「正論」 2002.Dec. 産経新聞社
日本人が消滅する日
”戦火なき有事”を前に、われわれはどうすべきか
バブルとその崩壊の顛末を見れば明らかなように、株価は必ずしも、実体経済を正確に反映する鏡であるとはいえない。とはいえ、所詮はバーチャルなゲームにすぎないと、等閑に付すことが常に許されるわけでもない。特に、株式市場が暴落という悲鳴をあげている場合は−−。
「みんな危機だ、危機だと騒ぐが、何も起こらなかったじゃないか」
三月危機を、株の空売り規制という禁じ手で強引に乗り切ったあと、小泉首相は胸を張ってこう嘯(うそぶ)いた。
しかし、三月の間には、強引なPKO(株価維持政策)によって1万1千円台をかろうじて維持していた株価も、9月には9千円台にまで下落し、その結果、3月末時点では約3百兆円あった東証一部上場株式の時価総額は、9月末の時点で、262兆5千億円にまでしぼんだ。わずか半年間で約37兆5千億円が失われてしまったのである。
小泉首相が金融・経済情勢について、「平時ではない」と、ようやく危機の認識を示したのは、9月30日のことだ。
「非常時という言葉が適当かどうかわからないが、金融システムも経済状態も健全ではない」
ところが、10月に入ってからも株価は続落、バブル崩壊後の最安値を更新し続けた。10月10日、東証の日経平均株価は、一時、8千2百円台を割り込むまでに暴落した。19年前、バブル以前の1983年の水準である。
周知の通り、10月危機のトリガーを引いたのは、内閣改造人事である。「不良債権処理は終了している」と強弁していた柳沢伯夫金融担当相が更迭され、「不良債権処理は不十分」と主張していた竹中平蔵経済財政担当相が金融担当相を兼務することになり、さらに、ハードランディング論者として知られる金融コンサルティング会社代表の木村剛氏が、特命チーム入りすると発表されてから、株価は下落の一途をたどった。10月23日現在、株価は8千7百円台で「小康状態」を保ってはいるものの、米国株の上昇につられただけで、自力回復というにはほど遠く、今後も予断を許さない。
今回の内閣改造は、小泉首相の強い決断の下に行われたという。これは小泉首相が、不良債権処理か、デフレ対策か、どちらを優先すべきか、という難題に対して、遅まきながら決断を下したことを意味する。
不良債権処理とデフレ対策は、相反する。不良債権処理を強行すれば、景気は一時的に悪化し、デフレは進行する。しかし、不良債権という癌を切除しない限り、本格的な景気回復はありえず、デフレからの脱却もありえない。二律背反の「難題(アポリア)」である。
短期的には、不良債権処理の断行は正しい。しかし、同時にデフレを止める手だてを打たなければ、不良債権はまた新たに発生してしまう。「竹中・木村ショック」と呼ばれる今回の東証株価の暴落は、デフレ対策抜きの不良債権処理を危ぶむ市場からの応答に他ならない。
そもそも、なぜ、かくも長きにわたるデフレ不況が続いているのか。その原因をつきとめることができなければ、正しい処方箋を書くことはできない。
90年代前半の不況の直接的な原因が、バブル崩壊の結果であることは、論をまたない。バブル崩壊後の日本経済は、92年度から94年度までの3年間は、ゼロ成長が続いた。しかし、その後、95年度から96年度にかけては、回復の様相を見せていたこともたしかである。
ところが90年代後半になると、再び景気は低迷する。97年には不況が深刻化し、山一證券と北海道拓殖銀行が経営破綻し、金融危機に見舞われた。橋本内閣が退陣した後、後を継いだ小渕内閣・森内閣は、景気回復のためになりふり構わず財政出動を続けた。ところがデフレは止まらず、バブルの負の遺産とはいえない、新規の不良債権が生じ、失業率、倒産件数など、あらゆる経済指標が悪化の一途をたどってきた。90年代半ばからの長期不況の原因を、すべてバブルの崩壊に還元するのには無理がある。
デフレの誘発原因として、経済のグローバル化に言及する論者は少なくない。たしかに、89年のベルリンの壁崩壊と90年のソ連崩壊、中国の市場経済化=事実上の再資本主義化によって、世界経済は「大競争時代(メガコンペティション)」を迎えるに至った。とりわけ、安価で豊富な労働力を擁する中国が、市場経済の有力なプレイヤーとして台頭してきたことで、世界的な供給過剰と価格競争の激化が進み、デフレ圧力を強めたことは間違いない。しかし、安価で良質な商品が市場に提供されるようになったにもかかわらず、なぜ国内の消費が活性化しないのか、グローバル化の進展だけでは十分な説明がつかない。
