テーマ:映画
『桐島、部活やめるってよ』(2012年公開 / 監督:吉田大八 / 出演:神木隆之介、橋本愛ほか)
【予告編】【DVD情報】
映画『桐島、部活やめるってよ』について、自分が最も語りたかった想いは他の文章で書きましたが、それでも「まだまだ語り足りない~!」という気持ちがわいてきてしまったので、補足として雑記ノートみたいなものをここで書いてみます(補足の方がメインよりはるかに長文だけど……)。
こういうものを書く気になったのは、中森明夫さんがツイッター上で発表したレビューを読んで「おや?」と思ったから。
中森明夫氏による映画「桐島、部活やめるってよ」のレビューが素晴らしい件【ややネタバレ】
このレビューはネット上でもかなり話題になってるし、彼の説を支持する人も多い。オレ自身も当初はこれを鵜呑みにしちゃってたけど、それから原作小説やシナリオ、関連書籍なども読んで、自分なりに『桐島』について考え直してみたら、最終的には映画初見時の感想とは正反対の結論に到達しちゃって、その後に再び中森さんのレビューを読んでみたところ「コレって違うんじゃないの?」と思えてしまったんだよね。
オレが感じた最大の疑問は、中森さんが唱えた「桐島=キリスト説」のこと。サミュエル・ベケットの戯曲『ゴドーを待ちながら』を基にしたもので、町山智浩さんや樋口毅宏さんも同様のことを言っていた。ゴドーのゴの字も知らなかったオレは「コレ読まなきゃ『桐島』を理解できないのか!」と焦って読んでみたけど、結果的にそれは徒労になってしまった。
あえて映画の作者の意図に添った形で解釈するならば「桐島=キリスト説」は「間違い」(あくまでもカッコ付きでの「間違い」)。なぜなら吉田大八監督は、下記リンク先の対談の中で「桐島=キリストは思いつかなかった」と発言しているから。
「観た後に意図を越えた部分で増殖していく、現代の都市伝説のような映画」吉田大八監督と社会学者・古市憲寿氏が語る『桐島、部活やめるってよ』という現象 - 骰子の眼
ただし、吉田監督は同対談の中で「作り手の側から『そんなことは考えてません』と限定する必要はない」とも言っているので、「桐島=キリスト説」も、中森さん個人の解釈として見れば、これはこれで「正解」。それどころか「実際の作品を観ないでみんなで勝手にまとめサイトや断片的なツイートを読んで盛り上がってしまう」ような見方さえ容認しているので、極端に言えば、『桐島』について「間違った解釈」などというものはこの世に存在しないのだ(「あまりにひどい誤解を除けば」という限定つきだけど)。
だから、中森さんのレビューの中から間違いを指摘するならば、「この映画をスクールカーストの語で評するのは間違っている」と発言していることだけは、コレってちょっとどうなのよ?『桐島』は多角的な解釈ができる作品だし、若い人でなくても楽しめるけど、それでもやっぱり表向きは「学園もの」の体裁をとっているワケだから、スクールカーストに絡めて論じた意見が出てくるのは当り前すぎるほど当り前でしょ?中森さんは「ベタ」とか言って笑うけど、青春映画だっていいじゃないか!劇中の実果のセリフを借りるならば「あるんだよ、あの人たちにはあの人たちの気持ちが」ってことですよ。
もちろん『ゴドー』みたいな作品も教養として読んどいて損はないだろうけど、ごく個人的な要望として言わせてもらうならば、中森さんのような発言力のある人に『ゴドー』のことはあまり言ってほしくないんだよなぁ。ああいうちょっと高尚なニオイのする本を、なんか有名な人が紹介してるからって、オレみたいな無知な奴がワケもわからず読んで、なんとな~くわかったような気になって、そこで考えるのを止めてしまうのが一番怖い。こういう機会でもなければオレが『ゴドー』を読むことは一生なかったかもしれないので、その意味で有意義だったとは思うけど、『ゴドー』でも他の本でも映画でもマンガでもゲームでも音楽でもなんでも、『桐島』を観た人それぞれの好きなものを基にして語るのがベストなんじゃないかな。
ちなみに、オレ自身が『桐島』を解釈する上で最も役立ったもののひとつは、トム・ハンクス監督の映画『すべてをあなたに』。たまたま職場のオバちゃんにすすめられて観たんだけど、いやぁ~すごく良かったんだわ~!と言っても『桐島』との直接の関係はなーんにもないハズ。でも、バンド仲間のガイとジミーが、バンド解散後にそれぞれ歩んでいった人生を見て、オレは大きなヒントをもらったんだよ!一本の青春映画として観ても、みずみずしくってほろ苦くって、これはオススメ!やっぱ青春映画ってオレは大好きだなぁ。四十のオッサンが観てもヤル気をもらえるもの。
すべてをあなたに ディレクターズ・カット版 [DVD]/トム・ハンクス,トム・エヴェレット・スコット,リヴ・タイラー
¥1,500
Amazon.co.jp
それと、こちらは作り手の意図に大きく関わっているものとして、古市憲寿さんの著書『絶望の国の幸福な若者たち』もぜひオススメしたい!
