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  東方典型録 作者:葛城


エロ? みなさんエロいのが好きなんだなあ……もっと私のように清く生きないと駄目ですよ。
まあ、いちおうこの次の話にエロ要素R-12程度のエロを……ね
番外編:肝試し3
 あの生首との遭遇後、未知との遭遇に阿鼻叫喚した蓮子、メリー、B子を必死に宥めること、しばらく。ようやく3人が、生首が居なくなったことを理解出来る程度にまで正気を取り戻した頃には、彼の精神的体力がごっそりと削られてしまっていた。
 メリーと蓮子の着替えを手伝いつつ、彼はこの後どうしようかと頭を悩ませる。面倒な男連中がいなくなったので、少しは自由に動けそうだ。彼としては出来ることなら3階を確認したい気持ちであったが、おそらく女性陣が許してくれないだろうな、と思った。
 その予測通り、ようやく身だしなみを整え終わったメリーは案の定、開口一番に「帰ろう」と提案した。いや、それはもはや提案というものではなく、懇願、であった。今にも涙が零れそうな瞳は女性だけが持つ卑怯な技……彼は大人しく、女性陣の指示に従った。
 こつん、こつん、こつん、こつん。4人の足音が、病院内の廊下を進んでいく。下に降りるには、どうしても建物の中央にある階段を降りなければならない。両端にも階段は設置されているが、ゴミやら何やらが散乱しており、降りるには些か危険である。仕方なく彼らは、昇ってきた階段まで戻らなければならなかった。
 メリーと蓮子を両腕に、裾を掴むB子を背中に庇いながら、彼はさっさと出入り口へと向かう。静かな病院の中は、あれほどの騒ぎを起こしたのにも関わらず、あいかわらず静かだ。

「……なあ、ちょっと熱いんだが?」
「熱くない」

 3方向から伝わってくる体温に、彼は苦言を零す。だが、それはすぐさま3人によって却下される。意識せずとも匂う女体の香りに、彼の頬がわずかに引き攣った。こんな状況で立つものを立たせてしまったら、後で何を言われるか分かったものでは無いからだ。
 両腕から伝わってくる弾力もそうだが、背中から時折伝わってくるB子の弾力は、意外にバカに出来ない。怖くなったのか、思い出したように抱き着いて来るおかげで、そのたびに背中が幸せになってしまう。

(ええい、こうなったら仕方がない。なんとか理性を制御出来ている内に、さっさとここを出てしまおう)

 そう結論付けた彼は、一つ、気合を入れて顔をあげた。

『ゆっくり……』

 視線の先には、先ほど遭遇した顔とはまた別の、顔があった。今度は欧米人のものなのだろうか……先ほどとは顔立ちが少し違い、髪の色が金髪であった。
 磁石になったかのように突然動きを止めた3人に、彼も動きを止める。視線を左右に向ければ、二人とも目玉が飛び出さんばかりに目を見開いていた。彼としては、そちらの方が怖かったのは秘密である。
 顔の視線が、彼等へと向いた。ひっ、と女性陣から悲鳴が零れてすぐに、顔はずりずりと這いずり始め……凄まじい速度で彼へと飛びかかった!
 ニヒルな笑顔が、照らされた光線の中で浮かび上がる『ゆっくりしていってね!』と叫ぶ顔を、彼は遠慮なく蹴り飛ばした。
 サッカーボールのように跳ねながら、顔は暗がりへと消えて行く。最後に見えた、懐中電灯の光にきらめく金髪が、彼の記憶に残った。
 『ゆー』と捨て台詞を残して消えた顔を思い出しながら、彼はふと、思いついたことを呟いた。

「こんなんじゃ俺、ゆっくりできなくなっちまうよ……」
「ゆっくりしなくていいわよ!」少しでも場を和ませるつもりで口にしたことであったが、逆効果であったようだ。見事に女性陣の不評を買ってしまった。

