昨年12月、インドの首都デリーで路線バスを装った車に乗った女子学生(23)が、複数の男性たちに集団レイプされ、その後死亡した。インドでは事件をきっかけに、性犯罪対策にきちんと取り組んでこなかった政府に対する大規模な抗議デモが、首都を中心に頻発している。性犯罪に対する刑事罰の強化や治安対策が国会などで議論されている。
インドでは、少女や女性への性的暴行が日常的に発生している。これまで、このような事件はインドメディアであまり取り上げられてこなかった。しかし昨年12月16日に発生した暴行事件に対する抗議運動が、インド国内で高まっている。公共の場で女性の安全を保証するための抗議デモが続いている。
デリーの警察当局は3日、殺人や強姦などの疑いで5人の容疑者を訴追した。5人のほかに犯行に関わった1人は18歳未満の可能性があるため、別に審理が行われる見通しだ。当局は5人に対して死刑を求刑する方針である。被害者の遺族も、男たちを絞首刑にしてほしいと話している。残る1人は、未成年と確認されれば少年院に送致される模様だ。
欧米での公共の安全と男女平等問題とは異なり、インドでは伝統的にジャーティ(Jati「出自」「生まれ」の意味)、いわゆるカースト制度が社会に厳然と根付いている。
インドのカースト制度は問題を複雑にしている。「生まれ」によって決定されたジャーティは一生変更できず、男女とも同一のジャーティの者と結婚する義務があるといった考え方が主流になっている。また職業にも制約がある。低カーストは清掃業など限られた職業にしか就けない。
ダリット(Dalit 「不可触民」あるいは「不可触賤民」)は、インド階層社会の最下部に位置する人々が自らに対して用いる呼称である。アチュート、アンタッチャブル、アウトカーストとも呼ばれカースト制度の外側に位置づけられていて、ヒンドゥー教社会において最も差別される人々である。ダリットの女性に対する、より階層の高い男性からの暴行は長い間続いてきた。
信じられないが不処罰である
昨年9月には、デリー首都圏に隣接するハリヤナ州の16歳のダリットの少女が、少なくとも8名の酔った上位カーストの男性によってレイプされた。少女は「しゃべったら殺すぞ」と脅され、黙っていたという。しかし男たちの1人が、そのレイプの様子を携帯電話で撮影して村中に流した。映像は被害者の父親の目に触れ、父親はその後、殺虫剤を飲んで自殺した。
この事件は起訴されていない。被害者がダリットである場合、被害者自身やその家族が声をあげず、低階級層の人々に対する当局の無関心も加わって、事件はうやむやのまま放置されることが多い。いくつかの事件では、暴行犯は捜査が及ぶのを恐れて被害者を殺害している。
この事件は、ハリヤナ州で発生した一連のむごたらしいレイプ事件の1つだった。その犠牲者の一部は16歳未満の子どもだった。
ハリヤナ州は保守的な地域である。最近のデリーでの集団暴行事件をめぐる前代未聞の報道以前に、ハリヤナ州でレイプ事件が相次いで発生していたことは、地元の村の長老たちの無関心を暗に示している。
ハリヤナ州の多くの町村は、昔からあるそれぞれの「評議会」が実質的に支配している。男性だけがメンバーになれ、カーストには厳格だという。評議会支配がレイプ事件が多発する土壌を作っているとの指摘もある。また地元幹部の「レイプ事件は同意の上」とする考え方や、地元の村の長老たちの無関心も非難を受けている。
「私は、女性は16歳までに結婚すべきだと考える。夫婦間の交渉で満たされればレイプ事件は起きない」と地元評議会のリーダーのスーベ・シンさん(Sube Singh)はニュースチャンネルIBNLiveに述べた。
別の当局関係者は「最近は新聞や雑誌、テレビ、携帯電話にまで半裸の女性が氾濫し、青年を堕落させた。これがレイプ事件の原因だ。ここはインドだ。欧州のようになってはならない」として若者に広がる欧米の影響を非難した。
ハリヤナ州では、古くからの家父長的封建的な制度が強く残り、特に発展から取り残された農村地域では、レイプ被害者が家族の恥を思い、対応の鈍い警察や法制度への不満もあり、自殺する場合も多い。
「貧困層でレイプされた女性にとって、正義を重んじる社会は想像できない。ダリットの女性に司法の保護はない」とコラムニストのカルパナ・シャルマさん(Kalpana Sharma)は、ヒンドゥー教の新聞に書いている。
米ミズーリ州セントルイスにあるワシントン大学の歴史学助教授シェファリ・チャンドラさん(Shefali Chandra)は、ダリットなど低カーストの女性は、常により高位なカーストの男性から性的に利用できると考えられてきたと指摘している。
「ダリットなど低カーストの女性の労働者としての存在は、性的な可用性をほのめかしている。カースト階層の構造が常にセクシュアリティーを確保した女性(上位カースト、貞淑な、妻/未亡人)と性的に利用可能であったダリットなど低カーストの女性の差異化や利害に関わってきた。カースト制度全体にとってそれが必要だったからだ」とチャンドラさんは語った。