デフレは供給に対して需要が過小のため起こる。かねてより、需要と供給のギャップは40兆円近くあるといわれており、過剰供給力を削減するため、企業の淘汰・再編や雇用調整が続いてきたが、需要の縮小傾向は止まらず、需給ギャップは依然として埋まらない。
経済学者の中には、来る少子高齢化時代への「将来不安」から、個人が消費を抑制し「消費不況」に陥っていると説く論者もいる。GDP(国内総生産)の6割を個人消費が占める現在、この説はきわめて説得的である。昨年12月末時点で約1千4百20兆円あるといわれる個人金融資産が塩漬けになっており、その一部でも積極的な消費に向かうならば、たしかに景気は回復に向かうだろう。しかし、難点もある。この説では、少子高齢化を「将来」の「不安要因」として位置づけているが、その認識は甘いと言わざるをえない。実際には、少子高齢化の波はすでに押し寄せてきている。「不安」は、「将来」ではなく、「現在」の問題なのである。
今年一月に発表された「日本の将来推計人口」の中位推計によると、総人口の現象が起こるのは、4年後の2006年(低位推計では2年後の2004年)からだが、生産と消費の主役である生産年齢人口(15〜64歳)は、総人口の減少に先行して、すでに減り始めている。生産年齢人口が、史上最高の8千7百26万人を記録したのは95年のこと。以後、景気の低迷と歩調を合わせるように、漸減し続けており、2000年時点で、95年当時から88万人減の8千6百38万人。現役世代の絶対数が減ったことが、消費需要の低迷に一役買ったことは想像に難くない。
他方、現役世代とは対照的に、年金と貯金に依存し、消費を控える傾向にある65歳以上の高齢者は、着実に増え続けている。95年には1千827万7千人だった高齢者の数(老年人口)は、2000年には376万4千人増の2千241万1千人にまで増えた。20%もの増加率である。
90年代後半の5年間で、総人口に占める生産年齢人口の比率は69・5%から68・1%と1・4ポイント減り、老年人口の比率は14・6%から17・4%へと2・8ポイント上昇した。こうした人口動態の変化が、90年代後半の消費動向に負の影響を与えたのだとすれば、今後の消費需要の先行きは、「将来推計人口」を参照することで、およその見当をつけられるだろう。
では、1947年から49年に生まれた第一次ベビーブーム世代、いわゆる「団塊の世代(満53歳〜54歳)」が、全員、年金受給年齢を迎える2015年には、人口構成はどうなるか。
前出の「将来推計人口」によると、生産年齢人口は7千729万6千人(中位推計)。ピークだった95年時点より996万4千人、約12%も減少する。総人口に占める比率は、95年時点と比べて8・3ポイントも低い61・2%。対して老年人口は、95年時点より、1千449万5千人増の3千277万2千人。増加率は約80%にものぼる。総人口に占める比率は、11・4ポイント上昇して26・0%となる。
これらの人口動態データが物語ることは、明らかであろう。今までと同様に、問題の先送りと小手先のごまかしで時間を空費するならば、消費需要はますます低下し、日本経済は底なしのデフレ不況の泥沼に沈み込んでゆくに違いない。
1930年代との相似と差異
バブル崩壊以後のデフレ不況に、「昭和恐慌」の記憶を重ね合わせる者も少なくない。1914年、第一次世界大戦が勃発すると、日本は軍需景気にわいた。しかし19年にベルサイユ条約が締結され、大戦が終結すると、翌年には反動不況で株価が暴落し、綿糸や生糸、米などの主要商品市場価格も軒並み下落した。デフレ不況の始まりである。
第一次大戦終結からちょうど70年後の1989年、冷戦が終結するとともに、ピークを迎えていたバブルの宴は暗転し、株価は暴落する。戦争終結とバブルの崩壊。70年の時を経て、歴史は同じドラマを再演しているかに見える。
1927年、衆院予算委員会で片岡直温蔵相が口にした「渡辺銀行が破綻した」という失言によって、大規模な取り付け騒ぎが起こり、日本は「金融恐慌」に突入した。橋本内閣の下で金融危機が勃発、山一と拓銀が破綻したのは、ちょうど70年後の97年のことである。
