2.



「好きだ、アリス」
恋ごころなどそう簡単に消えるわけがない。
しかもあの火村英生だ、なるべくならひっそりとあまり人と交わらず生活したいと思っている感情抑制が趣味という男だ、自覚するほどの気持ちがどれだけ強いか分かろうというもの。

ましてや相手はのほほんと呑気に下宿にやってきては、きらきらと笑顔を振り撒くわ酔っ払って抱きつくわ一緒の布団に入り込んでくるわと、やりたい放題だ。
なんてヤツだ。
人の気も知らないで。

胸元ですうすう寝ている唇が少し荒れていたりなんかすると、舐めてやりたいと思ったりするのが自分でもちょっとどうかと思うが、つやつやの唇の時はそれはそれで大層そそられたりなんかして。

いや、だから、どうせこのままでは我慢しきれずとんでもないことをやらかすに違いないと思った。
そうなる前に、告げておかなければならないと思った。


当然勝算はほとんどないし、最終的には失敗して友人としてのポジションもなくしてしまうのだろうと予想はしている。
それはそれで仕方が無い。
いきなり強姦してしまうよりは全然マシだ、とはちょっと大げさな比較検討だけれども。
いや、そうでもないかな…。


「はは、何言うてんの。意味分からん。あはは」


全くどこまでも呑気だよ、この馬鹿たれ。


「ちょっと聞け。真面目な話だ、アリス」
「…え、真面目な話なん? クソ面白くもないジョークかと思うた」
「クソとか言うんじゃありません」
「あい。あ、ビールもう一本飲む?」
「ああ貰おうか。……ってそうじゃねぇ、いいから座れ。頼むから聞け」


それでも悠々とビールを冷蔵庫から出してきたアリスは、それを一口飲んでから、はいよ、と火村に向き直った。
火村も受け取った缶を一息に半分ほど煽ってから、もう一度冒頭のセリフを口にした。


「ええと、ジョークやないねんな?」
「本気だ。そして友達とか親友かそういう意味でもない。俺はお前に恋愛感情を抱いている。もしよければ、付き合ってくれないか」
「つ、つ…いや、ちょお待って、俺ついていかれへん…」


呆然としているアリスは、滑り落ちそうになった缶をテーブルにひとまず置いてから、はっとしたようにそれをぐっと飲んだ。
慌てて飲んだせいでちょっと零れたのを拳でぐいと拭い、それからそわそわと身体をゆらす。


「そ…それって、あのビデオに関係あるん?」
「ビデオ? …ああ、あれか。まあ…ある種のきっかけではあるが、ほとんど関係無い。どうしてだ?」
「あの…いや、お前、俺とヤりたんかなぁとちょっと思ってしまった」


火村はぐいと片眉をあげた。
アリスは段々に俯いてしまったので、それを見たかどうかは分からない。


「単にヤりたいって訳じゃない。好きな相手とキスしたいと思うのは普通だろう? その先だってな」
「…今も?」
「正直言えば」


すっとアリスの顔があがり、話を聞いてくれているのだと喜んだのも束の間、その目の中に確かな怯えがあったので火村は酷くショックを受けた。
けれどそれはアリスも同じだったようだ。


「い、いままで友達や思うてたのに、君はそんな目で見てたんか? 仲良うなれたのが嬉しかったのに、いっつもヤりたくておったの?」
「ちっ……!」


違う、と言いかけて、火村はそれ以上続けられなくなった。
違うのか、ほんとに?

アリスの匂いをかぐだけで抱きしめたいと思うし、キスだってしたいし、ぶっちゃけ裸になっていろんなところに触れたり舐めたりしたいと思う。


「…そうだよな…友達にそんな目で見られたら、いやだよな…。すまん、アリス。ほんとに…俺はなんて最低なんだ」


愕然としたまま、自らの罪の重さに耐えかねてうなだれると、アリスがわたわたっと両手を動かした。


「あ、そんな、そりゃちょお吃驚した、っていうか信じられへんかったけど、そんな最低やなんて、君はそんな男やないよ!」
「いいんだ、アリス。慰めてくれてありがとう。こんな俺に気を使ってくれるなんて」
「…あの、そう素直だと調子狂うな。まあその、ちょおショックやったけど女の子やあるまいしもう平気や」
「ああ、優しいな、お前は。そういうところが好きなんだ。ごめんな」
「…今気づいたけど、お前、酔うとるね?」


ピンポーン。

いざ告白、と思うといてもたってもいられずついつい目の前のアルコールを干しまくったせいで、火村は酔っていた。
記憶をなくすほどではないが、アリスに比べればぶっちぎりだ。

