ニックネーム:知香
年齢:ひのと ひつじ

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『にんげん』配布事業の廃止から解放教育研究所の解散まで
2012年03月25日(日)
2007年から5年間お世話になった(財)解放教育研究所が、
この3月末日をもって解散となります。

私はもともと、2003年から刊行された新しい
『にんげん・ひとシリーズ』の改訂準備のために、
前任者から仕事を引き継いで、パートタイマーになりました。
2005年に高校を辞めていたのを、恩師が知り、
「ちょっと僕の仕事を手伝えへん?」と
声をかけていただいたのです。

解放教育読本『にんげん』は、
1970年度に小学校3〜6年生用(各学年ごと)が刊行され、
その後、中学生用、1年生・2年生用…と作られて、
時代の変化に合わせて随時改訂を重ねながら、
2002年まで『にんげん』のタイトルで、
2003年から低学年用・中学年用・高学年用・中学生用、と
編成を変えた『ひとシリーズ』として、
大阪府下の小中学校児童生徒一人ひとりに、
無償配布されてきました。
1990年代に「新訂版」リニューアルで児童生徒作品になるまでは、
丸木俊さんの絵が表紙に使われていて、
その印象を強く持っている方も多いと思います。

後日落ち着いたら、発刊〜発行停止までの流れは
きちんと整理してみたいと思っているのですが、
(なにせウイキペディアでは、すぐ荒らされる
 ページの一つになってますんで)
今日は70年代に小学生だった/『にんげん』一読者から、
編集委員会の最後に立ち合った私の印象を中心に書きます。

1970年という年代からもわかるように、
同和対策審議会答申(1965年)はもとより、
高知県のムラから火がついた「教科書無償化闘争」、
そして大阪で熱くなっていた「越境通学反対闘争」といった
解放教育運動を背景に誕生したのが『にんげん』でした。

私は1973年小学校入学で、1年生のときにはまだ
『にんげん1』がなく、2年生で『にんげん』に出会いました。
とはいえ、校区内にムラがない学校にしか通わなかったので、
毎年もらってはいたけれど、授業で使ったことはなく、
(使ったかもしれないけど記憶にない…?)
なぜ毎年配布されるのか、
心にザラッとくる内容と、湧いてくる疑問の数々が
どんどん蓄積されていくだけでしたが、
それでも私は『にんげん』が好きでした。

好きというと、語弊があるかな。
なんとなく、とても大事なことを読んでいる、という
感覚があって、読んでいてすっきりわかる内容ではないのに、
何度も読んでしまう、心が惹かれる、そういう本でした。

小学生当時、通学路にある掲示板や、学校内の掲示板に、
必ず「越境通学は差別です」「しないさせない越境通学」という
ポスターが貼ってあった時代です。
実は私は家庭の事情で、1年生のとき、
住民票のある場所に住んでおらず、
実際に住んでいた祖母の家から隣の校区の小学校に
通っていました。
部落差別とは無関係な「越境通学」でしたが、
当時の私にそんなことがわかるわけもなく、
毎日毎日目に入るポスターに自分がとがめられているようで
悶々としていたのはうっすら記憶しています。
2年生に進級するときに、父がやっと祖母宅に住民票を移し、
私の越境通学は解消されたのですが、
1年も経たずに祖母と父の衝突から大阪市外へ引っ越し…。
(その後、祖母が亡くなって、祖母の家を継ぐべし?となって
2年後にまたミナミに戻るんですが)

引っ越し先は狭山町(現:大阪狭山市)だったので、
南海高野線を利用することが多くなり、
電車の窓からは浅香子ども会の「狭山裁判がんばるぞ!」等の
横断幕がいつも見えていました。
当時の私は、狭山町と埼玉県の狭山の区別がついておらず、
「狭山で何があったんやろ???」などと思っていました。

ほんとに、もらいっぱなしでフォローがなかったんですね(笑)

でも『にんげん』に出てくる子ども会の仲間の話や、
「クレヨンはぬすんだのじゃねえ」
(狭山事件の石川さんのお姉さんの子ども時代の話)
「伝えたいただ一つのこと」
(石川さんの生い立ちのふりかえり)
などは、引っ込み思案なうえに転校が重なって
学校に不適応気味だった私にとって、
胸にツーンと来る、印象的な話ばかりで、
国語の教科書より読み応えがあったし、
実際に、40代半ばになった今も、よく覚えています。

㈶解放教育研究所で仕事をするようになって、
ときどき自分が読んだ『にんげん』の内容を確かめに
いらっしゃるお客様とお話ししながら、
「あー、みんな同じだなー」と思うことがよくありました。
当時はその教材の背景にあった差別の実態をよく知らず、
理解もできていなかったけれど、印象には残っている。
すごく大事なことを読んだ気がする。そういう気持ち。

