再生の原風景 渡良瀬
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【暮らし】<オトコ全力!>(3)仲間と暮らす シェアハウス運営 高木克彦さん(24)
名古屋市西区の住宅地にある「シェアハウス虹色・庄内通ハウス」。中古の二階建て民家には、二十代〜三十代の社会人男女が六人で暮らす。 夜、ぽつぽつと入居者が仕事から帰ってくる。「ただいま」と言うと、他の住人が「おかえり」と温かく迎える。リビングで読書する人や、おしゃべりする人。一緒に夕飯を作り、和気あいあいで食べることもある。「家庭的な雰囲気ですし、職場以外の人とも交流できるのがいい」。入居する保育士の森菜津美さん(24)は話す。 ハウスを運営するのは高木克彦さん。ハウス名には「一緒に暮らす人たちが、それぞれの個性を発揮し、輝けば」との願いを込めた。自らも住み、一緒におしゃべりしたりする。キッチン、リビング、トイレなどは共同、寝室は二〜四人の相部屋。掃除も当番制で、高木さんにも回ってくる。家賃は月三万四千円だ。 シェアハウスのオープンは、二〇一一年七月。「人と関わり、シェアハウスの文化を名古屋にも広げたい」と思ったのが理由だ。 高木さんは十八歳まで三重県鈴鹿市で過ごした。自分の世界を広げたいと高校卒業後、住むあてもなく上京。そこでシェアハウスを知った。 「最初はネットカフェに泊まったけど、『何か違う』と感じた。保証人がいらないからと、次に泊まった新宿のゲストハウス(シェア住居より短期間の宿泊にも対応する)で、はまっちゃって」 スウェーデン人の青年、ヨアキムさんが迎えてくれた。九カ月の滞在で見ず知らずの人と交流し、自身の視野が広がるのを感じた。東京での三年間は、シェアハウスなど三カ所を渡り歩いた。 その間、中華料理店やバーなどでのアルバイト、ネットショップ運営などで生計を立て、ハウスの仲間と夢を語り合った。他人と暮らす煩わしさもあったが、それを上回る充実感があった。 東京から無一文で歩いて、富士山を目指すイベントにも仲間と参加。食べ物を請い、公園で野宿し、五日がかりで山頂に立った。入居者同士で仕事を頼み合うなど「横のつながり」も心地よかった。数々の仕事の経験から「人と関わる仕事がしたい」とも思った。 家庭の事情で実家に帰り約半年。自己資金と知人からの借り入れで、ハウスの運営を仲間と二人で始めた。「僕らの世代が横のつながりを求めているのは、東京も名古屋も同じ」。まだ名古屋ではシェアハウスは珍しかったが、受け入れられると確信していた。 最初の物件では貸主の理解が得られなかった。それでも数カ月後には持ち前の行動力で庄内通の民家と契約、オープンにこぎつけた。昨年三月には近くに二棟目のハウスも開いた。 高木さんは現在、コールセンターの契約社員としても働く。仲間との生活には満足しているが、「人生はあっという間。やりたいことは、いっぱいある」と感じている。春ごろには東京と名古屋を拠点に、新しい仕事を始める予定だ。「横のつながりと、ウェブの知識を生かした仕事をしたい」と、高木さんは夢を紡ぐ。 PR情報
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