特集ワイド:平成25歳のニッポン/1 オバタリアン、Hanako族 モノ言ってモノ買って
毎日新聞 2013年01月07日 東京夕刊
◇今や美魔女、かたや低賃金 「進出」の裏で広がる格差
「あった、あった」。女性誌「Hanako」の元編集長、椎根和(しいねやまと)さん(70)を東京・西麻布の仕事場に訪ねると、表紙が黄ばんだ25年前の創刊第2号(1988年6月)を捜し出してくれた。巻頭は「いま26人のキャスターたちの生き方は……」と題した特集記事だ。
「ニュースキャスターはキャリア志向のHanako族のあこがれだった。ほら、安藤優子さん、桜井よしこさん、小池百合子さんも出ている。当時は片仮名交じりで可愛くユリ子と表記していた。その後、政治家に転身して防衛相にまでなった。これが25年の女性の変化です」
椎根さんが解説する。「当時、全世界的に女性政治家が出てきた。サッチャー英首相やブット・パキスタン首相、アキノ・フィリピン大統領、土井たか子社会党委員長。日本初の女性首相誕生も夢ではないと言われた時代です」
89(平成元)年7月の参議院議員選挙では「マドンナ旋風」が吹き荒れた。この年の流行語大賞は「オバタリアン」。世間の迷惑をかえりみない中年女性を指す言葉だ。雑誌から飛び出した「Hanako」族も銀賞(新語部門)に選ばれている。
椎根さんは「86年に男女雇用機会均等法が施行され、女性が一斉に男性の職場に入ってきた。88年創刊のHanako編集部も元気のいい若い女性を集めた。それがよかった」と話す。消費に意欲的な27歳前後の女性をターゲットにしたHanakoは、高級レストランやブランド、海外旅行の特集を売りに、首都圏だけで30万部以上を発行する時代の雑誌に育っていく。
女性誌とはいえ、女性が9割以上というHanako編集部はまだ珍しかった。91年に別の大手出版社に入社、その後、独立したマーケティングライターの牛窪(うしくぼ)恵さん(45)は「職場には男女差別が歴然と存在しました。女性社員は男性より30分早く出社して、机を磨き、お茶をいれて、毎日オジさんからコピー取りを頼まれましたね」と新入社員時代を振り返る。
でも、待遇は良かった。「新入社員のマナー研修と称して高級ホテルでフランス料理をごちそうになったり、ボーナスが出たら海外旅行に行き、ブランド品を買ったりするバブル女の典型でした。ただ、27、28歳になると結婚退社を促される時代。女性は取材の現場に行かせてもらえず、私は自分で取材したくて、丸5年勤めて会社を辞めました」