1.
「なんで!?」
アリスの素っ頓狂な声にも、火村は全く動じなかった。
その時点でなんとなく、それが自然なのかもしれないと思わされてしまったアリスは、多分初めから負けている。
それでも、爽やかな果物が描かれたボトルを目の前にすると、理不尽だという気持ちが拭えない。
ふたりは先日晴れて恋人同士というものになり、その紆余曲折な物語はまた別の話だったりするのだが、とにかく、今日は関係が変わって初めて火村の下宿に泊まる夜なのだ。
大学からの帰り道の途中で、あまり上手いとは思えないペンギンがトレードマークの大型安売り店に寄ると火村が言い出した。
彼が手にした商品があまりに生々しくてアリスは眩暈がしたのだが、その時に聞いた一言で一気に覚醒する。
「アリスが痛いと嫌だろう?」
水気のしたたる苺が描かれたボトルをさっさとレジに持っていく火村をようよう追いかけ、けれど店内はおろか道すがらもそれについて話し合うわけにはいかないので、じっと下宿につくまで耐えたのだ。
「なんで俺が下やねん!」
「観念しろよ、アリス。そういうもんだ」
「納得でけへん!」
別に行為そのものは嫌ではなかったし、むしろ待っていたというか、とにかく、まあ、アリスだって健全な青少年な訳だし。
けれど少々まだ健全とはみなされにくいセクシャリティゆえに、その手順にはっきりとした道筋があるものでもないことも承知していた。
だからといって初めから決まっているようにアリスを抱こうとするのはやめて欲しい。
ふたりとも、ジェンダーを含めて同じ男なのだから、せめて話し合いとか。
「待て、ちょお……ッ、ん!」
手早く大きめの音量で音楽をかけた火村が、生涯3度目のキスを仕掛けてきた。
このままなし崩しに行為に入られたのでは、なんだか半端な気分だ。
けれど顔をそらそうとしてもその大きな手が顎をとらえていてちっとも逃げられない。
しかも、アリスは火村のキスに弱かった。
今まで自分だって知らなかったそんな弱点を、彼はすぐに見抜いた。
唇を割って押し込まれる舌先が、かすかに苦い。
タバコの香り。
「…は…ん…」
立ったまま受ける唇に抗う気力も小さくなる。
けれど無くなったわけではなく、頭の隅で燻っている。
ずるいではないか。
こんな力づくのやり方で始めるなんて。
「アリス…」
唇と唇がほんの少し離れた場所で、息を吹き込むように火村が囁いたのでアリスは驚いた。
流れを制止するような改まった声で、そしてそのために多大なる努力をしているような声で、耳が弱いと知っていて耳ではなく、流されかけていることを知っていて引き止める。
「入りたい」
その微妙なニュアンスに、アリスは降参した。
抱きたいでも入れたいでもなく、入りたい。
言葉の選び方がとても美しいと思った。
上でも下でもない、イコールを証明されて、突っぱねられるほどこだわっていた訳じゃない。
「…ええよ」
男らしくきっぱりと言おうとしたのに、声帯が機能を失ってしまったように息だけで囁いてしまった。
その言葉ごと飲み込まれるように、ぶつかるようなキスをされた。
焦っているようなそのやり方が火村らしくない。
けど、悪くない。
アリスのウエスト辺りを掴んでいた手が、するりとTシャツの裾から潜り込んできた。
親指でゆっくりとわき腹から上へ上へとなぞる。
乾いた指先が、ぞくぞくとした感覚を呼び起こし、触れられるところから温度が上がるようだった。
すい、と、指先が胸の一部をかすめると同時に、耳を噛まれた。
「……ぅ…ン!」
うわぁ、とアリスは口を押さえながらパニックになりかける。
こんな女みたいな声、気持ち悪い。
火村の唇が構わず耳朶を挟み、ちろちろと舌先で含んだ部分を舐めていた。
指先が撫でているところはとうに固く立ち上がり、時折、きゅっとつままれる。
その度にピクンと身体がはね、それが火村に伝わっていることが分かるので酷く恥ずかしい。
自分ばかりだ、と思い、とりあえず目の前の首にしがみついてみた。
よく知っている身体の形、そう思っていたのに、抱きついたアリスはその触れ合う肌や匂いや暖かさに急にリアルなものを感じて胸が詰まる。
「ひ、むら…」
名前を呼んだ途端に、布団に押し倒された。
「ん、ん…ッ、」
素っ裸の身体中、余す所なく火村の濡れた舌が這いまわる。
ぢゅ、っと胸のぷくりとした部分を吸われ、跳ねた勢いで口から手が外れてしまった。
「ん…ぁッ、ン!」
しまった、と思った直後に、強く抱きすくめられる。
寄り添った火村が太腿に押し当ててくるソレが、しっかりと存在を主張していた。
「は…君、俺の声で感じてんのん?」
「…おかしいか?」
「おかしいやろ…」
「おかしくないよ、アリス」
ぞくん、と腰から頭のてっぺんまでがその声に貫かれる。
ああ確かにおかしくなんかない。
唾液が垂れるようなキスをされ、にちにちと音がするほど扱かれて喘ぐのもだからおかしくない。
大きな手に包まれて限界だと思う頃、甘い香りが漂ってきた。
安っぽい苺の匂いに、あざといラベルを瞼の裏に浮かべる。
やっぱり生々しい、と思う。
甘いだけじゃなくもう絶対に引き返せないところに踏み込むのだと、思い出させてくれるような匂いだ。
前への刺激に集中し、後孔に塗り込められるべたついた感触を追い出そうと努めた。
その行為のせいで火村はアリスの視界を外れている。
「ひむらぁ…」
「ん?」
「さみしいやん、そんなとこおったら…」
「我慢しな」
「そん…なッ、ぅわぁ、ちょお…気持ち悪いわぁ…」
「傷つくね、なんとも」
「ぁ、いややん、そ……前だけしてや、後ろいややて…ッぁ…」
張りつめたものをリズミカルに擦り上げられる快楽とは裏腹に、入り込んでくる指の不快さと言ったら、想像以上だった。
そこが確かに排泄器官であることを教えるように、身体は自覚なしに押し出そうとするが、火村はひるむことなく3本まで増やして奥を探る。
「ん、んッ、ぁ、ひむら、イ…きそ、おれ…」
降参の言葉を吐いた時、今にも達しそうだったそこがぬるりと熱く柔らかなものに包まれた。
初めての感覚ではない、前の彼女の時も確か。
「ぅわわ、お前なに……ぅ、そぉ、ちょ…イ…ッ!」
きゅっと背中がしなる。
火村の口に出していると思うと、泣きたいような気にもなった。
が、その絶頂のなか、さらに一段引き上げられるような痺れが走ってアリスは悲鳴をあげた。
火村の唇が離れると、吐き出し切ったはずの先端からとぷりとさらに溢れる。
後孔から与えられる快感だと気づいた時には、境目のわからないレベルの快楽が持続して目の前が朦朧としていた。
だから、あれほど不快だった指が出て行こうとするのを引き止めるように、内側さえ追いかける。
振り切るようにぐちゅんと指が抜け、下肢にたまった熱が行き場を無くしてのど元までうねりながら昇ってきた。
火村、と声にしたつもりが、散らしきれない荒い息遣いにとどまる。
「今度は俺でイけよ」
Next