絶望の国の幸福な若者たち/講談社
¥1,890
Amazon.co.jp
オレは『桐島』を観た当初、なんで前田が「映画監督は無理」と言ってたのか、いくら考えてもわからなかったんだよね。まだ高校生でしょ?自分の限界を見切ってしまうには早すぎじゃない?ところがこの本を読んで、それがなぜだったのかようやくわかった。それどころか、オレ自身も前田と同じ「幸福」という名の闇の中にはまり込んでしまっていたことに気づいてゾッとしたよ。オレから見て、この本に書かれてることって映画『マタンゴ』にソックリなの!
マタンゴ [DVD]/東宝ビデオ
¥5,040
Amazon.co.jp
あの南海の孤島は「島宇宙」。そこに漂着した若者たちは、今まで享楽的な生活を送ってきたので、過酷な状況を生き抜く術を知らない。食料に困った彼らは、島にたくさんあるキノコに手を出し……「お~いしいわぁ~♥」。彼らは自分が怪物になってることにも気づかずキノコを食い続け幸福感に浸る。キノコ人間にならないためには、島から抜け出すしかないんだよ……。
また、大学生1000人を対象に行ったアンケートでは、前田に共感すると答えた男子学生がダントツ1位だったし↓
桐島、部活やめるってよ:大学生1000人調査で“リアル過ぎる”共通点が明らかに
主題歌「陽はまた昇る」のPVの中で、前田は高校卒業後、ピザ屋の配達のバイトになったことが描かれてるけど↓
高橋優 MV「陽はまた昇る」スペシャル編集編
これらについても『絶望の国~』を読んだら「ああぁ~!そうだろうなぁ~!」と妙に納得したよ!でも前田はきっと考えを変えるんじゃないかな?主題歌PVの全長版は現時点で公開されてないけど、彼は映画監督を目指すことになると予想!
そしてもうひとつ、吉田監督が映画製作にあたって再見したという映画『エレファント』。この中の、いじめられっ子がいじめられっ子を殺しちゃうシーンに衝撃を受けた。「自分とは違う」と思っていた人でも、お互いにもっと良く知り合っていれば仲良くなれたかもしれないのに……。
エレファント デラックス版 [DVD]/ジョン・ロビンソン,アレックス・フロスト,エリック・デューレン
¥3,990
Amazon.co.jp
そしてそのことは、『桐島』の登場人物たちにも言えるんじゃないかと思う。例えば前田と宏樹。見た目も全然違うし、カースト上位と下位で、クラス内でのポジションも違うふたりだけど、実は同じタイプの人間なのでは?女の子への接し方を見てみろ!前田がかすみに近づけないのと、宏樹が沙奈と別れられないのは同じ理由。どっちも超優柔不断じゃん!部活のことでもそうだよネ。8ミリカメラなんてこだわりのブツを持ってるくせに「映画監督は無理」とか言ってる前田と、未練たらしく野球部のカバンを持ち歩いてるくせに試合に出ようとしない宏樹、コイツらおんなじだよ!だから宏樹が泣いたのは、「自分とは違う」と思っていた前田の中に、自分と同じものを見つけたからじゃないかな。
オレが初めて『桐島』を観た時、違和感を覚えたのは前田のキャスティングのこと。映画オタクの彼を、なんで神木隆之介みたいなハンサムが演じてるの?従来の日本映画に出てくるオタクって、もっとキモい、いかにもオタクって風貌してることが多いよね。そこから発想して、もしも『桐島』が実話の再現ドラマだったらと仮定した場合、現実世界の前田も、まァ神木くんほどじゃないにしても、それなりにハンサムなんじゃないかって思うんだ。だから恋のチャンスにもそれなりに恵まれてる。映画館のロビーでかすみと出会った時、彼女は前田にわざわざ隣の席をあけてあげてたじゃん?他に彼氏がいる女の子が、ただ同じクラスってだけの、普段ろくに口もきかないようなヤツに、普通あんなことするものなのかな?前田は優柔不断なばっかりに、ただ立ってニヤニヤしてるだけで、せっかくのチャンスを逃しちゃう。つくづくバカだねぇアイツ……しかも前田はハンサムであるばっかりに恋をあきらめきることができず、趣味に専念することもできなくて、宙ぶらりんな状態になっちゃってるんだよね。そりゃかすみも愛想つかすわな。
その点で最強なのは武文だね。アイツは恋しようなんてハナっから考えてないから趣味に専念してるし、おそらく自分の夢に近づける可能性を一番持ってると思う。言うこともいちいち正論で、観客にとっての「答え」となる核心部分を語っているのは、実は武文だ。ただし彼はコメディリリーフとしての役割も担わされているので、いくら正論を吐いても観客は笑うばっかりでまともに聞こうとしない。だから武文のことをバカにしてるうちは、観客たちはいつまでたっても「答え」を見つけられない。そのことは、映画のシナリオを読んで(つまり、言葉だけの状態で)劇中のセリフを入れ替えてみるとわかりやすいね。