1929年10月24日、ニューヨークのウォール街で株価の大暴落が起こる。この「暗黒の木曜日」をきっかけに、世界恐慌が始まり、29年7月に発足した浜口雄幸内閣は、井上準之助蔵相を擁して金解禁と財政緊縮と国債整理を断行、「昭和恐慌」を招来する。構造改革を旗印に、国債の新規発行を30兆円枠に抑え、財政再建を果たすことを公約とした小泉内閣が発足したのは、2001年4月、浜口内閣の成立から72年後のことだ。浜口首相と小泉首相に共通するのは、「ライオン」というニックネーム、国民からの高い支持率だけではない。デフレ不況の下で内閣が誕生し、何よりも自らの政策でさらにデフレを加速させた点において相似なのである。
こうして並べてゆくと、70年前の時代の位相と現代とは、気味の悪いほどに重なりあう。しかし、決定的に違う点もある。70年前の日本は、多産による過剰人口圧力に悩まされていた。現在は正反対に人口減少によって衰退の道をたどりつつある。米国の学者W・S・トンプスンは、31年に改造社から邦訳が翻訳出版された『人口過剰の対策』という著作の中で、日本は過剰人口問題を産児制限等の方法で解決する道を選ばず、やがて人口圧力から資源や植民地を求めて海外に進出するであろうと予言した。
その予言の通り、30年代の日本は、過剰人口という人口問題を直視せず、産児制限という平和的手段で解決してゆく道を選択しなかった。現代の日本は、過少人口という人口問題に直面しながらも、少子化対策をサボタージュし続けている。人口動態の観点から見る時、「適度人口」へ向かう地道な努力を回避している点で、二つの時代はポジとネガのように、反転しつつ、重なりあっている。
問題は、これからの十年である。1930年代、日本は31年の満州事変に始まり、32年の5・15事件、36年の2・26事件と、血なまぐさいテロ事件を経て、37年からの日中戦争、そして41年の太平洋戦争開戦へと破局への道をひた走ってゆく。過剰人口圧力と長期にわたるデフレ不況の帰結として。
他方、20年代末に恐慌に見舞われたアメリカは、33年に大統領に就任したルーズヴェルトが、ケインズの有効需要創出の理論にもとづき、ニューディール政策を打ち出し、積極的な公共事業を推進して、不況からの脱出を図った。
需要創出のために何をなすべきか。戦争か、公共事業か。90年代を20年代になぞらえたように、これからの10年間を1930年代に照応させるなら、こうした問いかけが自ずと生じる。
ケインズを知らないケインズ主義者
戦争は誰も望まない。望むべきでもない。となれば、公債の発行による公共事業への投資しかない。かくて、悪しきケインジアンがまた、「財政出動を!」と叫ぶことになる。積極財政論者の代表格である野村総研主席研究員のリチャード・クー氏は、10月11日付朝日新聞で、こう語っている。
「政府が需要不足を補わなくてはならない。これが30年代に人類が学んだ知恵だったが、十分には生かされていない。これは普通の不況ではないのだから、国債30兆円枠などにこだわらず、現実的なマクロ政策をやらないと、大変なことになりかねない」
財政出動は、思いきって10兆円規模でやるべきだとクー氏は言いきる。
「デフレギャップを埋めるために十分な規模の財政出動をするには、おそらく10兆円ぐらいを補正でやらないといけない。ばらまきだという批判も出てくるだろうが、決してゼネコンのためではなく、経済が縮小均衡に陥るのを防ぐためにやるのだ」
この期におよんでなお、財政出動による従来型の公共事業を行うべきだとするクー氏の主張には、まったく同意できない。
なぜか。30年代とは、経済状況の背景にある人口動態がまったく正反対であるからだ。クー氏のいう「30年代に人類が学んだ知恵」とは、ケインズ理論に他ならないが、氏自身、ケインズの著作に学んだかどうか、かなり疑わしい。
ケインズは、その代表的著作である『雇用・利子及び貨幣の一般理論』の中で、不況からの回復過程の期間の長さについて、こう述べている。
「もし時代の特徴が変われば、標準的な期間も変化するだろう。たとえば、もし我々が人口増加の時代から人口減少の時代に移るならば、景気循環のこの特徴的な面は長くなるであろう」