 気を取り直して、彼は歩みを再開させ……ようと思った途端、彼らの前に、また別の顔が姿を見せた。
「ひぃ!?」それを見てしまった蓮子から悲鳴が零れる。直接見ていないB子は彼の背中に顔を埋める様に隠れ、メリーは眼を背けてしまった。背けずには、いられなかった。
 それも仕方がない。今度の顔は地面を這いずってはおらず……空を飛んでいたのだ。しかも、その動きは早く、瞬きした瞬間には別の場所を飛行しているのだから、その速さが如何に凄いかが良く分かる。まるでビデオのコマ送りを見ているかのようだ。

『おお、はやいはやい』

 空飛ぶ顔は、見ていて無性に腹が立ってきそうな表情を浮かべている。うぜぇ、と彼が思っていると、顔は右に、左に、うざいと感じてしまう程にその身を振るわせる。頭部の丸い飾りが合わせて揺れるのを眺めていると、空飛ぶ顔は凄まじい速度で彼へと迫ってきた!
「きゃあ!」蓮子の悲鳴が病院内に響き渡る。常人ならば、到底反応出来ない速度。当然のことながら、唯一姿を確認していた蓮子に、空飛ぶ顔の動きを捉えることが出来るはずも無く……。
 気づいたとき、空飛ぶ顔が迫っていたときと同じ速度で、廊下を縦横無尽に跳ねまわる光景しか、蓮子は確認することが出来なかった。

 彼が、蹴った。迫り来る顔よりも素早く繰り出された蹴りが、空飛ぶ顔をスーパーボールのように壁へ叩きつける。ひゅう、と風切り音と共に残像を生み出す彼の前蹴りの前には、空飛ぶ顔とて手も足も出なかった。

『おお、うぜぇうぜぇ』という悲鳴を残して暗がりの向こうへと姿を消した空飛ぶ顔の、蓮子は呆気に取られた顔で見送るしか出来なかった。
 ふと、消えて行った空飛ぶ顔を思い浮かべて、彼は呟いた。

「かわいいぜ……」
「いや、ぜんぜん可愛くないからね!?」

 ギョッと蓮子は目を見開く。彼の口から零れた聞き捨てならない言葉に、辛うじて反応できる精神力が残っていた蓮子は、思わず彼を怒鳴った。

「ちょっとしたジョークだ。少しは気分も変わっただろう」
「変わると本気で思っているのなら、病院に行くことをお勧めするわよ」

 心外だ、と言わんばかりの彼の態度に、蓮子は本気でそう答えた。しゅん、と落ち込んだ様子の彼を見て、蓮子は首を横に振った。ちょっとだけ疼いてしまった母性本能を、振り払うためだ。
 視線をメリーに向ければ、先ほどまであんなに怯えていたというのに、なんだか寝ている猫を見つめるおばあちゃんのような目で彼を見つめている。母性本能が刺激されまくっているのがはた目にも分かる。今にも母乳が滲み出そうな雰囲気だ。

「……ねえ、もう居なくなったの?」

 背後から聞こえてきたB子の呼びかけに、彼はハッと我に返った。それは蓮子もメリーも同様で、今しがたまで忘れていた恐怖心がぶり返してきてしまった。
 蓮子は我知らず抱き締めていた彼の腕へ、さらに縋り付く。自らのものとは根本的に違う硬質的で筋肉質な体温が、蓮子の中で依然として存在し続けている恐怖心を、少しだけ和らげてくれる。なるほど、これはいいかも。場違いなことを、蓮子は思った。
 同様に、先ほどの粗相の影響から少しだけ隙間を空けていたメリーも、蓮子に負けないと絡めていた腕に力を込める。臭いが伝わってしまうことよりも、今は安心感を得たい。ぴたりと埋まった隙間に、メリーは肩の力をわずかに緩めた。
 二人の変化は、彼へと伝わる。理由は彼には分からなかったが、二人から伝わってくる怯えが弱まったことは分かる。B子は、怯えてはいるものの、直接姿を見ていない分、まだ余裕はあるようだ。
 この状態で、なんとかここを出ることが出来ればいいのだが。
 そう考えている彼の目は、前方から近づいてくる新たな顔の気配を捉えていた。無言のまま懐中電灯の光をそこへ向ける。彼の様子から事態を察知した蓮子とメリーは、せっかく緩めた総身を固くさせた。