押しつぶされた人々
インドの人口は12億1,000万人(2011年国勢調査(暫定値))だが、公式統計によれば、ダリットは、厖大なインド人口の約6分の1にあたる約1億9千万人とされる。これは日本の総人口よりも多く、ブラジルの総人口に匹敵する。
ダリットはサンスクリット語で「押しつぶされた人々」「困窮した人々」「抑圧されている人々」といった意味である。ヒンドゥー教の厳格な社会階層の最下位を占有し、道路清掃やトイレ清掃などのインド社会で最悪の仕事とされる職業を占め、貧困と社会的差別の中に置かれている。
ダリットは、カースト制度にすら属していないと軽蔑され、社会から取り残されている。また、社会慣習として高位のカーストの人との個人的接触は禁止され、内婚集団として機能している。またダリットは、住宅、教育、社会サービスへのアクセスも厳しく制限されている。
1947年4月29日、インド制憲議会は「いかなる形における不可触民制も廃止し、不可触民への差別は罪とみなす」という宣言を行った。また、不可触民制(犯罪)法〔Untouchability(Offences)Act〕(1955年)と市民権保護法〔Protection of Civil Rights Act〕(1976年)は、社会差別から不可触民を守るよう細かく規定している。理論的にはダリットは、政府の立法による恩恵を受けるはずだ。
しかし議会で書かれた法律は、人々の態度を変えるためにほとんど役立っていない。頻繁に地元当局によって無視されている。拷問、強姦、殺人など、上位カーストの人々や警察からの違法行為により、ダリットは虐待の最中にある。そして多くの不満を抱えていても、ダリットが実際に法的手段に出ることはない。
ニューヨークに本部を置く国際的な人権擁護団体ヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)によると、パンジャブ州のバント・サイさん(Bant Singh)は娘がレイプされた後に正義を求め、2006年に警察に訴えた。彼は実際に実行犯の有罪判決を勝ち取ることができた。しかし後に、彼の支持者は手足を切断されるという報復を受けた。このような悲劇的な事件が、広大な亜大陸で幾度にもわたり繰り返されてきた。
アイルランドのダブリンにあるトリニティカレッジでインド研究に取り組むムリドゥ・ライ講師(Mridu Rai)によると、ダリットの女性に対する性的犯罪は過少報告されているという。
6年前、インドのマンモハン・シン首相は南アフリカのアパルトヘイトとダリットを絡めて「人権社会の汚点」と指摘した。そして「憲法、法律上の保護、国の支援がなされても、60年後にはまだダリットに対する社会的差別は存在しているだろう」と述べた。
2007年12月のHRW報告書は、インドがダリットの基本的人権確保のための「体系的な国際法上の義務を守ることに失敗した」とし、カースト抑圧を維持するために、レイプや性的虐待の使用を強調してきたと嘆いた。HRWは、レイプが北部ビハール州と南部タミルナード州の地主や権力者たちによってダリットを抑えこむ手段として用いられた事例を報告している。
性的虐待の中で最も悲惨な事例として、ダリットの女性はレイプされただけでなく、手足を切断されたり、火あぶりにされたり、裸で村中を引き回されたり、さらには人糞を食べることを余儀なくされたこともあったという。「ダリットの少女のレイプは、上位カーストの男性の権力誇示でありカースト抑圧の道具である。ダリットの女性はしばしば広範かつ組織的レイプの標的となっている」とアムネスティ・インドのディレクターのアナンサパドマナブハン・グルスワミィさん(Ananthapadmanabhan Guruswamy)は書いている。
イギリスのリーズ大学の現代インド史の上級講師であるウィリアム・グールドさん(William Gould)は「レイプは明白な屈辱の手段であるため、インド社会の脆弱なセクションが、このタイプの暴力の被害者になっている可能性が高い。レイプが恐怖と服従の武器として使用されてきた」と述べている。
すべてのダリットの女性が、戦いもせず現実を受け止めているわけではない。おそらく、ダリット女性の中で最も知られた武勇伝は、女盗賊プーラン・デーヴィーさん(Phoolan Devi)だろう。プーランさんはカースト最下位のシュードラ(隷属民)に生まれた(さらにその下に不可触民がいる)。
彼女は盗賊団に入り、多くの強盗と殺人を犯した。しかしイングランドの伝説的義賊ロビン・フッドのように、プーランさんを義賊とみなす人々からは広く慕われた。
1981年に、彼女は以前輪姦されたウッタル・プラデーシュ州のベヘマイー村の男達に対する復讐として、22人の地主の虐殺を命じた。この罪により彼女は1983年に逮捕され、刑務所で11年を過ごした。
