2010年08月14日
未来を志向する談話
去年の7月の衆議院選挙で民主党政権が誕生して以来、子ども手当てや高校の無償化など実現したものはありましたが、それらはマニフェストに書いてあった国民の皆さんとの約束ゆえ実現は当たり前という感じもあって「この政権は未来に向かって歩いている」と実感することが出来ずにいました。しかし、日韓併合100年に当たっての首相談話は、政府が出した過去の談話にはない未来を志向する談話と評価したいと思います。
なにより、韓国の人々の意に反して、他国である韓国を併合していたという歴史があるということを国民の皆さんにあらためて認識してもらうという意味でも大いに評価できるものでした。
日本政府は、明治42年春小村寿太郎外務大臣、桂太郎首相のもと『韓国を併合する』と決定していたのでした。
日露戦争が終わって疲弊した日本の経済を、韓国と中国・満州の鉄道を整備し、港湾を管理して利益を吸い上げる植民地政策で回復していこうとする政策の一環として韓国の併合はありました。勿論このことを韓国国民は喜ぶはずがありません。この日本政府の決定に先立って韓国皇帝を退位させ、韓国軍隊を解散させていた韓国統監・伊藤博文は、明治42年10月26日、漢民族の志士『安重根』によって射殺されています。『安重根』はその場で逮捕され死刑に処せられましたが、それほどの韓国国民の抵抗がありながら日本は、翌明治43年、1910年8月22日、韓国をして日韓併合条約に調印させたのでした。以来日本は35年間韓国を植民地として支配してきたのでした。韓国の国民に対してその名前を日本のものに変えさせる創氏改名や、母国語での教育を禁止するなど、そのプライドを決定的に傷つける政策を実現させていたのです。
国全体の苦しみを韓国の皆さんが忘れるはずがありません。重い歴史と、どう向き合うか国際社会が見つめています。真摯に反省し、自国の歴史に批判的に取り組めば取り組むほど、周辺諸国との間に信頼関係を築くことが出来るのだと思います。戦後日韓基本条約が結ばれて国と国の間では賠償請求はしないということになっていても民間の一人ひとりの方々の心にその傷は残っています。
自国の歴史について自虐的に見る必要はないと批判する人たちもいますが、「植民地時代に日本は鉄道を敷き、港湾を整備し韓国経済が成り立つようにしてやった」という見方は正しくないと思います。確かにそうした多額の投資はしたのですがそれらは結局その利益を日本に流すための先行投資でした。
「もう何回も謝っている」「いつまで謝ればいいんだ」という声もありますが、歴代の総理が謝り続けなければならない、それだけのことを日本はしたのです。その当時、日本に強制的に連行されて日本各地で空港や鉄道の整備など過酷な労働を強いられ日本でなくなった方々の遺骨が未だに日本の各地に残されています。遺骨返還の問題にも誠実に対応しなければなりません。その時代に韓国から持ってきた朝鮮王朝時代の文化財「朝鮮王朝儀軌」の返還も、様々な方面から要求されてきましたが、今回やっと実現しそうでほっとしています。
どんな理由があろうと屈辱的な植民地支配をされた側に立てば、けじめをつけてほしいと要求するのは当然のことです。そうした要求に誠意を持って応えてはじめて未来を志向する関係が築いて行けるのだと思います。
なにより、韓国の人々の意に反して、他国である韓国を併合していたという歴史があるということを国民の皆さんにあらためて認識してもらうという意味でも大いに評価できるものでした。
日本政府は、明治42年春小村寿太郎外務大臣、桂太郎首相のもと『韓国を併合する』と決定していたのでした。
日露戦争が終わって疲弊した日本の経済を、韓国と中国・満州の鉄道を整備し、港湾を管理して利益を吸い上げる植民地政策で回復していこうとする政策の一環として韓国の併合はありました。勿論このことを韓国国民は喜ぶはずがありません。この日本政府の決定に先立って韓国皇帝を退位させ、韓国軍隊を解散させていた韓国統監・伊藤博文は、明治42年10月26日、漢民族の志士『安重根』によって射殺されています。『安重根』はその場で逮捕され死刑に処せられましたが、それほどの韓国国民の抵抗がありながら日本は、翌明治43年、1910年8月22日、韓国をして日韓併合条約に調印させたのでした。以来日本は35年間韓国を植民地として支配してきたのでした。韓国の国民に対してその名前を日本のものに変えさせる創氏改名や、母国語での教育を禁止するなど、そのプライドを決定的に傷つける政策を実現させていたのです。
国全体の苦しみを韓国の皆さんが忘れるはずがありません。重い歴史と、どう向き合うか国際社会が見つめています。真摯に反省し、自国の歴史に批判的に取り組めば取り組むほど、周辺諸国との間に信頼関係を築くことが出来るのだと思います。戦後日韓基本条約が結ばれて国と国の間では賠償請求はしないということになっていても民間の一人ひとりの方々の心にその傷は残っています。
自国の歴史について自虐的に見る必要はないと批判する人たちもいますが、「植民地時代に日本は鉄道を敷き、港湾を整備し韓国経済が成り立つようにしてやった」という見方は正しくないと思います。確かにそうした多額の投資はしたのですがそれらは結局その利益を日本に流すための先行投資でした。
「もう何回も謝っている」「いつまで謝ればいいんだ」という声もありますが、歴代の総理が謝り続けなければならない、それだけのことを日本はしたのです。その当時、日本に強制的に連行されて日本各地で空港や鉄道の整備など過酷な労働を強いられ日本でなくなった方々の遺骨が未だに日本の各地に残されています。遺骨返還の問題にも誠実に対応しなければなりません。その時代に韓国から持ってきた朝鮮王朝時代の文化財「朝鮮王朝儀軌」の返還も、様々な方面から要求されてきましたが、今回やっと実現しそうでほっとしています。
どんな理由があろうと屈辱的な植民地支配をされた側に立てば、けじめをつけてほしいと要求するのは当然のことです。そうした要求に誠意を持って応えてはじめて未来を志向する関係が築いて行けるのだと思います。
azumakonno at 21:50│
│エッセイ