物語の導入部分である冒頭部は、小説の最重要箇所です。
ここのデキによって、作品の評価の8割が決まると言っても過言ではありません。
なぜならば、ほとんどの読者は、冒頭を見て興味を引かれなければ、その時点で読むのをやめてしまうからです。
当サイト内で実施した『ライトノベル読者へのアンケート2010年版』によると、『ライトノベルの購入を決める時に一番重視する要素を選んでください』という問いに対して、1000人中134人の方が『冒頭を読んで惹かれるか』という項目に投票しました。
これは『あらすじ』に次いで第二位であり、
なんとキャラクターより、冒頭の出来不出来でラノベの購読を決めている人の方が多かったのです。
(ビニールカバーを本にかけている書店が多いことを考慮すると、冒頭を購入の最大の決め手とする人の割合はもっと高いと考えられる)
あなたも経験ありませんか?
本屋のライトノベルコーナーに立ち寄って、表紙やタイトルの気に入った小説を手に取る。
そして、冒頭と粗筋だけ読んで、おもしくなさそうだったから書棚に戻してしまったこと。
または、ネットサーフィンしていて小説系サイトに立ち寄り、そこに置いてあった小説の序盤だけ読む。
だけど、どうにも興味を引かれなくてウィンドを閉じてしまったこと。
私はそんなこと、しょっちゅうです。
さて、これらのことからわかるように、小説は最初のスタート地点がなによりも肝心と言えます。
冒頭部をインパクトの強いモノにして、読者の興味関心を引くことができなければ、その作品はそこで駄作の判決を受けてしまうのです。悲しいですが、これが現実です。
作品の頭にこそ、最高のアイディアと全精力を注ぎ込みましょう。
この小説はひと味違うぞ! というところを思いっきりアピールするのです。
『終わり良ければ全て良し』などという格言は、小説の場合、適応されません。
『初め良ければ、かなり良し』です。
物語は「竜頭蛇尾」を心がけてください。
なにも好きこのんで「蛇尾」にすることもないだろう、と思われるかもしれませんが、読んだ第一印象が良ければ、その後の展開が多少力の抜けたモノであっても、最後まで読んでくれる人が多いのです。
また、冒頭の高いテンションをまんべんなく続けてしまうと、メリハリのない作品になってしまいます。
全編通してヤマ場では、ヤマ場が無いのと同じことです。
それ以上に、書き手もどこかで息切れしてしまいます。
プロの作品に共通する手法として、衝撃的な冒頭の次に、テンションを緩めた平穏なシーンが挿入されます。物語の展開に緩急をつけることで、ヤマ場がさらに盛り上がるようになるのです。
さて、では具体的に冒頭部をどのように工夫したら良いのでしょうか?
まずは、ダメな例から紹介しましょう。
どうでもいい通勤通学などの日常描写や、何の変哲もない家族や友人とのやり取り、世界観の説明をだらだら続けるのはNGです。
手に取った小説の冒頭部がこんなものだったら、私の場合、それ以上読まずにみ~んな、サヨウナラします。
非日常の世界を求めてライトノベルを手に取ったのに、その入り口が現実世界と変わり映えしない日常シーンだったら興ざめです。
平和的な日常描写が、後に続く悲劇の伏線になっていたのだとしても、たいしておもしろくもない平凡なシーンを永延と読まされている方は、すぐに飽きて読むのをやめてしまいます。
それなら、その悲劇から始めた方がよっぽどマシです。
ステレオタイプな世界観を冒頭から押しつけてくるモノに対しては、
『竜が古代においてこの世界を支配していた?
