テーマ:映画
『テルマエ・ロマエ』(2012年公開 / 監督:武内英樹 / 出演:阿部寛、上戸彩ほか)
【予告編】【DVD情報】
浴場技師ルシウス・モデストゥスは四十代マザコン童貞男だ。四十代マザコン童貞男のオレが言うんだから間違いない。そのことを説明するには、まず「オレは何ゆえに童貞なのか?」という、非常にクソどうでもいいことから語らねばなるまい……いや、オレだってそんな話したかねーよ!誰が好きこのんで童貞カミングアウトなんかするかっつーの!でも、映画『テルマエ・ロマエ』について語るには、この件にどォ~しても触れなきゃならないんだよっ!ちょっと聞いてちょうだいよっ!
思えばオレは、母子家庭で男の兄弟もおらず、大事っ子に育てられたのがいけないのだ……ずっと女系家族の中でぬくぬくとしてきたため、女の人を崇高なものと思い込む一方で「女の人からチヤホヤされて当然!」という根拠なきプライドまで育んでしまった。会話下手で、スキルもなんにもないくせに理想を高く持ちすぎ、やっと理想の相手にめぐり逢えても自信がないから積極的になれず、意を決してアタックしても相手の気持ちをまったく考えない勘違い行動ばっかりしてフラれて落ち込み、ますます消極的になるというジレンマに陥ってしまって、ついにこの歳まで童貞を捨てることができなかったのだよ……。
消極的っつっても、ヤりたくないってワケじゃないよ?ヤりたいかヤりたくないかの二択で言えば、そんなもんヤりたいに決まってんだよっ!願わくば挿入のみならず、あんなことやこんなこともしてみたいんだよっ!モテないっつっても、今までに機会がなかったワケじゃないよ?すんでのところまでいくことは何度もあったのに「イかなかったらどうしよう……」とか「勃たなかったらどうしよう……」とか心配で心配で、どうしても最後までいけなかったんだよっ!女体の神秘へのあこがれは人一倍強く、したくてしたくてたまらないのに、自分をさらけ出すのも怖いし、相手のさらけ出された姿を見るのも怖いし、したくて怖くて、あ~ンど~しよ~!
ところがこの期に及んでも、オレは未だ根拠なきプライドを捨てきれずにいる。世間の未婚男女がコンカツなどにウツツをぬかして大騒ぎするさまを眺めつつ「それでは種付けの牛や馬と変わらんではないかッ!キサマらには人間としての誇りはないのかあッ!」と遠吠えする毎日だが、当のオレはというと、そんな恋愛競争から逃げ続けて、自分の考える「人間らしさ」に執着するあまり、最も人間らしい営みであるはずの性行為をできずにいるという……この矛盾はどうしたもんかね?
そんなオレを見るに見かねて「風俗にでも行きゃいいじゃないの」と誘ってくれた人もいたが……ムーリムリムリムリ!それだけは絶っ対に無理ッ!オレは見ず知らずの人とフツーに会話するのさえしんどいのに、セックスなんてできるワケないじゃんよ!それに金銭で繋がった関係って、なんだか寂しいし……昔つとめてた会社でキャバクラなどに接待で行かされたことはあったものの、どこに行っても会話が一向に弾まず、オレはただニヤニヤしてただけ。あの時の気まずい空気は忘れられん……ただし唯一、フィリピンパブだけは気に入った。だっておネエちゃんたちが日本語わかんないから会話しなくていいんだもの!ありゃラクで良かったワ~。
そんなどうしようもなく情けないありさまだが、オレには人からよく「こーゆうの好きでしょ?」と薦められる映画がある。かの有名な『40歳の童貞男』だ。でもこの映画、初めて観た時ちょっとアタマにきちゃったんだよねぇ……。
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主人公のアンディは童貞ではあるものの、決して恋のチャンスがないワケではないが、女性を崇高なものと思い込み、一方でプライドが高いので、世間に幅をきかせる派手な男女関係を嫌悪し、理想ばっかり追求している。そのため、すんでのところまで行ったことは何度もありながら、いつも機会を逸してしまうのだ。ここらへんはオレにそっくり!アンディもオレと同じ中途半端野郎なんだよね。
しかし引っかかったのは、この映画に出てくる「フィギュア」のこと。アンディはフィギュアコレクターで、大きな全身可動フィギュアからガシャポンサイズのものまでたくさん集めており、知識も豊富で、その道ではなかなかの目利きであることを伺わせる。劇中での扱われ方を見ると、アンディが大人になることの象徴としてフィギュアが用いられていることがわかるが、彼は理想の女性と出会って結婚するやいなや、フィギュアの大半を売り払ってしまうのだ!えッ?なんで売っちゃうの?相手は別に手放せとは言ってないんだよ?これじゃ童貞を捨てても、趣味の方は中途半端になっちゃうじゃん?未開封のままとっておいたやつも、箱から出してジャンジャン遊んで、もっと好きになればいいじゃん?結婚したらセックスだけ楽しみに生きるっての?40歳までずーっとひとり気ままに暮らしてたヤツが、そんな生活で本当にしあわせになれるの?