「……今度のは、外人の顔か?」

 先ほどと同様に、空中を浮遊しながら近づいてくる顔を見て、彼は呟く。帽子……なのだろうか。頭部全体を覆い隠す帽子の隙間から、青い髪がちらほらと見え隠れしている。

『うー☆うー☆』

 浮遊する顔は、妙に楽しげな鳴き声をあげた。何が楽しいのか、ときおり右に左に顔を揺らしており、愛嬌さを感じられる。
 今度の顔は先ほどとは違い、後頭部のあたりに小さな翼が生えており、それをパタパタとはばたかせて空を飛行している。翼を使って浮遊するあたり、ほんの少しだけ現実味のある姿だ……本当にほんの少しだけの話だが。

「んー」

 彼は首を傾げた。

「なあ、アレは攻撃しなくてもいいんじゃないか? なんか放っておいてもよさそうな気がするんだが……」

 今までとは違い、今度は見ていて和んでしまいそうな笑顔を浮かべている。気味が悪いと言えば、気味が悪い姿だ。けれども、いまいち今までの頭と違って、なんというか、邪気というものが感じられない。楽しそうに空を飛んでくる顔を見つめていた彼は、そう思った。
 蓮子とメリーも同様のことを考えているのか、はっきりと姿を視認できるようになった顔を見て、困った表情を浮かべていた。

「襲ってこないなら、無視していいんじゃないかしら。やり過ごせるなら、やり過ごした方がいいわ。こっちも精神衛生上、そっちの方が楽だし……でもちょっと怖いから、離れて通り過ぎるのを待ちましょう」

 蓮子の提案に賛成した彼等は、そそくさと窓際に寄る。彼らの眼前を、浮遊する顔は『うー☆うー☆』と鳴きながら通り過ぎて行く。パタパタと翼を羽ばたかせながら離れて行くのを確認した彼らは、その後ろ姿が病室の中へ消えて行くのを見届けてから、移動を再開させた。

『おじょうざまぁぁぁあああああ!!!!』

 その彼らの足元を、ものすごいスピードの何かが通り過ぎて行った。突然のことに悲鳴をあげる女性陣を他所に、何かは奇声をあげて浮遊する顔が入って行った病室へと飛び込んでいった。
 ……重苦しい沈黙が、4人の間に広がる。何が起こったか分からない。彼ですら捉えきれなかった何かが消えた先を、4人は黙って見つめていた。



 それからの移動は、彼にとっては実に楽なものであった。ときおり聞こえる物音に足を物理的に止められることはあったが、幸いにも、浮遊する顔を最後に、新たな顔と遭遇することが無かったからだ。
 何事も無く中央階段に到着した彼らは、足元に気を付けながら階段を降りる。上りのときは躓いても脛を打つぐらいだろうが、下りの時に躓くのは危険な為、思いのほか時間が掛かったが、これも無事に突破する。ところどころある水たまりに注意しつつ、最初に入ってきた正面口へと急いだ。

