こんばんは、山野井です。今日はひとりで山に登るということについてお話させていただきます。
なかには期待している人もいるかもしれませんが、クマの話やギャチュン・カンの話はありません(笑)。

フリークライミングを始める

(山野井氏が撮影したスライドを見ながら話を進める)
 僕は10歳のときからひとりで山歩きをしていました。そして中学に入ったころから岩登りも始めたのですが、パートナーがいなかったのでひとりで岩場に行っていました。まわりのパーティは仲間がいることを少しうらやましく思ったのを記憶しています。そのうち50~60mの岩もロープをつけずに登り降りできるようになりましたが、僕は自分のレベルがあがったなと確認できてから次のステップにいくようにしていたので、進歩するのが非常にゆっくりだったと思います。有名な谷川岳の一ノ倉沢も、多分高校一年生くらいのときにひとりで登っていました。高校時代は友人がたくさんいましたけど、映画に行ったり友達と遊んでいてもおもしろいなと思ったことはまったくなかったです。ひとりで谷川岳の岩場を登っているときが、一番幸せだったような気がします。

 そして高校を卒業してすぐに、アメリカのヨセミテ国立公園に旅立ちました。エル・キャピタンという岩壁を目指したのです。エル・キャピタンは、800mくらいの岩なんですけど、このときには結局80mくらいしか登れませんでした。というのも、見上げていると、だんだん怖くなってきたんです。まだこのころは、こんな大きい岩壁を登れるまで精神的に成長していなかったんでしょうね。

 それから3年間くらい、大きな山にはまったく行きませんでした。10~20mくらいのフリークライミングしかやらなかったと思います。もちろん単独登山も全然やりませんでした。そして3年後もう一回エル・キャピタンに行くと、今度はなぜかひとりでうまく登れたんです。理由はわからないのですが、毎年アメリカに行き、大きい山を見てそれに見慣れたというのはあるかもしれません。

自己責任で登れる山を求めて

 そのあと、ヨーロッパアルプスのモンブランの氷壁などをたくさん登りました。ただ、アメリカやヨーロッパはケガをしてもすぐにヘリコプターが飛んできてくれる、守られた環境だなと思いました。それは日本も同じですけど。そこで、もっと自己責任で登れる場所、もっと荒々しい土地を求めて北極圏のバフィン島というところに23歳のときに行きました。僕が目指したのは1300mほどの岩です。このときは緊張しましたね。もちろんケガしても誰も救助してくれない。そして何日かかって登りきれるのかもわからなかったからです。1日の行動時間は10~15時間。長いときですと17~18時間登り続けていたと思います。それでも1日に200mくらいしか進まなかったです。当時は装備も充実していませんし、技術もよくなかったのですが、このころの僕はやる気だけはある人でした(笑)。7日目にして岩壁を登りきりました。多分、最初で最後だと思いますが山頂で涙を流しましたね。こんなちっぽけな体でも気持ちさえ保っていれば、こんな大きい岩壁も登れるんだと少し感動してしまいました。

 そのあと南米のパタゴニアにも行くようになります。冬にフィッツロイという山を単独で目指しました。写真で見ると山自体は小さく見えますが、岩壁は1000mくらいあったと思います。ベースキャンプの山小屋でひとりで45日生活していたのですが、天気が悪いので僕ができることといったたら毎日薪を拾いに行くくらいなんです。大変孤独な生活でしたね。冬のフィッツロイは、台風並みの30m以上の風が常に吹きますし、気温もマイナス30度という厳しいものです。このころ思っていたのは、これを登っても誰もほめてくれるわけでもないしな、だけど登りたい。それと、ここで死んでも誰にも看取られずに死ぬわけだよな、だけど登りたい。すごく複雑な気持ちでしたね。雪洞に入ると、吹雪で一週間も外に出られないこともありました。日記を読み返すと「食料さえ豊富だったら孤独も紛らわせることができるのに」と書いてありました。多分、ものすごく食料が少なかったのだと思います。最初の年は失敗し、翌年に再度チャレンジして成功しました。山頂まで行きましたが風が強くて、山頂にタッチしてすぐに退散する感じでしたね。フィッツロイで山での孤独について考えさせられましたけど、僕は山での孤独感は必要不可欠ではないかと思っています。ですから、僕は今でもそういう孤独感を排除しようとかなくそうとは思っていません。

ヒマラヤへ向かう

 そのあとはヒマラヤなんかにも行きましたね。最初に成功したのはアマダブラムというエベレストの近くの山です。単独登攀で一番怖いのは、氷河ですね。クレバスは迂回したり飛び越えたりするんですけど、こういうところで死んだ単独クライマーはたくさんいます。有名なイタリアのカザロットという人は、K2から降りてきて最後にベースキャンプ近くのクレバスに落ちて死んでいます。アマダブラム山頂に立った後は、一般的な易しいところを降りてきたんですけど、友人がお茶をどうぞと渡してくれたんですね。ここでお茶をもらっていいものかと一瞬迷いました。単独登山にならないんじゃないかなと思ったんです(笑)。でも、そこまで意地になることはないなと思っていただきました。

 これは敗退したんですけど、ガッシャブルムIV峰という山です。技術的なことを言うと、易しい下山路がないと、なかなかひとりで突っ込むことができませんね。ですからこのあとは易しい下山路のある山で勝負したいなと思いました。

