20代の頃、地域おこしに昼も夜も明け暮れる生活を
送っていた私に、父が言いました。
「おまえがやっていることは、国の未来のために
大事な貴いことであることは、よくわかる。
だけどその仕事は、他所の人にお願いして、おまえには
普通に働く、普通の主婦になってほしい」
「俺も同じ事を、親に言われたことがあるよ」
と夫。だから私たちは、夫婦になったのね。
選挙区支部長になり、国会議員になったせいで、
傷つけてしまった人がいます。それは、夫の母。
義母もまた、普通の生活を望んでいる人でした。
少ない夫の給料でやりくりして、足りない分はパートにでたりして
夫の健康管理と子育てにいそしむ
慎ましい普通の嫁に、来て欲しかったのに
あろうことか、選挙にでて、議員になるような嫁が
来てしまった。どうしても受け入れられないそうで
家族ごと拒絶されてしまっています。
一方で、私の実家は昔とは一転して協力的。
「おまえは託宣を受けて議員になったのだから、頑張れ。
子どもの世話は、任せろ」
と応援してくれている。この違いは何なのか。
どうも、実の娘のことだから、というだけではないらしい。
答えは、議員会館にみえるお客様に、ありました。
初登院の日、訪れたお客様の中に、大分県東京事務所など
出身地大分の関係の皆様が、いらしたのです。
私のもとに届く、お祝いの電話、ハガキ以上に
大分の実家には、お祝いと応援のメッセージが
続々と届いていたことが、わかりました。
当選してからだけでなく、選挙前から随分と
激励のお言葉をいただいていたそうです。つまり
故郷大分県の皆さんが、両親を婉曲的に懐柔し
協力を引き出していたのですから、なんと有難い。
旦那の実家との関係修復は、簡単ではなさそうです。
しかし、義母の気持ちになって考えれば、仕方ない。
子どもの預け先がない今、義母の助けは喉から手が
でるほど欲しいのです。でも、叶いそうにありません。
普通の慎ましい穏やかな生活を送ってきたと考えている
人にとって、それほどに、国会議員というのは、雲の上
の存在に思えるのでしょうし、ついていけない気持ちに
なるのは、無理もないことです。私自身が、国会議員
として生きることに、アップアップしています。
身の丈以上の世界に来てしまった実感は
子どもの預け先をみつけられないことに、あらわれています。
子どもの預け先ぐらい、自分の力で
簡単に解決できるような方々しか、本来国会議員には
なられていないということなのでしょう。
できない私が悪い。子どもの預け先をみつける力が
ないこともまた、人脈の乏しさの現れであり
私の力不足。認めて、受け入れて、どんなご批判にも
白い目にも、耐えていくしかございません。
考えてみれば、私は地域おこしを10年やりましたし、
父は30年強、地域のために、働いてきたのです。
そして、家事を最低限しかやらない妻なのに
「国のために頑張れ」
と応援してくれる夫もまた、7年、国のために
働いた男です。国や地域への思いと、一緒に働いた
その積み重ねが、人の輪となり、選挙・当選という
節目のときに援軍になっていたことを励みに
一歩一歩、ですね。