事実上の日米EPAであるTPPよりも、中国や韓国との自由貿易協定(FTA)を優先すべきというのは机上の空論です。韓国はすでに米国とのFTAを締結して大きな成果を上げており、中国も政治的な要因から日本とのFTAに応じる可能性は乏しい。むしろアジアの経済大国の日本がTPPへの参加を表明すれば、対抗上、中国や韓国の背中を押し、それによって東アジアの他の国の参加も促進され、アジアの自由貿易圏がいっそう拡大します。開かれた東アジアの経済発展のカギである自由な貿易や投資の拡大をさらに進めることは、日本の利益だけでなく、他のアジア諸国への大きな責務と言えます。
2.TPPは米国の政治的圧力?
偏狭なナショナリズムの愚かしさ
TPPへの参加は、「米国の日本の国内市場参入を狙う政治的圧力によるもの」というような反米ナショナリズムを煽る論法が見られます。しかし、貿易や投資の自由化は双務的なもので、日本企業が米国市場で自由に競争できる一方で、国内市場から米国企業を締め出すという不公平は許されません。
日米間の貿易摩擦には長い歴史があり、とくに1980年代末からの日米構造協議では、日本市場の「閉鎖性」を改善するための対日圧力が強まりました。例えば大店法の廃止要請は、米国製品が日本で売れないのは大型小売店が少ないためという奇妙な論理に基づくものでした。現に、大型小売店が地元の小売店との利害調整なしには出店できないという参入規制が改善された後も、米国製品の国内販売は増えないものの、消費者にとっての利便性は大いに高まりました。
また、携帯電話サービスがNTTの独占であった時期に、モトローラ社の利益のために、米国政府が市場開放を迫ったこともありました。しかし、開放後に売り上げを伸ばしたのはNTT以外の日本企業で、競争の促進で価格低下やサービス向上の利益を受けたのは日本の消費者でした。
米国政府の圧力で国益が損なわれるという論者は、暗黙のうちに、日本の既存生産者利益が国益と同じものと見なしています。しかし、米国政府は、日本を米国企業の独占市場にせよというのではなく、単に参入自由の競争市場にすることを求めているだけです。これは日本の新規参入企業と消費者にとっても、自由貿易と同じ利益を受けることを意味します。
仮に、競争市場であっても米国企業が優位性を持っていれば独占市場と同じというのは、あまりにも悲観的な見方です。日本の製造業は、すべて国際競争力の弱い時期から、絶え間のない企業努力で発展してきました。なぜ同じことが非製造業ではできないのでしょうか。競争力がないから保護が必要というのではなく、保護をするから競争力がつかないのです。本来は、米国から要請されるまでもなく、国内市場での既得権を排除し、参入自由の市場を作ることが日本全体の利益です。しかし、自由貿易の利益は多数の消費者に薄く広く及ぶことに対し、産業保護の利益は少数者に集中するため、政治献金や選挙の票集めの威力から、それが実現できないのです。
もっとも、市場競争よりも政府の保護を求めるのは、日本だけでなく、他国も同様です。だからこそ、お互いに経済連携協定という形で「外圧」を作り出し、政治力にまさる生産者団体が要求する保護貿易を防ぐ必要があるのです。