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東京電力福島第一原発の事故を受けた除染作業で、取り除いた土や枝葉、洗浄に使った水を回収せず、近くの川などに捨てる手抜き作業が横行していた。発覚したのは、第一原発に近くて[記事全文]
安倍政権が、朝鮮学校を高校無償化の対象から外す方針を決めた。家庭の経済力にかかわらず、安心して高校に進み、学べる社会にする。この無償化の趣旨を考えると、例外を設けるべき[記事全文]
東京電力福島第一原発の事故を受けた除染作業で、取り除いた土や枝葉、洗浄に使った水を回収せず、近くの川などに捨てる手抜き作業が横行していた。
発覚したのは、第一原発に近くて放射線量が比較的高く、国の直轄で事業が始まった市町村でのことだ。
避難指示解除の見通しがついて自宅に戻る準備を始めた人、帰宅をめざしてなお避難を続けている人たちの気持ちを傷つける、許されない行為である。
発注元の環境省は、元請けのゼネコン任せなのが現状だ。人手の確保や作業を考えれば頼るしかないとしても、自治体や民間団体に協力を仰ぐなど、監視態勢を整えねばならない。
除染手順を定めたマニュアルについて、作業員らには「守っていては工期に間にあわない」との声もあるという。
担当会社は要求される内容を吟味して契約したはずである。
それでも作業を始めてみたら線量が下がらない場所があったり、人手が足りず、ふやすと採算があわないという問題が生じたりしたのなら、きちんと発注側に訴えるべきだ。
あらためて痛感するのは、原発事故がいかに広い範囲に、取り返しようのない汚染をおよぼしたかという現実である。
事故前と全く同じ環境に戻すのは不可能だ。すべての地域で除染するのも現実的でない。
地元の人たちの希望を大切にしつつ、どこをどれだけ除染していくか。
たとえば、福島県域の7割を占める森林の除染については、方針が定まっていない。
作業は家屋や農用地、道路などの生活空間を優先して始まった。隣接する森林については、ふちから20メートルが目安とされた。
環境省の有識者検討会が昨夏「森林から流出する放射性物質はわずかで、全体を除染する必要性は乏しい」との研究報告に基づいて検討する考えを示し、これに福島県側が反発した経緯がある。
「森林は住民の生活と密接に結びついている」「汚染された森林の近くで生活するストレスは大きい」という訴えはもっともだ。一方で、除染の限界を考えて、生活の再出発に直接つながる支援を求める声もある。
かぎとなるのは客観的なデータだ。
除染前と除染後で、どれだけ放射線量が下がったか。効果が大きいのはどのような方法か。どんな地形や植生だと下がりにくいか。各地の状況をまとめ、専門家をまじえて知識を深めてゆく必要がある。
安倍政権が、朝鮮学校を高校無償化の対象から外す方針を決めた。
家庭の経済力にかかわらず、安心して高校に進み、学べる社会にする。この無償化の趣旨を考えると、例外を設けるべきではない。
教育内容に朝鮮総連の影響が及んでいること、拉致問題の進展がないことなどから、現時点では国民の理解が得られない。下村博文文部科学相はそう説明している。
たしかに拉致に加え、事実上のミサイル発射実験などから北朝鮮への国民の不信は強い。
朝鮮学校も教育のあり方が疑念を招いてきた。北朝鮮指導者の肖像画を教室に掲げ、独裁体制を肯定するような授業をしているとすれば受け入れがたい。
ただ、制度の対象は生徒個人であって、学校ではない。卒業後は日本の大学に進学する生徒も多い。日本社会の一員となる子どもたちだ。
生徒たちの学びを保障し、かつ日本や国際社会の価値観をきちんと学んでもらう。両立の手立てを探りつづけるべきだ。
これまで文科省は、無償化を認める場合には「留意事項」をつけ、日本の政治・経済の教科書を教材の一つとするなどの自主的改善を促すとしてきた。
無償化の対象にして回路を保ちつつ、こうした改善を働きかける。その方が、社会全体にとって有益ではないか。
神奈川県は一昨年、県内の朝鮮学校に県として補助金を出すにあたり、拉致や大韓航空機の爆破事件をめぐる教科書の記述などの疑問点を指摘した。
その結果、十分でないにせよ記述は一部改訂された。横田めぐみさんを題材にしたドキュメンタリー映画を使い、拉致問題を教える授業も行われた。働きかけの回路をもつことで一歩前に進んだといえる。
朝鮮学校を対象から外す手続きにも疑問がある。
外国人学校への無償化適用は文科省令に定められている。そこから、朝鮮学校を審査対象とする根拠の条項だけを削除するというものだ。
この条項に基づいて、朝鮮学校からは2年以上も前に申請が出ている。ところが、その審査をずっと先送りした末に、条項そのものをなくして審査を打ち切る。これはおかしい。
ルールの変更を検討するにしても、まず審査の結論を示すのが先だろう。
民主主義社会の価値観に合う教育を求める側が、手続きの公正さに疑問をもたれることがあってはなるまい。