こんなありふれたどうでもいい設定なんぞ読みたくない』
と読み飛ばすか、その場で読むのをやめます。
物語の冒頭は重大事件や悲劇、ラスボスからの苛烈な攻撃が加わるシーンにしましょう。
なにか『非日常的な行動』をしているシーンから描き始めることが、初心者がおもしろい物語を作り出すためのコツです。
ミステリー小説のハウツー本には、冒頭には死体を転がせと書いてあります。
手垢の付いたパターンですが、インパクトという点では有効な手法です。
とにかく、読者の度肝を抜く、驚愕の冒頭部を創造してみてください。
では、読者を釘付けにする冒頭部とはどんなものか、『スクラップド・プリンセス』『斬魔大戦デモンベイン』の2作品を例に上げて説明しましょう。
まずは、小説からアニメ化されるまでに至った『スクラップド・プリンセス』 を例に上げてみます。
『スクラップド・プリンセス』は、シャノンとラクウェルと、彼らの血の繋がらない妹パシフィカの兄妹愛をテーマにした作品です。
実は、このパシフィカ。15年前の〈グレンデルの託宣〉によって、世界を滅ぼす猛毒と予言された廃棄王女です。
彼女は王妃の計らいによって処刑される運命だったところを逃がされ、普通の少女として育てられました。
さて、この作品の冒頭部は、物語の発端になった〈グレンデルの託宣〉から始まります。
五人の神官が、血まみれになりながら密室から出てきて、マウゼル神の託宣を告げるというショッキングなシーンです。
こういう謎めいた、それでいてインパクトある冒頭部にすると、その後に続く物語の期待感が膨らみます。
次に、ノベルゲーム『斬魔大戦デモンベイン』のプロローグを例にあげてみます。
デモンベインの冒頭部は、これまたインパクト大。
地球を背にした宇宙空間で、最強クラスの2体の鬼械神(デウス・マキナ)が、頂上対決を繰り広げるというモノです。
鬼械神とは、古代の魔術師たちが持てる英知を結集して作った人造の神です。
しかし、ヒロインのアル・アジフが操る鬼械神は、とある事情から本来の力が1割も発揮できない状態なっているので、あっさり負けて大気圏に叩き落とされてしまいます。
ここで、アル・アジフと敵のボスの因縁を臭わせ、上手いこと伏線を張り、世界観の触りを説明しています。
以上に上げた2作品は、最初からテンションの高い状態で始められており、読者は固唾を呑みながら作品の世界に入ることできます。
このような冒頭部を工夫してみてください。
プロの作品で良く使われる手法に、冒頭にショートストーリーを持ってくるというのがあります。
(特に連載、第一巻に使用されるケースが多い)
このショートストーリーは、主に本編のクライマックスで重要となる謎や伏線を含ませつつも、これ単独で話として完結している、いわば掌編小説です。
アマチュアの小説には、意味不明の専門用語をばらまき、意味不明の展開を見せて、読者を引き付けようとする作品がありますが、これは下策です。
内容が意味不明では、そもそも読む気になれません。
逆に作者が自分に酔っているような悪印象を抱く場合さえあります。
掌編小説として、単独でも楽しめるように練られたショートストーリーを用意するべきです。
形態として以下の3つのうち、いずれかに分類されます。
1・本編のメインキャラは登場しないが、本編とリンク・伏線となっているエピソード。
2・メインキャラクターを紹介し、世界観を解説するエピソード。
3・主人公などの過去のエピソード。本編の発端、伏線となる重大事件。
例えば、田中ロミオの『AURA ~魔竜院光牙最後の闘い』における冒頭は、『1』に分類されます。
聖竜神アスタロイを裏切った最強の戦士・魔竜院とアスタロイに仕える聖騎士バルザックが、現代社会のビルの屋上で人知れず因縁の対決をするというストーリーです。
実はこれは、主人公・佐藤一郎の自作したライトノベル『魔竜院伝承 九乃巻』より抜粋されたワンシーンです。
作りこまれているので、掌編小説としても十分に楽しめる上、このエピソードはラストに佐藤一郎が取る言動の伏線となっており本編とリンクしています。
「ああ、最初のアレは、ここに繋がっているのか!?」
と、最後まで読むと、手を打ってしまうわけです。
単独でも楽しめて、伏線にもなっているこのタイプは、非常にうまい冒頭と言えるでしょう。
吉田直の『トリニティ・ブラッド 嘆きの星』 の冒頭部は『2』に分類されます
これは兄を吸血鬼に殺された少女が、仇討ちに吸血鬼の巣くう教会を訪れたところから始まります。
しかし、吸血鬼退治の為に持ってきた十字架や聖書が一切通用せず、あわや返り討ちに成りそうになったところを、主人公のアベル・ナイトロードに助けられます。
この時、吸血鬼でも人間でもない第三の種族であるアベルの能力の一端が垣間見え、これがクライマックスでの伏線になっています。
アマチュアの小説だと、最初に世界観を説明しようと、歴史やら、種族同士の関係やらの設定の羅列をしてしまうことが多いですが、これはいけません。
読者が小説に求めているのは「設定」では、ありません。「ドラマ」です。
おもしろいドラマを通して、読者に世界を見せるのが上策となります。
榊一郎の『ニンゲンのカタチ ストレイトジャケット1』の冒頭は、『3』に分類されます。
これは本編の過去、主人公のレイオットが少年時代に育ての親を殺してしまうというストーリーです。
この世界では、人間は魔法を使いすぎると、魔族という怪物に変身してしまいます。
その魔族に生まれ変わっている途中の育ての親を、レイオットは銃で撃ち殺してしまうのです。
これは魔族殺し専門の戦術魔法士レイオットの行動の動機となる事件であり、本編と深くリンクした、すべての始まりとも言えるストーリーです。
このように本編の発端となる重大事件を先に持ってくる、というのも良く使われる手法です。
冒頭のショートストーリーは、それ単独でも楽しめる完成度を持つこと。
それが本編とリンクし、重要な伏線となっていること。
この二つが大切です。
もちろん、インパクトのあるシーンにすることもお忘れなく。