実果「すごい頑張ってたんだよ、小泉くん。でも結局負けるんだな、いくら頑張っても。なんのために頑張ってるんだろうね」
観客「うぅぅ~む?なんで頑張ってんだろなぁぁぁ~????」
武文「体育の授業で何点取ったってな、無意味。Jリーグ行くんだったら別だけど」
観客「アハハ、そりゃそーだろうけども、オマエに言われたかねーよ!」
武文「笑ってろ今のうち」「好きなだけ不毛なことさせてやる」
一方、宏樹の周辺人物で言うと、武文的ポジションにいるのは「パーマ」こと竜汰だ。パーマは武文の分身じゃないのかな?その証拠に、どっちもトイレに入ってハンカチで手を拭かない!まァそれだけじゃなくて、彼の言うこともいちいち正論なんだよね。特に「じゃあバスケ部入れよ」なんて、武文のセリフと根本は同じだ。しかし彼は『桐島』を好みそうなサブカル系の若者がパッと見で嫌悪感をもよおすような外見だから、観客たちはやっぱり彼の言葉を素直に受け入れられない。そこから思ったことは、たぶん吉田監督は、観客たちが「自分とは違う」と思うような人物に、あえて重要なセリフを言わせてるんじゃないかってこと。観客自身が偏見を捨てて耳をすまさない限り、大切なことはいつまでたってもわからないというワケ。
そんな吉田監督の分身は、もしかして映画部顧問の片山では!?その証拠に、吉田監督と片山(演:岩井秀人)は、顔が似てる!それと、片山が脚本を書いた映画内映画『君よ拭け、僕の熱い涙を』(通称『キミフケ』)のタイトルについて吉田監督は「『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』みたいな命令形の言葉にしたかった」とポッドキャストで語ってるし。片山は押しつけがましくてうっとおしいヤツだけど、彼の言葉を耳をすまして聞いてみると、意外といいこと言ってるんだよ!おそらく片山が作り手の考えを代弁する役割を担ってると思う。本題からちょっと逸れるけど、『キミフケ』もサブカル好きの観客がいかにもバカにしそうな映画だよね。むしろ今はゾンビ映画の方が認知されてるでしょ。
もうひとりのオレ的要注目人物は野球部のキャプテン。「ドラフトが終わるまでは」のところでは劇場内で笑いが起こったそうだけど、彼をバカにしちゃいかん!キャプテンの場合はセリフそのものだけじゃなく、表情や言葉のニュアンスからも心境の変化が読み取れる。以前は宏樹の顔色をうかがってオドオドしていたのに、「ドラフト~」のシーンでの堂々とした態度!宏樹に「どこ行くの?」と尋ねるところは「相変わらずフラフラしてんのかお前」とあきれた様子だし、宏樹から「どこ行くんスか?」と問われた時の「練習に決まってんだろォ……」は、もう自分にとっては野球をやることが当り前!これこそがオレの生きる道!と言わんばかり。練習を重ねるうちに何かしらの手ごたえを掴んだんじゃないかな。もしもスカウトが来なかったとしても、彼はきっと自分の夢を追いかけ続けると思うよ!
そして映画のラスト、宏樹は「桐島に電話をかける」と「野球部が練習しているグラウンドを眺める」という、まったく正反対の意味を持つ行為を同時にやっている。これまで映画を観てきた観客自身の心の色によって、映画のラストも違うものに見えるという仕掛けだ。オレは初見時「あ~やっぱし桐島頼りからは抜け出せないのか~……」と思ったけど、2度目に観た時は「ついに野球部に復帰するのか!やったね宏樹!」と思ったね!
ハイ!とゆうワケで、現時点でオレが考えついたことはこれで終わり!もう限界だぁ~!解釈ってよりただの妄想ばっかりだけど、監督本人が「作り手の側から『そんなことは考えてません』と限定しない」と宣言しちゃってんだから、これでいいのッ!こう見えても「正解」なのッ!ただ残念なのは、あれだけたくさんの登場人物がいるのに、オレが共感できたのは前田と宏樹だけだったから、彼ら周辺のことしかわからないんだわ。例えば風介なんかもすごく魅力的なキャラだと思うし、彼の頑張りを「不毛」の一言で否定する気にはどうしてもなれないんだけど、オレから彼に何を言ってあげたらいいのか、まだわからないんだよねぇ。だから他力本願だけど、『桐島』を観た人それぞれの意見をもっと読んでみたい。まだまだ色んな謎がいっぱい隠されてるゾ!みんなジャンジャン語ってよネ!なにせ『桐島』に関しては、中森さんや町山さんのような当代一流の論客が語ったことと、オレみたいなどこの馬のホネともわからんオッサンの妄想とは、まったくの同価!すべてが「正解」なんだよ!すばらしいと思わない?そう考えると、『桐島』について語れば語るほど自信がついてくるネ!こりゃ~語らにゃソンだぜぇ~?