ケインズは、26年に発表した『一般理論』の中で、人口減少時代にあっては、長期停滞に陥る危険性があることを指摘し、翌年の37年には「人口逓減の若干の経済的結果」という有名な講演を行って、人口の増加は投資需要の増加と楽観的な将来期待の好循環を招くが、人口減少は反対に投資需要の減退と招来への悲観的見通しの悪循環を招き寄せると述べている。人口減少が進むと、経済は有効需要不足によって長期停滞に陥るとケインズは警告を発していたのである。
決して難解な話ではない。人口が減れば、当然ながら消費需要は減退する。需要が縮減し続ける限り、デフレ基調は止まらない。現在、日本の公債発行額は対GDP比約140%、10年前のざっと二倍である。日本はすでに借金が借金を呼ぶ「サラ金財政」に片足を踏み入れている。人口減少・少子高齢化が進み、しかも赤字財政下でのデフレは、財政支出に占める借金返済の比率を自動的に膨張させ、やがて財政破綻を招くことになる。従って人口減少の趨勢が変わらない限り、これ以上、赤字国債を発行し、ハコモノの公共事業への投資を続けることは許されない。
他方、財政再建と同時に、供給サイドの過剰を削減すべきという狭義の構造改革論者にも与することはできない。供給サイドのさらなる縮減が行われれば、失業率が増加し、消費は一段と冷え込み、デフレスパイラルは加速する。仮に一時的に需要と供給が均衡に近づいたとしても、そのそばから、人口減少による需要の縮小が進行するので、デフレ不況とリストラのいたちごっこは終わることなく続き、株価も低迷、不良債権も新たに発生し続ける。出口はいつまでたっても見えない。小泉政権が発足して、一年四ヶ月余り。この間に、東証日経平均株価は約4,900円下がり、時価総額約130兆円の富が失われてしまった。小泉デフレを継続することは許されない。
内需の喚起は必要であり、そのためには財政出動もひるまず行うべきだ。しかしそれは、土建業を潤すだけの公共事業に投下されてはならない。「ヒトづくり」にこそ、資本を集中投下すべきである。今、必要なことは、少子化を食い止め、現在および将来の「不安」を取り除くために、あらゆる政策を総動員することだ。断行すべきは人口問題の構造改革である。それ以外に日本経済と社会の持続可能性(サステイナビリティー)を約束できる道はない。
国民負担率が年収の5割を超える日
いかなる少子化対策を打つべきか、それを論じる前に、社会保障制度、とりわけ人口動態の変化が年金制度にもたらすインパクトについて論じておきたい。少子高齢化の進行はまた、社会保障制度をも根幹から揺るがすことになる。これも「将来不安」の源泉となっている。
「2025年、現役世代が支払う年金保険料はほぼ倍になり、税と社会保障費を合計した国民負担率は、所得の50%を超える」
今年の5月15日、厚生労働省は、「将来推計人口」にもとづく年金財政のショッキングな試算結果を、自民党の厚生労働部会・年金制度調査会の合同会議に報告した。
年金制度は五年ごとの再計算が法的に定められており、2000年にも保険料率の引き上げと給付の大幅な削減を行ったばかりである。現在、民間企業の従業員が加入している厚生年金保険料は、月収(標準報酬月額)の17・35%およびボーナスの1%である。これを労使で折半しているのだが、来年の2004年4月からは、ボーナスを含めた年収総額に対して年金保険料が課せられる総報酬制への移行が決まっており、その保険料率は13・8%。この比率が、現在の給付水準を前提とした場合には、少子高齢化に伴って段階的に引き上げられ、2025年には年収の24・8%にまで上昇するというのである。前回改正の際、政府は「将来にわたって保険料は年収の20%以下に抑えられる」と説明していたのに、わずか3年でその約束は反故にされてしまった。
この24・8%という数字は、ボーナスを含んだ総報酬に対する比率なので、月収に対する比率に計算し直すと、31・9%になる。サラリーマンやOLは、年金保険料だけで、年収の約三分の一も徴収されてしまうことになるのだ(厳密には企業も保険料を負担するが、その企業負担分も本来は従業員の賃金である)。
また、自営業者らが加入している国民年金保険料は、現在は月額1万3千3百円の定額だが、これも約二倍に引き上げられると厚労省は試算している。
