【高橋惠子 芸能生活42年回顧録「女優物語」(22)】
昭和48(1973)年の主演映画「朝やけの詩」でのヘアヌードの騒動は、私のイメージを大きく変えてしまいました。映画の内容自体は社会派の巨匠・熊井啓監督(故人)が全力を注いだ立派なものでした。ところが、私のヌードシーンのヘア→環境庁(現環境省)がクレーム→ロケ地変更→撮り直し…といった一連の出来事が大スキャンダルとして大々的に報道されたのです。
当時、人気刑事ドラマ「太陽にほえろ!」(日本テレビ系、72〜86年)にレギュラー出演していた影響も大きかったのでしょう。「太陽——」では清純派として女性警察官を演じている一方、「朝やけの詩」で映画界初のヘアを堂々と公開している…。某男性週刊誌ではこう決めつけられました。これには否定することさえ忘れて苦笑したものです。
こうした大騒動の渦中にいたにもかかわらず、私自身は「恥ずかしいこと」とは全く考えていませんでした。与えられた役柄を全力で演じただけですから、わざわざマスコミの前で釈明することもしませんでしたし、言い訳めいたことを周囲に漏らすこともしません。「朝やけの詩」の撮影が終了してからは、ごく普通に目の前の仕事に取り組んでいたのです。
ところが、いったん定着したイメージを覆すのは並大抵のことではありません。「太陽——」を降板した昭和49(74)年以降も、依頼される役柄は「朝やけの詩」で作られたスキャンダルを基にしたものでした。好んでヌードを披露していたわけではないのに、ほとんどの作品で当然のようにヌードシーンが挿入されているのです。
台本通りに堂々と脱いだのは“女優魂”があったからこそなのですが、周囲はまるで理解してくれません。本来ならパブリックイメージの「女優・関根恵子像」が「私人・関根恵子」と同一視されてしまっていたのです。今の芸能人のように激しく自己主張すれば、少しは誤解が解けたのかもしれません。ですが、淡々と出来事を受け入れる性格が余計にイメージを定着させてしまったのでしょう。
しばらくの間は「ここまで騒がれてしまったのだから、仕方がない」と思っていました。与えられた仕事には前向きに取り組み、全力で演技する——。それでも、自由奔放な女性の役柄ばかりが依頼されるのです。
ただ、表面的には淡々と仕事をこなし、ため込んだいろいろな鬱屈を一気に発散させる…。10代のころの性格は20代になっても変わりません。「こんなはずじゃなかった…」。昭和52(77)年、22歳のときです。デビューして7年がたち、何もかもが限界に達していました。この当時の私には、ため込んだストレスを一挙に吐き出すしかなかったのです。
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