 相変わらず、病院内は異常なぐらいに冷えている。

 吐く息が白く……なるようなことは、さすがに無いが、それでも季節を考えると、あり得ない程の涼しさだ。女性3人から身を寄せられている現状、病院内の気温が外と同じであったならば、彼はとっくに脱水で倒れていただろう。
 だんだんと正面口に近づくにつれ、女性陣の緊張がほぐれていく。もうすぐ、この病院から脱出出来る。そんな思いが、彼女たちの緊張をほぐし、その身を蝕んでいた恐怖心を緩やかに宥めている。
 次の角を曲がれば、正面口まで目の前だ。そう誰もが考えたとき、彼らの耳に声が聞こえてきた……男連中の声だ。
 怒声、という程ではない。だが、話し声にしては大きく、異様なまでに騒がしい。同時に、何かを叩くような打突音が、彼らの元にまで響いていた。
「なにかしら?」メリーが強張った顔で彼へと視線を向ける。聞こえてくる声は、どう考えても穏やかなものでは無い。蓮子とB子もそれを察知したのか、表情を強張らせている。
 とにかく、実際に確認しなければ、どうにもならない。彼は蓮子とメリーに離れるように指示(少し嫌がったが)し、彼女たちを背中に庇う。いつでも衝撃波を放てるように身構えつつ気配を探ってみたが、出入り口には男連中の気配以外は感じられない。
 何かしらのトラブルが……とも思ったが、どんなトラブルに襲われるというのだろうか。顔ならば蹴ればいいわけだし、幽霊なら無視すればいいわけだし。
 そっと、彼は角から正面口を覗く。そこには気配を探った通り、男連中の姿があった。とりあえず無事だな、と安堵のため息を零す彼であったが、すぐに考えを改めた。男連中の様子が、あまりに異常であったからだ。

「何やっているんだ、あいつら……」

 男連中の内の3人が、狂ったように閉ざされた正面口のガラス扉を叩いていたのだ……いや、それはもはや、叩いたという表現では収まらない。閉ざされた扉に向かって拳を叩きつけたり、蹴りつけたり、転がっていたレンガを投げつけたり、常軌を逸した行動を取っていた。
 残った一人は涙を流しながら必死に携帯電話に耳を当て、頭を掻き毟っている。そして、嗚咽を零しながら携帯を操作すると、再び耳に当てて……また、頭を掻き毟りながら携帯電話を操作し始めた。

「……うーん、これはどういう状況なのだろうか?」

 あまりに異常な光景を前に、彼は首を傾げた。何となく、男連中の行っている行為の意味は理解できるが、なぜそこまで必死になっているかが良く分からない。
 どうせガラス扉が開かなくなったとか、そういう理由なのだろう。なんとなく事態を察知した彼は、ため息を吐く。なんともまあ、分かりやすいホラーだ。
 落ち着いて考えればいくらでも対処できることなのだが、どうやら男連中は錯乱によって正常な思考が出来なくなっているのかもしれない。
「ひっ!?」彼の背中から顔を覗かせたメリーは、驚きに喉を引き攣らせた。慌てて縋り付いてくるメリーの背中を、後ろ手で摩る。蓮子とB子も、男連中の姿に息を呑んだ。
 ふと、携帯電話を操作している横で嗚咽を漏らしていた女が、照らされている光線の光が多いことに気づき、女は持っていた懐中電灯を彼が居るあたりへと向けた。
 眩しさに、彼は目を細める。手で庇いながら女性陣を連れ添って女へ近づくと、女は歓声をあげた。その声に、男連中の手が止まった。

「B子! あんた、大丈夫だったの!?」
「う、うん。なんとか」

 頼りない足取りが走り寄ってきた女を、B子は苦笑しながら抱き留める。今更責めても仕方がないと思ったのだろう。たった今まで暴れていた男連中が、慌てた様子で彼の元へと駆け寄ってきた。

「だ、大丈夫だったのか!?」
「……? 大丈夫だったぞ」
「で、でも、か、顔の化け物に襲われたんじゃあ……」
「返り討ちにした」
「あれ以外にも金髪のやつとか、空飛ぶやつとか見たけど……」
「それも返り討ちにした」