年金保険料だけではない。医療保険や介護保険も、高齢者の増加と現役世代の減少に伴って、引き上げられる。2002年度の社会保障費(予算ベース)は、年金が約44兆円、医療費が26兆円、その他の福祉等の費用が約11兆円、合計で約82兆円である。今年度の国家予算(一般会計)は約81兆円だから、すでに社会保障財政は、国家予算を超える規模に膨れ上がっている。財務省の試算によれば、3年後の2005年には社会保障給付費の総額は91兆円、8年後の2010年には110兆円、2025年には176兆円と、現在の2・1倍に膨れ上がる(図B参照)。その結果、国民所得に対する租税負担率と社会保険負担率を合計した国民負担率は、現在の38・3%から、52・5%にまで上昇してしまう。
大雑把にいえば、ボーナスを含めて、所得の半分以上を、徴収されることになるのだから、サラリーマンはたまったものではないが、厚労省のこの試算を仔細にみると、実は非常に甘い前提で算出されていることに気づく。
厚労省によると、この試算は「賃金上昇率、物価上昇率、年金積立の運用利回りとも、直近の経済実勢を反映させた数値をもとに計算した」というのだが、賃金上昇率が2・5%とは、賃金デフレの続く、厳しい雇用情勢の実勢を反映しているとは到底言い難い。地価上昇率が1・5%というのも、バブル崩壊から12年連続で全国の地価が下落し続けている現状では、非現実的な前提と映る。年金積立運用利回りが4・0%というのも、楽観的すぎる話だ。企業年金の運用は2000年度、2001年度と2年連続でマイナスを記録しており、今年に入ってからも、2002年4月の企業年金運用利回りの推計はマイナス1%と発表された(5月13日付「日経金融新聞」)。プラス4%という利回りの前提は、何を根拠としているのか、理解に苦しむ。これでは、この試算は机上の空論というしかない。
問題は、それだけではない。この試算結果は、中位推計にもとづいて算出された数値である。本連載の第一回目で詳しく論じたが、5年ごとに発表される「将来推計人口」の中位推計は、過去5回、25年間にわたって、ことごとく外れてきた。実績値により近かったのは、高位・中位・低位の三推計のうち、最も悲観的な見通しの低位推計である。
厚労省は、過去の経験を踏まえてか、今回は低位推計にもとづく試算も公表した。それによると、2050年度の厚生年金の保険料率は、中位推計にもとづく24・8%より2・7ポイント高い、27・5%に達する見通しであるという。おそらくはこの数値の方が、まだしも現実に近いはずである。ということは、国民負担率が52・5%でおさまるとは考えにくい。おそらく所得の六割近くが差し引かれ、残りの四割で、衣食住の生活費と家族の扶養負担をまかなわなくてはならなくなる。これでは、若い現役世代が結婚して、安心して子供を産み育てることは、きわめて困難になる。となれば少子化は一段と進み、社会保障負担の担い手はさらに減少し、今回の年金試算も御破算となるだろう。人口と経済の二重のデフレスパイラルは、錐揉み状に回転と降下の速度を増してゆくことになる。
「福祉元年」は「少子化元年」だった
社会制度の創設や変革は、意図せずして人々の価値観やライフスタイルの変化を促し、逆にライフスタイルの変化は、経済や社会制度に大きな影響を与えてゆく。年金制度の歴史も例外ではない。日本の公的年金制度は、明治時代に職業軍人や官僚を対象として創設された恩給制度を出発点とし、第二次大戦中の1942年に誕生した労働者年金保険制度によって、民間企業の従業員にも対象が広がった。この労働者年金は、のちに厚生年金へと発展してゆく。そして1961年に国民年金が創設され、国民皆年金制度が実現する。
分岐点となったのは、1973年である。オイルショックによって高度成長時代が終わりを告げたこの年、時の首相、田中角栄は「福祉元年」をスローガンに掲げ、年金に物価スライド制を導入するとともに、69年に月額2万円に引き上げられたばかりの厚生年金の給付額を、一挙に2・5倍の月額5万円に引き上げた。保険料負担に見合わない給付の大幅な引き上げは、年金財政を悪化させる遠因となった。事実、この73年を境に、社会保険給付費は急激に膨張していく。
