自己は無意識界に存在していて、それ自身を知ることはありえないと述べた。ただ、われわれは自己のある側面をシンボルという形で把握することができる。それらの中で、夢やヴィジョンなどによく現れる典型的なものを取りあげることにしよう。p.154


老賢者 
自己が人格化されるとき、それは超人間的な姿をとり、老賢者として顕現する。このような人格像は昔話によく現われ、昔話の主人公が困り果てているときに、助言を与えたり、貴重な品を与えたりして消え去ってしまう。その知恵は常にまったく常識と隔絶しており、 それに従ったものは成功するが、妙に人間の知恵をはたらかして疑ってかかったりしたものは失敗してしまう。
老賢者のイメージは東洋人には、むしろなじみの深いもので、仙人の話とか、あるいは老子などというのもその典型であろう。老子その人は実在したかどうか不明であるが、中国人や日本人のもつ老賢者のイメージが年と共に重積され、一人の人格像として形成されていったのものとみることができる。p.154


ユングも自分自身の夢に現れた老賢者について、その『自伝』の中に語っている。
「青い空であった。それは海のようで、雲でおおわれているのではなく、平たい茶色の土くれでおおわれていた。それはまるで土くれが割れて、海の青い水がそれらのあいだから現れてきつつあるかのように見えた。しかし、その水は青い空であった。突然、右側から翼をもった生物が空を横切って滑走してきた。それは牡牛の角をつけたひとりの老人であるのを私は見た。彼は一束の四つの鍵をもっており、そのうちのひとつを、あたかも彼がいま、錠をあけようとしているかのように握っていた。彼はかわせみのような、特徴的な色をした翼をもっていた。」
ユングはこの老人にフィレモンと名づけ、自らその絵を描いている。

フィレモン

彼はこの老賢者フィレモンと対話をこころみ、多くの知恵をさずかるのである。空想的にこれらの人物と対話をすることを、ユングは能動的想像(アクティブ イマジネーション)と呼んでいる。対話をこころみつつそれを書きとめてゆくのだが、描くほうに意識が傾くと空想が進まなかったり、陳腐な内容になってしまったりする。空想のほうに傾きすぎると筆記ができなくなる。相当の心的エネルギーのいる作業であるが、成功すると大きい収穫を得る。p.155


ユングはこのような老賢者との「対話」を通じて、自分の心の中に自我とはまったく異なる意図や方向づけをもった存在が生きていることを実感したのである。p.155


女性の場合も自己のシンボルとして、老賢者(男性)が現われるが、至高の女神の姿をもって現われるときもある。著者の経験では日本人の場合、後者のような夢は少ないように思われる。p.156


始源児 
自己のシンボルとして老人と同じくらい、幼児の姿が用いられる。同じものが老人となったり幼児となったりするところに、その逆説性がよく示されているが、幼児の姿として現われるときは、その未来への生成の可能性、その純粋無垢な状態などに強調点がおかれていると思われる。これらの幼児のなかには、すでに内面には老人の知恵をもったものもいて、自己のシンボルにふさわしいものである。p.156


中国の昔話や説話は、前節に述べた老賢者と共に、このような不思議な幼童の話に満ちている。(中略)そのなかから、彼が『壮士』除無鬼編の話としてかかげているものを紹介しよう。 

黄帝が具茨(ぐし)の山へ大隗神(たいかいしん)に会いに出かけた。聖人を供につれていったのに道に迷ってしまう。困っていると、たまたま牧場の童子に会ったので道を尋ねた。すると、なんとこの童子が具茨山への道も、大隗神の居場所も知っているという。黄帝は「不思議な小童だ!」と驚き、それでは「天下を治めることを言ってごらん」と問いかけると、童子は「天下を治める者もぼくみたいであればいいのよ」と答えた。
「ぼくは幼いときから自然に六合(せかい)の内で遊んでいたのさ。ぼくだって、ひょっと目がくらみにかかったこともあるよ。でも、長者が、おまえは太陽の馬車に乗って襄城の野にお遊び、と教えてくれたの。もうぼくはいくらかなおったよ。ぼくはこれからもっと六合の外に遊ぼうと思うのさ。天下を治めるのもこんなふう。このうえぼくはなにをしようというの?」p.157


中国のこのような老賢者や幼童の描きぶりは真に見事という他はない。この童子は「予(われ)、少き(わかき)より自ずから六合(りくごう)の内に遊べり」と言ったのだから、大室氏も指摘するように、「この童子は高齢なのであるらしい。」老人の知恵をもちつつ、無垢な童子の心をもって、六合の内外に遊んでいる姿は、自己のシンボルとしてまことにぴったりである。黄帝はこの童子を天師と讃えたという。ユングの心の中に存在した老賢者フィレモンのように、誰しも、このような魂の導者を必要とするものである。p.157


このような子どもの元型ともいうべき姿に、ユングは始源児というなを与えている。 始源児は必ずしも知恵ばかりではない。超越的な力を有しているときもある。たとえば、ギリシャ神話の英雄ヘラクレスは幼児のときに、二匹の蛇を退治してしまう。わが国の昔話の英雄、桃太郎や一寸法師をこれらの中に数えてもいいだろう。p.158


夢にこのような超能力をそなえた幼児が出現するときがある。そのとき、その幼児は「小さい」ことを表わすのではなく、むしろ可能性の大きさを示すものであろう。56ページにあげた夢の幼女は、すこしそのような意味をもっている。この幼女は最初は弱いものとして描かれているが、「明るくする」ことを要請するアニムスに対して、暗闇に耐えることを教えるのである。始源児が力や光をもたらそうとしたのは過去のことかもしれない。現在の始源児たちは、われわれに弱さや暗闇をもたらそうとしていると考えてみるのも面白いではないか。p.158