 矢継ぎ早に質問を重ねてくる男連中に、彼は一つ一つ返事をする。しかし、いつまでも悠長にしているわけにもいかないので、彼は男連中の質問を遮って、彼らに尋ねた。

「ところで、お前らはこんなところで何をしているんだ? 俺はてっきり、さっさと車に飛び乗って帰っている頃だと思っていたんだが」

 彼の言葉に、男連中の空気が凍った。それどころか、B子と話していた女も表情を青ざめると、再び涙を流し始めた。慌てて慰める女性陣を横目にしつつ、彼は続きを促した。
「そ、それが……」答えたのは、彼の眼前にいる男ではなく、隣の男であった。気を落ち着かせようとしているのか、言葉を選んでいるのか、何度も唇を舐めていた「扉が、開かないんだ」
 やっぱりな。そう言いかけた彼は、寸でのところでその言葉を飲みこんだ。

「ここ、入るときはガラス扉なんて無かったはずなんだ。けれど、なんでか知らないけどガラスがはめられていて、鍵が閉まっているんだ。割って逃げようにも、何やってもガラスが割れないんだよ」

 ほら、と男の一人が、持っていた石をガラスへと投げる。まっすぐ飛んで行った石はガラス扉にぶつかって、明後日の方向へ跳ねた。かん、かん、と転がる石を、彼は黙って見つめた。

「窓から逃げようにも、一階の窓は全部ガラスがはめられている。おかしいよな、俺たちが最初に見たときは、ほとんどのガラスは割れていたのに……今さっき確認したんだけど、傷一つ付いていないやつがはまっているんだ……」

 青ざめた表情で語る男に、彼は尋ねた「その窓ガラスも割れないのか?」男は諦めたように首を力無く横に振った。

「全く割れない。石をぶつけようが、棒切れで叩こうが、傷一つ付かない。俺たち、ここに閉じ込められたかもしれない」

 閉じ込められたんだ。男が零した言葉に、その場に居る全員(彼以外)の動きが止まる。誰も彼もが(彼以外)表情を強張らせた。メリーに至っては絶望のあまり、第二射を解放する寸前であった。
 確かに、この状況を思えば、恐怖のあまり失禁しても仕方がないだろう。常識からは考えられない存在を目の当たりにし、ようやく逃げ切ったかと思ったら、目の前には閉ざされた出入り口。脱出しようと必死になるも、扉を破ることは叶わず、窓も同様に閉ざされている。かといって、顔が居るであろう二階に戻ることも出来ない。
 まさしく、絶望的な状況だろう。頼みの綱の携帯電話も圏外で繋がらない。他者の助けを願おうにも、彼らが居る場所は人里離れた山の中。本道からはかなり離れているので、声が届いてくれることもない。万が一他にも心霊スポット巡りをしている人が来るかもしれないが、そんな都合の良いことを考えても、状況は変わらない。
 ふむ、と彼は正面口のガラス扉の前に立った。軽く拳でノックする。なるほど、見た目は普通のガラスだ。石でもぶつければ、たちまち砕け散ってしまいそうだ。
 懐中電灯を床に置いて、ゆっくりと、彼は右腕を振りかぶった。瞬間、くの字を描いている右腕の筋肉が隆起する。むきむきと盛り上がった筋肉が、ぴくぴくと痙攣する。ずしゃ、と踏み込んだ左足が、タイルを踏み砕いた。

「――ぅぉぉぉおおおおおおりゃあああ!!!!」

 咆哮。大型の猛獣すら絶命させる一撃が、ガラス扉に衝突した。ずどん、と人間が生み出したものとは思えない衝撃とともに、地震かと間違えてしまう程の振動が病院中に響き渡った!
 びりびりと凄まじい振動が伝わって、拡散する。突然の行動に悲鳴をあげる女性陣を他所に、ぱらぱらと零れ落ちてくる砂埃が彼の肩に降りかかる。見守っていた男連中も、身を竦めた。