1994年にウッタル・プラデーシュ州で新たに選出されたポピュリストのムラーヤム・スィン・ヤーダヴ(Mulayam Singh Yadav)州首相が検察官に働きかけて、彼女に対する訴追を全て取り下げさせたため、プーランさんは釈放される。彼女の釈放はインドで下位カーストに属する人々が団結を強め、政治活動を活発に行い始めたことと時を同じくした。
1996年、プーランさんは釈放に尽力したサマージワーディ(社会主義者)党から国会議員選挙に出馬し、国会議員となる。彼女は日本に1997年と99年の2度訪れたほか、2000年にはニューヨークの国連も訪れて「ダリットの女性がインド社会では虐げられた存在である」と述べた。2001年7月、ニューデリーの自宅前でベヘマイー村での虐殺事件の報復として、3人の覆面武装集団により射殺された。
プーランさんは現在のインドの貧困、文盲、地方の反逆者、反レイプ抗議運動の新しい波をどう思っているだろう？
中産階級が巻き込んで
プーランさんなら、12月に発生した集団レイプ事件がカーストへの憎しみによって促されたかどうかわからない点に注目するかもしれない。被害者の詳細はいまだに明らかにされていないが、23歳の医学生はウッタル・プラデーシュ州の貧しい村からニューデリーに来た。おそらく低カーストと考えられる。しかし彼女の加害者は、伝えられるところによれば酔っていたという。このため彼女のカーストを知らず、気にもしていなかったのではないか。
「この事件と低カーストに対するレイプや暴力を関連付けることはできない。犯行は、酒に酔った男性たちにより既存の家長制度への甘えのもとで行われた」とダブリンのトリニティカレッジのライさんは述べている。
インド、特にデリーでのレイプの大きな問題は、すべてのカースト、民族、所得層の女性が犠牲者だということだ。中産階級、上位中産階級、そして裕福な女性、高位カーストに至る女性までもがレイプされ、犯人は長年にわたり刑罰を免れてきた。
医学生のレイプ事件についても、レイプ被害者は、インドの新興中産階級の一部と考えられる。近年のインドの好景気は、確かに、貧困と無知の中に閉じ込められ取り残された男性たちの憤慨に対して目に見える目標を作り、労働者や大学生まで多くの女性に影響を及ぼした。
現在、抗議運動をリードしているのは、都市部の大学卒業者で、野心的で博学、そして中産階級に属する女性たちである。インドの新聞ファーストポスト紙はデリーで抗議運動を行っている群衆を「若い中産階級、ソーシャル・ネットワーキングやスマートフォンを振り回す若者」とたとえた。
インド人女性ブロガーのメナキシュ・レディ・マドハバンさん(Meenakshi Reddy Madhavan)はこれらの抗議運動に中産階級の市民の特徴を見るという。彼女はVice.comで「この事件は、長年インド社会で無視されてきた女性の安全性の問題のための起爆剤となっている。おそらく私たちのような人々が抗議運動を行っている。インドで長く政治問題に関心がなかった中産階級が声をあげはじめた」と意見を述べている。
インド全土を席巻している反レイプ抗議運動には、農村、貧困、ダリット女性といったこの国が抱える問題に苦しんでいる人々への共感が含まれているというのだ。
英国・ウェスト・ヨークシャー州リーズ大学のグールドさん(Gould)は、この意見には懐疑的である。「おそらくこの抗議運動がダリットや他の低ステータスの女性に焦点をあわせた可能性は低いのではないか。この規模で抗議行動を展開するために役立っているのは、インド人政治家アンナ・ハザレさん(Anna Hazare)による反腐敗キャンペーンなど最近の別の大規模な動きによって、印政府が積極的に反応するかもしれないという国民の新たな信頼によって突き動かされていると思う」とグールドさんは述べた。
アンナ・ハザレさんはマハラストラ州出身の72歳、インドでは有名な社会運動家である。インドの政治界に根をはる汚職を除去する社会運動の一環として、断食などの活動も行っている。
グールドさんによれば、これらの政治運動は、主に都市部の中産階級の利益によるものであるという。ダリットのような農村部の貧困層のニーズを反映したものではないし、それとは異なる問題であるとしている。
「インドをにわかに活気づけている抗議運動は、ダリットの女性たちが直面する問題に対する抗議運動ではないと思う」とワシントン大学のチャンドラさん(Chandra)も同様の意見を述べている。
こうして、民主主義の歴史を変化させるほどの大規模な抗議運動が行われている中でも、ダリットは、やはり締め出されているのである。
この記事は、米国版 International Business Times の記事を日本向けに抄訳したものです。
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