カトリック東京大司教区
 
Catholic Church * Archdiocese of TOKYO

「ようこそカトリック教会へ」のページへ「東京カテドラル聖マリア大聖堂」のページへ

 情報コーナー 教会案内  サイトマップ・検索  

 

概要

取り組み 大司教 補佐司教 組織・委員会 年間行事予定 ライブラリー  

更新情報 教区からのお知らせ 教区ニュース 福音のヒント



 
 


  文字サイズ|| 拡大標準

 

  TOP > カトリック東京大司教区 > 東京教区からのお知らせ > 2009
 

 

日本人で4人目の枢機卿
ペトロ白柳誠一枢機卿 帰天

(東京名誉大司教)



 東京教区大司教を31年にわたって務め、日本人では4人目のカトリック枢機卿として世界の平和と和解に尽力されたペトロ白柳誠一(しらやなぎ・せいいち)枢機卿が、12月30日午前6時45分、静養先の東京・練馬区のイエズス会上石神井修道院ロヨラハウスで心筋梗塞のため帰天しました。享年81歳でした。同枢機卿は長らく日本カトリック司教協議会会長の重職を務め、1982年の「第二回国連軍縮特別総会(SSD-U)」には日本で軍縮を求める43万人近くの署名を集めて自ら国連に提出したほか、日本のカトリック司教としては初めて、先の世界大戦における日本教会の戦争責任を公式に謝罪、また第二次世界大戦当時、インドシナ半島で旧日本軍の支配の下で言い知れぬ苦痛を体験したオランダ人被害者に対して「償いと和解の巡礼」を行うなど、常に日本の教会の先頭に立って働かれました。さらに前教皇ヨハネ・パウロ二世の初来日(1981年)を契機として日本の殉教者の掘り起こしと顕彰が始まった際には、「殉教者崇敬促進委員会」の委員長としてキリシタン研究者や歴史学者からなる委員を組織し、調査活動を軌道に乗せるなど後年のペトロ岐部と187同志殉教者の「列福」(2008年11月24日)実現の先駆としても多大な功績を残しました。その他、諸宗教対話や宗教間の平和協力にも積極的に活動され、超教派からなる世界宗教者平和会議(WCRP)日本委員会の理事長を務めるなど、文字通り「世界の枢機卿」として国際社会の平和と和解に働かれました。通夜は2010年1月4日午後6時、葬儀ミサ・告別式は1月5日午前11時、東京カテドラル聖マリア大聖堂でささげられます。喪主は岡田武夫・カトリック東京大司教。枢機卿としてのモットーは、「CARITAS CHRISTI URGET NOS(キリストの愛が私たちを駆り立てる)」。

*なお、白柳枢機卿の写真をご希望の際は、カトリック中央協議会・広報(電話:03-5632-4431)にご連絡ください。折り返しメールにてご送付致します。また詳細・お問合せは本来カトリック東京教区本部事務局(電話:03-3943-2301)ですが、12月31日〜2010年1月3日まで年末年始で事務局が休業となりますので、31日(木)午前9時〜17時まで、上記、カトリック中央協議会・広報が対応致します。


<白柳枢機卿の略歴>

1928年6月17日、東京に生まれる。
1954年12月21日、司祭叙階。
1957年8月〜1960年、ローマ留学。教皇庁立ウルバノ大学大学院博士課程(教会法)卒業。
1966年3月15日、38歳で東京教区補佐司教に任命。
1966年5月8日、司教叙階。
1969年11月15日、41歳のとき、継承権を有する東京教区の協働大司教に任命。
1970年2月21日、土井辰雄枢機卿の帰天に伴い、42歳で東京教区大司教に昇格。
同年4月29日、東京教区に着座。
1982年5月22日〜29日、「日本カトリック平和巡礼使節団」の団長として日本から10人の使節団を引率してニューヨークへ。「第二回国連軍縮特別総会(SSD-U)」に参加して、日本国内で集めた軍縮を求める429,690人分の署名を提出。
1985年5月22日〜29日、日本カトリック司教協議会会長として、初めてブラジルを公式訪問。
1986年9月9日、日本カトリック司教協議会会長として、ニカラグア大統領に同国の平和を願う書簡を送付。
1986年9月16日〜25日、東京で「教会とアジア世界における信徒の召命と使命」をテーマに開かれた「アジア司教協議会連盟(FABC)第二回総会」のミサにおいて、日本のカトリック教会の司教として初めて「日本教会の戦争責任」に言及。先の大戦において日本がアジア諸国に与えた加害に対して、公に謝罪を表明した。
1994年12月29日、元「従軍慰安婦」問題に関し、民間基金による見舞金構想に反対するメッセージを当時の村山富市首相宛に送付。
1994年10月30日、教皇ヨハネ・パウロ二世により、日本人で4人目の枢機卿に親任される。(叙任式は同年11月26日、バチカンで。)
1996年3月22日、超教派の世界的平和団体「世界宗教者平和会議(WCRP)」日本委員会の第二代理事長に就任。
1997年5月21日、教皇ヨハネ・パウロ二世により、「教皇庁教会文化財委員会」のメンバーに選出。
1997年8月13日〜16日、「2000年の大聖年」を迎える内的準備の一環として、先の大戦の影響で反日感情の強いオランダへ「償いと和解の旅」を敢行。戦争当時、インドシナ半島で旧日本軍によって「従軍慰安婦」にされたり、強制収容所に収容されたりしたオランダ人被害者に対してミサの中で日本の司教として公式に謝罪を表明、その勇気ある行動はオランダでも高く評価された。
2005年4月18日 、ヨハネ・パウロ2世教皇逝去に伴う教皇選挙に枢機卿として参加
2000年6月12日、72歳の時、健康上の理由で東京大司教を退任。
2007年11月12日、前教皇庁「移動移住者司牧評議会」議長であった濱尾文郎枢機卿の帰天に際しては、バチカンからの指示で教皇の代理として葬儀ミサを荘厳に司式。
2008年11月24日、長崎市で行われた日本初の「ペトロ岐部と187殉教者列福式」を主司式し、ミサの中で会場を埋め尽くした3万人の信徒に向かって殉教者の模範に倣い「恐れるな!」の言葉を繰り返し呼びかけ、聴衆の心に深い勇気と感動を与えた。
 

<カトリック司教協議会での役職、その他の担当役職>

「日本カトリック司教協議会」会長
「常任司教委員会」委員長
「難民定住委員会」委員長
「社会司教委員会」委員長
「教会行政法制委員会」委員長
「マカオ遺骨返還特別委員会」委員長
「殉教者崇敬促進委員会」委員長
「(2000年)大聖年準備特別委員会」委員長
「カトリック点字図書館(現・ロゴス点字図書館)」理事長
「社会福祉法人・聖ヨハネ会」理事長
「社会福祉法人・慈生会」理事
「東京カリタスの家」理事長
「社会福祉法人・からしだね」理事長
「暁星学園」理事
「聖グレゴリオの家」理事
 

以上