 これはチョオーユー南西壁です。頂上自体は8201mあって、南西壁は2200mの標高差なんですけど、ここなら裏面にやさしい下山ルートがあるので勝負できるだろうと思いました。7200m付近を歩いていると、つねにすぐ後ろに人がいるような不思議な感覚がありました。ラッセルしていると「なんでこいつは代わってくれないんだろう」と思うんですね。こういう心理状態は、人に聞くところによると、ギリギリの状況だと人間はそういうことを感じたりするらしいです。出発して50時間後に僕は山頂に立ちました。難しい8000m峰にひとりで登るという大きな夢が実現した瞬間でもありました。

 ヒマラヤで最大の課題といわれるマカルーの西壁もひとりで挑みました。1996年のことです。ここがなぜ難しいかというと、8000m級で最後の頂上直下600mが岩壁だからです。僕は国内でものすごくトレーニングを積みました。垂直の氷をロープをつけずに登り降りしたり、冬の南アルプスを黒戸尾根から甲斐駒・仙丈・塩見・三伏峠を40時間くらいで歩いたりもしました。そういう持久力のトレーニングもしてマカルー西壁に挑んだわけです。ところが実際登ってみると、途中でこれは多分登れないなということがわかりました。というのも僕は自分の能力を常に把握していて、しかも山の困難さというのも比較的計算できるんですね。そのふたつを考えたときにどうやっても僕は頂上に立てないなというのがわかったのです。結局マカルー西壁は登れませんでしたけど、近い将来こういう困難な山をひとりでやる人も現われるかもしれません。

 これはクスムカングルというマニアックな山ですけど、敗退したマカルー西壁をいつかはやってみたいと思って、技術を高めるためにこの山を選びました。まったく誰も触れていない1200mの岩壁を僕はロープをつけずに一発で登ろうと思いました。今でいう5.8、5.9くらいの岩場をロープをつけずにひとりでひたすら1000m以上登り続けました。そして22時間後に登りきったのですが、そのときすごく幻想的な風景が見えました。山頂からは月明かりで山が見え、遠くに稲妻が光っているんですね。うわっ!きれいだな、いつまでもここにいたいな、と思ったことを記憶しています。ここは、僕がやったなかで一番難しい登山だったかもしれません。

 これは2000年に登った世界第二位の高峰、K2です。K2の東面は未踏で、最初はポーランドのクライマーと一緒に行く予定でした。しかしここは雪崩の発生率が非常に高く、天気も安定していなかったので、結局ポーランド人は帰ってしまい、僕はひとりで行くことになりました。僕は南南東リブという少し難しいところをひとりでアタックをかけました。でも、ひとりになって少しほっとしたところはあったかもしれませんね。この登山は、記録上は単独となっていますが、実際は単独とはいわないと思います。というのは頂上直下で一般的なルートから登ってきた韓国人と一緒になって会話もしているんですよ。トランシーバーも持っていたので、しょっちゅうベースキャンプの人とも交信していました。このころは体力があって、山頂があと200~300m高くても登れるくらい余裕がありましたね。ベースキャンプから山頂まで休みなく歩いて48時間後に山頂に立っています。

ギャチュンカンとその後

 ギャチュンカンという山は、僕ら夫婦をいろいろな意味で有名にしました。凍傷になってしまい一時は山をやめようかなと思いましたが、その後ご存じのとおり僕は、また山登りをはじめます。最初はよく転びました。けど楽しかったですね。ただ今でも問題なのは握力がないことです。この前測ったら握力は27(kg)と28(kg)でしたから、これはクライマーにとってかなり厳しいです。

 退院して半年後に四川省に旅立ちました。ここのポタラという岩壁の北面は誰も登っていない。じゃあこれをひとりでやれば、自信が戻って復活の手がかりになるんではないかと思ったからです。ただ、僕は結局200mくらいしか登れずに敗退しました。技術的にもダメになっていましたし、凍傷にもなりやすくなっていました。

 しかし、クライマーとしての意地じゃないですけど、ポタラにはもう一度挑戦しようと思いました。まだクライマーとして死んでいないぞということを自分自身に証明したかったんです。日本に帰ってきたら、どのようにすると残った指でうまく登れるのかを試行錯誤しました。すると5.11、5.12も少しずつ登れるようになってきました。氷登りも最初からやり直しましたけど、未だにピッケルはうまく氷に突き刺さらないですね。

 翌年に再度ポタラを目指したときは、毎日雨がふって滝のようになっているところを僕はずぶ濡れになりながら登っていきました。ほとんど眠れませんでした。ときどきウトウトすると近くに温泉場があるんだけどたどり着けないという夢ばかり見ていたのを記憶しています。僕は7日目にポタラに登頂したのですが、特別強い感激を受けたわけではありません。なんとなくこれでまたクライマーとしてしばらくは生きていけるかなと思いました。

 これは最近の単独登山でチベットのクーラカンリ北壁です。僕は2年前、久しぶりにヒマラヤの単独登攀に挑戦しました。3年くらいあたためた計画です。しかし雪崩の危険性が高かったので、近くのカルジャンという7300mの山に変更しました。このときは、すごく調子悪かったですね。クマに鼻をかじられたせいか鼻で呼吸できないというのもありましたが、息苦しくてスピードにのれなかったです。結局カルジャンは1/3くらいしか登れずにあきらめて下山しました。下山してくる途中でやっぱり昔のようには動けないなと思いました。そのときはもうヒマラヤの単独登山なんてダメだなとあきらめて少しがっくりした記憶があります。
 今思っているのは、僕は満身創痍ですけど、こうなったらやぶれかぶれ状態で、こときれるまでやってみようかなと。もう1~2度、ヒマラヤの峰々をひとりで挑戦できたらなと。どうやることやらわかりませんけど(笑)。