また、女性が生涯に何人の子供を産むかを示す合計特殊出生率も、2・14を記録したこの73年を最後に、翌年からは社会の人口維持に必要な水準(人口置換水準)である2・08を下回り(74年は2・05)、以後は右肩下がりに下り続けて、一度も人口置換水準を回復していない。「福祉元年」は、「少子化元年」でもあった。
少子高齢化の到来が予期されていたにもかかわらず、政府は抜本的改革を先送りし、給付の削減と負担の引き上げを行うだけの小手先の手直しに終始してきた。そのツケが今、「年金不信」として重くのしかかりつつある。読売新聞が昨年9月に実施した世論調査によれば、公的年金を「信頼していない」「どちらかといえば信頼していない」と回答した割合は、全世代平均では54%と過半数に達している。
国民年金に加入しない未加入者や、あるいは加入していても年金保険料を納めない未納者が増えている「国民年金の空洞化」は、そうした「年金不信」のあらわれである。不況の影響で、低所得ゆえに保険料を免除されている者の数も、増え続けており、未加入者約99万人(98年時点)、未納者約265万人(同)、免除者約505万人(同)を合計すると約869万人。国民年金保険料の支払い義務のある者のうち、約三分の一が保険料を納めていない。しかも、その数は年々増えつつある。国民年金保険料の未納率(加入者が保険料を納付しなかった日数の割合)は、95年度には15・5%だったが、毎年上昇し続け、2000年度には27%にのぼった。こうした傾向が続けば、近い将来、対象者の過半数が保険料を納めない時代が、到来するだろう。
知らぬ間に年長世代に貢ぐ若年世代
「空洞化」よりも深刻なことは、年金制度に、放置しておくことのできない二つの大きな「不公正」の問題が内包されていることだ。一つは「世代間の不公正」の問題であり、もう一つは「子供を扶養する者としない者との不公正」の問題である。この二つの「不公正」の問題に正面から取り組まずして、抜本的な年金制度改革とはいえず、「年金不信」も解消されることはない。
現行の日本の年金制度は、現役世代の納める年金保険料が、その時点の引退世代に支給される賦課方式を採用している。これは、自分が現役で働いている間に積み立てた年金を、引退後に受け取る積立方式とは異なり、世代順送りで、現役の働き手が引退した高齢者を支える「世代間扶養」の理念にもとづくシステムである。従って、少子高齢化が進み、人口構造に大きな歪みが生じると、世代間の受益と負担のバランスが崩れてしまう。
「世代間の不公正」については、いくつかの試算がある。八田達夫・東京大学教授と小口登良・専修大学教授の試算によれば、1962年生まれ(現在40歳)の人間の場合、厚生年金の支払額と受給額はほぼ一致し、プラス・マイナス・ゼロとなるが、62年以前に生まれた世代は受け取り超過となり、63年以降の世代は支払い超過となるという。八田・小口両氏の共著『年金改革論』によると、1935年生まれの人は、4千895万円のプラスとなり、2010年生まれの人は2千589万円ものマイナスとなる。両者の格差は、7千484万円にもなる。
八田達夫教授は、こう語る。
「この試算は99年時点のものです。2000年に、厚生年金の報酬比例部分の支給開始年齢を60歳から65歳に段階的に引き上げるなどの制度改正が行われましたから、現在の受益と負担の格差はこの試算の通りではありません。しかし、賦課方式の年金制度を積立方式に移行するといった抜本的な改革が行われたわけではないので、世代間の格差は依然として残っています」
別の試算を参照してみよう。厚生労働省の『平成十一年版年金白書』の中に、厚生年金受給額と保険料負担額の世代別生涯収支の試算結果が出ている。図Cを参照してほしい。この表に記されている年齢は、99年時点での年齢である。想定されているモデルは、会社員世帯で、妻は夫より2歳年下。夫婦とも厚生年金に20歳から加入し、60歳まで保険料を支払う。妻は26歳で退職し、専業主婦(第三号被保険者)となったと仮定されている。基礎年金への国庫負担割合は、三分の一という前提である。
図を見れば一目瞭然だが、現在、引退して年金を受給している29年生まれ(99年時点で50歳、現在73歳)の世代は、本人負担分として700万円、雇用していた事業主の負担分600万円、合計1千300万円の保険料を支払い、受給金額は6千800万円となる。単純計算すれば、5千500万円の受け取り超過となる。同様に、49年生まれ(99年時点で50歳、現在53歳)の世代も、3千700万円の受け取り超過となる。
