桜の富士「大石寺」
4月8日、9日一泊で身延路を旅行してきました。
日本文化研究会のメンバー11人と一緒でした。
今日から5回、同旅行記を載せることにいたします。
東名富士JCを降りて西富士道路に入りました。
最初の目的地は大石寺です。
カーナビの目的地設定に際して大石寺を「ダイセキジ」「ダイシャクジ」・・・様々読みましたが、
正しくは「タイセキジ」でした。
大石寺山門前駐車場の風景。手前側に山門があります。
富士の裾野がなだらかに広がって、その彼方に堂塔の甍が並んで見えます。
周囲は桜色で囲まれています。
ああ、有名な大石寺は彼処か?
始めて訪れる大寺は、人里離れてポツンと大自然の中に屹立しているように見えました。
この辺は数万年前溶岩が流れ、火山弾が落下したのでしょう。
大きな石が一面を被った野原で、「大石ヶ原」と呼ばれました。
日蓮の亡くなり、身延山に埋められると、久遠寺が日蓮宗の本山になりました。
すると、池上本門寺(日蓮の亡くなった寺)が本山であると主張し、
日蓮の直弟子日興は久遠寺を離れてこの大石ヶ原に移り住みました。
それが大石寺の始まりです。
で・・・・、自分を「日蓮正宗」と名乗りました。
日蓮のお弟子さん6人は誰しも自分が日蓮の教えの正統だ・・・、思っていたでしょうが、
「日蓮正宗」と主張する激しさがあったのでしょう。
大石寺山門、富士山を背に南面して建っています。
大石寺の周囲には駐車場が沢山あります。
最も遠く辺鄙な場所が一般参詣者用の駐車場でした。
お寺を参詣するには、山門より入らなくてはなりません、
駐車場から入れば本堂(御影堂)の裏から入ることになります。
山門脇にも広い駐車場があって、空車スペースの十分でした。
そこに回りました。
カメラを持って駐車場を降りると、大声で叱られました。
激高しながら喋る話をまとめると、こんなことなのでしょう。
”大石寺は物見遊山に詣でる寺ではないのだ。信者の霊地であるのだから、彼方の駐車場に入って、信者のためにこの場所は空けておけ・・・・!”
私達を含めて、沢山の人が遠巻きにして見守ります。
でも、無難に・・・、山門前の駐車場は避けて、そこそこの距離を置いて駐車します。
後味の悪さが残ります。
大石寺の参道。正面が御影堂。参道の両側に塔頭坊が並んでいます。
石積みが美しく、桜が見事でした。
何処のお寺も門前町があるものです。
参詣者を「遠路はるばる良く来られました」言わんばかりに、茶店や土産物屋が並んで、
旅館も・・・・・、門前町を作っています。
ところが見渡しても門前町はありません。
信者だけが参拝し、塔中坊に宿泊して、修行をして帰る・・・・、それだけの場所なのでしょう。
考えてみれば釈迦様の始められった鹿野園・誓多林・大慈山等の寺は修行の場所で、
一般人の物見遊山は想定していませんでした。
カメラ片手の遊山客であっても、お寺を参詣したい・・・、そんな人には気持ち(菩提心)があります。
日蓮正宗の信者には多かれ少なかれ、一般人を見下し、誤った考えを叩き直してやろう・・・、
そんな気持ちがあるような気がします。
大石寺参道には枝垂れ桜が混植されています。
境内にはると、駐車場での冷めた気持ちを吹き消してくれる美しさがありました。
南面した山門から真っ直ぐ参道が続いて、突き当りが御影堂でした。
本堂に当たる場所に祀られているのが、日蓮であり正しい後継者日興なのでしょう。
生憎工事中で入ることも出来ませんでした。
参道の左右は築地状に石が積まれています。
石壁の奥に塔中坊(たっちゅうぼう)が並んでいます。
どの塔頭坊も新しく、コンクリート作り、屋根は塩瓦で葺かれています。
信者を迎える宿坊を一気に立て替えたのでしょう。
どれもこれも・・・、同じように和風ですから・・・、一見すれば綺麗です。
でも、違和感が残ります。
円覚寺や建長寺、東福寺等も沢山の塔頭寺院がありますが・・・、それぞれ違っています。
人それぞれが違っているように、塔頭も姿形がちがっているから・・・、楽しいのですが。
それに、今日は4月8日、花祭りです。
お釈迦様のお誕生日ですから・・・・、仏教寺院ではお祝いします。
故事に因んで、甘茶を誕生仏のかけてお祝いし、感謝致します。
大石寺にも塔頭の何処にも「今日は花まつりです」
案内はありませんでした。
「何故、大石寺では花まつりをしないのですか?」
尋ねれば
「花まつりは浄土宗のお寺が江戸時代に始めたもの・・・。」
答える事でしょう。
でも、桜の咲く季節にお釈迦様が生まれて・・・・、
大石寺でも、4月8日はお祝いしたら・・・良いのに、
思います。
大石寺塔頭坊の庭から見た富士山
私は浄土宗のお寺の「花まつり」が好きです。
何でも、誰でも優しく迎え入れてくれる優しさと、文化的な懐の深さがあります。
今年は、身延路でしたから・・・、4月8には、甘茶を飲めませんでした。
創価学会は日蓮正宗の在家団体として、牧口常三郎、戸田城聖が創世します。
終戦を迎えると戸田は第二代会長になり75万世帯の折伏を目標に掲げました。
宗門である日蓮正宗としばしば摩擦を起こします。
1991年、創価学会は日蓮正宗から破門され、袂を分けます。
私の記憶でも、昭和30年代、私の生家は創価学会の攻勢を受けて、苦労したようでした。
今日では創価学会は社会的な存在感が増して、折伏の激しさは表から消えたようです。
大石寺の重要文化財五重塔
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桜・・見事ですネ・・・
富士山の見える 桜の景色、スバラシイデスネ。
満開の桜、色々な混色で 風情が有りますね。
2012/4/14(土) 午後 9:44