平安時代のキャトルミューティレーション
こんな話がある。
昔、光孝天皇の御代に、宮中の武徳殿の宴の松原を、若い女三人がそろって、内裏の方へ歩いて行ったそうじゃ。
八月十七日の夜の事なので、月は大変明るかった。
そうしている間、松の木の本に男が一人で出て来た。
この通り過る女の中の一人を引いて、松の木の木陰で、女の手を取って話し始めたそうじゃ。それ以外の二人の女は、、「直ぐにも話が終わって来る」と立って待っていたが、なかなか帰ってこないで、話し合う声も聞こえなかったので、「何事だろう」と怪しくく思って、二人の女が近寄って見るに、女も男も居ない。「これは、何処へいったのだろう?」と思って、よく見れば、ただ、女の手足がばらばらに転がっていていた。二人の女はこれを見て、驚いて走り逃げて、衛門の詰め所に駆け込んで、陣の兵士にこの事を告げたところ、陣の兵士達は驚いて、その所に行って見たら、おおよそ死骸は散乱しておらず、ただ手足のみ残っていた。その時に人が集って来て、見て前代未聞の大騒ぎになった。
「これは鬼の、人の形と成って、この女を喰らってしまったのだろう」という風に人は言っていたそうじゃ。
そういうことで、女性はこの樣に人気のないところで、知らない男がナンパしても、うっかり気を許して、付いて行っちゃぁいけねえ。
努々このことを忘れるもんじゃねえと語り伝えたそうじゃ。
今昔物語集 巻第二十七 この話は教訓めいた物語だけで終わらない。日本三代実録という平安時代の公式記録の仁和三年(887年)八月十七日の記載されている。多くの右兵衛や右衞門の兵士がそれを目撃して、騒ぎとなっている。
日本三代実録 仁和三年八月 ここで、血の記載が無い。手足が落ちていたなら、おびただしい血の記載があってもおかしく無い。今昔物語集の次の第九話では、同じく鬼が人を喰らう話だが、「弁ノ座二赤クチミドロナルカシラノ…。笏沓モ血付キテ有リ…。畳ニ血オホク溢レタリ。」 とこちらもリアリティが感じられるおびただしい血の事を記載している。
本当に鬼が喰ったのだろうか?それとも…ハンニバル・レクター博士のような猟奇的な何者かに切り取られたのだろうか?血を抜き取って切断するキャトルミューティレーションをグレイがしたのだろうか? 彼方はこれを信じますか? |
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