でも、コレを書くために再見してみて気づいたんだけど、オレもフィギュア集めてて、未開封のまま保存してるのがけっこうあるんだよ!コレクターの中にも「未開封派」と「開封派」の二種類がいて、未開封派はなんで箱を開けないかっつーと、フィギュアの価値(ヤフオクなどでの、つまり自分個人にとっての価値ではなく世間一般の)が下がるのがイヤだからなんだよねぇ。アンディの場合は未開封/開封が半々ぐらいに見えるので、ここでもやっぱり中途半端、オレも中途半端。これじゃ人のこと言えんわ……。
そこでオレは、何かのヒントになればと思って『中年童貞』という本も読んでみた。著者の渡部伸さんは、自らも童貞であるだけでなく、この世の恵まれない童貞たちを救うべく「全国童貞連合」を結成し活動している人だそう。
中年童貞 ―少子化時代の恋愛格差― (扶桑社新書)/渡部 伸
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この本はデータがすばらしい。中でも驚いたのは、㈳日本家族計画協会の2006年の調査結果によれば、40~44歳の男性のうち、7.9%(無回答は5.0%)もの人に性体験がないということ。オレと同じ人がこんなにたくさんいる!『40歳の童貞男』を観て「こんな映画が作られるぐらいだから、オレみたいなのはよっぽど稀な存在なんだなぁ……」と自信を失ってたけど、中年童貞はマイノリティの中でもメジャーの部類なんだよ!このことにはとても勇気づけられたし、自分が童貞であることを隠さなくてもいいんだと思った。
ただ、この著者が「童貞問題は少子化問題」という持論に妙にこだわっているのが気になった。彼は少子化のことにどれぐらい関心を抱いているのだろう?オレ自身はと言うと、正直よくわからん。少なくとも、この本を読んでも少子化問題には関心が持てなかった。しかし童貞たちに恋人ができないのは、自信のなさやコミュニケーション下手が大きな原因になってて、それは仕事や趣味や夢など、恋愛以外のことにも大きく関わってくるはず。そっちの方向から攻めた方がよかったんじゃないのかなぁ?