それに対し、69年生まれ(99年時点で30歳、現在33歳)の世代は、1千100万円の支払い超過となる。89年生まれ(99年時点で10歳、現在13歳)の世代の生涯収支は、2千600万円のマイナス、2009年に生まれてくる予定の将来世代に至っては、2千800万円のマイナスとなってしまう。こうした「世代間格差」は、賦課方式の年金制度のために生じる歪みであり、若年世代から年長世代への富の移転に等しい。要するに、40歳前後から以下の世代は、自分のあずかり知らないうちに、40歳前後より上の世代に、生涯賃金の何分の一かを貢がされているのだ。
賦課方式の理念の根底にあるのは、「世代間契約」という考え方なのだが、この「契約」は、先行世代が仮構した一方的なものにすぎない。若年世代が、この「契約」に同意してサインしたわけでもない。40歳以下の若い世代にすれば、「そんな契約の話、聞いてないよ」と言いたくなるだろう。
先にあげた読売の調査では、70歳以上では年金制度を「信頼している」と回答した者の割合が76%にのぼっているが、20歳代では逆に「信頼していない」という回答者の割合が78%、30歳代では同じく76%と、若年層ほど年金制度に強い不信感を抱いていることが明らかになっている。このまま放置しておけば、年金の「空洞化」は止まらず、年金財政も破綻に瀕し、結局のところ年長世代も不利益を被ることになるだろう。
ひと言、付言すれば、『年金白書』の試算には、非現実的な仮定が前提条件とされている。29年生まれの世代の保険料の事業主負担分が700万、49年生まれの世代の場合は、同じく1千800万円であるのに対し、69年生まれの世代の事業主負担は3千万円、89年生まれは3千700万円とされている。これほど高額の負担を、この長期不況下で企業が負担し続けることができるだろうか。
先述したように、厚生年金基金の運用利回りは、株価の低迷のため、二年連続でマイナスを記録し、2000年度には全基金の91%が積立金不足に陥ってしまった。そのため、基金の解散が相次ぎ、ピークだった96年度末の1千883基金から、昨年度末には1千737基金に減少した。また、基金に参加している事業所数も、95年度の約19万5千から、昨年度には約17万に減ってしまった。
企業の負担増は、雇用面にも影響を与える。保険料の企業負担が上昇してゆけば、正社員の新規採用を控える企業が出てくることは避けられない。2001年時点で、15〜25歳の完全失業率は9・6%、25〜35歳も6・0%と、若年層の完全失業率は全世代の平均値よりも高い。マスメディアでは、リストラなどによる中高年ホワイトカラーの失業ばかりがクローズアップされているため、誤解されがちなのだが、同年度の45〜54歳の完全失業率は3・5%、55〜64歳は5・7%どまりで、若年層の完全失業率の方が、中高年層を大きく上回っているのだ。今年8月の統計では、15〜25歳の完全失業率は11・3%を記録した(総務省労働力調査)。
年金財政の悪化は、現状でも厳しい若年層の雇用情勢の冷え込みに、一段と拍車をかけることだろう。その結果、若年層はより一層、結婚や出産をためらうこととなり、少子化はさらに加速する。それがまた、年金財政の悪化につながってゆく。またしても負の悪循環である。
子育てコストの「ただ乗り」を許す現行年金制度
賦課方式の年金制度が、「世代間の不公正」をはらんでいるという批判は、マスメディアもしばしば取り上げている。しかし、子育てをしている世帯と、子育てをしていない世帯との間の格差については、ほとんど取り上げられることがない。
かつては親子間の私的な扶養にゆだねられていた高齢者の生活費の負担は、国民皆年金制度の創設によって社会化され、老後の経済的不安の解消に大きく貢献した。不妊症等により、子供に恵まれなかった人、不幸にも子どもに先立たれてしまった人、子供が薄情で、面倒を見てもらえない人などにとっては、大きな福音だったに違いない。公的年金制度のそうしたプラスの側面を忘れてはならないだろう。また、インフレに見舞われるとお手上げになる積立方式とは違って、賦課方式はインフレ・リスクにも強い。
