慶大フロントのリーダーだった海江田万里
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」から抜粋
平成23(2011)年8月29日(月曜日)通巻第3409号(8月28日発行)
(読者の声5)菅直人首相退陣に伴う民主党の代表選挙は前原誠司前外相と海江田万里産相の二人に絞られてきたようである。そこで二人が果たして次期首相の器であるか論ずる。結論を先にいうと二人とも亡国、売国の政治家であることにかわりはないということである。
まず前原誠司であるが、ざっと思いかえすだけでも以下の問題点がある。
1)前回代表だったときのガセ・メ-ル事件に見られる政治家としての判断力の欠如
2)国土交通相としての八ツ場ダム問題の食い散らかし
3)昨年の尖閣列島事件の処理における無責任な対応
4)今年になって発覚した在日外国人からの献金問題
5)そして創価学会員である夫人の存在
夫人が如何なる宗教を信じるかはどうでもよいことであるが、それが政治的、反日的カルト宗教団体であるとなれば、話がちがってくる。
日蓮宗の始祖、日蓮上人はまさに愛国者であり、皇国護持に命をかけた偉大な宗教者であるが、その沢山ある門徒団体のひとつである創価学会は畏れ多くも国体に危害を加えんとするまさに反日カルト宗教団体なのである。その団体が夫人を通じてときの首相に影響力を行使するとなれば由々しきことである。
また保守派の中には前原の防衛政策や外交政策が自民党に近いので期待する向きもあるが、では前原の歴史認識は如何であろうか。前原はこれまで大東亜戦争を日本による侵略戦争と認識していることを公言してきたし、靖国神社に対しても否定的な姿勢でいる。とても日本の首相としての資格はない。
ではもうひとりの海江田万里はどうであるか。実は海江田は私の大学時代の同学年である。当時彼は慶應義塾大学の全共闘の中心であったフロント派のリ-ダ-であった。
フロント派とは左翼の中でもイタリア共 産党のグラムシやトリアッチの思想(構造改革路線)を受け継ぐ党派であった。フロントとは正式な党派名「統一社会主義同盟社会主義学生戦線」の最後の「戦 線」の英語名である。大学紛争の時代フロント派は東大や慶應を主力拠点にしていた(仙石由人は東大のフロント派であった)。
スタ-リン主義を否定する構造改革路線とはいえ、当時の彼らは暴力革命を肯定し、プロレタリア世界革命を呼号していた。緑色に前面に白字でフロントと書かれたヘルメットを被っていた海江田は国際反戦デーなどのデモでは、機動隊粉砕のアジ演説をぶっていたのをよく覚えている。
しかし「逃げの海江田」といわれた彼は一度も官憲に捕まったことはない。彼のアジにのせられて機動隊とぶつかり、肉体的精神的に打撃を受けて現在も社会の底辺に沈殿している連中を私は多く知っている。
当時の左翼党派がみなそうであったように、フロント派は次第に過激化して「共産主義革命党」 (略称・共革党)と党派名を変えたが、その頃には海江田もうまく現場から逃げて長洲一二らが主催していた構改派理論誌『現代の理論』の編集長にうまくおさ まったものの、それだけでは飯が食えないので、野末陳平の弟子となって金儲けを商売とするようになり、やがては経済評論家を僭称してうまくマスコミに取り 入りいつの間にやら政治家に。
昨年大学の同期会であったときには、完全な小沢一郎信奉者になっていた。海江田は経産相としては原発擁護路線をとっているが、要は小沢・鳩山(あの顔を思いだすだけでもマジにキモイが)の忠実な傀儡であり、また北京の傀儡でもある(日本にとってはこちらの方が問題である)。
大学の同期では当時ブントの活動家で、その後日本赤軍のコマンドとして重信房子らと数々のハイジャックや武力闘争を展開し、現在は国内で無期懲役刑(ひとりも殺していないのだが)に服している和光晴生の方がよほど筋の通った生き方をしてきた。和光晴生は昔から三島由紀夫崇拝者である。
要するに前原がなろうが海江田がなろうが、日本にとっていいことは何もない。早く総選挙をやってほしいものだ。(武蔵国杉並住人)
(宮崎正弘のコメント)市民派から武闘派ですか。いずれにしても左翼から極左へ。