また、ひとくちに中年童貞と言っても、童貞でも恋愛がしたい!と努力している著者のような「童貞改革派」と、もう恋愛なんて絶対しない!と決めてしまっている「童貞保守派」がいることも知ったが、保守派の主張に共通しているのは「なんで男ばかりがこんなに努力しなきゃいけないの?」ということ。あ~……実はオレも最近までそう思ってた。自分の答えはまだ出てない。でも本気で好きになれる相手が見つかると、そんなのどうでもよくなっちゃうんだよ。努力しようと思わなくても、努力せずにはおれなくなっちゃうんだよ。恋愛スキルも身につけたいけど、けっきょく最後は自分の気持ちの持ちようだよなぁ。彼らは世間一般の恋愛事情や価値観に反発するあまり、自分たち自身がそこに囚われちゃってるんじゃないの?とは言え、オレも同じところに陥ってしまいがちだけど……。
そんなことを思いつつ読んでいたが、「恋愛弱者」である童貞連合が、「恋愛強者」に位置する人々を招いて行った座談会が面白かった。非モテ側と同じように、モテ側にも「保守派」と「改革派」がいることに気づかされ、なかなかうまい人選だなぁ~と唸ったけど、それらのやりとりの中で「恋愛投資家」の肩書きを持つフェルディナンド・ヤマグチさんによる「タコの山田くん」の話が最も心に残った。
「僕の後輩でマルハのタコ担当で『タコの山田』って奴がいるんです。つまらなそうでしょ、タコですよ(中略)彼は本当にタコ好きで、世界中からタコかき集めて、日本人に安くて美味しくてやわらかいタコを食わせるために情熱を持って仕事してるんですよ。中途半端に芸能人知ってますっていう広告代理店の人なんかよりずっとモテるんですよ。なぜかというと、誇りを持って仕事してるし、自信があるからなんです」
この話を読んで思ったのは「執着」と「執念」の違い。つまり、殻に閉じこもって人の意見を聞き入れず、自分の今の姿を変えようとしないのが「執着」、行動して経験や人から学びつつ、一方で世間の言説に惑わされず、強者の意見に屈せず、環境に応じて変化しながら自分のあるべき姿を追い続けるのが「執念」なんじゃないかと。執着を捨てて執念だけを保つのってすごく難しいけど、世間一般からは非モテに見られそうな山田くんも、執念を持っているからモテるんだとヤマグチさんは言ってるのだ。
だからオレの場合、まずはフィギュアを箱から出して遊ばなきゃ!そういう根本の部分から意識を変えていかないと、おそらく恋愛も成就しないんじゃないかなぁ?しかしセックスしても、結婚しても、販売主任になっても、フィギュアを捨てても、オレやアンディみたいな中途半端野郎が急に大人になれるとは思えない。ただ、それらのことに執念を持って打ち込んでいくうちに、経験から学んで少しずつ大人になっていけるんじゃないかな……そんな気がする。だからフィギュアも絶対捨てちゃダメだ!
……というワケで、こんな長い長い前フリを経て、お待たせしましたッ!ここからやっと本題!『テルマエ・ロマエ』の話ですよ!オレはねぇ、これ観た時に「おおッ!これこそオレが理想とする童貞映画じゃないかッ!」って直感したんだよ!エっ?どこが童貞映画なのかって?こんなに語ったのにまだわかってくれないの!?しょうがないなぁ……じゃ、順を追って説明していくネ!
浴場技師のルシウスは自分の仕事に誇りを持ち、そのこだわりから、アテネ風の古いスタイルのテルマエ造りを提案するものの、時代に合わないと言われて相手にされず、ライバルにダシ抜かれている。プライドだけは高いものの実力はなく、ただギリシャや書物の真似事をするばっかりで、自分なりの独創的な仕事はできていないのだった……ほ~らネ!ルシウスもオレとおんなじ!どっちつかずの中途半端野郎なんだよ!
誰にも理解されないことへの憤りを抱えて浴場に赴くものの、客が暴れたり売り子が幅をきかせたりする騒がしい浴場を目にして「本来、風呂は体の疲れを取るための場所だッ!くつろげる空間でこそッ!この者たちには、世界の頂点に立つローマ人としての自覚はないのかあッ!」と、ますます苛立ちを募らせる……ン?騒がしい浴場?売り子が幅をきかす?なんかどっかで見たことあるゾ?……おおッ!こりゃあ~まさに、現代の恋愛事情に憤慨するオレではないかッ!
世の喧噪から逃れるべく、ルシウスは湯に頭まで浸かって耳を閉ざす。この時の彼の、体操座りで湯に沈み込んだ姿、これもどっかで見たことあるような……あッ!これって胎児みたいじゃない?ってことは、浴槽は子宮!そこに閉じこもることに心の平安を感じるルシウスはマザコン男!彼が吸い込まれた排水溝は産道!湯上がりのフルーツ牛乳は母乳ってワケね!