いつもなら絶対に言わない言葉がぼろぼろと零れるにいたって、双方がようやく気付いたのだからまあアリスだってそんなに素面というわけでもないのだけれど。


「分かったわ、とりあえず、うーん、俺も考えるからちょっと待っとって」
「考える? 何を?」
「やから…その、君と付き合うという提案について、や」


そうか、と大人しく肯いた火村は、なんだかすっかり体力も気力も使い果たした気がしてぐったりと窓辺によりかかった。


それからどれくらい経ったのか、ふと気配に顔を上げて、自分が眠りかけていたことに気付いてそれから目の前にアリスの顔があってそれがどんどん近づいて、ぴと、と唇に唇が触れてから、思いっきり目が覚めた。


「ふむ」


どこもかしこも固まってしまった火村とは対照的に、アリスはなにやら深く肯きにっこり笑った。


「ひむら」
「は…はい?」
「しよか」
「…はいッ!?」


あっさりと言った唇はいままさに自分に触れていたのだなぁと今更考えてそれから何をするのか考えた。
まだ考え付いてないから、ちょっと服を脱ぐのをやめたまえ。


「なに? せぇへんの?」
「あの、あのな、アリス。誤解を与えたかもしれないが、俺はお前とヤりたいと言ったわけではない」
「言ったやん」
「言いました。いや、だからな、そうじゃなくて」
「うん。ほれ、ばんざーい」
「あ、どうも。…ってだからそうじゃなくて、」


ぽすん、と火村のあぐらに乗っかったアリスとなぜか裸の胸が触れ、残念ながらうたた寝程度ではさめなかった酔いがぐわんぐわんと理性をぶっ叩いてひびを入れてしまったので、心臓が。

ああ死んじまう。
助けてくれ、アリス。


「ん…気持ちええ」
「アリスッ!」
「ぐえっ。ちょお苦し……ん…ん…」


キスを貪って舌を挿し入れかき回して吸出しアリスと呼んだ。
苦しそうな吐息が返り、唾液が垂れてそれを啜ってくったりとなってしまった身体をどうしようもなく強く強く抱きしめて、アリスと呼んだ。


「かっとばし過ぎちゃうん、か、お前…ッ」
「なあ、もう友達になんか戻れない」
「知っとるよ。嫌がったら君がどっか行ってしまう。そんなん困る」
「本当は嫌か?」
「分からん。けどただ離れてまうよりは、なんでも試してみたほうがええと思って」
「嫌と言ってももうやめられない。だから…終わって嫌いになってもいいけど、」
「…ぅ、ぅンッ…」
「後悔はしないで欲しいと思うよ」


ぷつりと尖ったそこは女のように柔らかな肉の頂ではないけれど、その固さが火村の唇にひっかかるたびどくりどくりと身体が脈打つ。
キスするときにも気付いたが、アリスの身体に触れるとき、唇が性感帯になる。
舌先で押し潰すように捏ねまわすと、今度はその場所が疼きを生む。

息苦しくなるほど切ない思いが込み上げて、アリスが声をあげると嬉しくなってそこばかり弄り倒してしまう。
胸に吸い付いて、ぎゅうぎゅうと身体に触りまくった。
こんなんじゃ気持ち良くしてやれない、もっと高めるようにいい場所を探してやらないと。

と、思うだけ。

コントロールなんかとっくに利かねぇんだよ、畜生。
どうしよう困った、焦るばかりで頭が働かない。
けれどさすがに、好きになるほど自覚するほど近くにいたのは伊達ではなくて、アリスの指が耳に触れてきたのを感じてピンときた。

耳にねっとりと舌を這わせる。

「ぁ…ッン、」

指先が鎖骨の辺りへとゆっくり落ちていくのにぞくぞくと背中を震わせながら、自分も舌をその通りに滑らせ時折噛み付いていく。

「…ん、ッ…ふ、ぁ、ひむ…ら…」

ひときわ強く心臓がどくんと打った。
そのすぐあとに、火村を導いていた作家志望の指先が、ゆったりとした部屋着の上からとっくの昔に勃ちあがっているそこをきゅっと握る。

「ッ!」

ここで耐えなければ一生分の後悔と恥と情けなさを味わうことになる、と思った火村はものすごく頑張った。



けれどまあ、頑張りだけではどうしようもないことって、あるよね。







「なー、自分いつまで落ち込んどるつもり?」
「うるさい」
「ほぉ。いっぺんヤったらその態度かい。せっかく君の提案について俺なりの意見を述べよう思うてたのに。やっぱりあれか。身体だけが目当てやってんな?」


にやにやしているアリスは自分の言葉こそちょっとも信じていないくせに。
悔しいけれど、甘い声もすんなりした肢体もなにもかも最高だった。
ひとつになった時には痛みに震えている様があまりに愛しくて、一生このままでもいいと思ったくらいだ。

くそう、ついさっきまで余韻に目を潤ませてひむらぁなんて呼んでたくせに、あっというまにこの態度、どうしてくれようか。


「…お前がそれだけでも許してくれるなら、心なんか求めやしねぇよ」


意地の悪い笑みが消え、真顔になって、やがてアリスは光零れるように笑った。


「もっと欲張りになってもええよ」


ああ恋よ。
それは手に入れるということではなく。

落ちていくということ。







end



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