「……なるほど、固いな。確かにこれは閉じ込められているな」

 振動が途切れてから数秒後。扉に密着していた拳を静かに離した彼は、ポツリと呟いた。そんな彼の耳に「……良かった、実行しなくて、本当に良かった」と別の意味で安堵のため息を零している男連中の呟きが届かなかったのは、幸運であっただろうか。

「さて、これからどうしようか。いっそのこと、二階から飛び降りて、みる、か……」

(衝撃波も試してみるべきか)痺れが残る右手を振りながら、懐中電灯を拾う。意見を求めようと、何気なく振り返った先。懐中電灯を向けた先に居た存在に、彼の視線は吸い寄せられた。

『………………』

 そこには、子供がいた。それも、普通の子供ではない。彼がこの病院に入る前に見かけた、半透明の子だ。その子が、先ほどまで彼が立っていた角から、彼と同じように顔を覗かせて、こちらへと視線を向けていた。
(あの子だ)瞬間、彼はそれが件の子供であることを、悟った。
 自然と、彼と子供の視線が交差する。呆気に取られている彼に不審を抱いたのか、彼以外の全員が、おもむろに振り返り……首を傾げつつも、視線を戻した。
 グイッと袖を引かれる感覚に、我に返る。瞼を瞬かせながら彼はメリーへと視線を向けた。

「ねえ、どうしたのよ。そこに、何かあったの?」

 心配そうに見つめるメリーに、彼は懐中電灯に照らされた子供を指差した。ビクッと子供の肩が震える。

「いや、ほら、あそこに子供がいるだろ? ほら、あそこだよ」

 指差した先に居る子供が隠れようとしていたので、待ってくれと静止の声を掛ける。素直な幽霊なのか、子供は驚きながらも大人しく彼の言葉に従ってくれた。
「えっと、どこを指差しているのかしら?」振り返って確認していたメリーが、恐る恐る彼へと尋ねる。他の者も同意見なのか、彼へと視線を向けていた。
「……見えないのか?」からかっているのだろうかとも思ったが、全員の顔に浮かぶ困惑の色を見て、彼はそれ以上を尋ねるようなことはしなかった。何やら気持ち悪いモノを見るような視線をサークル連中(B子除く)から向けられていたからだ。
 しかし、このまま見なかったことにするわけにはいかない。そう彼は思う。手詰まりの現状、少しでも打開の手段と成り得る可能性は増やしておきたい。
 それが例え幽霊相手だとしても、同じこと。彼は周囲の視線を気にした様子も無く「おーい」と両手でメガホンを作った。

「なあ、そこの……えっと、お嬢ちゃんか、お坊ちゃんか、どっちだ?」

 彼の呼びかけに、子供は驚いたように肩をびくつかせた。向けられた彼の視線を受けた子供は、キョロキョロと周囲に視線を向けた後、おずおずと己を指差した。
 彼が頷くと、遠目からでも分かるくらいにおどおどした様子で、子供は角から姿を現した。ふわりと、質素なスカートが揺れる。完全に露わになった子供の肩は、彼が想像しているよりも華奢であった。
(……ああ、女の子か。どうやら、お嬢ちゃんが正解みたいだな)
 艶のある白髪というのが、一番近いのだろうか。銀のように輝きのあるボブカットの毛先で、こしょこしょと指遊びをすると、少女は小走りに彼の元へと駆け寄ってきた。その肩には、背丈から考えればあまりに不釣り合いな鞘が斜めに掛けられていた。
 すっすっすっと、少女は床に広がる水たまりを何気ない動作で避けると、彼のすぐ傍で立ち止まった。息は全く乱れていない、幽霊だからだろうか、半透明の頬には、血の気というものがまるで感じられなかった。

「メリー、蓮子、ここに居る子が見えるか?」

 彼は少女を指差して、二人へ尋ねる。二人は首を傾げた後、申し訳なさそうに首を横に振った。同じように他の連中に尋ねるが、全員から帰って来た答えは同じであった。
 どうやら、見えているのは俺だけのようだ。それを理解した彼は、眼前に自分だけが見える幽霊らしき少女が居ることと、これから少女と会話をするということを全員に伝えた。