対立物の合一 
自己の全体性を表わすものとして、対立物の合一のイメージがある。男性と女性の結合は、それを示すものとしてぴったりである。西洋の多くの昔話が王と王妃の結婚によって結末を迎えるのが多いのも、このことを反映している。男性性と女性性の結合は、自己を象徴するのにふさわしいものである。p.158


このテーマは夢の中にももちろん生じるが、なかなか完成された形では生じがたいものである。アニマ・アニムスのところで述べたように、男性性、女性性といっても高いもの、低いものがあるので、それらの全体の結合という意味で、二組の結婚式が同時にあげられるというテーマもときに出現する。
統合への努力がまだ不十分というわけで、花嫁、あるいは花婿が不在の結婚式というのが夢に生じること、ちょいちょいある。あるいは結婚式をあげるはずで、相手を式場に待たしておきながら、自分は時間と場所をまちがって、うろうろする夢もある。p.159


西洋の昔話に、結婚のテーマが多いと述べた。もちろん、わが国の昔話にもあるが、どうもその率が少ないように感じられる。(中略)これはすでに述べたように、日本人の自我が無意識から独立した存在として確立されておらず、自己との漠然とした結びつきの中で安定しているということと関連しているように思われる。西洋人の場合、一度は分離された自我と自己が、それを結ぶ仲介者としてのアニマ(アニムス)を必要とするのに対して、日本人の場合は、それを必要としないとも言えるだろう。あるいは、日本人にとって、自我の確立した男性と女性が同一の地平において会うことは、ほとんど不可能といっていいのかもしれない。p.159


以上の点と関連して、ある三十歳代の男性の見た興味深い夢を次に示す。
〈夢〉私は西洋の人たち(?)に日本の昔話をしていたようだった。私は語った。「月はすべての人を愛しました。彼女は(月は女性だった)愛の象徴でした。日本人が『愛』を考えるとき、それは『静』ということを思わせます。あなたがた(西洋人)は、愛は常に『烈しい』と思うでしょう。月の愛は静かなのです。しかし、彼女の光はすべての場所に、すべての人にとどくのです。この愛は烈しい愛とは異なるものです。彼女の愛はすべてにゆきわたり、そこに区別はないのです。ところが、いまや彼女は太陽と恋に陥ってしまったのです。彼女は心を打ちこんでしまったのです。そして、彼女は彼女の愛する太陽と、他のものとをはっきりと区別するようになったのです。……」聴衆のなかにいた韓国の女性は、私の話に非常に心を動かされたようであった。私は語りつづけたが、なにを話したか、起きたときには忘れてしまっていたp.160


この夢は日本人には珍しい「愛」の物語である。しかし、この人は夢の中で、西洋人の愛と日本人の愛との差について説明しようとしている。この点については後に触れるとして、ここで注目したいのは、物語の主人公が太陽と月であるという事実である。このことは「自己」の象徴としての「自然」ということにも関連してくると思われる。その点について次に述べる。p.160


自己の象徴としての自然 
自己の象徴として、自然物が選ばれることもよくある。自然はいわば、あるがままにあるものとして、自己の象徴に適していると言える。この点も押しすすめてゆけば、一木一草すべて自己の象徴と言うこともできるだろう。このような考えは、むしろ、男性と女性の結合でもって自己を象徴するよりは、日本人に親しみやすいようである。日本人の夢には、自己の象徴としての自然物がよく生じるように思う。p.161


自然物のなかで、石は自己の象徴としてよく出現するものである。ユングの高弟フォン・フランツはユングの編集した『人間と象徴』のなかで、次のように述べている。
「石は、たぶん、最も単純にして最も深い体験、つまり人間が不死で不変なものと感じる瞬間にもつことのできるような、何か永遠の体験、それを象徴している 」と述べている。p.161


先の述べた対立物の合一という点においても、人間の男性と女性というのではなく、「梅にうぐいす」という形で夢に現われることが、日本人の場合は多いように思われる。人格像としてよりは、自然に投影された形で、自己を見ることが多いようである。p.161


ところで先の太陽と月の結婚の夢をとりあげてみよう。対立物の合一という点で言えば、太陽と月の結婚は最高のものと言えるかもしれない。太陽と月を王と王妃に見たてることも、あるいはその逆のこともよくあることである。しかし、この夢はもうすこし他のことに重点をおいているように思われる。p.161


ここで夢を見た人は日本人として、外国人に訴えている感じがある。始めに強調される、月の愛は母性的な愛である。そして、その語りかたは、「あなたがた西洋人は御存知ないでしょうが」という響きをさえもっている。それは無差別の愛である。これに対して、太陽の愛というのは明らさまに語られていない。しかし、察するに、それは光と闇、善と悪などを区別する愛ではないだろうか。それは無差別ではなく、善なるものを愛する愛である。
ところが、月は太陽を恋してしまう。そして、そのために月はすべてを同じく愛する態度を忘れ、太陽と太陽以外のものを、すなわち、恋人と恋人以外のものを区別することを体験する。それは、もはや「静かな」愛ではありえないだろう。なかなかむずかしいことが起こったものだ。
夢を見た人がその後の続きを覚えられなかったのも当然かもしれない。それにしても聴衆の中の韓国の女性が心を動かされたらしいというのは興味深い。彼女も同じく東洋の人間として、同様の問題に関心を寄せざるをえなかったのであろう。それにしても、対立物の合一ということは、簡単にはできないことである。p.162