排水溝を通って抜け出た先は、これまで見たことのない別世界だった。見るもの触るものすべてが新しく、自分の知識が到底及びもつかないものであることに衝撃を受けるが、言葉が通じないため、教えてもらおうにも意思の疎通が図れない……またまた見たことある光景!こりゃあ~まるで、キャバクラに行った時のオレじゃないかあッ!日本語がしゃべれないルシウスは、会話ベタな童貞男そのものだよ!
それでも周囲の人々を見下し「ローマの属州になったからには、我々がその文化を吸収する権利があるッ!」と高飛車な態度を取るルシウス。その後、彼の運命の女性である真美と出会うが、彼女に対しても「こざかしい奴隷めッ!」と居丈高だ……出ましたッ!マザコン男の根拠なきプライド!「チヤホヤされて当然!」ってか!またまたオレそっくり!
そんなルシウスにはローマに奥さんがいるが、結婚して7年にもなるのに指一本触れず、仕事を言い訳にしてセックスから逃げ続け、とうとう欲求不満を募らせた奥さんを友人に寝取られてしまう……ギャー!これこれこれッ!オレもまったく同じ経験したことあるッ!きっとルシウスも「勃たなかったらどうしよう……」とか心配で、一線を越えられないんやなぁ……どこまでも中途半端なヤツ!
とまァ、こんな具合ですよ!どぉ?ルシウスはどっからどう見てもマザコン童貞男でしょ?しかもコレが、あながちオレの妄想ってワケでもなさそうなんだな~。コミック第2巻の解説文において、原作者のヤマザキマリさんが次のように語っているので、本作の隠されたテーマが「性」であることは間違いないッ!
「私は『テルマエ・ロマエ』を描き始めた時から、これはこれで『必ず描かねばならぬテーマ』と決めて、構想を練り続けていたのです(中略)日本の様々な土地で、今もこの男根崇拝はしっかりと生き続けています。読者の方もご存じだとは思いますが、多くの温泉地などで男根をご神体とする儀式や行事が行われています。それは、大地から沸き出す温泉から、人々が太古から母性的な意味を感じ取り続けているからなのかもしれません」
さらに、温泉(=子宮)は、人々の仕事などに対する執念と対比させたものであることも、コミック第3巻で説明されているんだよ!
「温泉街には、人間が日常で強いられる『生きている以上、何かをやらねばいけない。自分を役立たせねばならない』という緊張感や義務感が、すっかりこそげ落ちた『思いっきり緩もう。ちょっとぐらいハメも外してヨシ!』的な、怠惰さと優しさの混同した寛容な空気が漂っています」
映画のルシウスもまた、自分の仕事がただの模倣であったことに気づき、緊張感と義務感を持つようになる。父性の象徴のような皇帝の命に背き、女ったらしの次期皇帝候補のための浴場を作ることを拒んで、一大事業を成し遂げるのだ。それはただの独りよがりや模倣ではなく、日本人の奉仕と謙譲の精神から学び、自らの執念を奮い立たせた仕事だった。そして彼は真実と恋に落ちる。
あのあとルシウスはどうなったのだろう?やはり真美といっしょに、つぶれかけた温泉旅館の再建に乗り出すと考えるのが自然じゃないかな?今のルシウスなら、言葉の通じない日本でも人々から学び、愛と執念を持った仕事ができるはずだよネ。なぜなら、もしも彼が現実の厳しさに負けて、赤子のように泣いてしまったら、たちまち真美とは引き離され、母なる地・ローマに再び戻らなければならなくなってしまうから。あのラストは示唆に富んでいて実にスバラシイね!
オレが『テルマエ』で最も感動したことは、コメディなのに「童貞」を笑いのネタに使ってないってことなんだよ!オレがここで童貞カミングアウトなんかしてるのも「読者にウケたいッ!あわよくば女の人にッ♥」という下衆な魂胆がなかったワケではないし、それは『40歳の童貞男』も同じじゃないかな?なのに本作は、あえてそれを禁じ手にして他のネタをやり、それがしっかり面白い。思い遣りと真心のこもった大傑作だと思うし、世の童貞たちに勇気と愛を与えてくれる「おかあたま」みたいな映画だよ!この真心に応えねばッ!さあ童貞たちよ!産道めがけてレッツ・ダイブ!