「女の子って、旦那さん、何を言っているのよ」
「言いたいことは分かるが、今は俺の好きにさせてくれ。今の場を脱出する為にも、今は大人しく見守っていてくれ」
「見守って、って言ったって……」

 蓮子が困惑に眉をひそめる。メリーも同様ではあったが、彼女は口に出すようなことはせず、傍観の眼差しで頷くだけだった。サークル連中も、何も言わなかった。
 静かになったことを確認した彼は、少女と視線を合わせる為に腰を下ろす。いわゆる、うんこ座りの姿勢だ。蓮子とメリーから具合を尋ねられるが、彼は手を振ってそれらを振り払うと、さっきとは逆の角度から少女を見上げた。

「さて、お嬢ちゃん……で、いいのか。俺の声は、聞こえているよな?」
『はい』

 少女の口から帰って来た人間の言葉に、彼はふう、と安堵のため息を零す。声が聞こえているであろうことは分かっていたが、会話できるかどうかが不安だったのだ。少女にとっては、失礼な話なのかもしれないが。
 ひとまず、自己紹介から始めようかな。そう思った彼は、まずは自分の名前を彼に伝え、次に少女の名前を尋ねた。

『姓は魂魄、名は妖夢。冥界にて存在する白玉楼の主・西行寺幽々子様にお仕えしております。以後、お見知りおきを』

 見た目とは裏腹の大人びた話し方だ。幼い顔立ちながらも、ずいぶんと畏まった言い方を……ん?

「西行寺……幽々子?」

 聞き覚えのある単語に、彼は片眉をつり上げる。彼が見せた反応に、妖夢の表情が少しだけ険しくなる……が、すぐにハッと緩むと、ぽん、と手を叩いた。

『ああ、そうだ。どこかで聞き覚えのある名前だと思ったら、あなたが、幽々子様の仰っていた殿方ですか』

 殿方……か。そういえば、そんなことも言っていたなあ。あの時の事を思い出した彼は、思わず苦笑する。困惑に顔を見合わせているメリー達を指差した。

「すまんな。どうやら、お前の姿は俺にしか見えていないようだ。少々気の悪い思いをさせてしまうかもしれないが、許してくれないか?」
『いえいえ、かまいません』妖夢は微笑んで首を横に振った。

『見ることも、話すことも、聞くことも叶わない存在を信じろという方が無理な話ですから。この方たちが私の存在を信じられないのは、当然のこと。御気になさらないでください』
「そういって貰えると、こっちも助かる。それじゃあ、本題に入りたいんだが……」

 妖夢は、深く頷いた。

『幽々子様が世話になった御方となれば、この魂魄妖夢、力を貸さないわけにはまいりません。なんなりと申し付けください』
「いや、世話なんてしてないぞ。せいぜい世間話したぐらいなんだが」

 実際、何もしていないし。そう思って頬を掻くと、妖夢は見ているこちらまで癒されそうな、朗らかな笑みを浮かべた。

『幽々子様を楽しませた、それだけで、私が動くには十分です』

 ぱちぱちと、彼は瞼を瞬かせた。次の瞬間、彼は妖夢と同じように朗らかな笑みを浮かべていた。
 ⊿月*日 火曜日  今年は暖冬らしい

 昨日、久しぶりにあやつと会った……会ったというより、やってきた、という方が正しいのかもしれないが。
 どうやら、幻想郷への移住に関しての返答を聞く為に来たみたいだ。やれやれ、わざわざご苦労なことだ。
 あやつも中々忙しいだろうに……旧知とはいえ、いまだ我らのことを気にかけてくれているのは、素直に嬉しいものだ。その点は、礼を言おう。
 しかし、あやつにも参った。私としては、もう、このまま終わりを迎えても構わないと考えていることを素直に伝えたつもりだったが……まさか、泣かれるとは思わなかった。
 おかげで、何十年ぶりにあやつの式神の顔を見ることになったぞ。やれやれ、相も変わらず、情が深いやつだ。胡散臭い笑みで誤魔化してはいるが、本質は全く変わっていないのだな、お前は。
 ……しかし驚いた。あいつとも話を進めてきてはいるが、まさかあいつも私と同じ考えとは思わなかった。お互いに、今後の事をどうするかは勝手だと決めていたが、まさかあいつも自然の成り行きに任せるつもりだったとは……あの、バカたれ。

