医療観察病棟建設計画が浮上してから2年目。
反対運動が起き、このホームページを開設してから1年以上経つ。
当初、滋賀県から住民へ配布された説明会資料は限りなく薄く、内容も簡略したものだった。
疑問点を質問したら、説明会資料は少し厚くなり、内容も少しだけ詳しくなった。
その後、質問しては資料内容が増えることの繰り返し。
滋賀県の未来を真摯に考えて計画しているようにはみえなかった。
医師補充の資金源欲しさのために、 駆け込みで手を挙げたことは、精神保健福祉審議会の関係者の発言録で後々わかった。
計画を立てた責任者たちは、住民の反対運動が起きた時に、なぜこの計画を進めるのか、詳細なデータ(集めようと思えばすぐ入手出来たはず)を元に住民の前で説明すべきであった。しかし、そうはしなかった。出せない理由は公文書などを調べて推測出来た。
そして、計画責任者はというと••
村木元病院事業庁長は、一部の住民と裏で会合するため隠密訪問(H24年1月)し、反対運動を沈静化しようとしたにも関わらず、早期退職。
H22年計画時の谷口元病院事業庁長は、3度目の職場で(県総務部長→病院事業庁長→滋賀県監査委員)、自身が関わった建設計画で住民監査請求を起こされている状況を知りながら、全く知らんぷり。
福井前病院事業庁長は、市長選に出るためさようなら。
そして、最高責任者でもある嘉田知事は、家族会に会うこともせず、住民が渡そうとしたファイルも拒絶し、地元に足を運ぶこともなかった。県内の様々な問題に向き合うこともせず、国政に羽ばたいて逃げ出そうとしたのは記憶に新しい。
また、計画を立案したであろう元厚労省出身で精神科医でもある苗村室長は、反対住民がいるところには行きたくないということで、青山学区に説明に来ることはなかった。
大津市自治連合会はどこを向いて運営されているのか不透明感が浮き彫りになった。
当地域もこの問題が浮上した早い時期(H23年の春)に自治連合会が行動を起こしていたら、これほどの大きな動きにはならなかったはず。
自称地域のご意見番(地域の若い人たちは誰もそう思っていない)長老族は、反対住民に対して「国が決めたことにごちゃごちゃ文句言うな」「騒ぎたてたら問題のある地域にみられる」「反対意見がバラバラなのはおかしい」など、自由な発言を止め、それこそ統制、抑圧した考えを押し付けようとしてきた。自分たちに関係ない問題にはとことん無関心。しかし、公の場では、「人権のために必要だ」ともっともらしいことを述べていた。
行政も地域の一部長老族も「権威のある人たちが言っているから」ということをしきりに言っていたので、「権威」のある人の発言や業績などを調べたが、さっぱり権威のすごさを感じられなかった。
京都から「精神科医の権威」を連れて来たと県職員の人たちが言っていた。県の言う「権威」の岡江元室長の話であるなら、よくわかるだろうと説明会にのぞんだが、聞けば聞くほど混乱するばかり。しまいには何が言いたいのかよくわからず、眠くなる始末。「権威」は、催眠療法を駆使するのかと思った。
元厚労省の官僚権威の苗村室長には、1対1で質問したにも関わらず、「あなたとは話をしない」と言われた。
地域の代表からの質問しか受け付けないとのこと。さすがに縦社会でそこそこの地位になった方は、しかるべき人を通さないと話をしてくださらなかった。危なくなったら部下を置いて逃げ出す(訴訟説明会時の一コマ)素早さと自分だけを守る術が、出世には必要なのだろう。
そして、最も滑稽なのは、何の権威もないはずの地域の一部長老族が、権威があるかのように振る舞い(ほとんど自己満足の世界)隠された真実を明るみにする作業、暗闇から光に出すことを止めようとし続けたことだ。
地域の人たちが感謝を捧げるのは、ゴミの清掃や草刈りなど、額に汗して街のために尽力、奔走してくれる方たちに対してである。自称ご意見番の長老族のことなど、地域の子どもたちは誰も知らない。
大(国)、中(県)、小(地域)も構図が全て同じであることがわかった。見るべき人を見ず、聞くべき人に聞いていない。
この建設計画は、精神保健福祉審議会の具申を受けて進めたと知事は 、発言している。精神保健福祉審議会メンバーはほとんど精神科医などの医療関係者か一部の福祉関係者などである。いわゆる権威ある人々で構成されている。当事者や地域住民の声は反映されていない。真剣に「共生社会」を目指すのなら、多様な意見の当事者たちに参画させるべきである。そして、揉めながらでも対話を重ね、滋賀県ならではの「精神保健」を構築すべきであろう。そうしたことを全くしなかった 滋賀県の姿勢は残念であった。
様々なことが目まぐるしく起きた1年間であった。
大変疲れた1年間でもあった。そして、思いもよらず1年以上発信している。
しかし、今後もより良い地域社会(環境)を模索して、理不尽な事柄にはNoと言いましょう。
何はともあれ、2013年もよろしくお願いします。