しかし、この賦課方式には、子供をもたずにいる方が経済合理的にはプラスになるという致命的な欠陥がある。保険料さえ支払い続けていれば、子どもを育てるコストを負担しなくても、年金を受給できるからである。そのために自分では子育てのコストを負担せず、他人が産み育てた子供が支払う保険料で年金給付を受け取る「ただ乗り(フリーライダー)」の存在を許してしまう。賦課方式の年金制度は、少子化促進的であり、子育てコストのフリーライダー奨励的なシステムであると言っても過言ではない。
子育てのコストは、決して小さなものではない。子供が誕生してから学校を卒業して就職し、経済的に自立するまで、養育・教育コストは一人あたり2千万円から3千万円かかるといわれている。しかしこれは直接的なコストだけの話である。女性は高等教育を受ける必要はないとされ、就職にも厳然とした差別があり、「適齢期」になれば「嫁に行く」のが当然とされていた昔とは、今は時代が違う。現在20代や30代の女性達は、男女平等が当然の時代に生まれ育ち、男性と同じレベルの教育を受け、学校を卒業したら社会に出て就職し、男性と同じように働くのが当たり前と思って生きてきた世代である。従って、就職意欲も能力も高く、仕事を中断して子供を産むことは、それだけで経済的にマイナスになってしまう。働いていた女性が、妊娠・出産によって仕事を中断することで失われる間接的なコスト(機会費用)を、無視することはできない。
『平成九年版国民生活白書』によれば、短大卒の平均的な女性の生涯賃金と退職金の合計額は、約2億3千600万円。結婚して、第一子を出産後に退職し、子育てが一段落してから再就職する、いわゆるM字形の平均的な就労パターンを踏襲した場合、就業中断と再就職後の賃金格差による金銭的損失額は約6千300万円にもなるという。さらに再就職の時の就労形態がパートタイマーだった場合は、仕事を中断せずに定年まで働き続けた場合と比べると、損失額は約1億8千500万円にもなる。
話をわかりやすくするために、年齢や生涯賃金などの条件がまったく同じ二組のカップルがいると仮定しよう。一方の夫婦は妻が子供を二人産み、子育て終了後にパートで働き、もう一方の夫婦はDINKSとして働き続けたとする。その場合、二つの世帯の収支の差額は、2億2千500円〜2億4千500万円にもなる。ここから所得税の扶養控除等を差し引いたとしても、2億円以上の差は残るだろう。年金の受給額も、妻が基礎年金(月額6万7千17円)しか受け取れない子育て世帯より、夫婦二人とも厚生年金(標準世帯の平均月額36万7千円)を受給するDINKS世帯の方が上回り、引退後も差がつく。彼らが受給する年金の保険料を負担しているのは、一方の子育て世帯が育てた子供達であるにもかかわらず――。
「世帯間の格差」は、「世代間の格差」以上に重い受益と負担の「不公正」をもたらす。厄介なことは、フリーライダーである当のシングルやDINKSの多くに、「ただ乗り」の自覚が欠けていることだ。これは教育の責任も大きい。学校で社会保障の基本的な仕組みすら教えられてこなかったため、年金が賦課方式であることすら知らず、自分の支払った年金保険料がどこかに積み立てられていて、老後に自分の積み立て分を受け取るのだろうと漠然と思い込んでいる人々が少なくない。もっとも、自覚なきフリーライダー達に対して年金制度を説明し、啓蒙の努力を払ったところで、現行制度のままでは、少子化は解消されないだろう。逆に自覚的なフリーライダー達が増える可能性すらある。
あえて言うまでもないことだが、子供を産むか、産まないかは、個人の自由な選択にゆだねられるべきである。戦前・戦中のように、避妊や中絶を禁止するなどの、強制的な人口増強策は許されるべきではないし、またそんな政策は現実的にも実施不可能である。子供を欲しくないという人の権利を担保しながら、同時に子供を扶養している人との間で、次世代育成コストをいかにして分かちあうかが問われているのだ。本来であれば、社会全体で世代順送りに高齢者を支えあう制度なのだから、年金制度そのものに、将来、年金保険料を支払うことになる子供を育てた者が社会的に評価され、次世代育成の負担を軽減されるようなメカニズムが組み込まれていなければならないのだが、そうした仕組みにはなっていない。そうした制度上の矛盾が、結局は、この制度そのものを蝕み、存続を危うくしてしまう。皮肉な背理である。