 お前にはまだ、早苗を見守るという重大な使命が残っておるではないか。

 私はてっきり早苗の最後を見守るだろうと思っていたから、弟への夢見も止めて、力を溜めこんでいるのだぞ。
 お前に手渡すつもりであった、私の力は、誰に託せば良いのだ。これでは私の努力も無駄ではないか
 おかげでここしばらく、弟たちが鬱陶しくて仕方が無かったのだぞ。
 全く、あのバカ弟め。今更危機感を覚えて修行を始めたところで、もう遅い。お前の内に眠っていた才能はすっかり錆びついてしまっている。今から錆びついた才能を磨くのは、骨が折れる作業だぞ……のう?

 だから私は言ったではないか。

『お前の内に眠る才能は、精通を迎えるまでに極力引き出しておかなくてはならない。それ以降は、肉体を成長させる方に力が使われてしまうからだ。このまま修行をせねば、いずれは秀才止まりだぞ』とな。
 ……弟よ。お前は、勘違いしておる。自惚れておる。力が肉体の方へと向かう分、確かにお前は優れた身体能力を、一時的にとはいえ『なんの努力もせずに』手にすることが出来るだろう。
 だが、所詮は元々ある力に余分されるだけの力だ。元が悪ければ、上位には行けても、最上位にはなれないのだ。お前が時折口にする『サッカー選手』には成れるだろうが、『名を残せるサッカー選手』には成れないだろう。
 最上になるには、お前の努力が不可欠だ。生まれ持った才能ではない、万物に普遍する努力が絶対に欠かせないのだ。

 ……今のお前に、それだけの努力を成せるか……ここからが正念場だぞ、弟よ。


 そうそう、そういえば、早苗のことも書いておこうと思う。
 久しぶりに見た早苗は、少し変わったように思えた。なんというか、見た目はそんなに変わっていないのだが、雰囲気というか、纏っている空気が変わったように見えた。
 もしかしたら、何か良いことでもあったのだろうか。そう思って早苗に尋ねると、あの子は頬を染めて、こう言った。

『お二人が夢中になっていた理由が分かりました。私も、今はお兄さんに夢中です……もう、毎日でもしていたいぐらいです』……と。

 ……嫌な予感を覚えた私は、あいつの元へ直行した。私の襲来を事前に予測していたのか、あいつは何処かへ姿をくらませていた。
 あいつめ、無駄な手間を掛けさせる。しかし、力は衰えたとはいえ、神としての格はこちらが上だ。見つけ出すのに手間取ったが、なんとか捕まえることに成功した。
 そして分かったのだが、早苗のやつめ。どうやら、あいつと同じ方法でお兄さんと事を成したようだ。あのアホの子……ついに自制できなくなったか。
 辛うじて、まだ処女であるらしいが……これならば、いっそ非処女である方がなんぼかマシではないか。いくら何でも、そのお兄さんとやらが不憫過ぎるぞ。
 そう思った私は、コンコンと早苗とあいつを説教した……のだが、まさか『では、子供を身ごもる許可を頂けるのですね!?』と返答されるとは思わなかった。
 そうじゃないよ、バカたれ。そういうのは、双方合意の元で行うべきだろうと説教をすると『そんなの恥ずかしいじゃないですか』と返された。
 そのとき、私は改めて実感したよ。早苗は、あいつの子孫であるとね。

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