しかし『にんげん』に批判的な人びとが多かったことも事実です。

私も詳しくはないのですが、
部落解放同盟と日本共産党との対立がここにも持ち込まれ、
『にんげん』は偏向読本だと攻撃する共産党系の教職員もいたし、
そもそも差別や人権といったことを学校で教えたくない、
露骨に差別的な教員や保護者もいて、
そういう人たちからの誹謗中傷攻撃への対抗の意味もあって、
『にんげん』は何度も内容を検討し、改訂しています。
特に1970年代は、教材の順序を入れ替えたり、
一つ二つの短い教材を差し替えたり、といった小改訂が
頻繁にあり、当時関わられた現場の先生方や、
編集事務のスタッフの方の苦心や情熱が偲ばれます。

90年代の「新訂版」リニューアルも、
かなり大きな再編ではありましたが、
バブル崩壊後の財政難、またいわゆる「同和対策事業」の
縮小(関連法の法切れ)等の影響もあって、
『にんげん』無償配布事業も見直しを迫られ、
21世紀を前に大幅リニューアルをしようということで
作られ、打ち切られる2008年まで使用されたのが
『にんげん ひとシリーズ』の4分冊でした。

かつての『にんげん』は、1年生用から中学生用まで並べると、
背表紙の厚みが6センチぐらいになるのですが、
ひとシリーズは3センチに至りません。
7冊あったものを4冊に、版を大きくして頁数を押さえたからです。

つまり、
私が小学生の頃は、毎年1冊もらっていたけれど、
2000年代の小学生だった息子は、奇数学年のときに1冊、
もらっていたということです。
(中学生用はもともと1冊でしたが、
 教材数・分量はかなり減っています)

創刊時から作品を寄せてくださっていた児童文学作家
さねとうあきらさんが、ひとシリーズ刊行時に下さったはがきに
「とんでもない後退だ。かつての『にんげん』はどこへ行ったんだ」
という怒りの文言を書いておられたのですが、
そうおっしゃるのももっともだ……と思います。

教材数もページ数も減る、
おまけに同和教育だけでなく、他の人権課題も入れろ
(編集側にも入れる意思はありますが、議会などでそれを言う
 人たちの意図は「部落問題を外せ」ということなので、
 立場は全く異なります)
等々の外野の声や財政上の制約などに悩みつつ、
教材を探し、検証し、まとめあげる作業が、
1998年ごろから始まり、『ひとシリーズ』ができました。

だから、橋下さんが来る前から、
いわゆる「同和関連予算」は減らされていたし、
橋下さんの知事就任後、『にんげん』はバッサリ「なし」と
決まったので、彼が「同和予算を聖域にしている」という声には
疑問を感じます。
(そもそも、そういう人の意見を読んでいると、
 私が人権保障のために必要な予算措置だと思うものを、
「同和予算(≒解放同盟が介入)」だと言うので、
 最初から噛みあわないんですけど。
 行政が解放同盟の名を利用している面もあるし、
 依存だと言われてもそうしないと動かない施策もあるわけで)

ともあれ、2008年度の「無償配布」を最後に、
『にんげん』の無償配布事業は廃止されました。
もともとそのために発行されていた書籍ですから、
その事業がなくなれば赤字になるのは当然で、
従って出版元の明治図書は「今後の増刷は無理だ」と。
当然の帰結です。

(財)解放教育研究所は『にんげん』の仕事だけを
していたわけではありませんが、
事業の大きな柱であったのは確かで、
折からの雑誌不況もあって『解放教育』誌の売り上げも不振、
等々…の事情が重なったところへ、法人改革の情勢もあって、
今後の見通しが立たないということになったわけです。

2009年以降の私の仕事は、『にんげん』の著作権管理と、
指導事例などに関する各地からの問い合わせへの対応、
資料整理・・・などなどでした。

大阪府下で小中学校期を過ごした人にとっては、
あって当然の『にんげん』でしたが、
実は他府県からの転載・使用許可の問い合わせや依頼が多く、
『にんげん』の貴重さ・値打ちをわかっているのは
他府県の方ではないかと思うことがよくありました。
なかには頓珍漢な問い合わせもありましたが
(ex.「大阪弁をこちらの〇〇弁に変えてもいいか」というので
 どこをどう変えたいのか聞いていたら、登場する子どもの
 民族名を日本名に変えたいという主旨で唖然…とか。
 私が「その変更は、教材の主旨をゆがめるので応じかねます」と
 言うまで、まったく問題だと思ってなかったらしくて、
 ちょっと呆れましたが、向こうも話しているうちに自分の
 とんでもなさに気づかれたみたいでした……。)

4月からは問合せ先がなくなるので
(教材の転載・引用可否に関しては、明治図書で引き継ぎますが
 上記のようなやり取りは望めないと思います。
 教材ごとに改変なしで、可か不可か、だけの応答)
そういった地方のみなさまにご迷惑をかけるなぁと。
大阪の事情を汲んでいただければ幸いですが…。

でも私たち(大阪の人権教育派)は、負けませんから。
4月からの再スタートをがんばります。

がんばりましょう!
2012-03-25 13:14 | 記事へ |
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