*オリキャラが出ます。苦手な方は注意。
1.
私の友人に、法学部で学びながら将来は推理作家になりたいという志を持つ男がいる。
彼曰く、小説家ではなく推理作家であるところが重要なのだとか。
あまりその手の話を読まない私にはよく分からない。
そもそも、彼が書きたい推理小説とやらは、どうも彼のイメージにはそぐわないというのが私を含め大方の者の感ずるところだ。
人殺しという行為やそこに伴うドロドロした経緯もそうだし、しかも犯人は策を弄して罪から逃れようとするらしい。
なんでもそれをトリックといい、ミステリマニアにとっては密室なる言葉と共に、目にしただけでわくわくしてくる文字列であるとのことだ。
最早理解しようとも思わないが、マジシャンのようだなと言った私に、彼は意味ありげに笑った。
自分のマニア度を分かっているのかそこら辺りについて一席ぶつような真似はしなかったが、本当に好きなんだなと感嘆した覚えがある。
そんな少々一般ズレした血なまぐさい話を書いている彼は、とてもそこから遠いように見えるのだ。
絡み合う暗く強い感情を生み出す指はほっそりとしていて、とてもじゃないがナイフもロープも扱えるとは思えない。
色素の薄い髪も目も、陽に透けるとメイプルシロップのように輝く。
そうしたパーツが集まった容姿は美男子という表現には当てはまらないというのに、なぜか目を奪われ気付くと見惚れていたりすることがよくあった。
誤解を恐れずに言うが、私は彼が好きだ。
特にその表情。
くるくるとよく変わる顔は感情が分かりやすく、機嫌が良いのか悪いのかがすぐに分かる。
それに彼が笑うと、その場がふっと一段明度があがる気がするのだ。
この彼が日毎夜毎に感情のもつれから人を殺しているという。
もう何十人も殺したと言っていた。
もちろん紙の上でではあるが、彼の存在がもつ空気とは対照的な文章を生み出す内面に、私はとても興味がある。
そもそも名前からしてそんな内容が似合うとも思えない。
有栖川有栖。
少女向けの不可思議な哲学ファンタジーを書いたほうが良いと誰かに言われたことはないのだろうか。
彼自身が、その名前にふさわしく、永遠の少女のような無垢な印象を持っていることでもあるし。
ちなみに私には交際2年目の彼女がいることはここに明記しておこう。
「ヒナタ、なにしてんの?」
「文章を書いてる」
噂をすれば、というが、ちょうど彼についての印象を読み直し終わったところで当の本人が私、日向洋の目の前に現れた。
レポート用紙を適当に綴じたものではあるが、別に大切なものでもないから構わない。
私の言葉に、有栖川はへぇと目を輝かせた。
「君が思ってるようなもんやないよ。俺、レポートが苦手でな、そしたらとにかく文章を書くことに慣れえ言われたんで、思いついたこと書いとるだけや」
「ヒナタが恋愛小説書くなんて思うてへんて。なあちょっと読ませて?」
「駄目。まだ途中やから」
書くこととそれを読ませることに関してのこだわりはさすがによく分かるのだろう、有栖川は渋々ながらすぐに引き下がった。
唇を尖らせた顔が可愛らしい。
と、その表情が私の背後を見てから一変した。
にっこりと笑い、ぶんぶんと大きくてをふる。
子どもか、お前は。
「火村ぁ、こっちやこっち!」
書き忘れたがここは学食である。
12時20分、一人暮らしの学生達がマトモな食事を求めてイモ洗い並みに押しかけるぎゅう詰めの学食である。
人垣を割って、トレイの上になにやらいくつも皿を載せた男が、さっきの有栖川の数千倍渋い顔をしてやってくるのが見える。
大声で名前を呼ばれた当人だ。
当然、呼んだ方も呼ばれたほうも尋常ではない数の視線を浴びているが、ふたりとも全く気にする様子はない。
私が論文練習用に選んだのは、有栖川有栖の生態、そしてこの火村という男の存在である。
そこここで黄色い悲鳴があがっているのは、有栖川と違って正統派の色男である彼への賞賛であろう。
「お前な、なんで今日に限って一品料理選ぶんだよ」
「食べたかってんからしょうがやないやろ」
いそいそと自分の分を取り上げる有栖川に、重ねてあったトレイを敷いてやる火村(有栖川は味噌汁の具にしか興味がいっていない)。
ドレッシングの袋を切ってサラダにかけてやる火村(有栖川はこぼさずにそれをなしえたことがない)。
勝手に煮物と冷奴を半分ずつ交換しているのを黙認している火村(有栖川は実家なので手間隙かかる料理の価値を知らない)。
メモ書きになってしまった。
ここは後日修正しよう。
「よう火村君。お使いか?」
「こいつが勝手に始めたゲームで勝手に勝敗を宣言したんだよ。俺は知らない間に罰ゲームをやることになってただけだ」
