシア連邦からの独立を宣言。国民投票でドゥダーエフが大統領に就任。ソ連のKGB解体される。
中東和平会議。
- 11月
- エリツィン、チェチェンの独立宣言を認めず、同地に非常事態宣言。
- 12月
- ソ連邦消滅。独立国家共同体(CIS)創設。ゴルバチョフ辞任。権力のほぼすべてをエリツィンが継承。
大地震に見回れたグルジアで、反政府軍、政府庁舎を攻撃。
- この年、バブル崩壊。地価、株価とも暴落。
- 1992年1月
- グルジア反政府軍、暫定政府の樹立の宣言、ガムサフルディア逃亡。
国連初の安保理首脳会議が開かれ、ソ連に代わりロシアのエリツィンが出席。
- 3月
- 元ソ連外相シュワルナゼ、グルジア国家評議会議長に就任。
- 7月
- グルジア共和国内の自治共和国・アブハジアが主権を宣言、グルジア政府はこれを許さず、内戦に突入。
- 12月
- チェルノムイルジン、ロシア首相に就任。
- 1993年1月
- 米ロ、START2調印。
- 6月
- 自民党分裂。小沢一郎ら、離党して新生党を結党。
- 7月
- グルジア、アブハジアに戒厳令を発令。
衆院選、自民党惨敗。結党以来、初めて野党となる。
- 8月
- ルツコイ副大統領を解任。
新生党、社会党、さきがけと連立し細川政権発足。
- 10月
- グルジア、CISに加盟。(正式加盟は12月)。
エリツィン大統領訪日。細川首相との会談後「東京宣言」を発表。北方領土問題について、「克服されねばならない問題」と言明。
- 11月
- ヨーロッパ連合(EU)発足。
- 12月
- ガムサフルディア死亡。
- 1994年6月
- 自社さ連立による村山政権が誕生。自民党、与党に返り咲き。同月、松本サリン事件発生。
- 10月
- ルーブル大暴落。
ロシアのチェチェンへの攻撃始まる。年末にはグローズヌイ制圧。
- 12月
- 米ロSTART1発効。
- 1995年1月
- 阪神・淡路大震災。
- 3月
- 東京で、地下鉄サリン事件。その二日後、オウム真理教の施設を、警察が一斉捜索。
- 7月
- 米・ベトナムとの国交樹立を発表。
- 11月
- シュワルナゼ、グルジア大統領に選出される。
- 12月
- ロシア下院選で、ジュガーノフ率いる共産党が圧勝。ロシア国民のエリツィン政権に対する失望が、選挙結果に現れる。
- 1996年1月
- チェチェンの武装集団に、ロシア軍が総攻撃。
橋本連立内閣発足。
- 4月
- チェチェンのドゥダーエフ大統領、ロシア軍の攻撃で死亡。
オウム真理教の松本智津夫(麻原彰晃)被告第一回公判。
中ロ北京共同宣言。(21世紀に向かっての戦略的提携)
- 7月
- エリツィン、ロシア大統領に再選。
- 8月
- チェチェン停戦、独立問題の5年間棚上げで合意。
- 11月
- エリツィン、心臓手術。
- 12月
- ペルー日本大使公邸占拠人質テロ事件(〜九七年四月)。
- この年、インターネットが全世界で爆発的に普及。ネット元年。
- 1997年6月
- ロシア、正式メンバーとしてサミットに参加。
- 11月
- 橋本主要、訪露。エリツィン大統領との日露首脳会談ののち、「橋本・エリツィン・プラン」発表。北方領土問題について東京宣言の精神を引き継ぎ、2000年までに平和条約を締結するよう努力をすると表明。
- この年、香港が英国から中国へ返還される。
- 1998年4月
- エリツィン訪日。橋本首相と川奈会談。「橋本・エリツィン・プラン」の拡充を確認。北方領土の領有について、具体的な進展はなし。
- 7月
- ボリシェヴィキに惨殺された最後のロシア皇帝ニコライ二世とその家族の葬儀が、行われる。
- 8月
- ルーブル急落、取引停止。
エリツィン、キリエンコ首相ら全閣僚を解任、後継首相にプリマコフを任命。
- 10月
- 給料遅配を巡って、大規模ゼネスト。
- 11月
- モスクワ宣言。北方領土について、漁業水域協定に関しては触れられているが、領有問題については触れられていない。
- 12月
- エリツィン、4人の側近を解任。
- 1999年5月
- エリツィン、首相にステパノーシンを任命。
- 8月
- エリツィン、首相にプーチンを任命。
- 9月
- プーチンのリーダーシップで、チェチェンに対し空爆を強行。国際世論
- 12月
- エリツィン、引退を表明。
マカオ返還。
- 2000年
- ロシア大統領にプーチン就任。
- 8月
- ソ連、原潜事故。乗組員を救出できず、人名より、対面や軍の機密保持を優先する姿勢に、ロシアの指導者層の価値観は、ソ連時代と変わっていないと言う声も。
- 9月
- 日銀はゼロ金利を解除。基準地価は、九年連続下落を記録。