井上
「ご覧になったことがある方も多いのではないでしょうか。
影絵創作の第一人者、藤城清治(ふじしろ・せいじ)さんの作品です。
独特の手法を用いた色彩豊かな影絵で、美しいメルヘンの世界を70年近くにわたって表現し続けてきた藤城さん。
このたび、これまでにない趣(おもむき)の作品を描き上げました。
きっかけは、東日本大震災の被災地、福島との出会いでした。」
去年(2012年)11月。
立ち入りが禁止されている福島県の警戒区域に、一台の車が入りました。
影絵作家の藤城清治さん、88歳。
被災地の現状を描きたいと、福島第一原子力発電所のある町を訪れました。
影絵作家 藤城清治さん
「全部、家があったよね。」
核心:福島を“刻む”
藤城さんのアトリエです。
影絵を作り始めたのは、戦後まもない頃。
「絶望にうちひしがれた人々の心に明かりを灯したい」という思いからでした。
影絵作家 藤城清治さん
「なにかできないかなと思ったときに、そうだ自然の光だと。
光があれば、なにかできるのでは。
太陽、月、ろうそくの光があれば、なんでも表現できる。」
人々に夢や希望を。
70年にわたって、メルヘンの世界を描き続けてきました。
そんな藤城さんに大きな転機が訪れます。
東日本大震災です。
震災から5か月後、藤城さんは、宮城県の被災地を訪ねました。
目の当たりにした自然の猛威。
自分自身の作風を見つめ直すきっかけとなりました。
影絵作家 藤城清治さん
「自分は、ただ楽しいメルヘンを描いてた。
夢を描いてた。
もっと自然を見なければいけない、自然と向き合わなければいけない、自然と闘わなければいけない。
この年になって、やっと気がついた。」
東日本大震災の現実ともっと向き合いたい。
大熊町の協力をえて、原発の近くへ向かいます。
放射能に汚染され、今も住民が自由に立ち入ることのできない区域。
ススキだけが伸び放題になっていました。
町役場の人の案内で向かったのは、原発から2.1キロメートル離れた福祉施設の屋上です。
「説明しますと、三角の屋根が一号機、下の低いのが二号機…。」
初めて目にする福島第一原発。
影絵作家 藤城清治さん
「描こうか。」
放射線量は、通常時のおよそ100倍。
許された滞在時間は、3時間です。
影絵作家 藤城清治さん
「原発の場所そのものではなくて、地域全体に原発の事故がある。
何もないようなかたちが広がっている広さに驚いた。
一見、静かな風景に見えるなかに、見えない放射能が流れていることを描かなくてはいけないのでは。」
藤城さんは、ぎりぎりまで描き続けました。
帰り道。
橋の上で、突然、車を止めました。
のぞき込んだ先には…。
“さけ”がいました。
「けっこういますね、まだね。」
大熊町では、毎年、700万匹の稚魚を放流していました。
震災の3年前に放流されたさけが戻ってきていたのです。
福島訪問から3週間。
藤城さんが懸命に向き合っていたのは、あの“ススキ”です。
目に見えない放射能を刻み込む。
一本、一本に、力を込めます。
影絵作家 藤城清治さん
「たんなる“すすき”だろうけど、前はそこに建物があった。
全部“すすき”が伸びてきてしまっている。
人も住んでいない。
目に見えない、言うに言われないものがいっぱい美しい風景の中に含まれている。」
最後にとりかかったのは、“さけ”でした。
福島で出会った“さけ”。
その時に感じた気持ちを込めました。
影絵作家 藤城清治さん
「魚が生きていることのすごさ、勇気がでる。
救われた。」
先週、宮崎で、藤城さんの展覧会が開かれました。
この度、完成した作品。
「福島原発を描く」。
奥には原発。
目に見えない放射能。
手前には、川をのぼる“さけ”。
影絵作家 藤城清治さん
「目をそらすのではなくて、人間はどんな時代でも、乗り越えていった。
乗り越えるときに、人間の本当の力が出る。
これ(人間の本当の力)を、いろんな意味で描ききっていければ。」
井上
「被災地の姿を『忘れてはならない風景』として日本全国で共有したい。
そうした思いから、藤城さんは、来月(2月)から、岩手県をはじめ全国各地で展覧会を開き、被災地を描いた作品を発表する予定です。」