無表情が板についている火村は、一切顔を動かさないままそう言うとようやく箸をとりあげた。
私が彼らをテーマに選んだのは、ここが大いに関係している。
火村という男はそもそも社会学部のはずだが、その存在は多くの学生の知るところとなっている。
あらゆる講義に聴講生として顔を出し、専門学生顔負けの授業態度に教授陣の覚えも良い。
しかし、その勉学に対する情熱とはうらはらに、彼自身は非常に冷静で人前ではほとんど笑わないし怒らない、感情の起伏と言うものがじつに乏しい人間である。
整った容姿がそれに輪をかけて存在をひとまわり大きくみせ、人を寄せ付けない雰囲気と相まってほとんど直接声をかける人間はいない。
ノートの方はひとりあるきどころかいくつもの分身を増やしつつ音速で構内を駆け抜けているというのに。
その火村と、このぽややんとした有栖川は友人である。
おそらくは唯一であろう。
「ヒナタ、暇やったらこの後コーヒー飲みに行かへん? めっちゃ美味しい店見つけてん。ようやく火村と空き時間合うたから連れてったるねんけど」
わき目も振らずに食べていた有栖川は火村の倍のスピードで皿をきれいにし、丁度同じタイミングで箸を置いた私に声をかけてきた。
その瞬間、私は世にも珍しいものを見た。
文章に起こすことを考えていなければきっと見逃していただろう。
それほど小さく、刹那の変化。
火村の目は、私を威嚇していた。
すぐに消えてしまったが、あれは間違いなく強い感情の発露であることはかけても良い。
仄混じるのは、傷ついた光だろうか。
有栖川が私を誘ったことに対する落胆か。
あまりに驚いて言葉を失った私を、有栖川が訝しげな顔で見ていた。
「ヒナタ?」
「ああ…いや、悪いな、講義はないねんけど、ツレと待ち合わせてんねん」
「かーっ、彼女のおるやつはこれやから! 友情をおろそかにしたら罰があたんねんぞ!」
「愛情第一や」
「うう、あかん、反論でけへん。何言うてもひとりもんのひがみや」
私はその発言を少々興味深く思った。
あまりその手の話題を自分から出すこともないし、他の人の話はにこにこ聞いているくせに過去を含め恋人がいたとかいないとかそんな情報すら彼の口から聞いたことがないと思い当たったからだ。
「なんや、有栖川、恋人が欲しいんか?」
「阿呆、俺の恋人は小説や」
「生身の方」
またまた私は、複雑な表情で遠くを見つめる有栖川という珍しいものを見ることになった。
いつも単純で分かりやすい表現が専売特許のくせに、悲しいような困ったようななんとも表現し難い顔だ。
「…俺、他のもんぜーんぶ合わせてもモノを書くこと以上には好きになれへんと思うねん。女の子って一番やないとあかんみたいなん、なんでなんかなぁ」
「へぇ。そう言われたことがあるゆうことね」
「やって、筆が乗っとる時に話し掛けられたりしてもどうしようもないやん」
「ははあ、そりゃお前、よっぽどの相手やないと付き合うんは無理やな。お前の小説のファンで、かつ上手に距離がとれる子か。遭遇の確率は低そうな」
有栖川は、そうやねん、とため息をついてみせたが、実のところそんなに深刻そうな様子はなかった。
ふと火村を見ると、視線を感じたのか、食べ終わった皿を重ねながら向こうもこちらを見た。
そして笑った。
驚愕と、少し遅れて唐突にやってきた気付きに私は迂闊にもぽかんと口を開けていた。
しかも気付いてしまったことを、火村は知っているのだ。
だから言葉を紡げずにいる私を助けるように、食器を下げて来いと有栖川に言う。
すぐに、お前がいけや、今度はお前が行けよという小競り合いが始まり、やがてふたりで同時に笑いながら立ち上がる。
「ほんならな、ヒナタ、また明日」
「…ああ、また…」
かろうじて返事を返した私を、火村はもう一瞥もしなかった。
無表情のクールビューティ。
君は困難な道を選ぶのだろうか。
時代はまだその道を許していない。
「戻らへんのやろうなぁ…」
さり気なく有栖川が歩きやすいように身体を使って人垣を分けている背中にそう呟いた。
世界はまだ、全ての人間のうち半分とは愛し合えないようになっているが、愛することなら出来る。
彼の無表情の理由の一端に、有栖川に近づく人間達への感情を押し殺す意味があるのだと私は確信した。
つまりそれほどまでに強烈な独占欲とそれが充足されることはないという静かな覚悟。
『アリス』
彼の唇がその形に動く時、それは幸福を噛み締めているのだと思う。
遠く目に見えてはいても決して手元には落ちてこない星を見守る天文学者のように。
Next